うん! 夢みたい!
それから一週間後、わたし達は出版社に向かっている。
リオネルには出版社に知り合いがいるそうで、その人に連絡を取り、予定を合わせてくれたのだ。
お父様達にはわたしから話したけれど、出版そのものにあまりピンと来ていない様子だった。
「エステルがやりたいなら、挑戦してみなさい」
と許可はもらえたので良しとしよう。
馬車の向かいの座席に座っているリオネルに訊かれる。
「今日は何冊持ってきた?」
「とりあえず『幸福の青い薔薇』の上下巻だけ」
「ああ、あれか」
これまで書いてきた小説を全て渡すつもりはない。
とりあえず、リオネルから以前好評だった小説を持ってきた。
内容は幼い頃に青い薔薇のブローチを交換した王国の姫と、名も知らない男の子が、成長して再会するお話だ。しかし互いに実は戦争をしていた敵国同士で、負けた王国の姫が勝った帝国の皇太子の下へ人質代わりに嫁がされる。そこで男の子が帝国の皇太子だと知る。冷たい態度の皇太子と人質の姫の恋物語である。
これは上下巻に分かれているが『幸福の青い薔薇』シリーズはあと四冊ほど続くのだけれど、とりあえずは読み切りでも楽しめるように上下巻だけにした。
何だかんだわたしも好きなシリーズだ。
馬車の揺れの間隔が広がり、やがて停車する。
先に降りたリオネルの手を借りて、わたしも馬車を降りる。
出版社の建物はなかなかに大きかった。
「こっちだ」
と、正面玄関へ向かうリオネルについて行く。
中へ入ると受付らしき場所があり、リオネルがそこにいた女性へ声をかける。
「三階のリド・キャスウェルを呼んでくれ」
「かしこまりました」
女性が背を向け、壁にかけてあった複数の小さなベルの一つを手に取り、チリンチリンと鳴らす。小さな可愛らしい音だ。
振り返った女性が壁際に置かれたソファーを手で示す。
「すぐに参りますので、あちらでお待ちください」
リオネルが頷き、ソファーに向かい、腰を下ろす。
わたしもそれに倣ってリオネルの横へ座った。
……緊張する……!
布で包んだ本を膝に置いたり、抱え直したり、そわそわするわたしとは正反対にリオネルは落ち着いている。
恐らく何度か来たことがあるのだろう。
「そういえば、どこで出版社の人と知り合ったの?」
「ここの出版社にいくらか出資している」
「いつの間に……」
宮廷魔法士の仕事をしているのに、更に出版社に出資しているとか凄い。
出版社が黒字になればリオネルへ配当金が返ってくるそうで、それでも、そこそこ稼げているのだとか。
「宮廷魔法士の仕事で兼業していいの?」
「働いているわけではないから何も言われない」
……なるほど?
そんな話をしていると脇の階段から人が下りてきた。
リオネルの美しさとは少し違い、服の上からでも筋肉質で長身な、なかなかの美丈夫だ。あと化粧をしっかりしている。
その男性はリオネルを見ると笑みを浮かべた。
「リオネル様、お待たせいたしましたわ〜」
…………え?
「さあ、奥の応接室へどうぞ〜」
立ち上がったリオネルについて、建物の奥へ向かう。
男性に案内されたのはこじんまりとした応接室だった。
「すぐにお茶を用意してまいりますので、しばしこちらでお待ちくださぁい」
語尾にハートが飛んでいそうな口調と声だ。
扉が閉まる前に男性と目が合うと、パチン、とウインクをされて色々な意味で固まった。
扉が閉まったのでリオネルへ問う。
「い、今のが知り合い?」
「そうだ。まあ、少々クセの強い奴ではあるが、ああ見えて、この出版社の娯楽小説部門を統括している」
……想像以上に上の人だった……!!
