……ゲート……いきなり、いくか
天使の羽という御業がある。
その名のとおり、光で天使の翼を擬似的に作る、これまた高度な御業だ。
この御業を用いた御使いは、天使のように空を飛ぶのが可能となる。しかも、擬似的に作った翼は光輝いているので、夜間飛行にも適している。
その光の翼を生やす、首から太陽神の聖印を下げる少女は降下を始め、ウィルたちとエンシェント・ドラゴンの間に降り立つ。
年の頃は十歳くらいであろうか。
赤みがかった長い金髪に大きな桜色のリボンをつけた、ヒスイ色の瞳の愛らしい容姿を目にし、
「メイリィか……」
ウィルは妹の一人の名をつぶやく。
一方、兄の一人へのあいさつすら後回しにして、着地と同時に光の翼、御業の効果を消したメイリィは、エンシェント・ドラゴンを前にその小さく未成熟な体が小刻みに震え出す。
「……ゲート……いきなり、いくか」
メイリィの用いるスキルに軽く目を見開いて驚くが、ウィルはすぐに得心した。
メイリィのスキルは諸刃の刃。死の門を潜りかねず、最低でも全身の筋肉繊維がズタズタになるリスクを有している。
普通ならばウィルも制止しただろうが、エンシェント・ドラゴンと対峙している現状は、普通とは程遠い。
まだ十歳のメイリィはウィル、ユリィ、リタ、そしてサイコ・ゴブリンよりは強いが、エンシェント・ドラゴンにマトモに戦えるほどではない。メイリィ、ウィル、ユリィ、リタと力を合わせても、エンシェント・ドラゴンに敵うものではなかった。
だが、実力的に劣ることと勝ち目がないことは同義ではない。エンシェント・ドラゴンはウィルらを「矮小な存在」と侮っている。その油断を突けば、勝ち目がないわけではない。いや、そこをうまく突けねば、わずかなりとも勝算が生まれないのだ。
幸いなことに、目の前に降り立った矮小な存在が高度な御業を用いたにも関わらず、エンシェント・ドラゴンは右の前肢を軽く振るい、その爪で切り裂こうとする、お粗末な対応をしてくれる。
もちろん、軽い一振りであっても、並の冒険者ではかわすのも困難な速度と勢いのある一撃を前に、メイリィの震えは止まり、その姿がかき消える。
「……えっ? 三人……?」
エンシェント・ドラゴンの爪をかわしたメイリィの姿が三つに見えたのは、つぶやくセラのみならず、サリアもベルリナも同様であった。
しかし、ウィルの視線はエンシェント・ドラゴンの頭頂に立つ、四つ目のメイリィの姿を捉えていた。
エンシェント・ドラゴンの頭の上に立ったメイリィは、右の拳を振り下ろして、殴るというより、軽く当てる。
十歳の女の子の拳を受けたエンシェント・ドラゴンの鱗には、当たり前ながら小さな傷ひとつできない。なれど、エンシェント・ドラゴンの巨躯は信じ難いことに、横倒しとなっていく。
家屋を何軒か潰して倒れ込んだエンシェント・ドラゴンに、
「……や、槍先に宿れ……は、破軍の力よ…゛」
トドメを刺さんと槍を投じるが、本調子でないのでその動きは明らかに鈍い。
そのため、ウィルが槍を投げ放った時には、エンシェント・ドラゴンの意識を回復してしまい、たかだか一本の槍に宿った異常な力を感じと、その長い首を反射的に動かす。
鱗のない部分の急所を狙った槍は、エンシェント・ドラゴンの頭部に生える角の一本に当たり、その先端を砕いて折ったのみとなってしまう。
「矮小なる存在が我が角を、誇りを傷つけるかっ!」
軽い脳震盪を起こしているエンシェント・ドラゴンは、少しふらつきながら倒れた巨躯を起こすや、怒りの咆哮を轟かせるが、それは冷静さを欠いた悪手であった。
「……た、太陽神よ! その全てを癒したまえ!」
エンシェント・ドラゴンが倒れた際、その頭部から転げ落ちたメイリィは、スキルの反動、人体の稼働限界を超えた動きの代償に、全身の筋肉繊維がズタズタになり、何ヵ所か靭帯が断裂し、特にその右腕は紫色に変色していた。
身動きができないどころか、命も危うい状態であったが、全快の御業を用いたメイリィは、その身の全てが癒され、何事もなかったようにその場で立ち上がる。
怒りの咆哮を上げたり、身を起こすより先に、満身創痍のメイリィを片づけるべきだったが、後悔してももう遅い。
「……おのれっ! 矮小の存在なぞに!」
再びメイリィの身が小刻みに震え出すと、エンシェント・ドラゴンは背中の羽を羽ばたかせる。
先程の業を再び食らえば、先程より深く意識が落ちかねない。そもそも、まだ先程の業の影響がまだ残ってもいる。
エンシェント・ドラゴンは激しい怒りを抑え、この場より飛び去り、一時撤退を選ぶ。
そして、エンシェント・ドラゴンが夜闇の中に消えていき、完全にその巨躯が見えなくなると、メイリィは全身の震えを止め、その場にバタッと倒れた。