上野公園殺人事件
上野公園殺人事件
髙橋英昭
それは二〇??年九月二日のことだった。
東京芸術大学美術学部の学生、青木美佳が、いつも通りの授業を受けた後、放課後のデッサン演習を終え、午後九時過ぎに上野駅に向かった。
いつもの通りをスタスタ歩いていたが、ふと通りを外れた暗い場所に何やら白い足のようなものが見えた。
そこで近づいてよく見ると、若い女性が草むらの中に倒れていた。
「キャーッ」と叫んで誰か通行人を探したが、誰もいない。
そこで恐る恐るもう一度近寄ってみると、胸のバッジから、彼女と同じ東京芸術大学の学生だと分かった。
彼女は急いでJR上野駅公園口へ駆け込み、駅員に「上野公園に女子学生が倒れています。警察を呼んで下さい!」と必死に叫んだ。
駅員は彼女の血相を変えた顔に驚き、すぐ上野警察署に電話した。
上野警察署では、話を聞いてから、直ちに救急車を手配すると共に、警官二名を派遣し、芸大生の青木美佳と共に現場に向かった。
現場では、若い女性があられもなく下半身も露わに草むらに横たわっており、
あきらかに暴行を受けた後、殺害された様子が見てとれた。
現場で必要な写真撮影の後、遺体は早速救急車で、東京大学医学部付属病院へ運ばれ、救急病棟で入念な司法解剖が実施された。
その結果、女性は凌辱された上に、首を絞められたことによる窒息死と判定された。
死亡推定時刻は九月二日の夕方六時半から八時頃までの間。膣の中から男性の精子が検出され、血液はAB型と判定された。
早速上野警察署では、東京芸術大学に警官を派遣して、絞殺された女性の調査を開始した。
その結果、彼女は東京芸術大学音楽部ピアノ科に通う矢島敏子さん(二十一歳)と分かった。さらに事務課の資料から、彼女は茨城県守谷市に、サラリーマンの父親(五十四歳)と主婦の母親(四十九歳)、それに祖母(八十六歳)の四人暮らしであることも分かった。
現在三年生であるが、入学してから一貫してピアノ科を選択し、熱心に練習に励む学生であったとのこと。
一週間が過ぎた九月九日、今度は上野公園の南側の草むらから、またもや若い女性の死体が発見された。
彼女は旧岩崎庭園に勤める事務員、岡部真理子さん(二十五歳)で、勤務を終えた後、友人と好きなカラオケを楽しむため「カラオケパセラ上野公園前店」で約二時間過ごした後、JR上野駅に向かっていた。
上野公園(上野恩賜公園)というと、京成上野駅の横手の階段から上がると、いわずと知れた西郷隆盛像が鎮座している。
約十年前までは、階段下でイラン人などがたむろしていて、偽造テレカなどをヤミで売っていたが、今はその痕跡はない。
ただ「上野の西郷さん」があまりにも有名なのは承知のとおりだが、その西郷像の周りがホームレスの楽園であるということは、あまり知られていない。
観光客が多い土日ではなく、平日の昼間に上野公園を訪れてみると、如何にホームレスが多いかわかる。
その内の一角は完全に「ホームレス村」と化しており、むしろ人の家の敷地のような状態になっている。
公園を訪れる観光客も意識的に避けているため、「住人」はいたって平穏無事にアウトドアライフを満喫しているようだ。
さらに上野公園の中に入ってゆくと、通行人も無く、静まりかえっている通りがある。とある一画だけが空白になっているかのように誰もいない。彼女はこの地域の草むらの中に、矢島敏子さんと同じような姿で転がされていた。
九月十一日、マスコミの厳しい追及にあい、上野警察署の安藤所長が記者会見して、次の通り発表した。
「去る九月二日東京芸術大学音楽部ピアノ科の矢島敏子さん(二十一歳)が、上野公園のメイン道路四五二号を少し外れた草むらで、首を絞められ窒息死しているのが発見された。また一週間後の九月九日には、旧岩崎庭園に勤めている事務員の岡部真理子さん(二十五歳)が、やはり上野公園のホームレス村近くの草むらで、絞殺されているのが発見された。現在司法解剖の結果を待っている。詳細が別途判明すると思う」
記者から質問が出た。
「矢島敏子さんは性的暴行を受けたのですか」
「残念ながら凌辱された形跡がある」
「同じような殺人事件が上野公園で二件も発生しましたが、犯人のめぼしはついているのですか」
「未だだ。現在現場周辺の防犯カメラの詳細なチェックと、一般の皆様への情報提供の呼びかけを行い、併せて係員が周辺の聞き込みをやっているところだ」
その後岡部真理子さんの司法解剖の結果が出た。
それによると、彼女も矢島敏子さんと同様に凌辱された上に、首を絞められて窒息死させられたものと確認された。死亡推定時刻は九月九日十九時半から二十一時頃。膣の中からやはりAB型の男性の精液が検出された。
