1-6 「嫌われ者の選択」
幾人かの方がこの小説を評価して下さったようで、ありがとうございます!!
ヒバリが思い、ソレラと見た『世界の残骸』とは。
世界書で書かれていたあの話が本当なのだとしたら、約三〇〇年前までこの世界は今よりも何一〇〇と技術が進歩しており、自分たちでは想像も出来ないほど大きな建物が多く立ち並んでいた。
そしてこれは、その世界が突如現れた怪物によって侵略されてから廃退していったそのままの姿なのだろう。
コンクリートや鉄などで作られた高いものから低いものまで様々な建物は苔を生やしヒビが入り崩れ落ち、ほぼ自然と一体化していた。
しかしそれは見える限り全て、という訳でもなくてある地帯に限られたものであった。
苔や草は不思議と崩壊した建物共を囲むように円となり一つのエリアを形成して、まさに神秘的だった。
それ以外の、あのエリア外の地面は草も木もなく乾いて割れた地面だけが剥き出しになって広がっている。
それでもそのエリアは広大で、自分の目では限界が捉えられないほどありはする。
ということは、つまり、つまりだ。
今自分たちが立っている崖の上から見える限りの、限界などない空間と開放的な空は、世界書で見た面影は感じれないが、あれと全く同義。
もしそれが本当なのだとしたら、あの怪物のことも納得は出来ないけれど理解はできるし、最初にここへ来たとき木の葉の隙間から差した光の正体も理解出来てしまう。
ここは───地上なんだ。
「な⋯⋯んで──」
何故ここが地上だとわかったのか。そんなくだらない質問など一目瞭然で、この光景が全てを物語っている。
自分が勘違いして、思い込んでいただけだ。
ここはジムさんが教えてくれた御前の地区などでは無い。
物心ついてから読み漁って、憧れ続けた本当の世界。
驚いた顔で固まり、目と口が閉じることをしない。
どれがこうで、それがああだと鮮明に理解してしまった頭は、理解はできても納得などできるはずもなくさらなるパニックへと陥る。
あの異様な円は大空洞内のどこかへ飛ばすものじゃなくて地上へ送るためのものだった?
ソレラも空の世界から大空洞へではなく、空の世界から地上へということだったのか。
ならなんで生まれた場所も、住む場所も、血縁の関係はわからないが多分ない、強いて言うなら歳と性別が同じなだけの自分たち二人だけがここへ飛ばされたのだろうか。
混乱すると深く考え込んでしまう悪癖によって数瞬動きを止める。
どうして──と続けて発しようとした声は出ずに終わってしまう。
言いたいことは沢山あった。混乱しすぎたわけでも、深く考えすぎたわけでもない。しかし言葉を続けようとした直後、先程までの追跡者が荒れるように森から飛び出して言葉を遮ってきた。
「また来た! 早く、逃げなきゃ!」
「でも⋯⋯道、が⋯⋯」
先程も言ったように、ヒバリ達が立つそこは崖の縁。
目の前には怪物、後ろには高さ四〇メートルの崖と逃げ道はどこにもない。
まだ縁から少し余裕のある二人だが、その距離もジリジリと詰められていく。
この世界と怪物。
やはり見れば見るほどゴリラっぽい。世界書に描かれていたゴリラは温厚そうで少し間抜けな顔つきをしていたが、こっちは真逆と言える。しかし一度見たあのときよりもさらに醜さが倍増されている気がして、正直対峙するだけでも吐き気が襲ってくるほどだ。
苦渋の表情を浮かべながらもこれが昔から侵略を続けてきた者の正体なのかと噛み締める。
ゴツゴツとした岩肌がブーツの底から伝わり、緊張感が増していく。
「ガウガァアァアア!」
お互い牽制するように睨み合っていたが、それもたった五秒の出来事。
野太い雄叫びを上げた怪物は、その見た目からは考えられない速度でヒバリとの間合いを詰めてきた。
「──!」
考える脳などないと思っていたが、違ったかもしれない。
不意打ちだ。
それに反応しきれずよろめいたヒバリに、ソレラが応戦しようとまた天穹を使うことを試みる。
「ヒバリッ!」
だがしかし遅かった。
両手を突き出し指を重ねた所までは良かったが、それ以上に素早く間合いを詰めてきた怪物は、ヒバリ目掛けて太い腕を持ち上げる。
圧迫した空気に弾き飛ばされたかのようによろめく。
