わたしと結婚しない?
「ねえ、リオネル、わたしと結婚しない?」
向かい側で読書をしている幼馴染に訊いてみた。
艶やかな綺麗な黒髪に黄金みたいに輝く瞳の、非常に整った顔立ちのリオネル・イベール男爵令息は本から全く顔を上げようとしない。
でも、それはいつものことだ。
読書中のリオネルが本から目を離すことのほうが珍しい。
しかし話を聞いていないわけではない。
彼のことだから、どうせわたしのこの問いかけも『またくだらないことを言ってる』くらいの感覚なのだろう。
「今、婚約してくれるならわたしの小説を一番最初に読む権利もつけるけど」
「結婚しよう」
わたしの言葉に食い気味に返事があった。
顔を上げた彼は相変わらず内情が読めない無表情で、けれどもこのリオネルはこういうことを冗談で言うタイプではない。
だが、このリオネルは本の虫なところがある。
とにかく読書が好きで、どんな本でも読むし、そして一度読んだ本の内容は大体覚えてしまう。いわゆる天才だった。
だからこそ十六歳という異例の若さで宮廷魔法士となり、それから四年経った現在、国に四人しかいない筆頭宮廷魔法士の仲間入りをするという話も持ち上がっているほどだ。
「即答すぎるでしょ。自分で言っておいてだけど、それでいいの? 結婚するってことは、この先、わたしと一緒に暮らしていくんだよ?」
「それくらい分かっている」
「本当に?」
ジッと見つめれば鬱陶しそうにリオネルが眉根を寄せる。
「それより早く続きを書け」
そう言って、リオネルはまた本へ視線を戻す。
それはわたしがつい先日書き上げたばかりの小説だった。
……もしかして冗談だと思われた?
結婚の話については本気だったのだけれど。
「話はそのページを書き終えてからだ」
どうやら冗談ではないことは伝わっていたらしい。
* * * * *
わたし、エステル・ルオーは侯爵令嬢である。
現侯爵である父、侯爵夫人である母、次期侯爵となる兄がいて、わたしは侯爵家の長女だった。
父からはダークブラウンの髪色を、母からは深い青色の瞳を受け継ぎ、顔立ちも悪くはない──……と、思う。
ただ大きな問題があった。
わたしは貴族の令嬢にしては太っていた。
しかも背も低く、童顔だ。
美形の両親と兄と並ぶと子豚としか喩えようがない。
子供の頃から太っていたこともあって、子息令嬢達から最初は『ふとまし令嬢』と呼ばれていた。言い方は少し柔らかいがデブと呼ばれていたのである。
当然、友人など出来るはずもなく、いつも一人だ。
それでも全く気にならなかった。
わたしには前世の記憶があり、二十歳過ぎくらいまで生きた記憶があったため、他の子供達とはそもそも馴染めなかっただろう。
お茶会などで母が社交をしている間、子供達も遊んで交流する中、わたしは一人で本を読んで過ごしていた。
だが、この世界は娯楽の本が少ない。
最初は娯楽本を集めて読んでいたけれど、元の数が少ないことに気付いた時、わたしは思った。
……娯楽本がないなら、作ればいいのよ!
元の世界でも趣味で小説を書いていた。
もちろん、ただの趣味だったのでサイトを作ってそこでひっそりと公開する程度のものだったが、書けないことはない。
わたしは自分が読みたい小説を書くことにした。
常に白紙の本とペンを持ち、誰とも関わらず、ずっと本に何かを書いているわたしを見て、呼び方が『物書き令嬢』に変わった。デブよりマシだ。
それでも、その呼び方も良いものではないのだろう。
いつもペンを握っているせいでペンだこは出来るし、利き手の横はインクの色が薄っすら残ってしまっているし、目が悪くて眼鏡もかけている。
貴族の令嬢として華やかさがない。
それでいいと思ったし、誰かに理解されなくてもいい。
そう思っていた中で声をかけてきたのがリオネルだった。
十歳の時、王城の図書室で小説を書いている途中で紙を落としてしまい、通りかかったリオネルがそれを拾った。
リオネルのことは社交に疎いわたしでも知っていた。
イベール男爵家の天才魔法士。
その頃のリオネルは十二歳だったが、既に、成人したら宮廷魔法士にならないかと声をかけられるくらい魔法に秀でていた。
「……何だこれは」
正直、笑われると思った。
趣味で小説を書いているなんて、と言われると思った。
しかしリオネルの反応は予想と違った。
「これは『グレンデニアの恋』の続きか?」
「え、知ってるの!?」
「ああ、読んだことがある」
リオネルの言った『グレンデニアの恋』は人間の青年と妖精の少女の恋物語で、貴族の令嬢の間で密かに流行っていた恋愛小説であった。
少なくとも貴族の令息、天才魔法士が読むような本ではない。
わたしが書いていたのはいわゆる二次創作小説で、その『グレンデニアの恋』は三巻完結モノで、どうしてもその後が読みたくて、妄想の限りに書き綴ったものだった。
驚くわたしを他所に、リオネルはわたしの持っていた紙に全て目を通した後にこう言った。
「お前、著者と知り合いなのか?」
「いや、違うけど……」
「じゃあどうして続きがあるんだ?」
笑われるどころか真剣な顔で問われた。
「これは『二人のその後がこうだったらいいなあ』って思ってわたしが想像で書いただけで、続きじゃないわ」
