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十七、セッション

 楽団の練習が終わった僕と律子は、練習場を出た。そして、いつものライブハウスに向った。

「お母さん、駿平との演奏で昔を思い出していたんだって」

 ライブハウスに着くまでの間、休憩時間に話していたことを繰り返した。

 律子は、白のポロシャツに、ピンクのニットカーディガン、ベージュのタイトスカートに、ローヒールの白いサンダルで、清楚な感じだった。

「楽しかったって言ってたわ」

 律子はしんみりと話した。

「デジャヴな感じだったんだろうか」

 僕は母親の奈津子の心情を想像して言った。

「でも、スッカリ名前を忘れていたらしいわ。心の中で封印していたのかもしれない」

 律子がそう言うと、僕は額に手を当てて、師匠を思い出しながら考え込んだ。

 話しながら歩いてきたので、あっという間にライブハウスの前まで来ていた。

 ぼくは、入り口のドアを開けた。

 マスターが声を掛けてくれた。

「よぉ、駿平。いらっしゃい、律子ちゃん」

 マスターの挨拶の違いに、僕は苦笑いした。そして、マスターは一言付け加えた。

「来てるよ、真理さん」

 そう言われて、僕は固まった。

 そうだ、そうだった!

 僕はすっかり忘れていたのだった。

「ライブハウス」という言葉の違和感はこれだったのだ。

「真理、さん?」

 律子は呟いたが、僕は律子の手を引っ張って店の中に入った。

 カウンターに真理が座っていた。

 真理は目ざとく僕を見つけて手を振った。

「駿平クン、こっち、こっち!」

 大きな声で、真理は僕を呼んだ。

 真理は、赤のサテン調シャーリングチューブキャミに、黒のローライズストレートパンツを穿いて、赤のハイヒールを履いていた。 

「あら、今日はお友達と一緒なのね」

 僕は、顔をひきつらせながら紹介した。

「僕のガールフレンドの、雨宮律子さん。吹奏楽団でクラリネットをやってて……」

 僕が言い切る前に、もう知っているような口ぶりで、真理は答えた。

「あたし、阿川真理って言います。時々、ここで駿平クンとセッションしてます。よろしくね」

 そう言って、真理は右手を出して、律子に握手を求めた。

 真理の顔はにこやかな表情をしていたが、その目は全然笑っていなかった。

 律子はおずおずと右手を出して軽く握って言った。

「ど、どうも。よろしく」

 律子の顔は、キツネに摘まれた不思議な顔をしていたが、明らかにちょっと不機嫌な感情が表情に入り混じっていた。

「まだ、セッションなんてしてないよ!」

 僕はちょっと不機嫌に言った。すると、真理は舌をペロッと出しながら言った。

「今日、これからするのよね。それで、トランペットは持ってきた?」

 僕はそんなつもりでなかったし、それ以前に真理とのセッションのことなどすっかり忘れていたのだ。

「持ってこなかったよ」

 僕は無愛想に答えた。

 真理は目を輝かせて、僕の顔を見た。

「思った通りだわ。そうじゃないかと思って、あたしが用意したわ」

 真理は足元から、黒い大きなカバンを持ち上げた。それはプロテックのトランペット用のトラベルセミハードケースだった。

 真理はそのトランペットケースを僕に渡した。

 僕は仕方なく、ケースのジッパーを開けた。中からは、シルキーのB五・GPが出てきた。

「これは!」

 僕が叫ぶと、真理はニッコリ笑って言った。

「いいのよ、好きに使って」

「持って帰ってもいいけど、ここへ来る時は持って来てね」

「あたしとのセッション専用って訳」

 真理は、紙切れをトントンとさばいてから、それを僕に渡した。

「これが楽譜よ。十曲ほどあるわ。でも、今日は最初だから一番上の一、二曲だけ、やりましょ」

 真理はステージの方へ歩き始めた。

「楽譜を見てさらっておいて」

 そう言い終わると、真理はピアノの前に座った。そして、ベースとドラムでセッションを始めた。

 僕は楽譜に目を落とした。その楽譜を、律子も覗き込んできた。

 僕はその時まですっかり律子のことを忘れていた。真理に圧倒され続けていたのだ。

「あ、ごめんね。ビックリさせちゃって」

 僕は律子に優しく話し掛けた。

「この前、初めて会って、セッションやろうって」

 僕の言葉は、ちょっと空しく響いていた。

「マスターもお勧めの人だからさ」

 僕は自分でも言い訳っぽさを感じながら、律子に話しかけた。

 律子は、僕の言葉よりも楽譜から目を離さなかった。

 何枚か楽譜をめくって、じーっと眺めていた律子がポツリと言った。

「これ、お父さんの書く音符だ」

 僕は「え?」という感じだった。それからもう一度、楽譜に見入った。

「う〜ん、そう言われればそんな感じもするなぁ」

 律子は、いつになく真剣な硬い表情をしていた。

 そして、ステージ上のピアニストを凝視して、鋭く吐き捨てるように言った。

「これって、どういうこと?!」

 僕はなんと言っていいのか、解からなかった。辺りをキョロキョロするしかなかった。

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