しまいこまれた恋心
あめ、あめ、ざあ、ざあ。
──だいっきらい。
雨の日の、午後五時五十五分のスクールバス。
「あ、やほ。また会ったね、蘇我根くん」
「お、おう……。天羽も、こっち方面だったんだよな、忘れてた」
嘘ばっかり。私はわざとらしげに溜息をつきたくなったけれどやめた。どうせ誰にも気づかれないのだけれど、何となく、気遣いってものを考えたのだ。
「そうだよ。前、バスから降りて、途中まで傘に入れてあげたでしょ。もう忘れちゃったの?」
「忘れてねぇよ。いや、ほら、オレ普段チャリ通だからさ」
そうだよ。いつもは自転車通学で、雨が降った日だけバスに乗るんだよね。それで、雨の日の、この時間は想い人の彼女が一緒だからって、あえて無理して乗る時もあるって知ってる。
この時期は私も一緒なのに、全然見てもくれないんだから。
「あーそっか。雨が降ってる時だけバスに乗るって言ってたもんね。でも、去年も今年も一緒でクラスメイトなんだし、いい加減憶えてよね?」
「わーったわーった。今度なんか奢る」
「わ、ほんと? わたし、蘇我根くんたちがよく飲んでるやつ飲んでみたいんだよね」
「え゛っ! 天羽、あんなん飲んでみたいんかよ。やめとけやめとけ!」
「えー、だって男子の間で流行ってんでしょ? 気になってたんだよね」
「いや、あれ、罰ゲームだから」
雄太くんの言葉に、楽しそうな天羽さんの「えー、そうなの?」という声が響く。
最近男の子たちの間で流行っているらしいエナジードリンクは、よくコンビニエンスストアで買っては鞄に入れられているのは知っている。なんだか、刺激が強くて一気飲みができるかとかで罰ゲームに使っているとか使っていないとか。味は知らないんだけど、とってもキツイ飲み物なんだって。
「あ、そろそろ降りるところだね。蘇我根くん、ちなみに傘は?」
「あー、ははっ」
「やっぱり。今日も忘れたんだね。仕方ない、入れてあげよう」
「ありがとうごぜえます、天羽さまー」
「ふふっ、苦しゅうない、って言うの?」
楽しそうな笑い声とともに、バスが停留所に到着する。
先に天羽さんが降りていって、後から雄太くんが降りる。私も一緒にいるんだけどなぁ。
「さぁどうぞ」
「サンキュー」
そうして、天羽さんが開いた傘に雄太くんが入って、重いからと傘を雄太くんが持って、二人で相合傘。
ちゃんと傘、あるのに。
この、数分間の相合傘のために、彼は嘘をついてばかりだ。
知ってるよ。雄太くんが天羽さんのこと好きなの。だから、ちょっとでも近いところに行きたくて、同じ時間を過ごしたくて、そうしてるんだよね。ちゃんと、知ってる。
でも、私にも気づいてほしい。
雨よ、雨よ、大嫌い。
あなたは私の大好きな人を、遠くに連れていってしまうのだから。
こんなに近くにいるのに、心は遠い。
少しでも近づきたい想いは私も一緒なのに。
梅雨の間は雨が多い。今年は特に。
──だから、彼と彼女が一緒にいることも、増えていた。
私の張り裂けそうな心など無視して。
数日後、また、雨の日の午後五時五十五分のスクールバス。
「やほやほ、蘇我根くん」
「おう、天羽。そうだ、これやるよ」
「え、何? って、これ、例のあれ?」
「ははっ! なんだよ、その言い方。普通にエナドリって言えばいいじゃん」
「いや、言っとくけど、普段そんな言い方しないからね」
「ほんとかよ」
楽しそうに弾む声に、私が軋む。また、今日も、一緒にいるのに気づかれない。
話は進んでいって、雄太くんは嬉しそうで、天羽さんも楽しそうで、でも、そこに私が入っていくことはできないのだ。
「あ、そうだ、今日は傘持ってる?」
「あー、ちょっと……」
「あー、もう、また忘れたの?」
いつものやりとりが、この後、急展開を見せるなんて、誰が思ったことだろう。
「でも、本当にごめんね。私、今日彼氏に会いにいくから送っていけないの」
ぎしっ。
軋んだのは私だろうか、それとも、雄太くんの心の音だったのだろうか。
「え、天羽、彼氏いんの?」
「なぁに、その驚き方。いるよー。高校は別なんだけど、中学からずっと仲良い彼氏なんだからー」
「へぇー、そうなのかよ。天羽って、あんまり女子の恋バナに加わってないイメージあったから」
「あー、だって、なんだか恥ずかしくってさー」
「あーそういうことな」
「だから、降り場違うの、今日」
「ああ、いい、いい。ちょっと走ればいいだけだから気にすんなって」
「ごめんね。でも、蘇我根くん、いい加減、傘忘れないようにしないとだよ」
「りょーかい。刻み込んでおきます」
「じゃあ俺、降りるな」そう言って、雄太くんはバスを降りた。
バス停の中佇む彼を尻目に、バスは動き出す。
それから、かなりの時間を置いてから、雄太くんは歩きだした。降りしきる雨の中、ひどくゆっくりと。
……天羽さんに彼氏がいるなんて、知らなかったんだよね。今日、不意打ちで知って、驚いたんだよね。…………泣いてるのかな。
軋んだ私には気づかれないまま、雄太くんは雨の中、走ることなく歩いていく。
雨よ、雨よ、嫌いな雨よ。
嫌いだけど、今日だけは好きになる。
だから今だけは降っていて。晴れることなく降っていて。
泣けない私の代わりに泣いて。
そして、泣いているかもしれない彼を隠して。
梅雨の時期は、毎日私は彼のそばにいるのに、日の目を見ないままの使われない存在。
鞄の中に折り畳まれて忘れ去られるままでいい。
あなたの静かな失恋を、私だけが知っていると、自負だけを持っていく。