上野警察署が、彼女の勤務先である旧岩崎庭園の事務局から聴取したところによると、彼女は岩手県横手市の出身で、現在北千住のアパートに一人で住んでいる二十五歳。三年前から同庭園で事務員として勤務し、快活で明るい性格の持ち主だったとのこと。
彼女と仲の良かった上条紀子さんによると、岡部さんは気さくな明るい人で、人に恨まれるようなことは決してない。カラオケが大好き。去る九月九日も彼女と二人で、勤務を終えてから、近所のカラオケボックスで約二時間楽しんだという。
「カラオケパセラ上野公園前店」を出たのが、十八時半頃で、上条さんは別に会う人がいたので彼女と別れ、彼女はそのまま京成上野駅方面に曲がっていったという。
その後上野署による周辺の聞き込みと情報提供を求める作業が続いたが、捗々しい成果は出なかった。
そのうち周辺の防犯カメラに、ホームレス村の近くを、外国人の男性が若い日本女性と歩いているという画面が、おぼろげながら写っているのが発見された。
早速画面を拡大してみると、女性はどうも岡部さんらしい。
そこで上条紀子さんに上野署へ来て貰い、同フイルムを見て貰ったところ、「これは間違いなく岡部さんです。でも何故こんな外国人と歩いていたのでしょう」と言う。
彼女に「この外国人について何かご存じですか」と質問すると、彼女は「知りません。見たこともありません」と言う。
そこで上野署ではその外国人の顔写真を大写しにして、公園の内外、特にホームレス村を中心に配布して、情報提供を要請して回った。
その後何の情報も無く、三週間が過ぎて、安藤所長以下上野署の面々にもやや焦りの表情がでてきた。
十月一日になり、上野署に変な電話がかかってきた。上野公園のホームレス村に住む女性ホームレスからだった。
「あの写真に写っていた外国人は、それほど困っているようには見えなかったけれど、ホームレス村のアイデンというトルコ人と一緒にいたよ」
そこで上野署係官が早速上野公園のホームレス村に、電話してきた女性を訪ね、「あの人だよ」と彼女が指さしたアイデン・ヤマンラールというトルコ人と会った。
彼も例の顔写真を見ており、「彼は私と一緒に住んでいるイスマイル・ジェムとよく似ていました。そこでその写真をイスマイルに見せると、彼は血相を変えて、パスポートと手近な荷物を掴んで、村を飛び出していきました。今頃もう成田からイスタンブール行きの飛行機に飛び乗っているのではないでしょうか」と言う。
アイデンの説明によると、イスマイルは約三カ月前、日本の会社に勤めるため、トルコから来日した。
しかし日本語が読み書きも会話も全く駄目なので、社内は勿論、社員寮でも孤立してしまい、飛び出してしまったとのこと。
行き場がなくなったので、上野公園にやってきて、同じトルコ人のアイデンと知合い、数日間アイデンの住む掘立小屋で、起居を共にしていたとのことだ。
そのアイデンも日本の某会社に勤めていたが、やはり言語の壁は厚く、仕事でもプライベートでも全く孤立してしまったので、退社せざるを得なかったとのこと。
そこで二人は話が合ったのか、同病相哀れむではないが、数日間起居を共にしていたのだった。
上野署から連絡を受けた警察庁は、早速イスマイル・ジェムの顔写真と日本での殺人容疑を国際刑事警察機構へ連絡し、リヨンの本部経由トルコの国家警察あて捜査を依頼した。
日本の新聞報道は次の通り。
「去る九月二日、上野公園で絞殺された東京芸術大学音楽部ピアノ科の矢島敏子さん(二十一歳)に引き続き、九月九日には同じ上野公園で、旧岩崎庭園に勤務するOLの岡部真理子さん(二十五歳)が絞殺された事件で、上野警察署では鋭意捜査を継続していた。
十月に入り、上野公園ホームレス村に起居していたトルコ人イスマイル・ジェムを第一容疑者として、国際刑事警察機構に手配を要請した。
トルコ人で同居していたアイデン・ヤマンラール氏によると、イスマイル容疑者は約三カ月前、日本企業に勤めるため来日したが、日本語が全く話せず、会社の中でも、生活していた社員寮の中でも孤立してしまい、やる気をなくして会社を飛び出したもようである。
自分の顔写真が上野公園内外に出回っていることを知り、パスポートと手近な荷物を抱えて急遽成田空港に向かったとのこと。
恐らく当日夕刻に成田を出発するトルコ航空に飛び乗って、イスタンブールを目指したものと思われる」(十月十二日付朝日新聞)
