最悪、奥の手も使うつもりだ
「冗談ではなく、今、この町はかなり危うい状態にありましてね。昨夜、たった一晩、ゴブリンと戦っただけで、ご領主であるトゥカーン男爵を始め、何人もの騎士や兵士が戦死なされたそうです。我がギルドにも要請があり、何組かの冒険者を派遣したのですが、その中で逃げ延びられたのは半分に満たないほど。市民を含めると、どれだけの犠牲が出たかは、まだ判明していませんね」
さすがに内容が内容である。応接室にウィルたちを通すと、ベルリナは腕を組むのを止め、互いに向かい合って座ると、四人の冒険者と運び屋の娘にスウェアの町のシャレになっていない現状を語る。
当然、ベルリナの語る被害内容は五人を驚かせた。大きな被害は出ていると気構えていたが、まさか領主まで死んでいるのは予想外。
ただ、驚きつつも、五人は大きな釈然としないものも覚えた。
ゴブリンとはいえ、千や二千と集まれば、スウェアの町くらいなら攻め落とせる。しかし、それだけの数のゴブリンが移動していれば、スウェアの町に接近するずっと前に気づいていたはずだ。
どれだけの大群だろうが、事前にその存在がわかっていれは、充分に何とかなる。トゥカーン男爵が援軍を求めれば、国なり貴族なりが兵を送り、助力してくれる。千のゴブリンはたしかに脅威ではあるが、この国か本腰を入れれば討伐は難しくない。
仮に、小さな群れが気づかれぬようにここに集まり、大群を成したとしても、トゥカーン男爵が戦死するほどの必死の抵抗を試みたのだ。敗北したにしても、数十、あるいは百以上のゴブリンが死体となって転がっているはずであった。
それにゴブリンに制圧された町にしては、スウェアの町は被害は小さすぎる。ゴブリンたちがここに居座っていなければおかしいし、引き上げたとしても、金品や食糧だけではなく、ベルリナのような女性も奪って去っていないのもおかしいというもの。
五人の疑念に気づき、自分の説明不足を察し、
「あっ、すいませんね。言葉が足りませんでした。昨夜、この町を襲ったゴブリンは一匹だけなのです」
ベルリナの補足にウィルたちはますます眉間にしわを寄せる。
ゴブリン・イグナイテッドなどはたしかに強いが、ベテランの冒険者一組で充分に倒せる。
ゴブリンの中にはゴブリン・イグナイテッドのような強い個体もいるが、所詮はゴブリン。一体で町ひとつをどうにかできるゴブリンなど、
「……まさか、サイコ・ゴブリンが発生したのか?」
唯一の可能性を口にしたウィルの言葉に、ベルリナは重々しくうなずく。
「サイコ・ゴブリンなど眉唾ものの怪物と思っていたが、実在したのか」
ユリィもにわかに信じられないと反応を見せ、
「あの、そもそもサイコ・ゴブリンというのは何なのですか?」
セラが見せた反応から、彼女を無知と断じるのは酷であろう。
ゴブリンの中にも強い個体というか、ゴブリン・イグナイテッドやゴブリン・ウォーリアのような変異種がいる。ただ、これらの変異種は先天的なもので、ゴブリンの中からゴブリン・イグナイテッドやゴブリン・ウォーリアとして生まれてくる。
ひるがえって、サイコ・ゴブリンは後天的に発生する存在とされている。
元々は普通のゴブリンが手足を切り落とされると、サイコ・ゴブリンになると言われている。そして、手足を失ったゴブリンが見えざる手足を振るい、ヘタな魔族やドラゴン以上の力を見せたと、伝承では語られている。
ここで重要なのは、手足を切り落とされたゴブリンが、必ずしもサイコ・ゴブリンになるわけではないということだ。むしろ、眉唾ものの伝承を信じて、数百のゴブリンの手足を切り落としたにも関わらず、一体もサイコ・ゴブリンとならなかった例もある。