「特に娯楽小説部門に多く投資しているから、向こうにとって俺は資金提供者になる」
「そうなんだ……」
ややあって部屋の扉が叩かれ、先ほどの男性がサービスワゴンを押して入ってくる。
紅茶を用意してもらい、思わず会釈をすればニコリと微笑み返された。
男性は、わたし達の向かいのソファーに腰掛ける。
「お待たせいたしました。初めまして、お嬢様、私はリド・キャスウェルと申します。どうぞお気軽にリディかキャシーとお呼びくださいませ」
またパチーンとウインクが飛ばされる。
……なんか、色々濃いなあ。
「ではキャシー様と呼ばせていただきます。初めまして、ルオー侯爵家の長女、エステル・ルオーと申します。本日はお忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございます」
「まあ、そのようにかしこまらないでください」
リオネルが「そうだな」と横で頷く。
「今後エステルに頭を下げて『どうか小説を書いてください』と懇願するのはキャスウェルのほうだ」
リオネルの言葉に男性、キャシー様が「あら〜」とおかしそうに微笑んでいる。気分を害した様子はなさそうだ。
「それほどお嬢様の小説は素晴らしいのですか?」
「ああ。……エステル、本を貸せ」
そう声をかけられ、持っていた包みをリオネルへ渡す。
リオネルは包みから本を一冊出してキャシー様へと差し出した。
キャシー様が受け取り「少し読ませていただいてもよろしいでしょうか?」と訊いてきたので頷いた。
本を開き、キャシー様が文字を目で追っていく。
その間、紅茶を飲みながら時間を潰す。
「ちょっと緊張するね」
リオネルや家族以外に読んでもらうのは初めてだ。
しかも出版社の人に読んでもらうなんて普通はない。
「それにしても、さっきのは言いすぎだよ」
「事実だ。娯楽小説は作家が元より少ない。書ける者がいて、売れるものがあるなら、是が非でも囲い込みたいはずだ」
リオネルがお茶請けのクッキーに手を伸ばす。
そして、一枚摘んで差し出された。
最近は食事量を自分で調整出来るようになったので、こういうお菓子も食べられるようになった。
……美味しいけど食べすぎに気を付けないとね。
目の前に出されたクッキーにかじりつくと、リオネルが慣れた様子でクッキーの端を指先で軽く押して、お菓子をわたしの口の中へと入れた。
わたしが小説を書いている最中に手が汚れると面倒だと言ってから、たまに、こうして口にお菓子を入れられる。
別に今は小説を書いていないのだけれど。
表面はサクサク、中はしっとりとして美味しい。
よく噛んで紅茶と共に飲み込むともう一枚差し出される。
食べて、飲んで、食べて。三枚クッキーをもらった。
そうしているとキャシー様が顔を上げた。
「……ああ、ダメね」
パタリと本が閉じられたので『やっぱりダメだったか』と落胆しかけたけれど、その後に続いた言葉に驚いた。
「続きが気になって、お二人のことを忘れてしまうところでしたわ」
リオネルがティーカップをソーサーへ戻す。
「面白いだろう?」
「ええ、とても。……お嬢様、本当にこちらの本の取り扱いを我が社で行わせていただけるのでしょうか?」
キャシー様に声をかけられ、慌てて頷いた。
「は、はい、もちろんです」
リオネルとキャシー様が顔を見合わせ、頷き合う。
「これは売れますわ」
「手元にあるのが上巻、これが下巻。ちなみにエステルは他にも何冊も小説を書いている」
「まあ、素晴らしい! 是非うちお抱え作家として活動しませんか? そして他の小説も読ませていただきたいですわ〜」
いかがでしょう、と問われて頭が真っ白になる。
……ほ、本当に作家デビュー出来ちゃうの!?
リオネルを見上げれば頷き返される。
「返事をしてやれ」
それにハッと我へ返り、キャシー様を見る。
「こちらこそ、是非よろしくお願いいたします……!」
「では、少々お待ちを。契約書を持ってまいりますわ」
丁寧にテーブルへ本を置き、キャシー様が席を立つ。
部屋を出て行ったキャシー様を見送り、扉が閉まったところで、リオネルがまたティーカップへ手を伸ばす。
「凄い、本当にわたし、作家になっちゃうよ!?」
リオネルは気にしたふうもなく紅茶を一口飲んだ。
「良かったな」
「うん! 夢みたい!」
喜ぶわたしの横でリオネルは平然とした様子であったが、その口角が微かに上がっていたので、分かりにくいだけでリオネルも喜んでくれているようだった。
そわそわしながら待っていると十五分ほどでキャシー様が書類片手に戻ってきた。
「こちらが専属契約書ですわ。両方に相違がないか、ご覧ください。問題がなければ一番最後にサインをお願いいたします」
渡された書類は同じ内容のものが複数枚あり、恐らく片方は出版社の控えで、もう片方はわたしのほうの控えになるのだろう。
受け取った書類を読んでいるとリオネルも覗き込んでくる。
リオネルならば見られて困ることはないし、もしわたしに不利益な条件などがあれば気付いてもらえるだろう。
