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二十八、律子と駿平

 僕は、何度かためらった。

 だが、どうしても必要なことなんだと言い聞かせて電話をした。

 電話を掛けた先は、律子の携帯電話だった。

<プルルルルル、プルルルルル、……>

 呼び出しコール音が耳の中に繰り返される。いつ律子が電話に出るのだろうか、ヤキモキしながら呼び出しコール音を聞き続けさせられている。律子につながるだろうか。

 突然、呼び出しコール音が途切れた。つながるまでの時間が以上に長く感じられた。

「……はい」

 か細い声で、様子を探るかのような、律子の声だった。僕はその声を聞いて、背筋が伸びたような感じがした。

「しゅ、駿平です。あ、あの……」

 それでも僕はシドロモドロだった。何をどういえば言いか、何も思い付かなかったし、何も考えられなかった。律子に電話したのはいいけれど、言葉が全然出てこなかった。

 僕がアタフタしていると、律子の声が聞こえた。

「駿平」

 それは、律子の小さな声だった。辛うじて聞き取れた声だった。

 だが、僕はその声で我に返った。

「なに?」

 僕は、いつもの感じで反応してしまった。

「……」

 だが、律子の反応も定まらなかったらしく、無言のままだった。

 僕は、何も考えないままに言葉が口から出た。

「逢いたいんだけど、ダメかな?」

 しばらく時間が流れた。

 律子は辛うじて、聞こえる声で返事をした。

「うん、私も逢いたい」


 僕は、ライブハウスのカウンターで、いつも通りにコーラを飲んでいた。

「駿平、今日は弾いてくれないのか」

 マスターはいつも通り、僕に声を掛けてくれた。

「上手くいったらね」

 僕がそう言うと、マスターは怪訝な顔をした。

「律子ちゃんか」

 マスターがそう言うと、僕は苦笑いをした。

 マスターはその意味を悟ったらしく、こう答えた。

「じゃあ、あとで頼むぞ」

 僕は手を振って答えた。

 マスターはうなずいて、店の入り口の方を見た。

 すると、女の子が1人、店に入ってきた。それを見てマスターは声を掛けた。

「律子ちゃん、こっち、こっち」

 マスターは、律子を手招きした。

 水色のチェック柄のスカートに白のブラウスに紺のスカーフ、ベージュのカーディガンの律子は、初めて一人で店に入ってきて、オドオドしながら店を見回していた。

 マスターの声に気が付いて、律子は軽く微笑んで、小走りにカウンターにやってきた。

 マスターは満面の笑みで、律子にこう言った。

「律子ちゃん、いらっしゃい。よく一人で来れたね。立派、立派」

 律子はちょっとむくれた。

「やだー、マスター! 私、子どもじゃないわよ」

 律子はマスターに文句を言った。

「冗談だよ、冗談」

 そう言ってマスターはカウンターの中に入った。

 律子は、僕の横に座った。いつも通り、何気なく、それこそいつもの「癖」のように。

 これはマスターが場を和ませてくれたからだろう。

 僕は、律子に声を掛けた。

「元気だった?」

 律子はビクッとして僕を見た後コーラのグラスを見つめながら、うなずいた。

 思ったよりもはしゃいでいる律子に、僕は正直なところ、驚いていた。

「うん、元気よ」

 僕は、コーラを一口含んだ。

「そう、良かった」

 律子は、グラスを見つめたまま、おずおずと、でもハキハキと喋った。

「ごめんね。私、誤解してたのね」

 僕は、律子の言葉に慌てて言い返した。

「僕の方こそ、誤解されるようなマネをして」

 律子は僕の方を見た。その顔は満ち足りた顔だった。

「もういいのよ。みんな、父の仕業なんだから。謝らなくてもいいわ」

 そう言って、律子は満面の笑みを僕に見せてくれた。

「ねぇ、マスター」

 律子は、カウンター越しにマスターを呼んだ。マスターはにこやかに話し掛けた。

「なんだい、律子ちゃん?」

 律子は目配せしながら、マスターにささやいた。

「今日の二杯目は、コーラじゃなくて『アフィニティ』っていうカクテルにしてください」

 マスターは、ちょっとビックリした。

「カクテルとは。律子ちゃん、大丈夫かい?」

 律子はニコニコしながら言った。

「大丈夫よ。駿平の分もお願いね」