ヒバリは防御の姿勢をとることもままならずに、怪物が腕を振り下ろすまでの一連の流れを視界がスローで捉えていた。
そのときの表情に恐怖はなかった。
死ぬ直前には走馬灯が見えると言うが、こんな一瞬の出来事じゃそれも見せてくれないか。というか見るほどの思いですらなかったかもしれない。
頭の中に死ぬのか、という疑問はもちろんあったけどやはり驚きが上回っていたからか、その驚きを通り越して冷静になっていた。
口を少し開き、目を大きく開けたヒバリはただ一点に怪物を見上げる。
これからあの大きな腕で潰されるかもと言う時に何を考えているのか。死んだような目だけを大きく開いてただ死を待っているかのように。
やはり彼女の表情から感情を読み取ることは不可能だった。
そして、大きな拳が振り下ろされた。
「ガアッ────グァガァアアア!!!!!」
ヒバリの細い体にあの大きな拳が触れる直後だった。
突如、怪物が後頭部の右側を抑え叫びながら自分の左横をスレスレに倒れる。
その一部始終を、間近で見ていたヒバリはもちろん。その後ろで両手を伸ばしていたソレラも目を張って見てしまっていた。
ヒバリがやられる直前に森から飛んできて、怪物の頭部に刺さったものは、鉄と木で作られた簡素な槍だった。
それが物凄い勢いで怪物の頭へヒットし、間一髪のところでヒバリは槍に助けられたのだ。
「ヒバリ⋯⋯!?」
呆気に取られ怪物の死体を凝視する。
飛んできた槍は怪物の頭を貫通してはいないものの、確実に即死だと判断できるほどに突き刺さっていた。
呆気に取られたのはソレラも同じだが、第一にヒバリのことを考えてくれて一度目を閉じると駆け寄り容態を確認する。
傷口も打撲の跡もない。
ヒバリの安全を確認できたソレラは、安心によって強ばった態度が砕け勢いに任せて抱きついて来た。
「どこにも怪我はない⋯⋯──良かった、ほんとに良かったよ~!」
なんの準備もなしに飛びかかってこられてはいくら怪我もなく無事だったとしても、多少の字くらいは出来そうだ。
草の地面に続いて、次は改めて地上の土の感触を尻で体験することになる。
どこか腑に落ちず、ソレラの頭の横で転々と視線を泳がせる。
「大丈夫か⋯⋯⋯⋯お前ら」
声が聞こえてきた。ソレラでもヒバリでもなく、槍が飛ばされた森の方角から。
「──!」
この声に対して一番に、というか過剰に反応を示したのはヒバリだった。
それはいつもずっと聞いていた、親しみ深い声。
そんな渋く深く、どこか安心させるかのようなこの男の声はどこからどう考えても──
ここにいるはずがないとわかっていても、確実に聞き覚えのある声に反応して、期待と驚きを込めた顔で振り向く。
「はあ⋯⋯やっと、見つけることができ──」
記憶の中ではいつも怒号のような、テンションが高いような声音をしていたはずが、落ち着いた声をしていた。
しかしそれを聞き入ることも無く、自分の一声によって遮ってしまう。
「ジム⋯⋯さん⋯⋯?」
外套のフードで目まで見ることができなかったが、反応からして丸くなっているだろう。
のそのそと歩く足を止め、顔を上げた男が言う。
しかしその男の返答はヒバリが望んでいたものではあるが、思いもよらなかったものだった。
「? 何故⋯⋯俺の名前を、知っている」
薄汚い外套のフードから確かに見える輪郭はやはりジムさんそのものであった。
体勢を立て直した二人。ソレラは不思議そうな顔をして、ヒバリは本当にジムなのかとフードの中身を必死に見入ろうとしている。
すると、ジムと名乗る男自ら、邪魔だったフードをすんなりと脱いでしまった。
やはり自分の見込み違いではない。
いつもの荒れくれた性格とは異なって穏やかで物静かな印象だが、彫りの深い顔と顎髭も、鼻と目も⋯⋯。
とそこでいくつかの、記憶の中とは異なった形質を目にしてしまう。
それはいつも一緒にいるからこそわかる些細なことだが、眉根にいつも作っていた皺のことだ。遠目から見ていても、目を合わせていても常に不機嫌そうで無愛想だった表情はもうなく、代わりにあったのは鉄仮面のような凍りついた無の表情だけだった。
更には明らかに異なっている部分を見つけてしまい、自分が誤っていた事を認識してしまう。
髪色が、緑ではなく黒だったのだ。
大空洞に住むものは、血が繋がっていなくても同じ村の出身であれば同じまたは同色の毛色となる。