ユリィが口にしたように、実在が疑わしいというほど、サイコ・ゴブリンは発生率は極めて低い。だが、その極めて低い確率にも関わらず、わずかに発生したサイコ・ゴブリンの存在と力は、眉唾ものとはいえ伝承となるだけのものを有している。
そして、伝承となるだけの力が眉唾ではないのは、昨夜、スウェアの町で実証された。
ともあれ、不確かで不明な点が多いものの、一通りサイコ・ゴブリンについてのレクチャーを受けたセラは、
「……ウィルたちでサイコ・ゴブリンを倒せますか?」
「あのですね。説明したことを理解していますか? ザインなどとかと、根本的に強さの次元が違うんですよ。昨夜、武人として名高いトゥカーン男爵が、手勢を率いても勝てず、劣勢を察してそれなりの冒険者を大量に雇いましたが、それでもこの結果だったのです。ゴブリンではありますが、その脅威はワイバーンとかヒュドラ、いえ、レッサー・ドラゴンにも匹敵するのじゃないですかね」
ザイン程度でウィルたちの実力を測っているベルリナは、遠回しに危険を避けるように忠告する。
「ご領主様以下、騎士の方々や多くの兵士も死にました。スウェアでいくらか腕の立つ冒険者のほぼ半数は倒れ、もう半数は逃げていなくなりましてね。もし、皆さんがサイコ・ゴブリンに立ち向かうなら、ほとんど独力で戦うことになるのを理解してくださいね」
ギルドにいる冒険者の数が少ない理由がこれだ。
スウェアの町で多少でも腕の立つ冒険者は、昨夜の戦いで約半数が死んだ。もう半数は生き延びたが、サイコ・ゴブリンの強さを思い知り、そのまま逃げ去ったのだが、
「しかし、そいつは早合点もいいトコだな。サイコ・ゴブリンが再び襲来するとは限るまいに」
ユリィの指摘するとおり、スウェアの町で暴れ回ったサイコ・ゴブリンは、夜明けを前に引き上げた。ゴブリンの習性を思えば、当然の行動だ。
そして、ゴブリンの性質を思えば、弱り切ったスウェアの町という獲物をそのままにするわけがないが、それはゴブリンならの話だ。
普通のゴブリンと明らかに違うサイコ・ゴブリンが、そのように行動するか確証が持てない。
領主と多くの兵を失い、冒険者らも頼みの綱とならないことがハッキリし、スウェアの町は混乱している一方、そこから生き延びた冒険者らのように他の者が逃げ出さないのは、サイコ・ゴブリンという脅威が目に見える形では去ったからだろう。
「だが、また来ないとも限らない。その時はオレたちで一当たりしてみる他ないだろう。レッサー・ドラゴンと同等なら、オレたちだけで勝てなくもないんだが……」
ウィルの言葉と決断の歯切れが悪いのは、サイコ・ゴブリンの強さが未知数だからだ。
レッサー・ドラゴンなら何とか勝てる。エンシェント・ドラゴンなら、どうやっても勝てないと、その強さはわかっているから判断は難しくない。
だが、ベルリナの見立てが甘かった場合、ウィルたちが死地に飛び込むことになるので、
「なら、ギンカさんとかマイケルさんを呼ぶってことはできないの?」
サリアの『姉』か『兄』を呼んだらどうかという提案は、ウィル、ユリィ、リタも考えなかったわけではない。
ただ、三人は渋い顔で、
「そりゃあ、あの二人のどちらかでもいたら、サイコ・ゴブリンごとき、どうということもないが、どちらも仕事や家庭がある身だからな」
二人のどちらかに助けを求めたとして、サイコ・ゴブリンが再び襲って来なければ、助けを求めたどちらかに無駄足を踏ませることになる。
今の不確かな状況で手紙を書けるわけもないが、
「もちろん、オレたちの手に余るマズイ状況がハッキリしたら、孤児院に手紙を書いて助けを求める。最悪、奥の手も使うつもりだ」