その時のリオネルの顔は忘れられない。
天才少年は大きな衝撃を受け、愕然としていた。
「想像で、書く……?」
娯楽小説すら少ない世界なので、更に二次創作をするなんてことは考えもつかなかったのだろう。
すぐに衝撃から立ち直ったリオネルが真面目な顔で言う。
「もっと書いてくれ。想像でもいい。続きが読みたい」
それはわたしにとって、一番嬉しい言葉だった。
笑うこともせず、呆れることもなく、リオネルはわたしが想像で書いた小説を読んで面白いと思ってくれたのだ。
その後、お互いに自己紹介をして、王城の図書室に時々来ては顔を合わせては書いた小説をリオネルに読んでもらうということが続いた。
リオネルとは不思議と馬が合った。
やがて王城の図書室で会うのが手間になり、侯爵家にリオネルを招くようになって、月に数度のお茶会が週一になって、気付いたら数日に一度はリオネルがやって来る。
……思えば八年も友人関係が続いているのよね。
こんな、趣味が小説を書くことってだけのぽっちゃり娘の友人が国内有数の宮廷魔法士なんて、何かの間違いではないだろうか。
とりあえずページの最後まで書き終え、ペンを戻すと、向かいに座っていたリオネルが栞を挟んで本を閉じた。
黄金色の瞳がわたしへ向けられる。
「それで? 何故、急に結婚の話になったんだ?」
……美人は三日で飽きるって言うけど、美形はそうではないわね。何度見ても綺麗なものは綺麗だわ。
汚れた手を拭きながら答える。
「お父様とお母様が『そろそろ結婚相手を探したほうがいい』って言うのよ。でも、わたしはこんな見た目でしょ? 恋愛結婚なんてありえないし、それなら気心の知れた相手と契約結婚したほうが現実的だと思ったの」
第一、十六歳でデビュタントして以降、一度も求婚されたことがないし、人生十八年の中で恋人がいたこともない。
「わたしが信頼出来る相手と言えばリオネルだけだし」
そもそも他に友達と呼べる相手もいないが。
フイ、とリオネルが顔を背ける。
「そうか」
……何で急に照れてるの?
口元を手で隠し、視線を逸らしていたリオネルだったけれど、すぐにこちらへ顔を戻した。もういつもの無表情だった。
「分かった。その契約結婚に応じよう」
上から目線な物言いだけれど、これがリオネルの通常運転なので気にする必要はない。
「やった! これでお見合い攻撃されないで済む!」
わたしの相手を探すとお父様もお母様も言っていたけれど、見知らぬ相手といきなり婚約の話が出ても困る。
何より、相手がわたしの趣味を理解してくれなかった場合、わたしは小説を書けなくなってしまう。
……趣味か結婚、どちらかを選ぶなら趣味だけど。
このまま今度は『行き遅れ令嬢』なんて呼ばれるのもあまり嬉しくないし、家族に恥ずかしい思いをさせてしまうのは申し訳ない。
リオネルはわたしより二歳年上の二十歳で年齢も離れていないし、何故かずっと婚約者がいなかったし、見た目はどうであれ侯爵令嬢のわたしと結婚すれば侯爵家と男爵家に繋がりが出来る上に、侯爵家がリオネルの後見にもなって向こうにも利点がある。
「……ルオー侯爵と侯爵夫人に今度会いたい」
眉根を寄せたリオネルの言葉に頷いた。
「そうだよね、お父様とお母様にも話しておかないと。あ、とりあえず婚約からでいいよね? 打診については侯爵家からしたほうがいい?」
「いや、男爵家からする」
「分かった、よろしくね」
そして翌日にはイベール男爵家から婚約の打診があった。
……さすがリオネル、仕事が早いなあ。
* * * * *
リオネル・イベールは男爵家の次男に生まれた。
イベール家はいくつもある男爵家の一つで、特別貧乏ではないが、特別裕福でもない。そんな家だった。
リオネルが生まれた時、両親はさほどリオネルへ関心を向けなかった。
女であったなら、身分が上か、より裕福なところへ嫁がせることも出来るが、既に嫡男である兄レイモンドがいる男爵家にとって次男坊のリオネルは文字通り、長子に何かあった時のためのスペアでしかない。
ただ、顔立ちは生まれながらに整っていたので、いずれはどこか高い家柄に婿入りさせて縁を繋ぐくらいには役に立つ。
そう思われ、大して祝われもせずに生まれた。
だが、幼い頃からリオネルは優秀だった。
二歳上の兄よりも早く文字を覚え、読み書きをし、本を読み漁り、五歳には魔法を学び始め、すぐに理解した。
七歳になる頃には中級の魔法まで扱えるようになり、十歳には上級の半数近くを覚え、礼儀作法や歴史、剣術、体術なども教師達のほうから「もう教えることはない」と去っていった。
……つまらない。
優秀さが長所になるとは限らない。
何をしても簡単に出来てしまい、どんなことも本気になれない。
誰と話しても先が読めて退屈だった。
そんな中、出会ったのがエステル・ルオーだった。
ダークブラウンのまっすぐな髪に青い瞳、初めて出会ったのは彼女が八歳の頃だが、その時はもう少し歳下に見えた。ふっくらした頬に他の同年代の子供より確かに太っていて『ふとまし令嬢』というのが彼女のことだと即座に理解した。
……だが、そんなに醜いか?
