寂しい病室
彼女の病室には何もなかった。
お見舞いの花や果物も、何一つとしてなかった。
「寂しい部屋だな……。お前、友達の一人や二人、いないのかよ」
「…………………………」
僕の言葉にも、彼女はなんの反応も示さない。
彼女は寝たきりだ。目を覚まさない。否、ずっと目覚めていない。
――遷延性意識障害。俗に言う、植物状態だ。
ふと、病室の洗面台にある、鏡に映る自分の顔を見る。
随分と酷い顔をしている。目には隈が。
鏡を射るように睨む眼光は、やけに鋭い。
元から目つきは悪かったが、今はその荒んだ表情が顕著に表れていた。
長い眠りにつく前、彼女はよく『あなたの瞳が濁っているのは、その心の内に暗い何かを抱えている証拠よ』と言っていた。
今も僕は死んだ魚のような目をしている。
その空虚な瞳には何も映していない。……そう、彼女の姿以外は。
彼女の長い黒髪は手入れされておらず、伸びたまますだれのように垂れていた。
「あれからもう半年か……」
「あら、スバルさん。今日もいらしていたの?」
すっかり顔見知りになってしまったナースさんが、開きっぱなしの白い病室の入り口から僕に話しかけてきた。
「ええ、どうやら日課になってしまっているみたいです。困ったものですね」
「そう? でもカナエさんもきっと喜んでいると思うわ」
「……そう、ですかね?」
「そうよ。……だってあなた以外、誰もこの病室に来ないもの」
カナエには、幼馴染の僕以外に友達もいなければ、もちろん彼氏もいなかったし、両親すらいなかった。この世界にたった独り取り残されたような、希薄な存在だ。
「寂しい病室ね」
染み一つない白衣を着たナースさんが言う。
「ええ、だから今日はミカンを一つ持ってきたんです」
僕はカナエが眠っているベッドの脇にミカンを一つ置く。
「ミカンの花言葉は……清純、純白、純潔、そして、花嫁の喜び……まぁ、色々ありますが、僕は『親愛』という意味でこのミカンをカナエに捧げます」
「あなたらしいわね」
「そうですか? だから、勝手に食べないでくださいよ。ナースさん」
「ふふっ、食べるわけないでしょ。そんな大切なもの」
そう言って、ナースさんは微笑を浮かべながら病室を去っていった。
「はやく目覚めてくれよ……カナエ」
僕の声だけが、白い病室に響いた。