prince of white
美しい赤いバラ。
カラフルで楽し気なティールーム。
ここが牢と思わなければ楽しい空間かもしれない。
否。
赤色が使われている部屋だというだけで忌々しい。
どこを見ても鮮烈な赤色が目に入る。
あの女の好きな赤。
静粛の赤。
私の流れる血の色。
あの女と同じ色。
「ご機嫌麗しゅうございます。プリンス」
マッドハッターの言葉に飲んでいたティーカップを机に置く。
「私はプリンスじゃない」
「それでも王位継承者はあなたでございます」
ため息をついて足を組んだ。
「あの女は今日何人の首を刎ねた?」
「今日はまだ3人でございます」
「まだ、3人ね…」
「プリンスは良い王になれそうですね。この国の民を誰よりも案じておられる」
「それでもあの女が女王なんだよ」
ようやくマッドハッターの方を見ると、美しい顔に何が面白いのか晴れやかな笑顔が咲いている。
「今日も君は楽しそうだ」
「お綺麗なプリンスの側にいられたらそれはもう」
「あの女が聞いたらそれこそ首を刎ねそうな言い方だ」
「その点はご安心を。女王は私に全面的な信頼を置いているので」
「信頼…ね」
美しいマッドハッター。あの女が気に入りそうな華やかで美しい顔立ちをしている。
「でも君はこの牢の番人だ。残念ながら君がここを出られるのは私が死んでこの身が外に出る時だ」
再びティーカップを手に取ってお茶を飲み始める。
「あなたがこの国の王になれば出られますよ」
ひっそりと呟いたマッドハッターの言葉は誰の耳にも入らなかった。
「女王陛下、休憩に入られてはどうですか」
ここの所誰かの首を刎ねることにしか興味がなさそうな女王に、白うさぎが声をかける。
女王は何も言わずに、白うさぎが用意したティーセットの方へ向かう。
お茶を飲みながら女王は白うさぎに尋ねた。
「お前も私に首を刎ねられるのが怖い?」
「私は…女王の側にいられたらそれで…」
「私も分かってるの。この身は傀儡だとね。美しい弟が国を治めたら都合の悪い方たちが私を女王にしたんだと」
「それでも私は…」
「それでも私は醜くても私は。女王なのよ。だから首を刎ねるのが仕事なのよ。もういいわごちそうさま」
女王はお茶を一杯飲んだだけで再び執務に取り掛かった。
「何をしているの。下がりなさい」
「…申し訳ございません」
ティーセットを全て片づけて、白うさぎは女王から背を向けた。
この国の夜は全てが止まる。美しいものも醜いものも。
ただ一人を除いては。
牢に月の光が入る。その光に応えるようにプリンスの寝顔が美しく鏡に映る。
その鏡の前に唯一この国で動くものーマッドハッターが座っていた。
「かわいい王子、美しい王子。必ず私があなたにこの国を差し上げますからね」
そう、独り言を言いながら笑う顔には咲き誇るような笑顔ではなく、誰もが凍り付くような冷たい笑顔が浮かんでいた。
「あの弟のことはあなたに一任してあるはずだけれど」
珍しく女王の寝室に来たマッドハッターが、美しい弟について用があると来た。
「ですからそろそろでございませんか」
「私の意見は変わらない」
「この国は全て女王のものです。しかしあの弟だけはあなたのものではない」
「分かっているわ。それでも変わらないのよ」
「なぜそこまであの弟の首を守りますか」
「…私が負けるからよ」
「私はそうは思いません。この国の誰もが思いません」
「…思うわ…特にあなたはね…出て行ってちょうだい」
マッドハッターが出て行ったのをしっかり見届けると女王は鏡に向かって眼帯を取った。
そこには大きな傷が縦断していた。
「…負けるものですか。誰が負けるものですか。小さい頃、醜いからと顔をつぶされた私が美しさだけで誰もに愛された弟に負けるものですか…」
廊下でその様子を聞いていたマッドハッターは、軽く跳ねるような足取りでプリンスの牢に向かった。
