四、デート
「来週はいいよねっ?」
「約束だよ!」
前回の楽団の練習の後、雨宮律子が去って行く後姿にこう言い切ったものの、僕自身には全く自信がなかった。そして、正直言って彼女がどんな反応をしてくるか、期待することが出来なかった。
だけど、淡い希望だけは捨て切れなかった。なぜなら、一瞬だが僕に見せたあの優しい表情が嘘でないように思えてならなかったからだ。それに、僕が彼女に恋しているから、可能性が全く無いに等しくてもそう思いたかった。
「彼女に迷惑だったかな」
楽団の練習を明日に控えて、僕はベッドの中で弱気なことを考えてしまった。
翌日、楽団の練習はおかしな雰囲気が漂っていた。僕は平静を装い、彼女もいつも通りの感じだったが、周りがそうではなかった。特に、全体練習が始まってからは気不味い雰囲気だった。
どうやら、前回の玄関ホールでの僕と雨宮律子のやり取りが、楽団全体にうわさとして広まっていたようだった。だから、楽団員はまるでテニスの試合のラリーのように、僕と彼女を交互に見て様子をうかがっていた。
全体練習に入る前の休憩時間、ウーロン茶をすすっていた僕にホルン吹きの奴が訊いてきた。
「おい、どうなったんだ?」
僕は知らんふりして答えをした。
「何が?」
ホルンの奴は苦み走った顔をして言った。
「とぼけんなよ! 雨宮さんのことだよ」
僕はウーロン茶をすすって答えないでいた。
その様子にシビレを切らしたホルン吹きは嫌味を言った。
「じれったい奴だな」
そして、ホルン吹きは単刀直入に訊いてきた。
「ははん、フラレたんだな?」
何も答えない僕に、ホルン吹きはしたり顔でこう言った。
「そうだろ。やっぱり、図星なんだな」
そう言って、ホルン吹きは僕の所を去っていった。
僕は、周りに聞こえない程の小声で呟いた。
「そんなこと、ない、……はずさ」
だが、それは僕の淡い希望であって、現実とはかけ離れているだろうという予想が、僕の心の中を支配していた。
練習が終わって、僕は周りの様子を知りたくないといった感じで下を向き、そそくさとトランペットを片付けた。
重々しい足取りでロビーに降りてきたところで、僕はビックリした。ロビーの待合の椅子に、雨宮律子が座っていたのだ。
僕は信じられなかった。まさかと思った。だが、彼女がここに座って待っているのは、僕を待っているとしか考えられないという思いが、僕の心の中で確信となって表れてきた。
僕は思わず足早に彼女に駆け寄り、彼女の背中から声を掛けた。
「雨宮さん、どうしたの?」
僕の声に、彼女は振り返った。彼女は声を掛けたのが僕だと認識すると、前下がりのボブカットの髪を掻き分けて、いかにも慣れていない風の、ぎこちない笑顔を僕に向けてくれた。そして小さな、愛らしい声でそっと呟いた。
「……約束は、守らなきゃ」
彼女は直ぐに下を向いた。ボブカットが邪魔して彼女の表情が読み取れなかった。
僕は、急に口元が緩んだ。
「ありがとう」
僕は立て続けに言葉を発した。
「今から、時間あるかな? レッスンとかは大丈夫かい?」
僕の捲くし立てるような話し方に彼女は戸惑い、彼女の笑みはますます引きつっていった。
彼女は落ち着いてから、ゆっくりと言葉を発した。
「今週は五週目だから、レッスンは無いの」
それを聞いた僕は、彼女の手を引いて立ち上がらせた。
「それじゃあ、行こう!」
彼女は、びくびくした表情で僕に尋ねた。
「え? ど、どこへ行くの?」
僕は、飛び切りの笑顔を彼女に向けて言った。
「音楽が楽しめるところさ」
僕は、彼女の手をとって自動ドアを出た。