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出会いは劇的。
初恋はそうであって欲しいと思っていた。
思い返せば、これがあの人との初めての出会い。
華やかさとは無縁。
空は夕焼け。
お互い制服で周りに他の生徒もいないが、部活動の声が聞こえるから静かではない。
あの人の世界を見据える瞳には何も映さない、と言った。
興味がないのだ、と。
しかし、わたしを見つめる瞳には確かに力があった。
奥底にきらめきがあった。
わたしの動きを取り逃さないようにしっかりと見つめている。
あの人はそれに気が付いていない。
あの人がどんな経験を経て、ここにいるのかわたしには分からない事。
初めてあった人のことなど分かりはしないのだから、当然のことだ。
もし、あの人に何かあったのならば、わたしは助けてあげたい。
そこに縛られているのなら手を差し伸べてあげたい。
それがわたしの性分であり、わたしのすべき事。
わたしの憧れの人ならきっとするだろうことだから。
ここから始まる物語は、まだ自分を知らない少女たちが己を知るための物語。
何もしないでベンチに座って、道行く学生を眺めている。
部活動に向かう生徒達を見て、わたしも行かなければいけないのだと思うのが、ベンチに体を縫われたように動くことが出来ない。
好きだった演劇。
情熱は確かにまだわたしの中にあるのだが、燃え上がらない。
小さな火種を一生懸命守っているだけ。
なけなしのプライドなのか、あの子に負けたくないという意地なのか。
主役は取られて、負けたというのに。
心では訴えているのだ。
わたしは負けていない。
こうして座っているだけの無為の時間を過ごすのであれば、あの子から役を奪うために練習に出るべきだ。
それなのにわたしはここにいる。
空は焼けて、そろそろ下校時刻を告げる鐘が鳴るだろう。
早く寮に帰らないといけない。
何をしているんだかと呆れて自嘲したときだ。
「もう下校時間ですよ!」
大きな声が頭上から聞こえて顔を上げる。
そこに立つ人はわたしより小さい子だった。
黒のショートヘアにぴょんと立っている癖毛。
大きな瞳に大きな黒目。
その瞳はキラキラと輝き、わたしには少しばかり、いや眩しすぎる。
しかし、見たことがない生徒だ。
同級生なのだろうか。
違う。
こんな子を見たことがない。
それにちょっと同級生だと顔が幼過ぎるように感じる。
これぐらいの子はいるだろうが、それにしてもちょっと幼い。
わたしがちゃんと同級生の顔を覚えていないのも問題なのだが、それも仕方のない事。
覚えるほどでもないから、それほど興味を持てないのだから、仕方のない事なんだと諦めたように自分に弁護した。
腰に手を当てた彼女の制服に付けられている校章に目が行く。
紫色。
ちなみにわたしの制服に取り付けられている校章の色は緑色。
違う学年だが、記憶の海に沈みかけている下級生と上級生の校章の色を思い出して、違うものだと気が付く。
「中等部……? なんで高等部の敷地内にいるの?」
わたしの言葉にびくりと体が跳ねた。
目が泳ぎ、顔を伏せた後も、その瞳が揺れているのがよく分かる。
動揺。
表情に出やすい子。
単純なのか、それとも情緒が豊かなのか。
どちらでも構わない。
彼女は今必死に考えている。
わたしに着く嘘を。
「あの! あのですね! 今風紀委員では新入生の子たちが……部活見学、そうです、部活見学に行った人たちが遅くまで残ってないように風紀委員が別れて、パトロールしているところなのです!」
にんまりと笑みを浮かべて、自信満々という風に顔を逸らしてる。
上手い言いわけではないだろう。
どう見ても途中で組み立てた下手な言い訳だ。
ただの元気がいいだけのバカな子だったなと一気に私の中で興味が失せていく。
「そうですか。では、他のところを回ってきては?」
彼女から視線を外して、わたしはまた虚空に目を向ける。
「いえ、あなたももう下校時刻なので、帰りましょう! 通学している方ですか? 寮生ですか?」
まだそこに立っている彼女に顔を向けずに、目だけ向ける。
彼女はしっかりとわたしを見つめていた。
何も臆することない。
普通中等部の子は上級生に話しかけるのに躊躇いがある。
だから、中等部の子が何か言おうとしているときも、その隙にさっさと歩き去ってしまう。
それがわたしと中等部の子との付き合い方だ。
話しかけられるのも煩わしい。
関わるのも面倒くさい。
だから、今目の前にいる彼女と話すのも面倒なのだ。
早くどこかに行って欲しいと心から思う。
一人でいる平穏を早く返してくれ、と。
だが、彼女はわたしの願いなど聞く気もないようで、黙っているとどんどん迫ってくる。
「どうしたんですか? 帰りたくない理由でもあるんですか? もしかして、いじめとかですか?」
一人で話を大きくしている。
そんなに嫌そうな顔をわたしがしていたのか。
いや、していたのかもしれない。
彼女が話しかけてくるのが嫌だったから、そう言う顔をしていたのだが全く持って見当違いの方向に誤解されたものだ。
そして、それは思わぬ方向に飛んでいくことになる。
