1-1 「地底人」
「ヒバリィィーーー!!」
探鉱道と呼ばれる鉱石を採掘するための道を突き進み、その中間地点に存在するドーム型の小さな洞穴『休憩場所』。
その小さな洞穴から八方向に延びている探鉱道には今、一人の男の低い声が五月蝿いくらいに響き渡っている。
ヒバリと叫ぶ深緑色の髪をした男の名は、ジム。三〇を超えるその男は長身でも色男という訳でもないが、男前で筋肉に包まれた身体は人一倍際立っている。 そのジムは現在未だに渋い声を張り上げ、ヒバリと叫び続けていた。
普段の生活では見せない姿に、後ろで一緒にヒバリを探していた同じ班員のライナは肩を落としてため息を吐く。
「何もそんな必死になって叫ぶ必要はないんじゃないですか、リーダー?」
ジムと同じ髪色をした美少年。ライナはヒバリの幼なじみにして、唯一の男友達。そんなライナは必死に叫び続けている本来第一班のリーダーであるジムを落ち着かせるため、冷や汗を流しながらも冷静に話しかける。
「あぁ!?」
眉間に皺を寄せ、細めた鋭い眼光をライナへ向ける。
しかしライナはジムのその反応にはもう慣れたと言わんばかりに、身動ぎ一つせず呆れたような笑で受け答えた。
「ヒバリが作業から抜け出すなんていつものことなんですから、その度に目を充血させながら叫んでいたらキリがないですよ」
両手を肩まで持っていくと、首を振る。
ジムは一瞬躊躇う。
ライナはジムが見せた少しの隙に漬け込み、話を続けようとした。
「だから少しは落ち着いて───」
「うるせぇな!俺たちがこうしてベラベラ話してる間にも、あのバカが何しでかしてるかわかったもんじゃねぇ!いちいちベチャクチャと話してる暇があんだったら、とっととあのバカを探して村に帰るぞ!!」
がしかし、今のジムには何を言ってもやはり無駄だったらしい。先の会話も聞いているように見えて、頭の中はあのバカ、ヒバリのことで一杯で聞き届いてはいないのだろう。
ライナは少し呆気に取られ沈黙する。気づいた頃にはジムは既にヒバリの捜索を再開していた。
小さく肩を落とすとため息をつく、ライナはやれやれと左右に首を振ると、諦めるように笑みを作り直しヒバリの捜索に戻ろうと後ろに向き直る。
するとその後ろで、ライナより一層呆気に取られ硬直する少女が居た。
それはジムやライナと同じ髪色、つまり深緑色の長い髪をして、それを一つに纏めた活発そうな少女、第一班の新参者であるリンだった。
「あの⋯⋯いつも思っているのですが、なんでリーダーはあんなに怒っているのでしょうか⋯⋯?」
恐る恐るライナに近づいてきたリンは顔を近づけ囁く。
しかしライナはそれを聞いてか否か不意に軽く吹き出した。
「ぷっ、あはははは」
悪気は無く整った顔を崩しライナは眩しく笑うと、目尻から出てきた涙を拭う。
反対にリンはライナが笑った意図をつかめず、困惑を隠しきれない状態だ。
「ごめん、つい面白くて。あれは怒っているわけじゃないんだよ、ジムさんは"親バカ"なのさ」
目尻を擦りながら言い放つ。
リンはその言葉を聞いた途端ハッと目を見開き、どこか腑に落ちた。そして無意識に向こうでヒバリを探し続けているジムの方に目を向ける。
「さ、ヒバリを探そうか」
愉快そうな顔でリンに話しかけるとそのまま横を通り過ぎて行く。
それに続きリンも後を追おうと笑顔を向け小走りでライナの元へと向かった。
「あ、はい!」
※※※※※※※※※※
夢を見た。
本を読んでいるあの時に寝落ちした、ほんの数分で。
そこは土で覆われた世界では無く、黄緑色の草が絨毯のように果てしなく続く場所。そんな気持ちよさそうな場所で私は、大きく体を伸ばし寝転んでいる。仰向けの状態の視線の先には見たことも無い光景、青白い光で輝く"空"がどこまでも広がっていた。
土の天井でも岩でもない、眩しく光る青い天井。
しっかりとした色で輝きを放つ天井は透き通っているようで手が届きそうだった。
