……良かった、無事なんだね。
リオネルが出征してから一月。
その間に、二度、リオネルから手紙が届いた。
一度目は、出征してから二週間後に届き、内容は『ラシード王国に着いたが暑いし砂だらけで少しきついが、異なる文化が興味深い』という内容だった。
そこにはラシード王国で見たもの、聞いたこと、口にしたものなど、色々と詳細に書かれていた。
手紙と言うより報告書みたいになっていたけれど、リオネルなりに自分がどんな場所にいるのか、異なる文化に触れてどう感じたかを一生懸命わたしへ伝えようとしてくれている。
丁寧に書かれた文章から異国の情景が想像出来た。
だが、まだ目的地に着いたわけではないようで、手紙の最後には『返信不要』と書かれていた。
二度目は三週間後に届いた。
今度は『目的地に到着した。砂漠は昼間は暑く、夜は寒く、だが夜空やオアシスは美しい。暑さにも少し慣れてきたような気がする』という内容だった。
……砂漠のオアシスと星空かあ。
なんだか、それはそれでロマンチックな雰囲気がある。
その手紙にも夜空とオアシスがどれほど美しい場所なのか、詳細に書かれていて、リオネルからの手紙はわたしの楽しみの一つになっていた。
一通目も二通目も内容を暗記してしまうほど読み返した。
二通目の最後には『返信は下記に送ってほしい』と宛先が記されており、わたしはすぐに手紙を書いた。
手紙の内容はリオネルがいない間のことである。
手紙は他の人が検閲するため小説に関しては書けなかったため、美容室に行ったり、お母様とお茶をしたりして普段通り過ごしているといったものだ。
普段通りと書けばリオネルには伝わるだろう。
それから、書くかどうか悩んだものの、リオネルがいなくて寂しく感じていることや何かにつけてリオネルを思い出すことも書いた。
……読み返したらちょっと恥ずかしかったっけ。
でも本心だからそのまま送った。
だってリオネルは一通目も二通目も、所々に『エステルが見たなら〜』とわたしのことを考えてくれていたから。
わたしもリオネルのことを考えているよ、と伝えたかった。
* * * * *
二通目の手紙を送ってから二週間後。
三通目を送るべきかどうか考えていたリオネルの下に、検閲が済んだ手紙が届いた。
恐らく検閲係だったのだろう、手紙を持ってきた兵士に何故か「仲睦まじくて羨ましいです」と微笑ましいと言いたげな顔をされた。
それに首を傾げつつリオネルは手紙を受け取った。
時間があったのですぐに封を開け、中身を確認する。
数枚の便箋には、リオネルの人生で最も見慣れた文字が並んでいた。僅かに右上がりで丸みのある、書いた本人を彷彿とさせるような柔らかな筆跡の文字だ。
まずは素早く一読する。
内容の前半はエステルの日常に関することだった。
美容室に行ったとか、侯爵夫人とお茶をしたとか、基本的にいつも通り過ごしているらしい。
恐らく、キャスウェルが侯爵家を訪れているはずだ。
出立の数日前に出版社に行ってキャスウェルと面会した。
リオネルがいない間、エステルの出版の件を任せることもそうだが、社交は興味がないくせに意外と寂しがりなエステルが孤独にならないように少しだけ気にかけてほしいと伝えたのだ。
その時のキャスウェルの眩いばかりの笑顔は少々鬱陶しかったが「分かりましたわ〜」と頷いたので心配はないだろう。
あの男は風変わりだが信用は出来る。
検閲されると伝えていたからか、出版に関することは何も書かれていなかったが、きっと順調に進んでいるのだと解釈しておく。
手紙の前半ではリオネルが送った手紙にも触れて、喜ぶだろうとラシード王国での生活について書いた内容は、思った通りエステルを楽しませたようだ。
少しでもエステルの心を慰められたのなら、それでいい。
手紙の半ばは、異国で過ごすリオネルの体調を気遣うものだった。
ラシード王国は自国よりもずっと気温が高い上に、水は貴重なので好き放題は使えない。
特に砂漠に出ると、昼間は嫌になるほど暑く、夜は逆に少し肌寒い。寒暖差の激しい国である。
兵士達も体調を崩さないよう気を付けているものの、慣れない環境でどうしても不調を訴える者が出てきてしまう。
リオネルは体調を崩していないが、長期間ラシード王国に留まるのは兵士達にとってはあまり良くないかもしれない。
開戦から一週間、既にラシード王国側が優勢である。
ヴィエルディナ王国も奮闘しているけれど、国民に魔法士が多いラシード王国にフランジェット王国が兵を派遣しているので質も量もこちらが元から有利であった。
ラシード王国の兵士達も士気が高く、この分ならば戦争は長引くこともなさそうだ。