 マスターはグッジョブサインを出して応えた。

「OK。しばらくお待ちを」

 律子は僕を見て、フフフと笑った。

「律子、どうしたんだい?」

 僕は、律子の行動に驚いて、つい言葉にした。

「うん、だって今日は気分がいいの。だって、大好きな駿平に逢えたんだもの」

 そう言って律子は、僕の腕にしがみついてきた。僕は、少し恥ずかしくなった。

「おいおい、なんか照れ臭いよ」

 それでも、律子は僕にしな垂れてきた。

「いいの」

 そこへ、マスターが律子が注文したカクテルを持ってきた。僕と律子の前にカクテルグラスを置いた。

 カクテルグラスには、深い琥珀色を湛えた『アフィニティ』が満たされていた。

「律子ちゃん、意味深だね。『親近感』を意味するカクテルを注文するなんて」

 マスターにそう言われて、律子は頬を赤く染めた。

「分かっちゃった?」

 マスターはニヤリと笑って、カウンターの奥に消えていった。

「乾杯ね」

 僕と律子は、グラスを持ってグラスを打ち鳴らした。

 少しだけ飲み干した後、僕は律子に静かに話し出した。

「僕は、真理さんとアメリカに行こうと思ってる。師匠からはお許しが出た」

 律子は、僕の話を黙って聞いてうなずいた。

「律子はどう思う?」

 律子は唇を一文字にして言った。

「うん。……お父さんから真理さんのことは聞いたわ。それにアメリカ行きの話は真理さんから聞いたわ」

 僕は、もう一口、カクテルを飲んだ。

「一緒に行くことも出来るんだけど?」

 律子は、グラスを両手で持ったまま、首を横に振った。

「やっぱり、そんな訳にはいかないわ」

 律子の言葉を聞いて、僕は視線を落とした。

「お父さん、か」

 律子はコクリとうなずいて、急に元気な声で話し始めた。

「それにね、私も頑張りたいのよ、ピアノで」

 僕は、律子を覗き込んだ。最初にデートした時の強張った硬い笑顔だけど、ハキハキとして落ち着いた声で、律子は話を続けた。

「だって、駿平がアメリカで頑張るって言うんだもん、私だって日本で頑張らなきゃって思ったの。場所が違ったって、それって出来ることよね?」

 律子が僕を覗き込むように言った。僕はためらいながらも言葉を出した。

「それはそうなんだけどさ」

 曖昧な僕の返事に律子はちょっと声のトーンを下げた。

「いつでも好きな時に逢えないのは、ちょっとツライかもね。えへへ」

 言い終わると、律子はカクテルを一気に空けた。

「おいおい、無理するなって」

 僕は、律子をなだめた。

「大丈夫よ、これくらい」

 律子は胸を叩いて誇示した。その姿に僕は思わず、クスクスと笑ってしまった。

「な、何が可笑しいのよっ!」

 律子が言えば言うほど、僕は笑いがこみ上げてきた。

「もう、知らないっ!」

 律子は、プイと横を向いてしまった。

 僕は笑うのを止め、律子の両肩をつかんで僕の方へ強引に向きを変えた。

「分かったよ。十分すぎるほど分かったよ、律子の気持ちが」

 律子は肩を抱きすくめられてビックリして身体に力が入っていたが、僕の言葉を聞いてその力が抜けていくのが分かった。

「時々、戻ってくるよ。律子のために」

 僕がそう言うと、律子の頬に涙が一筋流れた。

 そして律子は静かに目を閉じた。

 僕は、ゆっくりと律子に近づいていった。

 そして、お互いの唇が触れ合った。

 とても、とても長い一瞬だった。

 僕は、ゆっくりと顔を離して、静かに目を開けた。

 律子の頬が赤く染まっていた。

 律子がゆっくりと目を開けた時に、僕はもう一度訊き直した。

「律子は大丈夫? 僕は……」

 僕が心配そうに言うと、律子はアッケラカンと言った。

「時々、戻ってきて。私のこともちゃんと見てね」

 僕はうなづきながら、律子をハグした。

「おほん、おほん」

 ワザとらしい咳払いをして、マスターが現れた。

「そろそろさー、弾いてくれないかなー、駿平」

 僕がうなずく前に、律子が言った。

「マスター、今日は私と駿平で連弾するわ。いいでしょ?」

 マスターは、拍手をして喜んだ。

「それはブラボーな提案だね。よろしく頼むよ、律子ちゃん」

 律子は僕の手を引いて、ステージに向った。

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