リオネル、おかえりなさい!
そうして、出征から五ヶ月と少し。
ついにリオネル達が帰還する日を迎えた。
予定では午前中には戻ってくるそうだが、帰ってきてからも色々とやるべきことがあるそうなので、リオネルが我が家を訪れるのは夕方になるらしい。
……疲れているだろうから、翌日とかでもいいのに。
最後に送られてきた手紙には『必ず夕方に寄る』と書かれていて、リオネルの体調を心配する半面、一日でも早く会えることが嬉しかった。
朝からソワソワするわたしにお母様や使用人のみんなが微笑ましそうな顔をしていたけれど、仕方がない。
だってリオネルが無事に帰ってくるのだ。
喜ばないはずがない。
午前中はお母様と美容室へ行き、午後はいつも通り小説を書きながら過ごし、夕方になるのを待つ。
普段なら一日が早く過ぎるのだけれど、今日だけは随分と長く感じられた。
早くリオネルに会いたい。早く夕方になってほしい。
そう思うほど一分一秒が長くなっていく。
ようやく夕方に差しかかった頃、リオネルは訪れた。
メイドが部屋に来て、リオネルを応接室に通したという言葉を聞きながら自室を飛び出した。
滅多に走ることがないので久しぶりに走った。
お母様が「これを着るべきよ」と一押ししたドレスは普段着にしてはやや華やかで、動きにくいけれど、そんなことは気にならなかった。
途中、すれ違った侍女に「走るとお髪が乱れてしまいますよ!」と言われたが、それでも走った。
応接室に着き、勢いのまま扉を開ける。
「リオネル、おかえりなさい!」
見慣れた、けれど五ヶ月ぶりの姿が目に入った。
リオネルもわたしを見るとパッと立ち上がる。
扉を押しやって長身へ駆け寄り、抱き着いた。
長年友人として付き合い、婚約者となってからダンスも踊ったけれど、こうして抱き締め合うのは初めてだった。
背が高く、痩身で、でもわたしよりも幅があって意外とがっしりとした体つきなのが服の上からでも分かる。
結構な勢いで突っ込んだわたしをリオネルは難なく受け止めた。
「今戻った。……エステル、会いたかった」
低く、落ち着いた声がなんだか酷く懐かしい。
リオネルの腕に抱き締められる。
「わたしも、ずっと会いたかった……!!」
見上げて、リオネルの頬に両手を伸ばせば、わたしの手が届きやすいように背中を丸めてくれる。
初めて触れたリオネルの頬は少しカサついていた。
記憶の中よりも少し日焼けした肌に、やや伸びた黒髪。でも相変わらず芸術品みたいに整った顔立ちに、視線が吸い寄せられてしまう美しい黄金色の瞳。出征前よりも、どこか精悍な顔つきになった気がする。
リオネルの片手がわたしの手に重ねられた。
「少し痩せたか? それに、肌や髪もより美しくなった」
「リオネルがいなくてティータイムの回数が減ったし、確かにちょっとだけ痩せたかも。髪と肌は美容室に通ってるからだよ」
リオネルの手が、わたしの手から頭に移動して、髪を撫で、わたしの頬にそっと触れる。
顔の輪郭をなぞるように触れられて少しくすぐったい。
「更に美しくなったことは嬉しいが、心配事も増えるな」
「心配事?」
「他の男がお前に求婚するのではと」
真剣な表情でそんなことを言うものだから笑ってしまう。
「あはは、ありえないよ。わたしと結婚してくれる人なんてリオネルくらいしかいないだろうし、もしあったとしても、もうリオネルと婚約してるしね」
体を離したリオネルがわたしの両手を握る。
互いの左手の薬指には婚約指輪が光っていた。
「今回の戦争で武勲を立てた。まだ公にはなっていないが、今日、陛下より筆頭宮廷魔法士へ昇進しないかとお声をかけていただけた」
「そうなの? 凄い、もう目標達成だね!」
出征前に互いに目標を決めて賭けをした。
目標を先に達成したほうの願いを、もう片方が叶える。
そんな、子供じみた小さな約束だが、リオネルは有言実行した。筆頭宮廷魔法士になるという目標を達成する。
……わたしの願いは今、叶ったから。
無事に帰ってきてほしいという願いはこうして叶った。
怪我一つしていない様子のリオネルに、心の底から安堵した。
「賭けの約束は覚えているか?」
リオネルの問いに頷いた。
「もちろん、覚えてるよ」
「今、それを使ってもいいか?」
「うん、構わないけど……?」
黄金色の瞳がジッと見つめてくる。
少し緊張しているのか、リオネルが深呼吸を一つする。
「エステル、俺と結婚してほしい」
「それが願いだ」と告げられて驚いた。