二人で書類を一枚ずつ確認する。
契約書の内容は、簡単に説明すれば以下の通りである。
一、出版社との契約内容を守ること。
二、出版社との契約内容を他者に漏らさないこと。
三、わたしの作品は契約した出版社以外から出さないこと。どうしても他社から出したい場合は応相談。
四、作家の情報について出版社は漏らさないこと。
五、作品を本にする場合、出版社は最終原稿の受け取り後、一年以内に出版すること。
他にも細かな条件はあったが、そのような感じである。
リオネルが契約書の後半を見て言った。
「利益率は一割か」
正直、それが高いのか低いのかわたしには分からない。
キャシー様が頷いた。
「ええ、販売額の一割がお嬢様に支払われます。ただし、刷る数が増えるごとに、記載してある通り増えますわ。とは言っても最大でも一割半までとなりますが。それ以上はこちらも赤字になってしまいますので」
キャシー様の説明によると、基本的に支払いは販売額の一割がわたしの利益になり、売れ行きが良く、部数が出るようならば更に利益率が少しずつ上がっていく。
ちなみに、もし売れなかったとしてもわたしがそれについて何か金銭的な責任を負うことはないそうだ。
「原稿料は?」
「申し訳ありませんが、そちらの利益の中に含まれます」
リオネルが考える仕草をする。
「……まあ、悪くはないか。どうせ多く売れる」
「私も同意見ですわ。お嬢様の本は沢山売れるでしょう」
リオネルとキャシー様が頷き合う。
嬉しいけれど、なんだか凄く照れくさい。
「あの、一つこちらから条件を足してもいいですか?」
わたしがそっと手を上げるとキャシー様が小首を傾げた。
「はい、どのような条件でしょうか?」
「わたしの小説の一番最初に読む権利はリオネルにあるので、出版する小説はリオネルが目を通したものに限る、という条件なんですけど……」
「まあ、それは羨ましい権利ですわね〜」
うふふ、とキャシー様が何故か微笑ましいという顔をする。
どうしてそのような目で見られるのか疑問だったが、キャシー様はすぐに「かしこまりました」と頷いてくれた。
「では、持ち込んでいただく小説はリオネル様がご覧になったもののみということにいたしましょう。条件には明記せずとも大丈夫ですわ。エステル様が出版しても良いと思うものを、私へお渡しください」
「はい、分かりました」
書類の最後まできちんと読み込み、分からない点はリオネルやキャシー様に訊き、理解してからサインを行う。
書類を一度キャシー様へ返し、問題がないか確認後、控えの片方を大きな封筒に入れて渡された。
「これからよろしくお願いいたします、キャシー様」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」
差し出されたキャシー様の手と握手を交わす。
「ところで、作家名は既にお決めになられてらっしゃるかしら? お嬢様は本名での活動ではないのでしょう?」
それに頷き返す。
さすがに本名では活動しにくいし、少し気恥ずかしい。
……どんな名前がいいかなあ。
長く使っていきたいので、出来れば覚えやすくて、わたしにとっても意味のある名前にしたい。
ふと横のリオネルを見上げる。
……作家になることも、小説を書き続けられるのも、リオネルが応援してくれたからなんだよね。
「『ル・ルー』がいいです」
「赤茶髪の男、ですか……?」
「変わった名前だな?」
キャシー様とリオネルに訊き返された。
「小説を書くのも、こうして出版社に来られたのも、リオネルがいてくれたからです。だから、わたしとリオネルの名前の重なっている部分を取って『ル・ルー』にしたいんです」
それに、その名前ならわたしには絶対に辿り着かない。
リオネルがふっと微笑んだ。
「エステルがそれでいいのなら」
キャシー様が嬉しそうに手を叩く。
「あら、素敵! 確かにそのお名前でしたら男性なのか女性なのか判断しにくいので、謎めいた作家という感じがより気になりますわね」
書類にサラサラとキャシー様が作家名を書く。
「ところで、そちらも貸していただけるのですよね?」
わたしが膝の上に大事に乗せている本をキャシー様が見たので、リオネルが「ああ」と返事をした。
「もし契約を結べなかった場合は見せなかったが」
「一冊目を読ませておいて、二冊目が欲しければ契約しろということですわね? なるほど、最初からリオネル様の掌の上で転がされてしまいましたわ」
確かに一冊目はあえて今後の展開が気になるところで切ってあるので、二冊目が読めないままになったとしたら、かなり消化不良な感じだっただろう。
そうと分かっていて一冊目だけ渡したリオネルは策士である。
「良い作家を紹介したのだから悪い話ではないはずだ」
リオネルは相変わらず不遜な笑みを浮かべて言った。
その笑みがちょっと悪どく見えたのは黙っておこう。
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