しかし無意識に手を伸ばし掴もうと試みるも、やはり掴めない。
視界一杯に広がる青い天井に限界はなく、どこまでも広くどこまでも深い。
今まで見たことも無い光景に意識全部が集中するのを感じる。
見たことも無いはずなのにハッキリとしているこの光景に謎が深まる。
そしてある言葉が過ぎる───『空』。
この光景を自分は知らない。この光景を自分は見たことが無い。───なのに、知っている。
自分が発した言葉から生まれた謎が、急速に加速して行く。深く考えようとすればするほど混乱し困惑する。
そしてどんどん謎が深まっていく中────私は目を覚ました。
長く続く探鉱道を、ジムさん達が通ったであろうルートに沿って歩く。
土壁に埋まってある鉱石から放たれる黄色い光と手に持つランタンによって、普通は暗いであろう土の中はすでに視界が行き届く。
ここの探鉱道の近くでは水が通っているのだろうか、雫が土にぶつかる音も僅かではあるが聞こえてくる。
特に意味もなく前を先に歩くナツに目を向け、また前を見直す。
(ジムさん達と離れてから多分二〇分、あまり奥までは進んでないと思うけど⋯⋯)
ジムさん達が居るとすればそれは第一休憩場所。そこに辿り着くのには自分の歩幅だとまだ少しかかると思う。
少々落ち着かない頭をうまい具合に水が音を奏、空っぽにしてくれる。
夢───あれは一体なんだったんだろう。
残念なことに内容について覚えているのは『空』と言う無限に広がる天井のことだけ。そこで思い浮かんだ疑問も解答も、今では全く覚えていない。
空、確かにそんな単語があったかもしれない。
空について記憶の端にある先程まで読んでいた分厚い本、世界書の内容を簡潔に思い出す。
昔、世界は滅亡した。
人間達の身勝手な行いによって地球と呼ばれる惑星の均衡が乱され、生態系が崩れ、突然変異を起こした怪物達の細菌によって海や川などの水辺は全て汚染され毒沼状態。
木々や植物もほぼすべて枯れ果て今では荒野と化している。
そして人類の人口の八割は、怪物の殺戮やウイルスによって蝕まれ姿を消していった。
それに人間は皆絶望し、理性を持った者の性である残り少ない食料を巡る争いも土地を巡った争いをする気力すら無くなってしまい、ただ自分の死を待つのみ───。
そしてそんな人間共を哀れに思った二人の女神が現れたのだ。名をフェヌアとヒンル。地と空を司る双子の女神。
幼い見た目をした女神二人は慈悲を持ってして、地上へ降り立つと人間に言葉を掛けた。
『一度見た絶望を改め、人間達の身勝手な過ちでこの世界を犯してはならない』と。
そして神秘的で耳を包み込むような声で言葉を発し終えた女神達は互いの手を握り合うと、地を司るフェヌアは怪物の細菌が届かない地底奥深くに大穴を幾つも作り、空を司るヒンルは感染の届いていない地を使って空高くに二〇キロメートルにも及ぶ広大な空飛ぶ大地を作り上げた。
人間達はそのあまりのことに唖然し、絶句した。一度は見放された神によって自分達は助けられると言う事実に。それと共に喜びも覚えた。ただ死を待つのみだった人類に希望が出来たことに。
神は人間を平等に分け、地底と浮遊島二つの世界へ連れて行くと『限りある資源を有効に使い、生き方を工夫しなさい。これが私たち神にできる最大限です』と終わりにもう一度告げ、人間に新たな世界を与えたのだった──。
この世界書で出てきた原初の世界『地上』という場所に空もあったのだ。
そして女神が造った二つの世界の内の一つ、地底深くに造られた世界がここ、『大空洞』だ。
私たち大空洞で暮らす人間を地底人と、そして三〇〇年前にこの世界が与えられたその日から、ここの歴史は地中歴となった。
そう、世界書には記されていた。だけど本当に地上と呼ばれるものがあって、空があるのか自分には分からない。見たことがないのだから。
