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show must go on
人は舞台上でないと演技が出来ないというかもしれないのだけど、舞台なんてそこが舞台だと思えば、わたしたちはどこにいても舞台の上になる。
だから、ここは舞台の上。
彼女は上がった。
わたしも舞台に上がった。
彼女は名のある役を持って。
傷ついたヒーロー。
それが彼女の役だ。
わたしは今は何もない役。
それで十分だ。
幕は上がった。
もう舞台は終わらない。
幕を下ろすのはわたしだ。
わたしの舞台だ。
彼女はわたしの舞台からは下ろさない。
「は?」
わたしの方を信じられないという目で見て来ているのだが、よく分かる。
怪我で出場出来ないのに行く意味はないのに、それでもなお聞いてくるのは理解出来ないだろう。
「先輩、話聞いていたんですか?」
「はい、もちろん聞いてましたよ」
「だったら……」
だったら、意味がない。
その通りだ。
普通ならそうだ。
けど、わたしの今の精神状態は普通ではない。
あなたと同じものを見ていたい。
あなたが見るものをわたしも見たい。
全て自分の役作りのためになるかもしれないと打算はある。
ただ、こんなことを真面目に話しても理解はされないだろう。
だから、言わない。
「わたしは先輩の期待を裏切ったんです。見てもらう価値なんてないんです」
「そんなことないです」
月並みの言葉なんて、今の彼女には響かないことは分かっていても言ってしまう。
本当にそうなのだから。
「調子に乗っていたんだと思います。だから、こんな怪我をしてしまうんです。それに……」
「それに?」
「それにわたしが出場する枠を取ったことで出れなかった先輩もいるんです。だから、これで良かったんです。最後の大会に出れますし……」
「望さん、それ本気で言ってますか?」
調子に乗っていたまでは、そのとおりかもしれないから何も言えない。
それは確かめようのないことなのだから。
ただし、それ以降は聞き捨てならない。
「望さん、それは明確な侮辱です」
「……え?」
望さんは目を見開いて驚いていた。
あぁ、なるほど。
わたしは彼女に怒っているんだ。
そんな後ろ向きな考え方、彼女らしくない。
彼女はもっと前向きでポジティブであるべきなんだ。
いつもバカみたいに明るくて、笑顔が似合うヒーローでなくてはならないんだ。
ならば、手を引こう。
「誰かがやらなくなって譲られた枠で最後の記念で大会に出場できてよかったですね、わたしよりも実力は下ですけど、とあなたは言っているんです」
「ち、違っ、そんなこと」
「いいえ、そういう事を言っているんです」
望さんが言うようにきっとそんなこと思ってもなければ、皮肉交じりには言ってないのだろう。
だけど、言った方と聞いた方で解釈が違うなんてのもザラにあるし、わたしのように勝手に解釈を変えてしまうなんてことママあること。
精神状態によってもあるし、性格もあるだろうが、勝手な思い込みをされることだってある。
わたしだって、そうだった。
だから、他人がそうじゃないなどとは口が裂けても言えない。
「違います! だって、その先輩は頑張るからって笑ってて! だから!」
「それはそうでしょ。後輩の前ですよ? 先輩にだってプライドはありますから、そういうしかないでしょ?」
「そんなの……だって、そんなの、だったら、わたしはどうしたらいいんですか……!」
絞り出すような叫び声。
放課後の校庭では、もう部活動を終えていて片付けに入っているのでよく響く。
いいよ、ぶつけて頂戴。
貴方の本音をわたしに。
ヒーローだからって、そんな気高くなんていられるわけない。
「みんなはわたしのこと、先輩が最後大会だから譲ったらとか、少しは遠慮したらとか、わたしだって頑張ってるんだもん! だったら、もっと頑張ったらいいじゃん! わたしはいっぱい頑張ってるんだから、もっともっと頑張ればいいじゃん!」
何も間違ってない。
最後だからと譲ってあげる、ぐらいならわたしなら投げ捨てる。
「わたしが誰かに手を貸してるのをいい子ぶってとか、厚かましいとか、わたしはそんなこと思ってやってない。わたしはただ困ってる人を助けたいだけなのに、何でそんな事言われなきゃいけないの……」
彼女は俯いて肩を震わせていた。
声を出さないで泣いているんだと思う。
顔が見えなくても、それぐらい察することができる。
彼女の行動は、彼女の目標とするものに準じたものだ。
心のどこかに、そういう感情があるかもしれないが、だけど、彼女の場合はそれが限りなく小さいだろう。
ただのいい子がわたしのようにめんどくさい性格の人間に手を差し伸べるのか。
答えは否。
自分でよく分かっている。
わたしがわたしのような人間に手を差し伸べるかというと、少し答えを待ってもらう必要がある。
それぐらいめんどくさい性格をしているんだ。
「わたしは、そんなこと言われるために、ヒーロー目指してたわけじゃない……!」
それはそうだろう。
ここでそうじゃないというのは簡単だろう。
だけど、わたしは言わない。
わたしのセリフはまだ先にあるはずだから。
脚本はない。
だけど、ここにまだわたしのセリフは書かれていないはずだ。
だから、わたしは彼女のセリフを待つ。
「みんなにそんな風に思われているなら、わたし、ヒーローなんて――――――」
「やめてはいけません、望さん」
彼女が涙で濡れた顔を上げて、こちらを睨みつけるように見てくる。
「だって、わたしは!」