そしてクルベラの民はみんな緑だ、これだけで別人だと言う事実に繋がってしまう。
他にも見てみれば、目の色や服装など違う箇所はちょくちょくとあった。
少し期待して男に近づこうとしていた体を元の場所へ戻す。
すると、このまま疑問を持ち続けても埒が明かないと思ったジムが誰よりも先に口を開く。
「⋯⋯改めて、だ。俺はここの近くの中規模な集落で長をやっている。ジム・ディア」
目的だけが瞳に写り、その目をまっすぐに向けてくる。
やはり大空洞のジムさんとは別人だった。
土の中に住むジムに姓などないし、性格としても色々暑ぐるしいジムとは違って、冷徹という真反対なものだから。
少しジロジロ見られていることに疑問を覚えてはいるようだが、あえて聞いては来ない。
男の細い眼差しが、二人を一瞥する。
ヒバリは先程までの勘違いしていたことを紛らわすように、普段は人任せな自己紹介を進んで声に出そうとした。
「あ、あの⋯⋯私たち、は──」
「いや、お前らの名前は後だ⋯⋯」
人見知りながらも、勇気を振り絞って名前を伝えようとしたとき、手のひらを前に突き出しそれを静止させた。
それに応え直ぐに口を閉じる。
一度静止させられたヒバリの口からは、もう何も言うことが思いつかないといった様子で黙り込んでしまう。
しかしそれに続くように質問してきたのがソレラだった。
「さっき、やっと見つけたって言ってたけど、どうしてジムさんはここにいやがるのですか?」
「⋯⋯⋯お前らを探すためだ。怪物がよく鳴いてくれたおかげで探すのに手間が省けた」
少し気になる間を開けて返答する。
それに応答したのはヒバリだった。
「探⋯⋯す?」
ジムさんのようで違うこの男に自分たちを探す意味などあるのだろうか?
ジムの言い方では、ヒバリ達がここにいることを最初から知っていたかのようだ。
そう問おうとするも、オウム返しになってしまう。
しかしジムの中で言うことは全て整理され、あらかた出てくるであろう質問の内容は頭に入れているようだ。
先の間は特になく、自分の義務をこなすように感情のこもっていない声を響かせる。
「これからお前達には俺の村へ来てもらう」
ほのかに暖かい風が吹く。それに便乗するように淡い金と純白の髪が揺れた。
そしてまた、ヒバリの瞳も揺れる。
「どうして⋯⋯ですか?」
「⋯⋯ここに来て間もないであろうお前達に、この世界を教えるためだ」
「──!」
ジムの言葉に二人して大袈裟な態度をとる。
この世界について。とジムは確かに言った。
自分たちがここの世界の住人ではないと最初からわかっていたかのように。
「ここの世界について教える、ってソレラたちがここの世界の人じゃないって知っているの? ⋯⋯あ、です」
ヒバリの質問を代弁するかのように質問する。その時にも取ってつけたかのように不自然な話し方を男にしていた。
「ああ⋯⋯。とりあえずその気持ち悪い喋り方をどうにかしろ⋯⋯」
今まで関心のなかった態度に色彩が見え、ソレラの話し方を指摘する。
先程の妙に開けていた間は、ソレラのぎこちない敬語が原因だったのか。
確かにソレラとあったばかりの時に交わした会話も、最初はぎこちない敬語から始まっていた。
ソレラは余程敬語が苦手らしい。あの時の敬語もどこか満たすことの無い気持ち悪さがはみ出ていて、今ではそれが増し、今更だがいやがるのですなんて敬語云々の話ではなくなっていた。
そしてそれを自分ではまともに、大人を装った言葉で使えていると思っているのが厄介なところで、男の言葉に疑問を覚えるように首を傾げた。
しかしそこにはもう触れず、割り込むようにヒバリが付け加える。
「なんで。なぜ私たちのこと⋯⋯?」
ヒバリとソレラはお互いに肩を並べてジムに相対する。
ジムさんと顔も名前も似てるのだから、やはり兄弟で、地上と地下を伝ってずっと状況のやり取りをしていた。とか。
変なことをすぐ思いつくのも悪い癖で、今それが頭の中で展開されている。
しかしどんだけ思考を働かせても答えが出てくることなどある訳もなく、かといってその答えがジムの口から出てくることもなかった。
「それを説明するために、これからお前達には俺の村へ来てもらうんだ。」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
