必ずこの危機を乗り切ってやるわ
「クソッ! 何が人魔共存だ!」
スウェアの町の領主トゥカーン男爵が毒づき、空になった酒杯を足元に叩きつけたのも、彼の置かれた経済状況からすれば無理もないことだろう。
太陽神の教団の教皇が代替りしたのを契機に、闇の陣営への方針が非戦・融和から敵対・殲滅へと変更し、それに光の陣営の多くが倣い、光と闇の陣営の戦いは始まり、トゥカーン男爵もその中に身を投じていた。
トゥカーン男爵は四十代半ばすぎ、小兵ながら肩幅の広くがっしりとした、武人らしい容貌をした人物である。
武人としても領主としてもそれなりのトゥカーン男爵だが、能力はいくらかあるものの運はなかった。
あるいは、時勢を見る目がなかったと言うべきか。
トゥカーン男爵は兵を率い、亜人種との戦いで手柄を挙げると共に、戦で生じた流民を募り、領地の開拓に従事させた。
ちなみにサリアは、この時の募集に応じた流民の一人である。
この光と闇の戦いの最中、一人の半魔族が聖女に導かれ、王女と結ばれて自らの国を興し、英雄、あるいは魔王と呼ばれる存在が、人と魔族の共存を旗印に周辺諸国を従え、大帝国を築いたので、トゥカーン男爵の武功はフイとなった。
その大帝国は隣国ではあるが、戦争になることはなかった。戦っても勝てない大帝国の意向に従い、人魔共存の理想に賛同し、攻められぬように努めたからだが、その結果、制圧した亜人種の土地から引き上げねばならなくなったからである。
人魔共存の余波でトゥカーン男爵は見込んでいた戦果を得られなかったどころか、戦費が借金とした残った。
さらに追い打ちとして、人魔共存の世に適合できなかったゴブリンの一部が領地に流れ込み、ようやく軌道に乗り始めた開拓村が全滅したため、開拓に費やした資金もまったくの無駄となり、これもトゥカーン男爵の借金となった。
言うまでもなく、借金は利息を生む。今日明日に財政が破綻することはないが、利息で借金が膨らんでいけばいずれそうなる。
トゥカーン男爵は余計な出費が出ぬように努め、支出を減らしているが、根本的に返済できねば財政破綻が少し先になる程度の努力でしかない。
このような頭の痛い時に、ハルバ伯爵がスウェアの町に来訪するのだ。出費をいとうトゥカーン男爵だが、費用をかけてスウェアの町をキレイにする必要がある。
だが、金をかけたところで、壊滅した村々をどうこうできるものではない。どのみち、ハルバ伯爵の不興を買い、その評価が下がることは避けようがない。
限られた者しか知らぬ話だが、トゥカーン男爵の娘とハルバ伯爵の息子との縁談があったのだ。ハルバ伯爵が側室と設けた息子だが、伯爵家に食い込むチャンスであったのは違いなく、来訪したハルバ伯爵の間で、この縁談を一気に婚約にまで秘かに持っていこうと考えていたトゥカーン男爵だったが、領地のこの有り様では破談となるのは間違いないだろう。
無論、領地の現状を思えば、縁談の成否よりも先に、財政破綻をいかに回避するかが最優先事項だ。最低でも、ハルバ伯爵が来訪するまでに、財政をいかに好転するかの経営計画をまとめておかねば、最悪、ハルバ伯爵から見限られ、トゥカーン男爵は貴族社会の中で孤立してしまいかねない。
他の貴族との交流が断たれれば、貴族として終わったも同然。後は没落するのみだ。
「わしはこんなところで終わらんぞ! 必ずこの危機を乗り切ってやるわ」
苦悩を奮い起こした気概で抑え込み、足元に転がる酒杯を拾い上げ、そこにワインを注いで一気にあおる。
だが、苦悩が深かった分、その反動でだいぶ気分が昂ったか、酒だけではおさまりがつかず、
「誰かおらぬかっ」
娼館から女を手配をさせるべく、声を張り上げて使用人を呼ぶ。
そして、ほどなく慌ただしい足音と共に、私室のドアが激しく叩かれ、
「入れ」
足音とノックの大きさに顔をしかめるトゥカーン男爵が入室を許可すると、勢いよく開かれたドアから入ってきた使用人ではなく、配下の騎士の一人であった。
「夜分に失礼します、閣下。今、報告を受けたばかりなのですが、食糧が異様に値上がりを見せているそうです。短期間に数倍の値になっている物もあるそうです」




