五、ライブハウス
「どこへ行くの?」
びくびくした表情で僕に尋ねる彼女に、僕は飛び切りの笑顔を彼女に向けて言った。
「音楽が楽しめるところさ」
辿り着いたのは、僕の行きつけのライブハウス。店のドアを開けると音楽は鳴っていたが、演奏してる雰囲気ではなかった。
ウィークディだからといってライブ演奏がない訳ではないのだが、今日の曜日は比較的演奏が無い日なのだ。
店の奥へ行くと、マスターが声を掛けてきた。
「よぉ、駿平。いらっしゃい」
マスターは苦虫を噛み潰したような顔をして僕に言った。
「ちょっとピアノを弾いてくれよ。生音がしないライブハウスは、格好がつかん」
僕は、にやりと笑ってうなずいた。
マスターは、僕の後ろにいる律子を見逃さなかった。
「駿平! 女連れじゃねーか!」
そう言うと、マスターは僕には見せたことのない笑顔で律子に声を掛けた。
「いらっしゃいませ、お嬢さん。ちょっと汚い所だけど、良い音を聴かせるよ。音響はバッチリだよ。ゆっくりしていってね〜」
マスターは律子に手を振った。
律子は、相変わらず引きつった笑みで答えた。
「あ、ありがとうございます」
マスターは、僕に向き直って言った。
「この娘が、いつも話に出てくる……」
僕は、慌ててマスターの言葉を遮るように言った。
「ピアノに近い席、座るよ」
マスターは、指でOKサインを作ってから言った。
「ピアノ、頼む」
僕は、マスターにグッジョブサインを送った。そして、ピアノに一番近い丸テーブルに律子と向き合って席に着いた。
「雨宮さんはこんな所、来たこと無いよね」
律子は、見回してから僕の言葉に答えた。
「えぇ、初めて」
僕は、ワクワクしながら律子に語り掛けた。
「面白いぞ。ここにはいろんな音楽があるぜ。ジャズやフュージョン、ロック」
僕は身を乗り出して律子に聞いた。
「雨宮さんは、クラシックばっかりなの?」
律子は、少しムッとした。
「聴くのはいろいろ聴くわ」
そして、ちょっと目を伏せた。
「でも、演奏するのはクラシックだけ」
マスターが来て、コーラとオレンジジュースを置いた。
「お熱いお二人さんにどうぞ。ちなみに、これは俺の奢り。だから、早くピアノを弾いてくれよ」
僕は、マスターに促されてピアノの前に座った。マスターは、DJブースに入ってCDを止めた。そして、僕は静かにピアノを弾き始めた。
一曲目は、スローテンポの「枯葉」を独特の哀愁をジャズ風のイントネーションで弾いた。
続いての二曲目は、スタンダードの「八十日間世界一周」を中庸なリズムの中に、緩急を付けて演奏した。
そして三曲目は、軽快なリズムの「A列車で行こう」だ。この曲はマスターのお気に入りだ。マスター自ら、ジェットブラックのサイレントコントラバスで弾いてくれた。
僕は席に戻って、律子に感想を聞いた。
「どうだった?」
律子の顔には、自然な笑みがあふれていた。
「うん、とってもいい感じ。自然に、身体がリズムを取ってるの」
そして一旦、マスターの姿を見てからこう言った。
「マスターのベース、素敵ね」
律子の目は輝いていた。僕はもう一度、律子に訊いた。
「楽しい?」
律子は即答した。
「えぇ、とっても」
僕は思い切って、律子に言った。
「君もどう?」
律子はキョトンとしていた。
「え?」
僕は説明するように言った。
「ピアノ、弾いてみない?」