「そんな人たちの言うことなど、切り捨てていいんです」
誰かの言葉の引用は彼女には響かない。
わたしの言葉で、ここからセリフを紡がないときっと彼女は分かってくれないだろう。
「正義のヒーローなのです。いい子になるなんて当たり前じゃないですか。そうじゃなければ務まりません。その他の戯言など、助けてもらって何様のつもりなのでしょうか。捨て置いて構いません」
ヒーローは孤独だ。
多くの人を助けたとしても、その心の在り方に疑問を持ち、知らず知らずのうちにその人を人だと思わないで、異常な人だと思い、線を引いてしまう。
そうやって、どんどんみんなの輪から外されて、一人になっていく。
ヒーローはみんなを救うけど、そのヒーローの心は誰が救うのか。
「わたしだったら、助けません」
けど、彼女は違う。
「けど、あなたは助けるんですよね。どんなことを言われたとしても、あなたはきっと助けてしまう。たとえ、あなたはやめたいと思ってもやめられない」
もう、在り方が決まってしまっているから。
もっと早くに違っていれば、そうじゃなかったかもしれないけど。
「やめたくてもやめられないんです」
「だったら、わたしはどうすればいいんですか!」
微笑み、ゆっくりとした動作で彼女の手を取る。
「わたしがあなたを助けるヒーローになります」
睨んでいた目付きが、緩むと同時に大きく見開かれる。
「わたしは万人を救うなんて言える度量は持ってませんし、する気もありません。だけど、あなただけを救うヒーローになれます、いえ、なります」
「どういう……」
「あなたが傷ついた時、そっと抱き締めてあげたりだとか、辛いときには胸の内を明かせれる。そんな存在になってあげられる、いえ、そんな存在になってあげたい」
わたしを救ってくれたヒーローさん。
だったら、今度はわたしが救ってあげる番です。
「だけど、わたし、わたしは」
「全部、いいんです。わたしは貴方に裏切られたなんてこれっぽっちも思ってもいません」
彼女の手を引いて、そっと抱き締めてあげる。
「今まで辛かったのでしょう。気が付いてあげれなくてごめんなさい」
「ちが、先輩は、そんな」
「いいんです。いいんですよ、望さん。今の貴方はヒーローじゃありません。わたしがヒーローで、あなたがヒロインなんです」
わたしは貴方だけのヒーローとしてこの舞台の上に立つ。
他の誰でもない、あなただけのためにわたしはここに立っているんだ。
彼女が泣くのを我慢しているのか、肩を震わせている。
だから、優しく背中を撫でてあげる。
「頑張ったね、望。今だけは休んでいいんだ。全部わたしが受け止めてあげる」
「先輩、せんぱい、せんぱい、せんぱいっ!」
彼女がわたしを強く抱きしめて、声を上げて泣き始めた。
わたしは頭を撫でて、彼女がため込んだ全てを吐き出すまで、そのまま泣かせてあげることにした。
人のために傷ついていた彼女。
自分しか見ないで、自分のことを傷つけていたわたし。
あり方からしてわたしはヒーローに向いていない。
それに考え方も。
だからこそ、わたしは彼女に惹かれるものがあるのだろう。
どれだけという時間もきっと立っていないのだろうが、思いっきり泣いていた彼女も徐々に落ち着いてきたみたいで、もう声を上げてはいない。
さっきまでの波が引いたように今はただ、身を震わせるだけ。
わたしとしては、どれだけの時間、こうしていてもいいとは思っているのだけど。
彼女から身を離した。
泣いた彼女の顔は目は腫れぼったくなっているし、ぐしゃぐしゃになっているのだけど、それでも目を惹く美しさがある。
それは顔が綺麗だとかではなくて、心の気高さとかそういうものだと思う。
わたしを惹きつける、彼女の魅力だ。
彼女の顔には、もういつものヒーローとして顔がそこにあった。
ただ、ちょっと恥ずかしいのか、頬を染めているのを除けば。
「先輩、その……すみませんでした」
「先ほども言いましたが、いいんですよ、望さん」
わたしがそう言うと数拍置いてから彼女は控えめな声で、「はい」と答えた。
「大会出るって言ったのに、こんなことになってごめんなさい」
「心配しましたからね」
連絡くれない間も、含めて。
何があったのかと、こっちはずっと悶々としていたのだ。
「これからは気を付けます。その……わたし、あまり強くないかもです。それで、その」
「わたしはみんなを助けるなんて無理です。二本の腕で手を握れる範囲しか助けてあげれません」
そうやって彼女の怪我をしてない方の手を取って、両手で握りしめる。
「わたしが助けてあげられるのは、この手で握れるだけの人。わたしがヒーローになれるのは、その人が辛く傷ついた時だけですので」
わたしは微笑みを浮かべる。
「今も、これからも貴方だけのヒーローですよ」
彼女の顔が徐々に笑みに変わっていく。
わたしの好きな彼女の太陽のような輝かしい笑顔だ。
「はい、先輩!」
これからきっと彼女は同じように傷ついていくだろう。
心無い言葉を吐かれるだろう。
それでも彼女は誰かを救うためにきっと動いてしまう。
それはもう彼女の生き方だから仕方ない。
だから、わたしはそんな彼女を救うヒーローでありたい。
いや、そうなるんだ。
わたしは彼女の笑顔が好き。
そこでわたしは、気が付く。
あぁ、そうか、と。
これが恋なのかもしれない。
わたしは彼女に恋をしていたんだ。
だったら、尚更だ。
わたしは彼女の笑顔を守りたい。
そういう存在にわたしはなりたいんだ。
わたしは彼女の笑みを見ながら、静かな決意を固めた。