とにかく、動くな
「……くそっ、何でコボルトの一匹も生きていないんだ」
血の気の良くない顔に怯えの色を浮かべるサリアに剣を突きつけるグライスが、そう悪態をつくのも無理はないだろう。
荷馬車にあった荷物で洞穴に簡素な寝所を作り、そこでユリィはサリアを休ませていた。逆に言えば簡素とはいえ、寝所を作って休まさねばならないほどのケガを、サリアは負っていたと言える。
コボルトやゴブリンらに追われながらであったため、ゆっくりと療養できなかったのもあり、まだ充分に回復していないサリアには、グライスに剣を向けられると、両手を上げて後は運を天に任せるより他なかった。
体調が回復していても戦う術のないサリアは、アンデッド化したグライスに勝つ手立てはない。しかし、体調が万全なら、戦うことはできなくとも抗うことはでき、そうして少しでも時間が稼げていれば、その間にユリィが駆けつけ、横槍を入れられただろう。
そうなっていれば、ユリィならばアンデッド化したグライスを仕留めることができただろうが、サリアに剣を突きつけられ、短槍を捨てて両手を上げざるえない状況となった今、だが、これで勝敗が決したわけではない。
グライスはサリアを人質にし、ユリィに武器を捨てさせ、グライスが手にしたのは勝利ではなく、膠着状態だからだ。
ユリィはたしかにグライスの言葉におとなしく従っているが、それはサリアを人質にしているからでしかない。人質に突きつけている剣の向きを少し変えれば、実力で勝る側がどのような行動を取るか、考えるまでもない。
例えばユリィを無力化するため、グライスが縛り上げようと縄でも手にしようものなら、当たり前ながらサリアに向けていた剣を収めねばならず、人質の心配がなくなった水精族の少女は即座に反撃に転じるだろう。
勝てないのがわかっているからこその人質だが、人質を活かして現状の優位を確定するには、ユリィを縛り上げる者、最低でも一人は仲間か手下が必要だ。
人質を盾に、ユリィに自身を縛らせるのは論外だ。狩人の彼女なら素人目にはわからぬよう、ゆるく自分を縛っていつでも拘束を解けるようにする危険性がある。
「とにかく、動くな。じっとしていろ」
手詰まりになった感のあるグライスだが、自らの手を使わずともユリィを無力化、弱体化する方法はある。
この膠着状態が何時間も続けば、疲労、空腹、眠気でユリィはいずれ満足に動けなくなる。一方、アンデッドのグライスは疲労することはなく、食事や睡眠を取る必要はない。
そのグライスの心算に気づかぬユリィではないが、今はおとなしくリビング・デッドと睨み合った。
無論、グライスの思惑のとおりに無為な時を過ごせばおしまいだが、焦って何の成算もなく行動すれば、サリアが死ぬことになる。
自分が弱り果てるまで時間はある。それまでにグライスが何らかの隙を見せれば、現状を一挙にくつがえせる。
何より、最悪でも時の経過はユリィを一方的に不利とするものではないのだから。