上野署は警察庁と合同捜査会議を行った。管内で若い女性が二名も凌辱・絞殺されているので、熱を帯びた会議になった。結論として一日も早く犯人を逮捕し、解決に結びつけるため、警察庁から国際担当の野村秀樹警部(四十二歳)をトルコへ派遣することが決められた。
野村警部は十月十五日、二二時五十分成田空港発全日空機で一路トルコのイスタンブールをめざして出発した。飛行時間は十二時間十分、到着は十六日の早朝五時である。
トルコは正式国名を「トルコ共和国」といい、首都はアンカラ、人口は約八三〇〇万人、面積は約七八万平方キロメートル、日本の約二倍である。
イスタンブールは、ビザンチン、オスマン両帝国の都として栄えたトルコ最大の都市。世界遺産の「旧市街」に、アヤソフィアやスルタンアフメット・ジャミイ、トプカプ宮殿などの有名観光スポットが集まっている。
またボスフォラス海峡に隔てられ、アジアとヨーロッパの両大陸にまたがる世界唯一の都市でもあり、帝都の栄光の歴史とモダンな都市の華やぎ、東洋と西洋が混在した異国情緒あふれる街である。
旧市街の対岸に金角湾を挟んで比較的新しい「新市街」というエリアが拡がる。繁華街のイスティクラル通りを中心に、トルコの旬を感じられる、おしゃれなスポットが点在している。
新市街の対岸には、暮らしがのぞける下町エリアとしての「アジア・サイド」が拡がっている。観光名所が少なく、ありのままの庶民の生活にふれることができるローカルアリアだ。一方でバーダット通り沿いにおしゃれなカフェやレストランが並び、若者やセレブに注目されている。
またトルコ人は大の日本びいきだという。
これは一八九〇年オスマン帝国のフリゲート艦「エルトゥールル号」が日本に派遣され、明治天皇へ親書を手渡し、帰国の途についたが、和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁・沈没、五〇〇名以上の乗組員が死亡した。
然し紀伊大島の住民が救援に駆け付け、六十九名が救出され、日本全国からの義援金、弔慰金と共に、日本海軍によりオスマン帝国に丁寧に送還された。
この事件は、トルコ国内で大きく報道され、日本人に対する友好的感情もこの時から醸成された。現在和歌山県串本町にはトルコと日本の関係についての記念館がある。
野村警部は早朝イスタンブール空港に到着し、タクシーを拾って、旧市街のホテル「フォーシーズンズ」へ向かう。
朝食を済ませて表へ出ると、前方にスルタンアフメット・ジャミイのエキゾチックな大寺院がそびえている。これは別名「ブルーモスク」と呼ばれるほど青を基調とした優美な外観を見せている。
話のタネに入場してみるかと歩き出すと、ニコニコと笑顔を振りまいたトルコ人が、中途半端な日本語で「じゅうたん安くしておくよ。いらんかね」と迫ってくる。手を振ってやりすごしても、今度は二人目がやってきて同様の売込みをする。旅の日本人とみたら彼らはこうして客を引き込み、いかがわしいジュウタンを高値で売りつける悪商人もいるそうだ。
またスリにも注意せねばならない。
ようやくブルーモスクの中に入ると、入った途端、広さと豪華絢爛なインテリアに思わずため息がもれる。タイルなどの装飾模様は実に多彩で緻密。「これは素晴らしい」とさすが世界中から旅行客が集まる観光地だと満喫する。
簡単な見学を終えて、タクシーで警察署に向かう。この交通ラッシュはとても東京や北京の比ではない。殺人的ともいえる。日本企業の駐在員には決して運転させず、会社が運転手を雇って運転させているありさまだ。
トルコでは国家警察として、内務省の警察総局が各県の支局を通じて警察業務を管轄している。
野村警部は、イスタンブール警察署のオスマン・ユセフ署長と面会し、上野で起こった二件の絞殺事件のあらましと、第一容疑者として、イスマイル・ジェムなるトルコ人が上がっているので、捜査に協力して頂きたいと要請した。
オスマン・ユセフ署長は、気の良い太っ腹のような人で、既にインターポールのリヨン本部から連絡を受けているとみえて、野村警部の要請に対し「協力を惜しまないので、何でも必要なことがあれば申し出て頂きたい」と友好的に回答してくれた。
同署長は直ちに英語に堪能なアイデン・ヤマンラール刑事(四十歳)に命じて、まず容疑者の顔写真と名前をカッパドキア、アンカラ、コンヤ、エフェス、バムッカレなどの各警察支局に電送し、捜査協力を要請させた。
回答を待つ間、署にじっとしている訳にも行かず、出ようとすると、アイデン刑事が「トルコ初めてでしょう。少し案内しましょうか」と誘いをかけてくれたので、「宜しくお願いします」と彼の好意に甘えることにした。
