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Chapter01


 幸福な時は幸福について考えないように、人間らしさについてかんがえる奴は人間らしくないのだろうか。そんなことを思う理由は二つあって、一つは一年半前に意識不明になったまま今日まで戻ってきていない妹をよそに、俺や世界はもう誰かの不在になれきってツマラナイ日常をルーチンワークとして繰り返していること。二つ目はそんな妹の夢を見て、彼女が大勢の人間とともに閉じ込められているあの世界のことを夢に見て、そして目覚めてなにを思えばいいかわからず人間らしさとはなにかと悩まざるを得ないような僕の現実について。

「さて、起きよう」

 意味のない独り言を呟いて、僕は保健室のベッドから上半身を起こす。校庭ではなく中庭に面しているこの保健室は、授業中の今、とても静かだ。白いカーテンで区切られて向こうでは、保険教諭が仕事をしているのだろうか。寝起きでまだぼーっとした頭でかんがえる。ふと思いついて目のあたり手をやってみるが、泣いた形跡はないようだ。人間の形をしているからと云って、人間であるとは限らないのだと思う。他人事のように。

 せめてまともな人間らしい行動でもとってみようと、僕は授業に戻ることにして座ったまま軽くのびをする。左肩がぱきりと小さな音を立てる。いつもそうだ。僕の左腕はやたらと関節がなる。空気でもたまっているのかも知れないけれど、不都合はないしどうでもいいことだった。横にずれて上履きにあしをつっかけと、慌ただしく保健室のドアが開く音がして、誰か怪我でもしたのだろうかとかんがえる隙に走っていると思われる足音はまっすぐこちらに近づき、カーテンを開けた。

「御堂君! あ、丁度よかっつあ、起きてたのね」

「はあ」

 曖昧に頷く僕をよそに慌てたような保険教諭は言葉を続けた。

「妹さんが、優奈ちゃんが、いなくなったって?」

「は?」

 さて、その後保険教諭の焦りに満たされた説明をまとめると『意識不明だった妹が突如姿を消した。意識を取り戻した可能性は低いので誘拐かも知れず、警察が捜索している』というものだった。じっさいにはその何倍も長くとりとめのない説明を受けている間、僕は果たして何を思えばいいのかをかんがえていた。それに何の意味があるのかつかみきれないまま、僕は家に戻ることになったのだが、正直、後悔した。きっとこのときとるべき行動は、無意味だろうと学校を飛び出し、妹の病院へ行き、周囲を駆け回ることだったのだ。

 まともなにんげんじゃない僕には、当然のように罰が科せられる。当たり前だ。


 家に帰ると、思い出したみたいに取り乱した母親が落ち着きなく徘徊していた。今日の朝はなんでもない顔をして仕事へ出かけたくせに。まるでこの一年などなかったかのように、落ち着いて暮らしていた日々など知りませんとでもいうように、一年半前と同じように慌てふためいて娘の不幸を大げさに嘆いてみせるその姿に、吐き気がした。死んだ子の年を数え続けるより、突然思い出して数え直すことの方が何倍も醜いと思う。忘れていたくせに。諦めていたくせに。だから僕は、今更妹がいなくなったところで「ふうん」程度の感想しか抱けなかった。それが現実だ。それが真実だ。それを偽ることの、何が尊いというのだろう。妹はもうとっくに、僕の生活の中にいなかった。そりゃ、帰ってくれば再会を喜びもしよう、家族であることに変わりなどない。でも、失ったものをもう一度失って、一度目と同じように悲しめるはずなどない。ましてや妹は、失われてから、一度もこの手に戻ってきたことなどなかったのだから。

 病院の中で、パイプに繋がれ生かされていた妹。栄養が投入されていても、使われない筋肉が減りやせていく姿。このまま消えてしまうのではと思ってしまうような、細くなりすぎた彼女の、三ヶ月前の姿を思い出して、僕は首を振った。

 妹はもう戻ってこない。可能性は限りなくゼロだと聞かされている。妹とともに意識不明になった大勢の人間は、誰一人帰ってきてはいない。奇跡なんて起こらない。救いなんてない。失われることに意味はないし、残されることにも意義はない。何もかもがサイコロで決められているだけの、無価値で不条理なこの世界の、ありふれたシナリオをあてられた僕は、だからじっと俯いてリビングのテーブルに座っていた。

 語るべき言葉なんてない。出来ることなんて何もない。それが現実だ。

 結局その日、妹が見つかることはなかった。警察から見つけ次第連絡すると話が来て、両親はまた明日から日常へ戻ることに決めたようだった。待っていても意味はない。家で祈っていて見つかるようなら、一年半前に彼女は帰ってきていたはずなのだから。


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