……くそっ! 矢を放て!
「風よ! 飛び来る危難を払いのけよ! エア・プロテクション!」
精霊魔法の風の守りを自分と弓矢を構えるユリィに施すリタ。
二人がいるのは、拠点としているスウェアの町ではなく、そこから少し離れた所にある、すでに半壊状態へと至っているカサードの町。外壁の何ヵ所かが崩れている上、多数の壊された建物の中に領主の館まで含まれ、瓦礫の小山が連なるそこには、ユリィとリタのみならず、ハルバ伯爵が周辺より集めた約三百の兵が、共に夜空に浮かぶサイコ・ゴブリンを見上げていた。
ユリィのスキルで傷を負ったサイコ・ゴブリンは、スウェアの町を避けて近隣の村々をいくつか潰滅させ、さらにこのカサードの町を半壊状態にまでしていた。
スウェアの町に来訪する途上、サイコ・ゴブリンの発生とその被害を知ったハルバ伯爵は、周辺の領主らに声をかけて三百ほどの兵を集め、ゴブリン退治の陣頭指揮を採っている。
独自にサイコ・ゴブリンの対処に動いていたユリィとリタからすれば、こうして手勢の一部に加わらねばならないだけでも迷惑な話なのに、さらに厄介なのはユリィの素顔を見たハルバ伯爵が興味を抱いた点だろう。
今のところはハルバ伯爵も集めた兵の指揮に忙しく、ユリィが寝所に呼ばれることはなかったが、それも時間の問題、サイコ・ゴブリンが退治されずとも、一段落でもつけば、ハルバ伯爵は水精族の娘を味わおうとするはずだ。ゆえに半ば以上、本気で、ユリィは流れ矢に見せかけ、ハルバ伯爵の心臓か股間を矢で射てやろうかと思っている。
もっとも、ユリィが優先して考えているのは、サイコ・ゴブリンやハルバ伯爵に矢を当てることではなく、いかに今夜を生き延びるか、だ。
サイコ・ゴブリンの強さは身に染みてわかっているし、ハルバ伯爵のために命がけで戦う気もない。彼女としては戦いの最中に行方をくらまし、サイコ・ゴブリンの見えざる手からも、ハルバ伯爵の魔手からも、リタと共に逃れる所存だ。
ユリィがリタと共に姿をくらます機をうかがっていることを知らぬハルバ伯爵は、夜空に浮かぶサイコ・ゴブリンを見上げながら、攻撃命令、一斉射を放つタイミングを計っていた。
皮肉にも、家屋に多くの被害が出ているゆえ、カサードの町は矢戦を仕掛けるのに際して障害物は少なくなっている。ハルバ伯爵も指揮官として無能ではなく、サイコ・ゴブリンの来襲の報を受けるや、半ば廃虚と化している町の中で兵らに迎撃の構えを整えさせた。
ハルバ伯爵としては浮遊するサイコ・ゴブリンを充分に引きつけてから攻撃命令を下し、矢の雨で一気にカタを着けるつもりであったが、さすがにそれは甘すぎる考えと目算というもの。
「これだけかがり火を焚いているのだ。向こうがこちらに気づかぬわけがない」
ユリィがつぶやくとおり、瓦礫だらけの町中で兵が動くために仕方ないとはいえ、ハルバ伯爵は多くのかがり火も準備したが、そのためにサイコ・ゴブリンは宙空で停止してしまう。
充分に引きつけてから一斉射を命じようとしていたハルバ伯爵は、舌打ちしつつも攻撃命令を下そうとしたが、それよりも早く宙に大きな瓦礫が二つ浮いて砕ける。
「……なっ!」
ハルバ伯爵が愕然となるほどの光景、惨禍が、この場で展開する。
見えざる手で握り砕かれた瓦礫が多数の破片と化すと、それをウィルたちとの戦いの時と同じく、兵たちに投げ放ったのだ。
破片は防具を突き破り、兵たちの身に深く食い込み、彼らを打ち倒す。
「……くそっ! 矢を放て! とにかく、攻撃せよ! 動くのだ!」
タイミングや機会などと言っていたら、一方的に打ち倒されるだけだ。
ハルバ伯爵は慌てて命令を出すが、その前に兵らは混乱しつつも矢を放ち、または前進する。
だが、宙に浮かぶサイコ・ゴブリンに剣や槍、魔法でさえ届かない。矢もまとまってならともかく、バラバラに放たれるそれらは見えざる手足に防がれ、叩き落とされる。
一方で、サイコ・ゴブリンの投げ放つ瓦礫、多数の破片は、兵たちを次々と打ち倒していく。
兵士たちの悲鳴と怒号が飛び交う中、ユリィが弓矢を構えたまま射る機会を計っていられるのは、リタの風の守りのおかげだ。
瓦礫を大きいまま投げられたら、風の守りでは防げないが、ユリィやリタの身のこなしなら充分にかわせる。散弾のごとく多くの破片として放たれたら、機敏なユリィとてかわしきれないが、リタの風の守りがどれだけの数があろうとそらしてくれる。
先の戦いの経験から、サイコ・ゴブリンの『投石』に対処できているユリィとリタだが、先の戦いのように標的が降下してくれないと、矢を放ってもスキルを使っても、見えざる手足に叩き落とされるだけだ。
仲間が危うい状態にあれば、一か八かで矢を射たかも知れないが、兵士らがどれだけ倒れようと、ユリィに危険をおかすつもりはない。
とはいえ、このまま矢を放たずにいれば、戦わなかったと責められることもあり得るので、サイコ・ゴブリンの注意を引かぬよう、明後日の方向に二、三本、矢を放っている間に、数十、あるいは百以上の味方が破片で打ち倒されると、兵士たちの士気は崩壊して我先にと逃げ出す。
「くっ……退却だ!」
ハルバ伯爵も敗走を留めるのは無理と判断し、兵の逃走を追認しつつ自らも退いて行く。
逃げるハルバ伯爵や兵らを追い、サイコ・ゴブリンが降下すれば、そこに数多の偽剣を放つつもりだったが、一定の高度から下がることはなかったので、ユリィやリタもこの場から去って行った。
ハルバ伯爵や兵らとは別の方向に。