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「先輩が舞台に上がるのは嫌です」
はっきりと拒絶の言葉を突き付けられた。
「な……んで……」
空気を上手く吸えないように、口を何度もパクパクさせてしまった。
顔を上げれば、彼女はしっかりと私を見つめてきている。
強い意志を宿したその瞳に私は圧倒されてしまった。
どうして、年下の子がこんなにも強いのだろうか。
わたしはどうして、こんなに弱いのか。
「川渡先輩、舞台に上がるのであれば役を理解してください。もっと読み込んで深く読み込んでください」
「だ、けど」
「たとえ、セリフの少ない役であったとしても、セリフから読み取れる人物像があるはずです」
そんなことを望んでいるのか。
誰もそこまで望んでいるわけがない。
「それに先輩、もう嘘をつくのはやめてください」
「え……?」
わたしが嘘をついていた?
そんなわけがない。
わたしが誰に対してついていたというのか。
わたしの周りには誰もいないのだから、そんなことをする必要もないのだから。
「先輩は嘘吐きです。自分に対して、大嘘吐きです」
失礼な後輩だとは思う。
あってまだ一月もたってないというのに、先輩に対してこんな暴言を吐いてくるのだから。
ただ罵倒したくて、この子はわたしに向けてはなっているだけではないというのは、その目の力強さからありありと分かる。
だけど、わたしが一体何に対して嘘を吐いているというのか。
わたしはわたしに対して嘘なんてこれっぽっちもついているという気持ちはないのに。
「先輩は人に興味がないように振る舞っていますし、実際に興味のないようにしてます」
わたしが人に興味がないのは仕方ないことだ。
なぜなら……と思ったのだが、わたしがどうしてこうなってしまったのか思い出せない。
いつからこうなってしまったんだろう。
わたしは、だって、わたし以外を気にしても仕方がないことなのに。
「先輩は気が付いていないかもしれないけど、ずっと人のことを目で追ってます。わたしが立ち上がったとき、わたしが歩いているとき、その目でしっかりとどんな手振りなのか、足の動かし方なのかずっとその目で追っていますよ」
そんなこと――
否定したいのに、否定できない。
「人に興味がないなんて嘘ばかりです。それに舞台に上がる人が人に興味がないなんてあるわけないじゃないですか」
彼女の真剣な表情がほぐれて、いつものように輝かしい笑顔に変わる。
わたしの心を固めていたものが少しだけ剥がれたような気がした。
「台本の中に出てくるキャラクター、それぞれに脚本家が思い描いた像があります。それを読んで、自分でそのキャラクターを解釈に合わせて演じなければいけないんです」
ただ本を読んで、キャラクターのセリフを言うだけでは舞台は成り立たない。
だから、皆悩む。
このキャラクターの心情は本当にこの演技であっているのか。
キャラクターの解釈はあっているのか、と。
そのために何度も何度も読み返す。
読み返して、舞台の上であっているのか他の演者と併せて擦り合わせていく。
「だから、興味のない人なんて何一つ読み取れないはずです。けど、先輩は違います。先輩は自分を偽っていましたけど、人に興味ありありですから」
面と向かってそういわれてしまうと少し照れてしまう。
彼女の目から逃げるように顔を逸らしてしまった。
「先輩、わたしを見てください」
嫌になって目を逸らしたわけではない。
彼女からしたら、突然目を逸らしたわたしはそう見えてしまったのだろう。
そんなことはないと、否定しても今さらだ。
顔が熱い気がする。
「……ちょっとだけ待ってください」
自覚したらどんどん顔が熱くなってきたような気がする。
顔の火照りを取る術はわかっている。
落ち着かせようと何度も息を吐いて、呼吸を整える。
それでもなかなか顔の火照りは取れない。
わかっている。
それはだって、彼女の目を見てしまったから。
彼女の目はとても輝いていた。
強い光を灯したその瞳は、わたしがそうだと信じきっている。
わたしが、わたし自身そんな人間ではないと否定しようとも彼女はきっとそれを許してはくれないだろう。
どんな言葉を使っても、わたしの悉くを否定して、そうであるように言われてしまう。
だって、わたしが吐く言葉はどれも嘘だからだ。
ただ、自分の心を隠していたいだけの薄く突けば崩れてしまいそうな鎧なのだから。
彼女はそこを突き破って、わたしの中に入ってきた。
わたしの断りもなく、だ。
堂々と真正面から突き破って、入ってきた。
誰もそんなことをしてこなかった。
いや、言い直そう。
わたしが誰も近寄らせないようにしたから、誰もわたしにそんな接触をしてこなかったんだ。
彼女はわたしを見つけてくれたんだ。
嬉しさと同時に、なんだかよくわからない暖かな気持ちがジワリと胸の中に広がっていく。
舞台の役者として、自分の気持ちぐらいしっかりと理解出来ないといけないのに、この暖かな気持ちがなんなのか全く分からない。
けど、悪い気持ちではない。
ちょっとだけくすぐったくて、いつまでも抱きしめていたい。