「今なんて…?」
「ですから女王を討つ時が来たと」
「私はここから出られない。なのになぜ女王を討てる?」
「女王自らここに来るからです。これをお納めください」
マッドハッターが取り出したのは大ぶりなナイフだった。
「こんなもの…扱えないよ」
「大丈夫です。全ての準備は私がします。あなたは後ろから女王を刺すだけです。そうすれば正義はあなたのもの」
「正義は…」
「この国を正しく導けるのはあなたしかおりません。白の王子」
そういうとマッドハッターは優しくプリンスの頬をなでた。
「邪魔するわ」
数日後本当に女王は来た。
「女王陛下。ご機嫌麗しゅう」
「別に機嫌がいいわけじゃない」
そう言うと、扉を背に椅子に座った。
「座りなさい。せっかくだからお茶にしましょう」
「仰せのままに」
深いお辞儀をすると窓際にいるマッドハッターを睨む。このままでは刺す前に目の前に居座る白うさぎに刺されてしまう。
お茶を飲みながらも会話は無い。一杯のお茶を飲んで女王がようやく口を開いた。
「あなたの首を刎ねろって周りがうるさいの」
「…そうですか」
「でも私はしなくてよ。あなたに負けるのはごめんだもの」
「…最近は首を刎ねることにしか心に無いと聞きましたが」
「悪いやつは処罰しないと。そうでしょうマッドハッター?」
聞かれたマッドハッターは1ミリも動かず返事をしようとしない。
「…マッドハッター?」
「女王陛下残念です」
マッドハッターはそのままプリンスの方に向かうと、プリンスの唇を激しく奪う。
「…んん…!」
「…マッドハッター!どういうつもり!」
女王に叱責されてマッドハッターはようやく王子から離れた。
「どうもこうもない。いつまでもプリンスにこだわるあなたには飽きた。私はプリンスとここに骨をうずめます」
「…裏切るの?」
「そういうことになりますかね」
「…お前はこの手で首を刎ねてやるわ!!」
女王が白うさぎから剣を奪うと、そのまま部屋の奥に進んだマッドハッターに向かって走り出した。
ちょうどプリンスの後ろを向く。
椅子を立つと目をつぶって女王に向かってナイフを出した。
何かやわらかいものを刺した感触がして目を開ける。
白うさぎが身を乗り出し、女王の代わりにナイフをその身に受けて血を流していた。
「…白うさぎ?」
壊れた機械のように女王が呟く。プリンスもその場に固まってしまう。
「…陛下は…醜くありません…誰よりも気高く…その心は高貴で…美しい…」
そのまま白うさぎは目を閉じてしまった。
「…なぜ…」
剣を投げだし白うさぎを抱えると女王はそのまま覆いかぶさり泣きだした。プリンスは自分の両手の血を見て固まる。
「何を迷ってますか」
いつの間にか側に来たマッドハッターが呟く。
「女王はあなたに嫉妬した。白うさぎを放り出して」
「大事な忠臣を放り出す女王は国のトップに立つべきですか」
「所詮この女は傀儡。分かっているでしょう」
「美しいあなたが…この国を治めるべきだ」
「…正義は赤くない」
機械のように、プリンスは放り出された剣を取り女王の首に向かって降ろす。
「正義は…白い」
真っ赤に染まった女王の頭が転がっていた。
粛清の政治は終わった。その代わり豪奢な政治が始まった。
「そしてこのカーテンもシャンデリアもティーセットも白くして頂戴」
「お金はいかがいたしましょう」
「民衆からまだ絞り取れるでしょう」
「仰せのままに」
家来が来てはわがままを聞いて帰り、また来てはわがままを聞いて帰る。
夜になるとマッドハッターが寝室に横になって待っていた。
「…疲れた」
マッドハッターの横に倒れ込むように横になるとすぐに寝息を立てる。
その様子を背筋が凍り付くような笑顔で眺めると、プリンスの頬にキスをした。
「おやすみなさい。かわいい私のプリンス(人形)」