……元より短期で終わらせるつもりだが。
そして手紙の後半を読んでリオネルは固まった。
てっきり後半もそのような感じでのほほんとした日常について書かれているのだろうと思っていたが、予想とは裏腹に、そこにはエステルの本心が綴られていた。
………………。
………………………………。
………………………………………………。
リオネルが出征してから、毎日寂しく感じてるよ。
いつもリオネルが座っている椅子、贈ってくれたガラスペン、指輪、毎晩眠る直前も、生活のふとした瞬間にリオネルのことを思い出すの。
その度に、リオネルは簡単には会えない距離にいるって実感して少し虚しくなる。声だけでもいいから聴きたいよ。
お互いの顔を忘れないうちに帰ってきて、なんて冗談を言ったけど、毎日リオネルのことを思い出しているから忘れることはなさそうだけどね。
でも、いくら思い出しても記憶はやっぱり記憶で、本物には勝てないね。リオネルがいないのに、いるような気がして、たまに独り言を呟いちゃう。
当たり前だけど返事がないことに、余計に寂しくなるよ。
つい、もらった手紙を毎日見返してる。
読み返しすぎて内容を暗記しちゃった。
リオネルがラシード王国でも元気そうで安心したよ。
返事が書けるって、とても嬉しいことなんだね。
私的な手紙は久しぶりで、読みにくかったらごめんね。
沢山伝えたいことはあるけど、それは帰ってきた時にするね。直接、顔を見て話したいから。
……出征にわたしも一緒に行けたら良かったのに。
だけど、わたしが行っても足手纏いになるだけだね。
こっちでリオネルの無事と勝利を祈っているよ。
無理はしないで。体調に気を付けて。
帰ってくるまでずっと待ってるから。
………………………………………………。
………………………………。
………………。
リオネルは手紙を読み終え、口元を手で覆った。
緩みそうになる口角を隠すためだ。
エステルはあまり自分の感情を口に出さないので、こうして『寂しい』と書くということは、相当強くそう感じているのだろう。
手紙を何度も見返しているエステルを想像して、リオネルはつい嬉しさに目尻を下げた。
……エステルも寂しいと感じてくれている。
かく言うリオネルも、エステルと会えない時間が長くなるほど、距離が開くほど、会いたいと思う気持ちは強くなった。
ふとした瞬間に『エステルは何をしているだろうか』『エステルがこれを見たらどう反応するだろうか』と彼女のことを考えてしまう。
その度にもらったハンカチを眺めて気持ちを慰めた。
手紙を持ってきた兵士に言われた言葉を思い出す。
こんなに『あなたのことばかり考えています』という内容が書かれていたら、婚約者か恋人からの手紙だと分かるはずだ。
もう一度、今度はゆっくり読み返す。
「……エステル」
……俺もお前と会えなくて寂しい。
便箋に綴られた文字を眺めていると声をかけられた。
「おや、君に手紙なんて珍しいねぇ」
ひょいと手紙を覗き込まれ、リオネルは慌てて便箋を折って内容を見られないように隠した。
横には、鮮やかな赤い髪に眠たげな緑の瞳を持つ上司が立っていた。背はリオネルよりやや低い。外見の年齢は二十代後半くらいか。他の宮廷魔法士と違い、もっと華やかで目立つ装いなのは筆頭宮廷魔法士の一人だからである。
リオネルは宮廷魔法士となった時から、この筆頭宮廷魔法士『ガーネット』アベル・セルペット直属の部下だった。
やる気がないような緩い雰囲気を持つ上司だが、魔法士としての腕は驚くほど高く、魔力量も多い。
外見は二十代であるものの、実年齢はもっと上らしい。
昔から魔法の研究を色々とやっており、その実験を自分で試しているうちに何かの魔法が作用して実年齢より若い外見になってしまったそうだ。
本人は『歳の取り方が少し他人より遅いだけで、一応ゆっくり年齢は重ねている』とのことだった。
だが、リオネルが初めて出会った頃から外見はほぼ変わっていないので、実年齢が何歳なのかは謎な上司である。
他の筆頭宮廷魔法士達から聞いた話によると『筆頭の中では最年長で、国王陛下とは昔馴染みで相談役もたまに兼ねている』のだとか。年齢を訊いてみてもはぐらかされた。
今回の出征に出ている宮廷魔法士達のまとめ役を務めているのも、この上司である。
「勝手に人の手紙を読もうとするな」
折った便箋を封筒へ仕舞う。
それに上司は緩く笑う。
「ごめんごめん。いつも無表情なリオネル君がめずらしく嬉しそうにしてるから、誰からなのかなあって気になっちゃってねぇ」
悪びれもなく言う上司に呆れつつ、返事をする。
「婚約者だ」
「やっぱりねぇ。どんな子なのぉ?」