「わたしが……いえ、先生に相談した方がいいことですね。分かりました。担任の先生は分かりませんから、職員室に行って聞いてきますので少し待っててください!」
走り出そうとした彼女の制服を何とか捕まえた。
距離が離れていたら無理だった。
それぐらい素早く転身していたから。
ただ、捕まえた事で私は自然と立ち上がっていた。
縫い留められたように動くことが出来なかったはずなのに、今ではこうして簡単に立ち上がることが出来てしまった。
わたしの気持ちが動きたくないと錯覚させていただけだったのかと、それほど自分の心は深く沈み込んでしまっていたのか、思い知らされる。
「いじめとか、ではありませんから……だから、大丈夫です」
わたしの言うことが信じられないのか、彼女の足が一歩下がる音が聞こえる。
きっとこのままわたしが手を離したら、彼女は一直線に職員室に走っていってしまうだろう。
そうなってしまってはわたしの脚力では、彼女に追いつくことは不可能。
彼女の反応速度、まだまだだけどわたしよりも運動しているであろう筋肉。
わたしではどれも彼女には勝てない、ような気がする。
だから、この手を離すわけにはいかない。
「うーん……信じてもいいんでしょうか……?」
目を見なくても分かる。
彼女はきっと疑いの目を向けているのだろう。
声の感じがどう見てもこちらを懐疑的なものだから。
わたしのすべき事は何か。
彼女の疑いを晴らすことだ。
「信じても大丈夫です。わたしはイジメられる理由もありませんし、されることもありませんから」
顔を上げて、笑顔を作る。
自然に作らないといけない。
演技であっても、自然に見えるようにしないといけない。
大丈夫。
わたしだったら出来るはずだから。
「わたしは人に興味ありませんので、そもそも友達と言える人もいませんから……イジメなんて受けるわけないんです。帰りたくない理由もありません。下校時間が過ぎたらそのまま帰るつもりでした」
安心させるように、ね、と言うように首を傾げるような仕草を付けてあげる。
二人並んでしまうと、わたしが彼女を見下ろす形になる。
最初の印象からやはりあっていたようだ。
安心させるために笑みを向けたのに、彼女の疑いの目は消えなかった。
どうしてだろうか。
ずっとこうしてサボっていたせいで、わたしの演技力が落ちてしまったのかもしれない。
最悪だ。
自業自得だ。
「それは、本当ですか?」
それ、という言葉の範囲を考えてしまう。
私が言った言葉であれば、イジメがないと思うのが普通だろう。
ただ、それならばもっと具体的な返しが合ったはずなのではないだろうか。
引っ掛かりを覚えながらも、肯定と言う意味を込めて頷いておいた。
しかし、彼女の顔は全く晴れそうにない。
選択を間違えた。
どうしようかと、笑顔の下で手早く算段をまとめていると、彼女が一度顔を伏せたが、一瞬で上がってきた顔には確かな自信があった。
わたしを見上げるその瞳は太陽のような輝きを放っている。
あまりにも眩しくて、思わず目を逸らしてしまいそうになってしまったが、ここで逸らすわけにはいかない。
しっかりと見たうえで、目でどうしたのかと問いかけることにした。
「分かりました」
何が分かったのか、主語を言ってもらわないと分からない。
わたしと貴方はまだ初対面であり、わたしは貴方にこれっぽちも興味がないのだから、その心情を理解することはないのに。
わたしが何を、と口を開く前に彼女が言葉を紡いだ。
「わたしが先輩を救いますっ!」
「は?」
思わず、声に出してしまった。
わたしを救う?
誰が?
この子が?
意味が分からない。
どうしてわたしがこの子に救われないといけないのか。
それ以前の問題として、そんな事をしてもらう義理もなければ、理由もない。
そもそも救われたいと思ってもないし、そんな問題をわたしは抱えていない。
だから、何も救われることはない。
「わたしはヒーローですからっ!」
もっと意味が分からなくなった。
それがこれと何が関係あるのか。
それにわたしはこの子の夢など知ったことではないんだ。
わたしが掴んでいた手を無意識のうちに離していた。
手が自由になったのか彼女は自分の腰に手を当てて、自信を示すように胸を反らす。
「任せておいてください、先輩!」
意味が分からない。
わたしは彼女に頼ることもない。
もうここから去ろうと一歩下がったところで、下校時間を告げる鐘が校内に響き渡る。
一歩、二歩と自然と足が下がっていた。
「ほ、ほら、もう下校時間ですので、鞄とってきますから」
カッコ悪い逃げるようなセリフ。
それでも彼女はそうですね、とニッコリと笑う。
「先生に怒られてしまう前に早く行った方がいいですよ、先輩」
ええ、と笑顔を浮かべる。
笑顔を浮かべるのは自然と出来る。
わたしが背を向けて走り出そうとしたタイミングで、声がかかりつんのめりそうになる。
「先輩! 名前、聞くの忘れていましたっ! 教えてください!」
えっと、振り返り、記憶を探る。
確かにそうだったかもしれない。
振り返り、声を上げる。
「川渡、川渡暁乃です」
「川渡先輩ですねっ! 帰り、気を付けてくださいね!」
彼女は二度ほど手を振ったら、駆けて行ってしまった。
彼女の姿を見ながら一つ思い出した。
わたしが彼女の名前を聞いていなかった事を。