わたしとリオネルはもう婚約している。
適当な時期がくれば自然と結婚するだろうと思っていた。
だから求婚の言葉をかけられたのは予想外で、驚きと同時に、不思議なことに嬉しさも込み上げてくる。
「夫婦として人生を共にする相手は、お前しかいない」
堂々とした強い響きの声に実感する。
……本当にリオネルが帰ってきたんだ。
「……それは、賭けの対象にならないよ」
黄金色の瞳が微かに揺れる。
「だってわたし達、婚約者でしょ? 結婚するのは決まっているんだから、わたしが叶える願い事として数えられないよ。お父様達だって婚約を許してくれるんだし……」
「そうだとしても、お前の言葉が欲しい」
……そんなの、決まっている。
最初にリオネルへ声をかけた時から変わらない。
「……うん、リオネルと結婚する」
そう答えれば、リオネルにギュッと抱き寄せられる。
その背中に両腕を回して抱き返す。
「わたしだって、この先の長い人生を一緒に過ごす相手はリオネルがいいって思ってるよ。……寂しかった」
「ああ、俺も……寂しかった」
黄金色の瞳に見つめられてドキドキと心臓が早鐘を打つ。
同じ思いを感じていたことが嬉しかった。
リオネルの手がわたしの頬に触れて、熱のこもった瞳から視線が外せなくなって、わたしは──……。
ごほん、と大きく響いた咳払いにハッと我へ返る。
反射的に音のしたほうを見れば、お父様とお母様、お兄様がいつの間にか応接室の出入り口に立っていた。
「リオネル君、よくぞ無事で戻ってきてくれた」
入ってきたお父様の言葉にリオネルが頷く。
「はい、必ず戻ると彼女と約束したので」
それにお母様が「あらあら」と微笑んだ。
お兄様が何とも言えない表情でわたし達を見て、その視線にようやく抱き合ったままだということに気が付いた。
慌てて離れるとリオネルの腕はあっさりと外れる。
なんとなく、リオネルと抱き合っている姿をお父様達に見られるのは気恥ずかしく感じた。
応接室にはお父様、お母様、お兄様、わたし、そしてリオネルがいて、侯爵家全員で帰還したリオネルを出迎えることとなった。
「立ち聞きは良くないと分かってはいるが、話は聞かせてもらった。筆頭宮廷魔法士の打診を受けたというのは本当かね?」
お父様の問いにリオネルが頷く。
「はい、事実です。私はそれをお受けしました」
「そうか……」
お父様が難しい顔をする。
けれど、お父様はすぐにリオネルへ頷き返した。
「分かった。リオネル君とエステルの結婚を許可しよう」
「ええ、そうね。リオネル君は約束を守ってくれたのだもの。エステルも頷いているのだから、私達が反対する理由はないわ」
お母様がそう言い、お兄様が苦笑した。
「エステル、良かったな」
それにわたしは大きく頷いた。
リオネルが無事に帰ってきてくれて良かった。
こうしてリオネルがそばにいる時間はどれほど大切なものであるか、この五ヶ月で嫌というほど理解した。
最初は最も信頼出来るからという理由でリオネルへ契約婚を持ちかけたけれど、今は、結婚するならリオネルがいいと思う。
一番信頼して、一番気安くて、一緒に過ごしたい。
もし他の人に求婚されて、リオネルよりもその相手のほうが好条件だったとしても、わたしは頷かないだろう。
「結婚の日取りについてはイベール男爵家と話し合う必要がありそうだね」
「はい、陛下より承認をいただいてから、改めて両家を交えて決めたいと考えておりますが、私の希望としては一日でも早く式を挙げたいです」
横から視線を感じ、見上げれば、リオネルが『それでいいか?』と問うようにわたしを見つめ返してくる。
だから、わたしはしっかりと頷いた。
わたしとリオネルを見たお父様が困ったように微笑んだ。
「娘の結婚式はもう少し先の話だと思ったんだがな……」
それから、お父様がリオネルを誘い、みんなで夕食を摂った。
その後リオネルは帰ろうとしたけれど、楽しい時間が名残惜しくて、つい引きとめてしまった。
「新作が書けたから、まだ時間があるなら少し読んでいかない?」
素直に『もう少し一緒にいたい』と伝えれば良いのかもしれないが、リオネルは優しいから、そう言えば必ず残ってくれるだろう。
でも、リオネルも疲れているはずだ。
とりあえずお伺いを立てる形にしてみると、リオネルは目を輝かせて「ああ、読む」と即答した。
ちなみに三日後の夜に王家主催の祝賀会が行われる予定で、わたしは貴族の一員として、リオネルは武勲を立てた者として出席する。