「……上手く表現出来ない」
エステルの長所も短所も知っているというのに、問われると、それらを言葉にするのは難しかった。
穏やかで優しく、リオネルにはない才能を持ち、趣味が大好きなエステル。リオネルが初めて興味と尊敬を感じた相手。
そして、気付けば想いを募らせていた。
手紙の内容を思い出してリオネルは目を伏せた。
「リオネル君、その婚約者ちゃんが好きなんだねぇ」
心を見透かされたような気がしてドキリと心臓が跳ねる。
「堅物な君にも恋する心があって良かったよぉ。愛は人を強くする。大切な相手がいるのは大事だし、深い絆は心の支えにもなるからねぇ」
「……何が言いたい?」
「婚約者ちゃんを大事にしてあげなよってことかなぁ」
それにリオネルは思わず返す。
「言われるまでもない」
昔から、エステルは何にも代えがたい存在である。
大事にするのも、守るのも、リオネルにとっては当然のことであった。
ハンカチを仕舞っている胸元の内ポケットを上着の上から、そっと手で押さえた。
星を見つめるライオンの刺繍は『自分のところへ無事に帰ってきてほしい』という気持ちが込められているのだろう。
「俺の帰る場所はもう決まっている」
だから、必ずエステルの下へ帰る。
彼女との約束を果たすために。
* * * * *
「エステル様、イベール男爵令息よりお手紙が届いております。すぐに読まれますか?」
侍女の言葉にペンを置いて立ち上がる。
「うん、今すぐ読む」
侍女が封を切り、手紙を渡してくれて、わたしはそれを受け取ると椅子に腰掛けた。
二通目の手紙から二週間、リオネルが出征して一月と少し経っていた。
距離が開いているので手紙のやり取りすら時間がかかる。
封筒から便箋を出し、丁寧に畳んである便箋を開く。
そこにはリオネルの、まるで見本のように綺麗な文字が綴られていた。丁寧にその文字を目で追う。
手紙の返事を送ったことへのお礼から始まり、それからラシード王国とヴィエルディナ王国との間で開戦宣言が行われたこと、毎日砂漠に出ていること、馬だけでなく背中にこぶのある不思議な生き物にもたまに乗っていること、今のところは体調は問題ないことなど、わたしに伝えても差し支えないものが書かれていた。
「……良かった、無事なんだね」
思わず手紙に顔を寄せると、少しザリザリとした感触がして、リオネルが砂の国にいることを改めて実感した。
……こぶのある生き物ってラクダのことかな?
他には果物が美味しいとか、装いが全く違うとか、日常の何気ないことが沢山書かれている。
その中に、それはあった。
………………。
………………………………。
………………………………………………。
お前を思い出さない日はない。
もらったハンカチも肌身離さず持っている。
会いたいと思う気持ちが寂しさなのだとしたら、俺も、お前と会えない日々を寂しく感じているのだろう。
会うことは出来ないが、空は繋がっている。
見上げる月や星は同じものだ。
寂しい時は夜空を見上げるといい。
その時、俺も同じものを見ているはずだ。
心配するな。必ず、星を目指して帰る。
………………………………………………。
………………………………。
………………。
「……リオネルって、ああ見えてロマンチストだなあ」
離れていても同じ夜空を眺めていれば、繋がっている。
そう伝えたかったのだろう。
それにハンカチの意味にも気付いたようだ。
分かっていて、大切に持ち歩いてくれていることが嬉しくて、わたしと同じように、会えないことを寂しいと感じてくれていることも嬉しくて。
……そうだ、すぐに返事を書かないと。
新しい便箋を出してきて、手紙を読みながら返事を書く。
会って話すように沢山のやり取りは出来ないけれど、それでも、こうして手紙を交わすのも案外悪くない。
リオネルがくれた言葉を何度も読み返せる。
少し考えた後、書き終えた便箋に軽く香水をかけてから封筒へと仕舞い、封をする。
わたしが気に入って時々使っている香水は、ほのかに甘く優しい香りがする控えめなもので、きっと手紙を開けたらふわりと匂いが広がるだろう。
「わたしも十分、ロマンチストかもね」
この香りでわたしを、故郷を思い出してほしいなんて。
「手紙を出しておいてもらえる?」
「かしこまりました」
封蝋が乾いたことを確認してから侍女へ手紙を託す。
手紙が届くまで約一週間。返事がくるのに二週間。
多分、リオネルも読んですぐに返事を書いてくれている。
わたしの手紙を楽しみにしてくれていたら嬉しい。
「……もうすぐ冬かあ」
寂しさが深まりそうな季節だと、内心で苦笑した。