そろそろ顔を上げないといけない。
彼女に不審に思われるから。
大丈夫。
顔の熱はまだ引いていない。
だけど、どんな顔だって、きっと彼女はそれを変な目で見ない。
今まで見てきたわたしがそのことをよく知っているではないか。
彼女が憧れるヒーローはそうじゃないって、よく知っているではないか。
だから、ゆっくりと顔を上げる。
「……先輩?」
「はい」
「あ――――」
わたしが顔を上げると目を見開いて固まった彼女がいた。
何に驚いているのか分からないが、彼女は視線はずっとわたしから外れない。
「あの……」
声をかけても、彼女は動き出さない。
彼女の中で時が止まってしまったかのように、動きがない。
ただ、そうやってじっと見つめられるとなんだか恥ずかしくなってしまう。
せっかく顔を上げたのに、徐々に顔を背けたくなってきてしまうじゃないか。
もう一度、固まったままの彼女に声をかけた。
「あの」
「――――あ、は、はい! すみません、ぼーっとしてました」
彼女が慌てて、声を上げた。
彼女が慌てる様子など初めて見たような気がする。
いつも後輩とは思えないほど堂々としている出で立ちでいるのに、こうして慌てている様子を見れば、わたしよりも年下に見えて……
初めて可愛らしく見えた。
また胸の中に温かい気持ちがあふれて、今度は胸が高まった。
わたしはまだこの気持ちの名前を知らない。
だから、何かは分からない。
ただ、大事にしよう。
しっかりと大事に大事に胸の中で抱きしめておくことにした。
「先輩、わたしにはもう興味ありませんか?」
ズルいことを言う。
これだけ私に向かって好き放題言っていたと言うのに、今更そんなことを言うのだろうか。
「そんなことあるわけないでしょう」
笑みを浮かべたつもりだった。
ちゃんと笑えているのかは不明だけど。
わたしの顔を見て、彼女は豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
そんな風に目を丸くすることもあるんだと、新たな発見を得る。
わたしは確かに、人に興味がないようにしていた。
けど、わたしの体は違った。
わたしの目は、相手の動きをしっかりと見ていた。
だから、知っている。
こんな反応今まで見たことがなかった、と。
彼女が動き出す時にどんな動きをするのか、なんとなくであるが予測がついてしまう事を。
わたしは彼女の言う通り、どうしようもないぐらい舞台役者に憧れているんだと嫌でも自覚してしまう。
例え、どれだけ主役になれなくて燻ってしまっていたとしても、わたしの性分は変わらないみたいで、わたしはどこまで行っても舞台役者なのだと理解してしまう。
立ち上がり、彼女の前に立つ。
少しだけわたしよりも身長の低い彼女はわたしを少しだけ見上げるようになる。
「ありがとうございます。わたしを見つけてくれて」
わたしが彼女にそう伝えると、彼女が長く息を吐いていく。
そして、力の入っていた肩が下がったように感じる。
どうやら、彼女も緊張していたようだ。
何に対して、までは読めなかったが。
ただ、それがちょっとだけ悲しくて、自分の力の及ばぬ腹立たしさに変わった。
わたしはまだ彼女のことを読み切れていない。
彼女の一挙手一投足から、その心情を読めていないだと。
いつかは読めるようになりたい。
そして、理解したいと思う。
そんなことを他人に対して思うこと自体、久しぶりに感じる気持ちだと思うと笑みが自然と浮かんでしまう。
「いいえ、ヒーローとして当然のことをしたまでですから!」
笑みを浮かべた彼女の顔はどこか安心したような雰囲気すら感じられる。
彼女は確かにヒーローのような存在かも知れない。
けど、無敵のヒーローと言うわけではないはない。
今だって、そうだ。
わたしの反応から安心していた。
彼女だって、普通の子だ。
だったら、彼女が困っていた時にわたしは彼女のように手を差し伸べることが出来るだろうか。
答えは、否。
わたしは彼女のような誰にでも手を差し伸べられるような正義感を持ち合わせていない。
だけど、彼女だけのヒーローにならなれるとは思う。
今まで、彼女がわたしにそれを見せてくれてくれたから。
わたしはそれに演れる。
それだけ彼女が見せてくれたのだから、それぐらい出来なくてどうするというのか。
わたしはヒーローにはなれない。
その代わりにわたしはヒーローを演じられる。
必要な時が来たら、わたしはわたしを助けてくれたヒーローを演じてあげよう。
小さく心の中で誓いを立てた。
「そういえばですが……あなたの名前は?」
「わたしですか?」
彼女はぽかんとした顔をしている。
あれ、言ってなかったっけと言う風に首を傾げているが、その通り。
「はい……ずっと聞く機会がなくて」
嘘。
だけど、彼女がわたしを変えてくれたから、名前を知りたかった。
彼女はわたしの言葉を信じるように笑みを顔に浮かべていた。
「望です。庵野望って言います、川渡先輩」
彼女の浮かべた笑みはやっぱりわたしには少しだけ眩しい。
だが、差し出してきた手をわたしはしっかりと握った。
「ありがとう、望さん」
わたしは久しぶりに舞台に上がった。