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夏の憂鬱  作者: 碧 里実
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「ばあちゃーん!!」


少年が呼び叫ぶ方角は、かつて見覚えのある古い家が佇んでいる。


「ばあちゃん、たぬきと友だちってほんと?」


少年の奥を見れば、縁側で一休みしている祖母がいた。


懐かしい思いがふと、込み上げてくるのが分かる。


何気に目頭を押さえながらも、彼らの会話に耳を澄ました。


「…友だちかどうかはたぬきに聞いてみないとわからないねぇ」


湯飲みを両手で受けてお茶をすする祖母にお構い無く、子どもらは視線を外さない。


「田んぼにいたじいちゃんが、ばあちゃんのことそう教えてくれたんだ」


“そうかい”と微笑んで子ども達と弾んでる祖母を眺めていれば、“夕方においで”と声をかけていた。


野生の動物はやはり夜行性だからか、夕方以降にならなければ、こんな暑い日中に来るはずもないのは、容易な事だ。


そう思った瞬間に、夕方の場面に切り変わっていた。


「…ばあちゃん、来たよー」


昼間の子ども達が再び訪れる。


しゃがんでいる祖母は首だけ振り返り、“そっとおいで”とか細く応え、少年らはそっと“忍び足”で近寄った。


「わっぁ!」


少年の一人から声が漏れ出すと、“ガサッ”っと勢いよく音が走り出す。


祖母は少年達に“しぃー”と鼻の前で人差し指を当てると、彼らも同じように人差し指を真似た。


しばらくすると、裏手の茂みから“ガサゴソ”と掻き分ける音と共に、姿を現したのは一匹のたぬき。


そして、馴れた足どりで祖母の膝下に近寄り、食べかけの野菜をかじり始めた。


祖母は触ることはなく、ただ食べてる姿を見守り、少年らもそれに倣う。


少しの間、たぬきの食べる音だけになる。


夏の空は日が暮れて、ほとんど夜空に映え変わった。


周囲の音は蛙の合唱が響き、昼間の暑さが柔らぐような夜風が凪いだ。


ようやく食べ終わると、距離を開け茂みの方へと向き、ちらっとほのめかす様に祖母を見て去って行った。


「…ばあちゃん、たぬきとやっぱり友だちじゃん!」


“すごいなー”と少年らの声が辺りに賑やい始め、祖母も“友だちかはやっぱり分からんねぇ”と言いつつも、満更でもなさげに声が明るい。


少年達の質問に耳を傾ければ、親離れが早かったのか、まだあどけなさが残る頃に見かける様になった事。


食べ残してしまう野菜を分け与えながら、“畑の野菜を荒らしちゃなんないよ”と声をかけていたのだと。


それが通じたのかは定かではないが、被害は無く済んでる様子が伺えた。


「ばあちゃんの言ってることがわかってるんだー」


そう言いながら、少年達は“バイバーイ”と大きな声を出しながら、門の外へと駆け出して行った。


「気を付けてなあー。前をしっかり見るんだよ!よそ見するんじゃないよー」


祖母も門の外に出て、彼らの背中を見送る。


自転車に跨がっている子の後ろをついた一人は、振り向きながら手をいっぱいに振っていた。


そして一人だけ祖母の家に残った少年は、そのまま祖母と中に入って行く。


少年の表情は見れないまま……


「…ん」


すっかり眠ってしまっていた事に気付き、身体を起こす。


ポケットからスマホを出して見れば、時刻は夜中の十一時半を過ぎていた。


閉店は深夜の一時までだと言われていたのを思いだし、飲みかけの缶ビールを流し込み、最後に軽く汗を流しに急いで風呂に浸かる。


一体さっきの夢は何だったんだと思い巡らすも、特に思い当たる節も無く、首に掛けたタオルで軽く拭きながら、閉店を知らせる《蛍の光》流れるこの場を後にした。


人気の無い帰り道を、時たま通る車の走る音だけが、横切って行く。


街灯の下を歩きながら見上げる夜空は、思いの外、星が煌めいている。


普段、見上げる事のない夜空がこんなに広かったのかと再確認する。


そんな事をただ何も考えずに歩いていると、奇妙なコトコトした音が後ろ脚に“コツン”とぶつかった。


ビックリして振り返るが、誰もいない。


少し気味が悪いと感じたが、肝心の足許を見るとそこには……


あのたぬきの置物に似た様な格好の、“たぬき”が、こちらを見上げていた。


この話をすると嘘だと思われる気がして、今まで誰にも言った事はない。


酔っていて夢でも見ていたとか、疲れてるんじゃ無いかとか、そう言われるのがオチだろうと思ったからだ。


常日頃からオオカミ少年をしてるなら兎も角、(社会人としてそれだとまず相手にされない上に、不届き者と認定されるだろう)そんな事する理由は無いから、この先の話を見たくなければ、それは好きに判断して構わない。


