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夏の憂鬱  作者: 碧 里実
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第一話 夏の憂鬱

夏に近づくと思い出す、ある事象――――



以前、まだ私が実家にいた頃の話になる。



植木に草花に囲まれた庭の片隅に、(ツガイ)の金魚を飼っていた。



その子達がどういう経緯で家に来たのか詳細は知らないが、母の手入れしてる庭だ。



何か生き物を添えたくなったのだろう。



大人の膝よりも高い、一人で持ち上げるのも大変なぐらい、ずしりと重い水瓶を住みかとしていた。



二匹は一緒に来たのか、または別々の経路で来たのか、これもまた詳細は知らない。



ただ水瓶の中を覗きながら話す母の台詞を思い返せば、この番はとても仲睦まじかった様子を見せていた。



それを聞いて、時折私も餌付けをしては水面に口を開けてくるこの番に、いつしか愛着をもつ様になっていた。



梅雨に入ると必然と煩わしくなる洗濯物の手間、その要因たる湿気―――雨。



私の心にも湿らせる出来事があったのもこの季節だった。



それは何時もに増して激しい雨がとめどめ無く降り浸ける夕の頃。



雨の飛沫(シブキ)が家の中にまで撥ね付ける為、忙しく戸や窓を閉める作業に追われていた。



何気に外界を視野に映す。



燦々たる雨に窓の向こうは滝の様に流れ落ち、外の景色はぼやけたまま。



毎年この時節の現象を只、当たり前に眺めて受け流す。



幾度となく繰り返される風物詩に誰も、何も、疑わない様に庭の片隅にいる小さな住人も、変わらず二人で居るのだろう。



そう、変わらず―――不変に。



けれど、それも何時かは終わりを告げる時が来る。



それは唐突に音もなく静かに去って行くものだと、この時そう思わずにはいられなかった―――そう、変化が在ったのだ。



翌朝、いつも通り部屋中の窓や戸を開け庭に出ると、水瓶の前に小さな赤い個体が横たわっていた。



急いで駆け寄り水瓶を覗く。



もう一匹は外に溢れる事無く、ゆったり水の中を泳いでいる。



瓶の中の水は溢れる程ではないにしろ、やはり昨夜の影響で水嵩(ミズカサ)が増している事に違いはなかった。



何かの拍子で飛び出てしまったのだろう。



可哀想な事をしてしまったと水の中の住人を見つめながら当の本人は知ってか知らずか、変わらぬ姿がそこには在った。



それからしばらくして、またしても思いがけない事が起きてしまった。



一人残されたあの子が――外側に投げ出された姿を私は見ることになる。



あの日の出来事から数日は特に変わった様子は無かったと思う。



けれど流石に居ないことに気付いたのか、忙しく動き回る行動が目につく様になっていた。



ああ、きっともう片割れの子を探しているのだ。



壁に当たってはまた反対方向に水面から底に向けて螺旋を描く。



底から水面にも同じく螺旋を描いた。 



それを日に何度も、何度も。



少なくとも見かける度にこの情景が私の記憶の片隅に残っていた。



その様子を知る母も居たたまれなくなり、新しい伴侶を迎え入れようとした矢先の出来事だった。



その日は家には誰も居らず、先に出先から戻って来たのは私だけで在った。



家に入り喉を潤すとそのまま居間で倒れこんだ私は、テーブルに置いた紙袋を手繰り寄せ、新しく仕入れた本を見開いた。



けれど少しもしない間に部屋を通り抜ける初夏の風に眠気を誘われた私は、本を手放し瞼を閉じてしまっていた。



午後の一時に微睡(マドロ)みながら怠惰に寝返りを打った先は、庭に佇むあの水瓶。



気怠くなった身体を起こし、(クダン)の主に歩みを進め近付いた―――と云う訳である。


****


続けて起きた事の一連に、不覚にも当時の私は感傷よりも泡沫な顛末に、ある種の優越を感じていた。



ある部屋の一角を見つめて。


****


その頃、当時付き合っていた夫と交際中の出来事でもあり、この事を彼に話した覚えが在った。



夫は過去を…過ぎ去った事に執着する性格の人間ではない為か、聞いた後も左程気にせず普段通りで在ったと記憶している。



只、心無しかその時彼の表情からは苦悶を滲ませている様に見てとれた。



珍しく気になった私は彼に尋ねようと声をかけたが、軽くあしらわれただけだった。



けれどそれも束の間、その理由を私はこの後知ることになる。



***


例の話をしてから間もなく、彼の口から以前ある女性との過去に在った事実を聞くことになった。


***


二人はそれぞれ違う大学に通う学生で、同じ学部を通じた同好会で知り合った。



偶然お互いの学部での研究を報告する機会が在り、その時に居合わせた内の一人が彼女“サヤカ”だった。



会は月一、二ヶ月に一度程。



研究とは言っても、他大学を通して互いに内容を知る機会を設けたに過ぎないものだった。



彼女とは会合以外でも会う様になっており、何時しか個人的なものに変化し始め、好意を寄せるまでそう時間を必要としなくなっていた。



普段面には出さずとも彼女の前では照れ臭そうにしている姿を、仲間内には見てとれたと云う。



彼女の方も関わっていく中で自然と彼を意識する様になり、間を置かず付き合う事になった。



彼は初めての彼女だからなのか、親切に気を配っては彼女の望む事はなるべく叶えてきた。



一方彼女の方はと云うと、親切で優しい人当たりの良い彼に対して少しずつ横着になっていた。



彼もそんな彼女の態度に段々嫌気が差してきたのか、素っ気無い態度をとるようになり、それとなく別れを示唆するも謝ってはすがり付く彼女を見ては情が出てしまい、先伸ばしで関係を続けていた。