そこでリオネルが筆頭宮廷魔法士に任命される。
……本当に五人目の筆頭になるなんて凄いなあ。
時間的にさすがに自室へ誘うわけにはいかず、応接室で待つリオネルのために部屋から本を持ち出しながら思う。
恐らく、リオネルは最年少の筆頭宮廷魔法士になるだろう。
……わたしで、いいのかな……。
契約婚を持ちかけたのはわたしだし、リオネルも了承し、ああして妻に迎えると言ってくれたけれど、筆頭宮廷魔法士の妻がこんなでいいのだろうか。
リオネルはいつだってわたしを肯定してくれるが、周囲の人々はそうは思わないはずだ。
パジェス公爵令嬢のことを思い出す。
……あれが当然の反応なんだよね。
痩せて綺麗になったら反対する人は減るのだろうか。
しかし、体質的なものもあるのか食べる量を減らしてもなかなか体重は落ちず、相変わらずぽっちゃり体型である。
運動をして筋肉をつければ痩せるかもしれないが、それはお母様に「淑女が走り回るなんて」と難色を示されたし、お父様達にも「怪我をしたらどうする」と止められた。
気付けば足が止まっており、思考を振り払い、歩き出す。
応接室へ着き、ノックをして、返事を待ってから中へ入る。
「お待たせ!」
出征の間に書いた新作本をリオネルへ渡す。
リオネルは本を受け取ると、すぐに表紙を開いた。
「それ、持って帰ってもいいよ」
と言えば、リオネルが不思議そうに目を瞬かせた。
いつもは『他の人に読まれたら恥ずかしいから』と貸さなかったので、驚いたのだろう。
だが、リオネルはすぐに首を振った。
「いや、借りるのはやめておく」
それに今度はわたしが驚いた。
リオネルなら喜んで借りていくと思ったのに。
「今まで通り読みに来る。本を借りたら、お前と過ごす時間が減るだろう。あの時間が俺は好きだ」
その言葉に胸が温かくなる。
「わたしも、あの時間が好きだよ」
「そうか」
ふ、とリオネルが微笑んだ。
どうしてかは上手く言葉に出来ないが、リオネルの優しい微笑を見ていたら、先ほどまで感じていた不安は薄らいでいった。
わたしがあれこれ考えて、悩んで、迷っても、きっとリオネルは『お前はお前らしくいればいい』と言ってくれるのだろう。
以前もそう言ってくれたように。
簡単には痩せられないけれど、だからこそ、肌や髪など手入れ出来るところはもっと頑張っていこう。
「明日も来ていいか?」
「リオネルならいつでも大歓迎だよ」
「では、いつもの時間に来る」
リオネルは本へ視線を向けた。
その横で、わたしは何をするともなく紅茶を飲みつつ、読書をするリオネルの横顔を眺めた。
わたしに見られていることには気付いているだろうに、リオネルは特に気にした様子もなく読書に集中していて、伏せ目がちな目元に長い睫毛が陰を落としている。
…………あれ?
「リオネルもちょっと痩せた?」
「暑さに慣れるまでしばらく食欲が湧かなかったせいもあるが、保存食が主になると、どうしても味が落ちて自然と食べる量も減る。ラシード王国の料理は辛いものが多いしな」
「そういえば辛いものは苦手だったよね」
リオネルは甘いものも普段それほど食べないが、辛いものもあまり得意ではないらしい。それでも、ある程度の辛さは食べられるようなので、全く食べられないということはないはずだが。
「ラシード王国の料理ってそんなに辛いの?」
「食べられないことはないが、あとで胃が痛くなる。兵士の中には腹を下す者もいた。それから歓迎の際に『カフワ』という飲み物を必ず出されるんだが、飲み慣れない味で苦労した」
その『カフワ』という飲み物の味を思い出したのか、リオネルが渋いものでも食べてしまった時のような何とも言えない顔をする。
よほど口に合わなかったのだろう。
「へえ、どんな味?」
「表現出来ない。ただ、俺の好みではなかった」
そこで『不味い』と言わないところがリオネルらしい。
歓迎されて、その『カフワ』という飲み物を出される度にきちんと飲み干したのだろう。
そういうところは律儀な人だから。
「わたしも飲んでみたいなあ」
リオネルが読書をしたまま小さく笑う。
「ああ、きっと驚くぞ」
そうして、リオネルは一時間ほど読書をしてから帰った。
五ヶ月ぶりにリオネルに再会して、少し気が昂ってしまったのか、その日の夜は寝付きが悪くて、でも嫌な気分ではなかった。
……明日もリオネルに会える。
そんな当たり前のことがとても嬉しかった。