けど、あった事を嘘と言って無かった事にするのはあんまりな気がする。


実際にこの目で見た事を忘れない様に、ただ書き連ねた拙い投函を残す事は、許して頂きたくお願いする。


で、そのたぬきは、何となくまだあどけなさがある様な雰囲気で、こちらに向けて手の平程の大きさの盃を、差し出してきた。


どうすればいいのか訳も分からずに、“えっと…何をいれる?”と自然と口からこぼす。


たぬきは足許から離れ、数歩前に出た。


たぬきの様子を目で追うと、通り過ぎた住宅地の角にある個人商店の自販機が、ぼんやりと周囲に灯り出した。


仕方なく引き返して、自販機の前に歩みを進める。


けど、当の本人は動かずにこちらをじっと見ている様だった。


ぼんやり灯る自販機は、なんと酒であった。


たぬきが酒を欲するとは聞いた事はもちろん無いが、今にして思えば、徳利を提げたたぬきの置物があるのだから、何ら不思議ではなかったのだ。


けど、そんな事その時は思い付かず、“どれにすれば…”と心の中で問いかけると、ある一つがまた、ぼんやり灯り出した。


それを一つ、小銭を入れてボタンを押す。


取り出し口に手を入れて、あのたぬきの元に急いで戻った。


“…これでいいか”と言いながら、たぬきは盃を前に出す。


そこにワンカップの日本酒を注ぎ、ちらっとたぬきに目配せすると、じっと注がれるのをただ見ていた。


深さのない盃はワンカップすべてを受け入れるには至らず、けれど、残量もお気持ち程だけであった。


“…残ったのどうする?”


空にかざしたワンカップを見上げたたぬきは、ほんの少し見ただけで、こちらに目を合わせる。


よそ見無くじっと見つめられ、もしかして飲みたいのかと思い、残りの酒をたぬきの前に差し出した。


けれど、たぬきはくるっと体をまわして両手で支えた盃を頭の上で持ちながら、そのまま軽快に走って行く。


一瞬、呆気にとられながらも真っ直ぐと田畑広がる線路沿いの暗闇に、健気な背中を見送っていた。


そしてほんのわずかに、たぬきの周りがぼんやりした満月の様に灯り、消えていくのが分かった。 


外灯の下で一人。


夢見心地な気分を抱え、深夜の住宅地に足を踏み入れた。


人気の静まった深夜に、不思議と怖さは無かった。



翌朝、布団に入る陽射しに眠気眼にしわ寄せながら、上体を起こす。


枕許に放たれたスマホを寄せ時間を確認すると、もう昼近くになっていた。


(昨夜の出来事は、夢…じゃないよな…)


ぼんやりと台所に行くと、あのワンカップが置いてある。


それを手に取り、ただじっと見つめた。


盃に注いだ残りは、帰路の途中で飲んだのを思い出す。


本当に夢では無かったのだと、軽く頬を摘まんでいた。


その時、着信音が響き渡る。


部屋に踵を返して電話に出た―――母親からだ。


「…もしもし」


しばらく振りの母からの伝言は、こうだ。


“来月に祖母の七回忌を一区切りに、最後だから来るように”


それを聞いて、目の奥からじわじわと熱いものが溢れ出す。


「…ちゃんと聞いてる?」


何とか声をくぐもらせて、上手く誤魔化し返事する。


“大丈夫?何かあったの?”と母の返答に適当に受け流し、電話を終わらせた。


台所の空き瓶が何だかいとおしく、とても微笑ましかった。


《追伸》

去年、無事に祖母の七回忌を執り行いました。


祖母の住んでいたあの家は遺言通り、古い為取り壊し、その跡地は親戚筋を頼って近所の方や遠方の人達のための憩いの場となりました。


そこでは御手洗いや、野菜を洗う水場、また、山の湧水が出るため、汲める様に整備したと伝え聞いてます。


今年の夏に、是非見に行く予定です。


それと、祖母の七回忌当日に墓参りから戻ると、所々欠けた縁の朱色の盃が縁側の下に置いてあった事を、お伝えしておきます。


                  《完》

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