その事に少し躊躇いを覚えてしまう。
ここが大空洞じゃない以上、帰る方法を探すためにもこの世界の情報が欲しいのは山々だ。
しかし地上の人間すら、もしその帰る方法というのをわからないとしたら、一刻も早く探すために体だけを動かした方がいい気もする。
考えるように顔を俯かせると、ソレラが肩に手を置いてきた。
「ダイジョーブだよ! 何が大丈夫なのかあんまわかんないけど、今一番大切なのはここのことをよく知るってことだと思うんだ!」
白髪の少女の翠眼が自分の姿を映し出す。
先程命を救って貰ったこともあり、あの男について行くことに抵抗や警戒の文字は内容だ。
「ソレラ⋯⋯」
こういった前向きな思考でいられる所はこの少女の長所だ。後先考えていないだけかもしれないけど。
彼女の迷いのない笑みにつられ、頑固な頭が柔らかくなったのを感じる。
ソレラの言うことに、間違っているところはない。
「そう⋯⋯だね」
不意に声が漏れる。肯定するように笑みとともに。
これが自分の出した答えなのか。
自分の本当にしたいことが、今ではわからなくなっている。
散々嫌っていたあの世界で、また惨めな生活を送りたいのだろうか。大空洞に本当に帰りたいと思っているのだろうか。
一度上がった顔もまた下がる。
しかし次には意を決したかのように、周りには気づかれない程度で拳を強く握り締め、澄んだ眼差しで男を見る。
「私は⋯⋯好きでここに来たわけじゃ⋯⋯ない、です」
夢見ていた世界も、夢だけで終わらせるべきだったのかもしれない。
まだここが本当に地上と呼ばれる世界かもあやふやなのに、混乱が収まるということもない。
丸々とした瞳に映るジムもまた、何一つ言うことなくヒバリを見つめる。
「帰りを、待ってくれてるジムさん⋯⋯ライナ、リンちゃん達に会いたい。ソレラにも、早く違う世界を⋯⋯見せてあげたい」
散々嫌気がさしていた大空洞にも、良いところはあったのだと受け入れて来れたと言うのに、もう帰れないかもしれないというザマだ。
あの世界に嫌われていたのは自分だったのかもしれない。
けど自分はあの世界が好きだったんだ。
思い切って語るその姿に、ジムだけでなくソレラも食い入る。
しかしジムは、もう答えなどわかっていると言わんばかりの声音で再度口を開く。
「⋯⋯それでお前は、どうしたいんだ」
その一言に一度視線が下を向くが、数秒で元の位置へ戻る。
「私は、あの世界が⋯⋯好きなんだと思う。やりたいことも、会いたい人もいる」
好きなのだ。なんやかんやいって一五年もずっと過ごしてきて、愛着が湧かないわけない。
けど今は、自分の悪い癖を素直に受け入れよう。
「けど今は⋯⋯後先考えず目の前だけを見て、進みたい⋯⋯です」
色々考えて振り絞った答えがこれだ。人間は欲で満ちていると世界書にも書いてあったが、自分はもっと酷いかもしれない。
今では生きてさえいれば、いつかは大空洞に帰れる。そのときになったらソレラとの約束を果たそう、などと楽観的に考えているのだから。
しかしそれが機を得て、ヒバリの首を縦に振らせることとなった。
少し眉を動かすと、無性に目を合わせられなくなり逸らす。
「そうか⋯⋯話がまとまったのなら、そろそろ行くぞ」
低い声が耳に響き、顔を向ける。
何も問うては来ない、いきなり違う世界のことを話て通じたとは思えないし相手も疑問だらけなのだろうが、心遣いのつもりなのか。
その一言だけを置くと、先に歩こうと体を半回転させていた。
「ヒバリ。気持ち、固まったんだね!」
「うん。ソレラに会えて、良かった」
今日は混乱しっぱなしの自分に一押しを加えてくれていたのは、いつもソレラだった。
だからいつも以上に感情を込めて、微笑みかける。
「⋯⋯! ソレラもだよ〜!」
嬉しさのあまりか、ヒバリの両手を握ると上下にブンブンと振り回す。
「⋯⋯置いていくぞ」
そんな明るさを取り戻した雰囲気の中に、一人だけ覇気のない声が届く。
「あ、はい⋯⋯!」
「はーい!」
息があったように互いの性格が入り交じった返事をする。
「行こっヒバリ!」
もう元来た森の中へ歩き始めているジムに、置いてかれないようにと次はソレラが元気よく腕を引っ張って前へと出る。