だが誤魔化しが通用しなくなる日が彼女に訪れる。



彼には新しく気になる女性“エミ”が現れたのだ。


**


彼女は学部は違うが同じ大学の同好会で知り合ったそうだ。



その同好会は所謂(イワユル)異性との出会いの場になっており、彼は友人の半ば強引な誘いで致し方なく参加したらしい。



どちらかと言えば奥手な彼がこの手の会に参加した事自体が意外で、隣で聞いてた私は思わず彼に振り向いてしまったが、そんな私に構わず話を続けた。



慣れない場に最初は戸惑っていた彼も、よくある学生ならではの会話から始まって行く内に徐々に打ち解けて行き、その中で彼女とも話す機会が廻ってきたそうだ。



あまり異性との交流経験が無かった彼は、緊張の為ほとんど話せずに何時しか彼女の話を聞く側になっていた。



一方で彼女の方はそんな彼に安堵を感じ、他愛ない話が出来る彼との距離感に嬉しくなり、自然と好意を寄せていく。



気が滅入っていた当時の彼にとっては良い気晴らしになり、何より新鮮だった。



半ば固定された環境から脱け出せた気分もそうだが、惰性の付き合いをしてる彼女から距離を置ける切っ掛けになったのが何より大きかった。



それから次第に気持ちが落ち着き始めた頃、何度か顔を会わせて行く内にエミに心を傾ける様になっていた。



彼女の方も彼と過ごす時間を重ねる事に想いを募らせ、その事を知った彼は終に惰性で付き合っている彼女との別れを決断するに至った。


**


会う回数が減っていた事に不満を感じていたサヤカは案の定、勘繰る気持ちをぶつけては罵声を浴びせ彼から持ち掛けられた別れ話に、頑なに取り合わなかった。



けれど、そんな彼女を見ても微動だにしない彼の反応につい自棄(ヤケ)になり、この夏に開かれる同好会行事の参加を条件に別れる事を承諾したのだった。



同好会行事の参加理由―――それは参加者の殆どが交際相手を連れてくると聞いて、

既に参加が決まっていた彼等にとっても決まりが悪いと云う訳で在った。


**


夏の猛暑から逃れる様に、山合にある川の側で涼を涼みに訪れた。



喧騒から離れた場所に参加者は開放感に満たされ、天気も快晴で楽しむには十分だった。



此処に来るまでに二人の間は多少のぎこちなさがあったものの、現地に着いてしまえば何事も無かった様に自然と接していた。



参加者の殆どは見知った顔ではあるが、普段から特別親交してない分、割りと気負いせずに過ごせていた。



その為なのか、男女別に固まって談話したり、調理しながら交流を深めたり、川に入って遊んでたりと始終気ままで在った。



ところが夕方に近付くにつれ風が出始め、その後急な大雨による川の増水と共に流れが速まり出した。



本当に一瞬の出来事だったと、彼は云う。



その時運悪く川で遊泳していた彼と彼女は岸から離れた所からの事象だった為に対処に遅れ、彼はすぐ傍の岸壁に辛うじて掴まったが、彼女は深淵に脚を引きずり込まれたのか、空を掴む手を最期に姿を消したらしい。



その後、彼は中洲に取り残された仲間達と共に救出されそのまま病院に搬送された。



そして彼女の方は翌日、下流途中の岩場で発見されたそうだ。


****


当時、夫は事故が起こって間も無かった所為もあるのか暫くは精神的に不安定な状態では在ったものの、話を打ち明けてから少しずつ快方に向かっていた。



そしてその後、お互い大学を無事に卒業し社会に出て彼との平穏な交際を経て結婚した私は、今現在住んでいるマンションの一室へと新居を移していた。



そして今、私は想うのだ。



彼は…夫は私と結婚して幸せなのだろうか、と。



居間にある片隅を眺め、揺らめく彼らにふと思い出す。



「そう言えば、あなたに話してなかったわ」



直ぐ隣りの台所で缶ビールを飲みながら“何?”と返事をする夫に私は告げる。



「あの時の助かった子と新しい子なのよ」



私達は自然とあの片隅の住人の方を見合わせていた。



「駄目かと思ったんだけど、生きてたのよ。だから…淋しくない様にね」



背後から夫に抱き締められた時、何故か一縷の滴りが頬を掠め落ちた。



普遍の事象を気に留める意識は泣く。



一抹の風鈴の音と共に。



「…沙也香」   



そんなとある、夏の憂鬱。    



                 《完》 

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