三十、旅立ち
大きなスーツケースを持った人々が行き交い、遠く離れたイミグレーションの奥にあるデューティーフリーショップからの香水の匂いが、空港会社の手続きカウンターまで匂っていた。
ここは、某国際空港の搭乗口。
「アテンション、プリーズ。Δ航空二三七便・ニューヨーク行きに搭乗予定のお客様、南ウイング八番ゲートにて搭乗手続き中でございます……」
飛行機の出発を告げるエコーの効いたアナウンスが、広大なロビーに響いていた。
手荷物だけになって身軽になった僕は、少し離れて待っていた律子のところへ駆け寄った。
「出発まで一時間もあるから、ラウンジに行こうよ」
僕がそう言うと、律子は微妙なニュアンスの言葉を返してきた。
「あと一時間しかないのね、一緒に居られる時間は……」
僕は、律子の言い方に少し切なくなった。
「そんな言い方、しないでくれよ」
僕は無理やり笑いながら、精一杯の皮肉を言った。
「これが永遠の別れって訳じゃないんだからさ、すぐに戻ってくるからさ」
律子は下を向いて、涙を拭ってから僕を見た。
「そう、そうよね。私ってダメね」
そう言って、律子は精一杯の笑顔を僕に見せてくれた。律子の目は、もう既に真っ赤になっていた。
「じゃ、行ってくるね」
僕は、律子と握手をした。律子は、僕の顔を見つめてうなずいた。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
そこヘ阿川真理が僕の背中をグイッと押した。
「そこのお熱い、お二人さん。ギュ〜ッと抱き合ったっていいのよ〜」
僕と律子は真っ赤になっていた。その姿を見て、真理が呟いた。
「……はぁ、羨ましいわぁ」
真理と駿平は、イミグレーションに消えて行った。
駿平は時々振り返って、大きく手を振っていた。
律子も、それに合わせて手を振っていた。
二人の姿が見えなくなった頃に、低い声が聞こえた。
「これからが大変だな」
振り返ると、そこに雨宮健一が立っていた。
律子と奈津子、そして藤巻も驚いていた。
「律子、戸倉君に負けないように」
律子はちょっとムッとした。また、健一の台詞が始まったと思った。
「でないと、彼とはセッション出来ないぞ。戸倉君は、凄い進化をするかもしれない」
健一は、少しはにかんだ。
「楽しみだな」
健一は律子の方を向いて、にこやかに笑っていた。
「律子、負けちゃダメだぞ」
律子はそれを聞いて微笑んだ。
「うん」
律子は、うなずいて駿平が消えて行った方向をずーっと眺めていた。
そんな律子の姿を、健一は穏やかな表情でジーッと見ていた。
まるで勝ち誇ったように。
完結しました。
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