大空洞の村は全部で一四、その一つ一つの村に必ず置いてあるフェヌアの神器と呼ばれるものが今持つ世界書。この世の全てを記された絶対の本。
私たち地底人は皆そこから文化の知識を得て、暮らしの方法を学んだ。
だからそこに記されているものは信じるしかない、しかしそれが幾ら世界書であったとしても自分の目で見ないことには、やはり信じることが出来ない。いや、信じたくないだけなのかもしれない。
少し凸凹した道を慣れた足取りで進む。 いくつもの別れ道を素通りして真っ直ぐ来たが、まだ休憩場所までは長いだろう。
「やっぱり⋯⋯嫌いだ」
息が少し荒くなり、悪態を吐く。
嫌い。別に大空洞が、ナツが、班の皆が嫌いなわけじゃない。
私たち地底人の子供、正確には六歳から一四歳までの成人を迎えていない地底人には、朝の九時から六時間の労働が義務付けられている。 その労働とは、大空洞にある特殊な鉱石を掘ること。それを大人一人をリーダーにした四人班で行う、というものだ。
そのために探鉱服と呼ばれる、亜麻色の単純な作業服を身にまとっていたのだ。
だけど私は、この作業が嫌いだ。
面倒くさいからとか疲れるからとかじゃない。だけど、嫌い。やっぱこれはただの村の人たちに対する当て付けなのかもしれない。自分が他の人達と違うからと、忌み嫌い、醜く扱ってきた奴らのために、自分が働かなくてはいけないということに。
自分が住む村は第二村『クルベラ』。私の生まれはここじゃない。村の入口付近に捨てられていた所をジムさんが拾ってくれて、親代わりに育ててくれたのだ。
最初の頃はジムさんも私の親を見つけようと、一四の村全てを回ったらしい。けど結果両親は見つからなかった、と言うか大空洞には存在しないとすら思ったらしい。 なぜなら、大空洞の村はおかしくも、血の繋がりのない村人同士でさえ、同じ村で生まれてさえいれば毛色が似る、もしくは同色であるからだ。しかしヒバリの髪色は、三〇年以上生きているジムさんですら見たことのない色──淡い金だったから。
どの村を回ってもそんな美しい髪色をした者などいない。だから村人は、捨て子であり、異様な忌み子を毛嫌い、醜く扱ったのだ。
そして一五年経った今でもそれは変わらない。と、嫌な事を思い出してしまったヒバリは顔を顰める。
もう慣れたつもりだったのだけれど、やはり無理があったらしい。
気分とともに頭が下に下がる。
茶色く少し湿った地面を見ながら進んで行く。するとその先、少し顔を上げた所に赤色の鉱石がある事に気づいた。
「? 点火、石⋯⋯?」
そこには点火石と呼ばれる手のひら位の大きな鉱石があった。
点火石とはガスが通るはずのない大空洞にとって重要な鉱石であり、ありふれた鉱石。衝撃によって炎を生み出す石だ。衝撃の強さによって温度が変わり、それを長く維持することが出来る。強すぎると爆発を起こすそれは最高温度三〇〇〇度。
普段は極小の欠片を何一〇粒にも集め料理や暖房に率いられる為、加工をしていない元石で採れたてなのことが分かる。
「ジムさん達が落として行ったのかな⋯⋯?」
「ヒバリィィーー!!!」
バックパックを置き点火石に近づいて取ろうとしたその時、聞き覚えのある声が自分の体の動きを止める。
「⋯⋯⋯ジムさん?」
その他にも自分の名前を叫ぶ声が二つほど聞こえてくるのが分かった。
班の皆はやはり休憩場所にいるらしい。 ナツがその声に反応し、こっちを見ると舌を出して元気良く呼吸をし嬉しそうに尻尾を降っていた。
点火石を、茶色い手袋をはめている手で取るとバックパックに仕舞う。
「休憩場所もすぐ近くみたい。行こ、ナツ!」
無意識に声を張り上げ、表情が柔らかくなっているのが分かる。
リュックを背負った瞬間、何故かいつもより軽くなった足取りでナツを追い抜き元気よく走り出した。
「バウッ!!」
ナツも低い声で鳴くと、ヒバリの後を追う。