祟りという
「女将さん、このお雛様は……何者ですん?」
薫は、若干刑事口調。
「お聞きになりたい?」
女将は、雛壇に向き合う感じに座り直した。
「気になりますヤン。メッチャ、聞きたい」
「怖い話ですよ」
「怖い話、大好きです。……な、セイも聞きたいなあ」
「話すのが、嫌で無ければ……聞きたいです」
聖は女将の横顔を見ていた。
(傷のある顔を正面からは一瞬しか見ていない。
ジロジロ見るのは失礼な気がして)
白髪ではあるが、さほど高齢ではなかった。
今時流行のグレイヘア。60才ぐらいと思われた。
「私が話す分には、どうという事無いでしょう。罰が当たった身ですから。
丁度40年前にね、目が見えなくなりました」
女将は身の上話から始めた。
高知の出身で中学卒業後、親戚の紹介で喰刀庵に来たという。
当時は料理旅館であった。
女将は16才で、住み込みの仲居となった。
「あの日は、雛祭りの支度で朝から忙しくしておりました。毎年の事でした。
そしてね、お雛様を飾ると、お嬢様の悪口が始まるのも毎年の事でした」
この家には女将より8才年上の娘がいた。
40年前、女将は20才で、お嬢様は28才であった。
「当時ではオールドミスですよ。お嬢様は、お顔立ちが少々男の方のようで……
お雛様がよく似ていると、使用人らは陰で笑っていたのです。
お恥ずかしい話ですが私も。お雛様はお嬢様の分身だとか。
面白おかしく喋っておりました。……私の罪はそれだけでは有りません。
三人官女の真ん中が可愛らしい。
私に似ていると、皆が言うのが、嬉しかったのです。
お雛様は傲慢な心を見透かしておられたんでしょうね。
仲居ごときに馬鹿にされたと、お怒りになった。
……罰が当たって、目が見えなくなったんですよ。
自分では見えませんが、たいそう醜い顔に、成り果てました」
「女将さん、お顔は外傷と見受けられます。……油をかぶったとか、ですかいな?」
偶然起きた事故を、祟りと捉えたのでしょう?
と、薫は事実確認。
「いいえ。そのような覚えはありません。ひな壇を整えており、指先がなにやらチクチクいたしました。不思議な痛みでした。それが始まりです」
指を、手を見たが、何も変わったところは無かった。
「痛みはだんだん酷くなり、涙が出るほどでした。次に、この目が、まさに油を被ったように痛み出したんですよ」
痛みを堪えながら客の膳を運んでいた。
誰にも異変を告げず働いた。
「翌朝、やっと痛みが収まったと思いましたら、目が見えなくなっていた。皆が私の顔を見て大騒ぎになりなりましたよ」
「そんな……本当に心当たりは無いんでっか?」
薫は女将の話に納得しない。
「医者の見立ては火傷でしたね。不思議でしょう? あの日、調理場でもどこでも火に近づいてさえいないのに」
女将は、恐ろしい出来事なのに懐かしげ。
「お雛様の祟りなんでしょうよ。でもね、目は見えなくなりましたが、そう不幸でも無いのですよ。
あの時は途方に暮れましたけどね。もう何のお役にも立てませんから。
実家に戻され、厄介者として一生を送るのかと」
ところが今は、女将だ。
どんな経緯でこうなった?
「旦那様も奥様も私を不憫に思われたのと、ひな人形の祟り、と村中が噂していたようで。
この傷に責任を感じて……仕事を与えてくれました。旦那様の手伝いです。鹿やら猪を潰す仕事です」
動物の腹を割き、皮剥ぐ作業は、主が1人でしていた。
板前の弟子には荷が重いだろうと。
だが、グロテスクな工程も目が見えない者ならばどうだ?
不快なのは臭いのみ。
女将は手探りで皮を剥いだり、贓物を処理したり……役に立ったと言う。
「奥様はその頃、持病が悪化して床に伏せておられました。間もなく亡くなられたのですが,亡くなる前にね、この私に旦那様の後添えになって欲しいとおっしゃったんです」
女将は恥ずかしそうに語る。
旦那様に好意を持っていたに違いない。
「なるほどね。……ところで、お嬢様は? どっかに嫁いだんでっか?」
オールドミスで男顔でも、どこかに縁があったのか?
「それが……お嬢様は奥様が亡くなられて間もなく、家出されたんです……駆け落ちのようです。お嬢様と一緒に、若い板前と、金庫のお金全部、一夜で消えました」
女将は、はは。と思い出し笑い。
「お嬢様は分別を無くしておられたんですよ。10も若い、高校を出てすぐの板前の弟子を拐かして駆け落ちしたのです」
「家の金を盗んで若い板前と駆け落ち、したんや。ほんで……それっきり?」
「はい。音沙汰無しです。旦那様は居所を探す気も無かった。むしろお嬢様が出ていって嬉しそうでしたね」
「実の娘やのに、疎ましかったんでっか?」
「それは分かりません。何分遠い昔の話です。私が憶えているのは、旦那様は少しも嘆かなかった。嘆くどころか、お祝い事のように皆に客に出す料理を振る舞われた。珍しい若い鹿だったんでしょうね。油の多い肉を水炊きにして皆で頂きました」
女将は、あれほど油っぽい鹿肉は後にも先にも、知らない。
それで記憶に残っていると話す。
「一人娘が板前と駆け落ちした。貴女が女将になるしかない状況、ですな」
薫はなぜか手帳にメモってる。
「一人娘では無いです。弟(長男)さんがおられますよ。高専(工業高等専門学校)でて東京の会社に就職して、タイの工場に転勤になりはった。その後も東南アジアを転転とされてる」
長男は「喰刀庵」を継ぐ気など無かったのか。
「つまらん話を長々と。これも、たまたま、うちのお雛様をご覧になったご縁やと、お許し下さい」
女将は腰を上げた。
丁度3時。
聖と薫は急いで帰り支度。
慌てて玄関へ。
女将は見送る為に暖簾を開けて待っていた。
どうも
ごちそうさま、
聖達が出ようとするのを
女将は引き留めた。
「お客様、ここに、写真がありますでしょう」
暖簾の左側を指差す。
入るときには目に入らない位置に
額に入った古い写真が飾ってある。
「あの日の写真です。雛祭りということで女は前に。
私は右の端です。真ん中が奥様とお嬢様で……奥様の隣がね、鈴子さまですよ」