女は殺さず、後で楽しむがいい
ハルバ伯爵の砂上の栄光とハルバ市の破滅するしかない未来を冷徹に見ていたウィルたちは、ハルバ市の誰よりも迅速に行動できたが、それが思いもよらぬ奇禍を招いた。
ハルバ伯爵の連戦連勝に浮かれに浮かれ、その栄光を過信し、その明るい未来を信じて疑わなかった、ハルバ市に残留していた家臣一同と市民は、オーガーらの来襲に狼狽するばかりで、誰も逃げ支度をしていなかった。
その状態で必死の防戦が破られ、オーガーらが迫ると、誰もが逃げ支度から始めねばならぬか、着のみ着のまま逃げるしかなくなった。
そんな中、着のみ着のまま逃げ惑う者らより早く、ウィル、セラ、ユリィ、リタ、サリア、ベルリナは、荷物と財貨を乗せた荷馬車と共に、ハルバ市から脱出するにはしたが、それが仇となってしまう。
今回のハルバ市を攻めるのは、魔族に指揮されたオーガーたちなのだ。単純に攻めるばかりではなく、その一部がハルバ市の北に伏せていたのだ。
逃げるウィルたちは皆、夜目が効かず、ウィルは槍先に光を灯している。闇夜の中の灯火ほど目立つものはなく、さらに鼻の効くコボルトも動員する周到さを見せたガンドだったが、
「何だ? ハルバの身内ではないのか?」
真っ先に逃げるのはハルバ伯爵の身内と予想していたためか、真っ先に逃げ出した小集団を追跡し、追いついた途端、驚くと共に強い落胆の色を見せる。
「まあ、いい。手早く片づけ、ハルバの身内を捕らえるぞ。女は殺さず、後で楽しむがいい」
「ブヒヒン」
ガンドが直に率いるのは、オーガー二体、オーク十四匹、コボルト二匹という構成の中、魔族の指示と言葉に真っ先に動き、興奮したように吠えたのは、オークたちであった。
オークは人より少し小柄だが、腹の突き出た豚面の亜人で、ゴブリンよりは強く、知能も優れる。
残忍さはゴブリンと変わらぬが、好色さはゴブリンに勝り、女と見れば見境なく襲い、犯す。
五人も若く美しいメスがいるのだ。ガンドの指示が下るや、堰を切ったように飛び出し、
「取るに足らぬ偽りよ! 数多の刃を成せ!」
ユリィが生み出し、放った数十本の偽りの魔剣が、迫り来るオーク全てに何本も突き刺さり、これを倒しただけではない。
何本かはオークたちの背後にいたガンド、オーガー、コボルトに当たっている。
が、距離があり、ガンドやオーガーらは硬いヒフのため、ユリィの投剣はコボルト一匹を仕留めただけで、後は傷を負わせたに留まる。
オークの死体の中を駆け抜け、ウィルは負傷したオーガーの一匹に接敵すると、その喉を手にする光る槍で突き刺す。
そして、槍を素早く引き抜いて跳び退いたウィルが直前までいた空間を、喉を刺し貫かれたオーガーの棍棒が薙ぐ。
喉や心臓を貫かれても、生命力の高いオーガーは、しばらくは何事もなかったように動くことができる。ただ、そのしばらくが経てば、その巨体に負った致命傷はオーガーとて死に至る。
しかし、それはその『しばらく』が経つまで、ウィルは死に体のオーガーの相手をせねばならないことも意味するのだ。
「……女どもを殺せ!」
ユリィの放った偽剣に左肩、左脇腹、左太股に浅くない切り傷を受けているガンドは、喉を貫かれていないオーガーにそう命じつつ、腰の魔剣を抜き放ち、
「者ども! ここに集結せよ!」
逃げる人間を殺すために伏せておいたオーガーやゴブリンらを呼び集めると、先行するオーガーに続く。
もちろん、せっかく分散して配置したオーガーらを一ヵ所に集めれば、これからハルバ市より逃げる人間を多く殺し損ねることになるが、ガンドとしてはそれよりも重要なのは、目の前のウィルらに対抗、対処することだ。
ユリィのスキルが単発であるのを知らないガンドからすれば、集められるだけの戦力を参集させるのは当然のことだろう。
「ハッ!」
「風よ! 刃と成りて敵を斬り裂け! ウィンド・エッジ!」
ユリィの放った矢がオーガーの左目に突き刺さり、リタの放った風の刃が、オーガーの腹部を裂くが、左目を失ったオーガーは
激痛に吠え、飛び出る臓物を垂らしながらも、その歩みを止めることはなかった。
これでどちらのオーガーも致命傷を負ったが、ガンドからすれば悪くない展開だ。オーガーらが時間稼ぎと盾代わりの役割を果たせば、ガンドはユリィらに斬り込め、かつ周囲に配した手勢が集まるだけの時を得られるからだ。
ただし、サリアとベルリナがランタンに火を入れねば。
場が月とランタンが発する明かりに照らされた直後、オーガーの悲鳴が響き、ガンドの背後よりウィルが迫る。
穂先に雷を宿した槍を手にするウィルが。