表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/30

二十九、その後

 何日かが過ぎた後、僕は律子と母親の奈津子と共に、師匠のレッスン室を訪ねていた。

「あの人、遂に折れましたわ。『律子の好きにしなさい』って」

 奈津子は、満面の笑みで藤巻に語り掛けていた。

「でも、さすがに海外へ行くことまでは無理でしたわ」

 奈津子は少し残念そうだったが、藤巻は相変わらず微笑んでいた。

「雨宮の性格から言って、それは固持するだろうな。それにヤツの立場も微妙になるだろうし」

 藤巻は、律子の方を向いて尋ねた。

「それで律子さん、どうするつもりなんだ? 俺が力になれることがあれば言ってくれ」

 藤巻からの言葉に、律子は晴れやかな顔で藤巻にこう告げた。

「私、師匠さんに教わりたいんです。駿平がどんな風に習ったのか、知りたくて……」

 そう言うと、律子は赤くなってうつむいた。

 藤巻は頭をかきむしった。

「力になるとは言ったが、そいつはなー」

 藤巻は引きつりながら奈津子に言った。

「雨宮の奴、俺では首を縦に振らんだろう」

 奈津子は横目で律子を見ながら、未だに笑みが絶えなかった。

「あの人もいろいろと条件を出してきましたわ。ところが、要一さんならOKをくれましたの」

 奈津子はこれまでに見たことも無い笑顔でこう言った。

「是非、ご教授をお願いします」

 藤巻は頭をボリボリと掻きながら驚いていた。

「ふーん、あの雨宮がね。娘にゃ弱いんだな、やっぱり」

 師匠は僕のほうを向いて、鋭く言った。

「ところで、駿平! 律子さんとはどうするんだ?」

 僕は師匠に向き直って姿勢を正した。

「僕は、真理さんとアメリカに行きます。そして、研鑽を積んできます。その間、律子は師匠に鍛えてもらいます」

 律子はコクリとうなずいて言った。

「そして、いつか一緒に演奏します。それが、今の私達の目標なんです」

 師匠は腋の下をポリポリと掻きながら言った。

「逢わなくて大丈夫か? 頑張れるのか? ……音楽の方じゃないぞ! 二人のことだ!」

 僕は律子を見た、律子も僕を見た。

 そして師匠に言った。

「大丈夫です。頻繁に日本へ帰ってきますから」

 師匠は僕の額にデコピンをした。

「バカヤロー!」

 そう言って師匠は「はっはは」と馬鹿笑いした。

 僕も、律子も、奈津子も同時に笑い始めた。


 僕は阿川真理からの電話で呼び出された。

 あの、Nスタジオの二階の三番スタジオに。

 スタジオの重々しい扉を開けてコントロールルームに入ると、そこには阿川真理と彼女のマネージャー、そして師匠である藤巻要一も居た。

「ハンコ、持ってきたか?」

 師匠は、ぶっきら棒な言い方で僕を迎え入れた。真理はフフフと笑って、師匠をいなした。

「先生、サインでもいいんですから」

 師匠は分かっているという表情を見せて苦笑いした。

 真理は、突っ立ている僕をソファに座るよう促した。

「戸倉君、この世界は契約社会だから、契約してもらわないといけないの」

 僕はうなずいた。真理は続けて説明した。

「簡単に説明するけど、君は勉強しながら、私達と活躍してもらうことになるわ」

 真理は微笑みながら、僕を見つめていた。

「ピアノは私に師事、トランペットは桜沢に師事、というカタチね」

 真理は簡単なスケジュール表を見せてくれた。僕はその表を覗き込んだ。

「それで、これが年間のステージ回数。大きなホールから小さなライブハウスまで百八十回程度。結構キツイわよ」

 真理は僕に微笑みかけた。僕は少しビビっていた。

「僕で大丈夫でしょうか?」

 真理は、僕の肩を叩いた。

「何を言ってるの! 私と桜沢が見込んだのよ。やれるわよ。私が立派に育てて見せるわ」

 僕は精一杯の笑い顔を真理に見せた。

「大丈夫よ。君なら必ずやれるわよ」

 真理にそう言われて、僕は照れて耳まで赤くなった。

「まだまだ、くちばしの黄色い雛だがな」

 師匠は、僕に対する嫌味を忘れていなかった。でも、それは本当のことだった。

「いよいよ、これで駿平もミュージシャンよ」

 そう言って真理は僕に微笑んだ。師匠が拍手をして僕を祝福してくれた。

 そこへマネージャーが割り込んできた。

「さぁ、駿平クン。君の記念すべき第一歩を記してくれたまえ。その前に、契約書の確認を」

 マネージャーは、僕に契約書を読み上げ始めた。

「その前に、一つだけ……」

 僕がそう言うと、マネージャーは優しい微笑を湛えて言った。

「大丈夫だよ。君の望んだ『二ヶ月に一回の帰国』の条項は入ってるよ」

 僕は、赤くなりながらホッとした。

 その様子を見て、真理が言った。

「シッカリやらないと、私が帰国許可を出さないかもよ」

 僕はビックリして真理の方を見た。

「脅かさないでくださいよ」

 真理は大声で笑い、師匠の藤巻は失笑していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