周りの子供達が言うほどではないと感じた。
王城の図書室、広い机の隅に座り、ずっと何かを本に書き綴っている。たまに顔を上げたかと思えば辞書を片手にまたペンを走らせる。
何をそんなに書いているのか気になった。
勉強にしては歴史書などの参考書が見られない。
そばを通り、少しだけ覗いてみようとした時に「あ……」と小さく声がして彼女の手から紙が散らばった。
数枚がリオネルの足元に落ち、拾い、なんとはなしに目を向けて、そこに書かれていた文章を読んで驚いた。
「……何だこれは」
以前、暇潰しに読んだ大衆向けの小説があった。
妖精の少女と人間の青年の恋物語。
それなりに面白くて読んだが、更に読みたいと感じたところで完結になっていて酷くがっかりしたのを覚えている。
手の中に、その続きがある。
訊いてみれば「想像で書いてるだけ」と返された。
そのことはリオネルにとって大きな衝撃だった。
……これが、想像で書いたものだと?
言い回しや使っている単語、描写の仕方などが本物にそっくりで、真似て書くというにはあまりにも似ていた。
リオネルは『本を読む』ことは出来ても『本を書く』なんて考えもしなかった。著者でないのに書けるわけがないと、そう思っていたのだ。
「ただの趣味だよ」
と困ったように眉を少し下げて笑う彼女。
驚きと、戸惑いと、それ以上に凄いと思う。
初めて自分以外の『才能』を見つけた。
初めて誰かに興味が湧いた。
それからのことは、あっという間だった。
図書室で何度も会い、彼女の書いた小説を読む。
そのうちルオー侯爵家に招かれ、月に数度遊びに行っていたのが、気付けば毎週に変わった。
そして、付き合っていくうちに実感した。
エステル・ルオーという人間は不思議な性格である。
社交界で『ふとまし令嬢』などと体型のことで馬鹿にされ、いつも書き物をしていることで今度は『物書き令嬢』と嘲笑されていることを知っていながら「事実だし」と怒らない。
家族を愛し、使用人にも優しく接し、様子を見る限りはリオネル以外に友人はいなさそうだが、誰に対しても穏やかで、時折『こいつは怒りという感情がないのか』と疑ってしまうほどだ。
「お前は馬鹿にされて腹立たしくないのか?」
「うーん、全部事実だからね。でも、本当に譲れないことがあったら、その時はちゃんと怒るよ」
朗らかに笑う彼女が本気で怒ることなどあるのだろうか。
最初は自分の読んだ本の続きが読みたいと言って書いていた彼女とリオネルはそうして十年、何だかんだ友人関係を続けてきた。
両親は他の男爵や子爵家から来るリオネル当ての縁談を全て断っている。侯爵家の彼女とリオネルが親しいことから、上手くいけば侯爵家と縁が繋げるかもしれないと考えているようだ。
……その点は両親に感謝してもいい。
共に過ごす中で、リオネルは彼女に惹かれていた。
自分にはない才能もそうだが、穏やかで、いつ会っても日向のように温かく迎え入れてくれる。
容姿や魔法について騒ぎ立てもしない。
そしてお互いに気兼ねせずに話せる。
いつしか、彼女の小説を読むためという理由より、彼女本人に会うのが目的になっていた。
だからこそ、それは最高の申し出だった。
「ねえ、リオネル、わたしと結婚しない?」
契約婚だと言う。まずはそれでもいい。
他の男と結婚して離れていってしまう心配はなくなる。
「あ、契約についてはリオネルも条件を考えておいてね」
当の本人は結婚を軽く考えすぎているところはあるが。
* * * * *