アイデン刑事の案内で旧市街の名所、アヤソフィヤ、トプカプ宮殿、グランド・バザールなどを見学し、彼と夕食を一緒に摂り、午後九時頃ホテルに引き上げた。さすがに異国情緒あふれる旧市街の名所を数か所回って、疲れがドッと出たのかぐっすり眠った。
翌日は未だ各地方支局からの連絡が来てないとのことで、今度は新市街やアジア・サイドを見学して回った。
あちこちで目につくのが猫である。
アイデン刑事に聞くと、イスタンブールには飼い猫でも野良ネコでもない「路地猫」が多くいるとのこと。露路界隈に住む皆が可愛がっている。おみやげ屋の店先で、レストランで、どこに猫がいても、イスタンブールっ子は追い払ったりしない。ねだられれば自分が食べているパンをあげたり、商品の食料品を分けたり、わざわざキャットフードを買ってくる人もいる。イスタンブールの猫は幸せものなのだそうだ。
三日目になり、ようやくアンカラの支局から情報が入った。
アンカラとはイスタンブールから飛行機で約一時間二〇分の距離にあり、初代大統領アタチュルクが一九二三年にトルコの首都と定めた都市である。旧石器時代からの歴史をもち、首都になってから急速に近代都市へと発展してきた。
イスマイル・ジェムは、アンカラ市クズライの出身で二十八歳。地元の高校を卒業後、コジャエリ州にある自動車工場「ホンダ」に入社。技術者として勤務していたとのこと。
そこで野村警部とアイデン刑事は早速コジャエリ州チャイロヴァにあるホンダトルコ工場を訪問し、イスマイル・ジェムのことについて尋ねた。
出てきた人事部長は「彼はもう転任しました」と言う。
アイデン刑事に通訳を頼み、野村警部は「一体なぜいつ転任したのですか」と質問。
「実はこのトルコ工場は二〇二一年に自動車生産を中止することが決まりました。彼は技術者なので、何とか日本のホンダ工場で働きたいと懇請してきました。そこで特例として、彼だけホンダ埼玉製作所寄居工場に転任させたのです」
「我々は、日本で、三カ月前、彼が日本語を全く話せないため内外で孤立して、
ホンダ寄居工場を辞職したと聞いています」
「え、そうなのですか。知りませんでした。こちらでは技術者として真面目に働いていたのですがね。日本語でしたら夜学に通って勉強するとか、方法はあると思いますがね。そうですか。退社してしまいましたか」
「ところで彼と一番親しくしていた社員の方はおられませんか。おられたら紹介して頂きたいのですが」
「同じ社員宿舎に居たヌスレット・ギョクチェを紹介しましょう」
丁度社員食堂で食事中のヌスレットが見付かったので、野村警部は、やはりアイデン刑事に通訳をお願いして質問した。
「イスマイル・ジムを知っているね」
「はい。知っています。彼はもう日本へ転任したはずですが、彼が何かしでかしましたか」
「彼は三カ月前、日本語が話せないという問題があったので、ホンダの寄居工場を飛び出してしまったのだよ。そこで彼はイスタンブールに帰国しているはずなのだ」
「え。本当ですか。それは知らなかったなあ」
「ところで我々は彼に少し参考意見を聞きたくてね。一体どこに行けば彼に会えるだろうか」
「それなら彼には飾り窓で親しくしていたファトマという女性がいます。彼女に聞けば彼がどこにいるかわかるでしょう」
「どうもありがとう」
「飾り窓」というのはオランダ、ドイツ、ベルギーなどのゲルマン諸国、またそこから伝播して地中海側でも見られる売春の一形態である。道路に面したドアはほぼ全面ガラス張りで、室内はピンク、紫、ブラックライト等で照明され、軒に赤いランプを灯している。客は外の道から女性の品定めができる。
そこで野村警部とアイデン刑事は、新市街のガラタ橋を渡り、飾り窓の置屋でファトマのアパートを聴き出し、翌朝五時前に急襲した。
すると折よくイスマイルとファトマがベッドから起き出してきたのである。
ここでイスマイルの身柄を拘束し、参考人として警察署まで同行を要請した。
警察署では取調室で、やはりアイデン刑事に通訳を頼み、野村警部が、上野の森で撮影された防犯カメラの映像を突きつけ、「絞殺された二人の女性の膣の中から検出された血液型も分かっている。何なら君の血液型も検査しようか」と迫ったところ、彼は観念したのか、しぶしぶ犯行を自供しはじめた。
事件発生から二カ月弱、ここに極悪非道の女性凌辱殺人事件の犯人は、見事に野村警部とイスタンブール警察のアイデン刑事のコンビにより解決をみたのである。
( 了 )
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