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○○の多い家

大切なことは

作者: かふぇいん

「星の/王子様へのオマージュのような作品です。

 自分の知り合いに、変な男がいる。正確に言えば、変なところに住む変わった男だ。住宅街にポツンとある小さな林の、その中に立つ大きな白い屋敷がその男の居城。いつ尋ねても居て、いつ尋ねても一人だった。

 どうやって出会ったのか、招かれたのか。どうしてこうして訪れるのか。今思えばそれすらよくわからない。


 その部屋にはたくさんの薔薇。日の光に照らされて、色も大きさもさまざまに薔薇の花が咲き誇る。壁に這わせてある荊と、外を這う冬蔦の間からまだらに日が差しこんでいる。朝もまだ早いというのに、その部屋はもうだいぶ陽光に温められ、こもるような暖かさだ。

 南の棟の1階、東側の温室。全面が装飾に富んだ鉄のフレームに、ガラスをはめ込んである立派な作りの温室で、近い部屋の暖炉の熱がパイプを通してここに届けられるようだ。今暖炉は使われていないが、閉ざされているだけで随分と温かい。1人の男が、隅に作りつけられた水道からホースを伸ばし、薔薇の鉢植えにそれぞれ水をやっていた。葉や花に散る水がきらきらと美しい。床にあふれた水は、排水の為に切られた溝を伝って、四隅の排水溝へと流れていく。

「見事なもんだな、全部1人で手入れしてるのか?」

 温室に置かれたプラスチックの椅子に腰かけ、揃いの白いテーブルに肘をつく。こちらの問いに対し、水やりをしていた男は蛇口の水を止め、いや、と微笑した。

「俺は水をやるくらいだよ。ここは陽が入るから、放っておいたって伸びる」

「そうみたいだな。花はきれいだが、そっちなんて荊の藪だ」

 東側の一辺を指して言うと、男は小さく息をついた。

「なら、お前が手入れしてやってくれ。俺はまだすることがあるから」

 白い服を着たその男は蛇口の周りにホースをまきつけると、今度は口の細いじょうろ手に取った。こちらが怪訝そうな顔をするのに気付かず、男はそれに水を注ぎ入れた。それなりに広い立派な温室だが、ホースが届かないほどではない。水をやるなら、ホースがあれば充分なはずだ。

 その間にも男は、先ほど言った荊の間に体を滑り込ませた。細い身体だが、八方に向いた薔薇の棘に、男の白い服があちこち引っかかっている。終いには、痛みを訴える小さな苛立ちの声が聞こえてきて、こちらは留めておいた疑問を投げた。

「奥に隠れた鉢でもあるのか? ホースが届くだろう」

 葉の影になって斑になる男の白い顔が横に振られた。

「鉢じゃない。……そっちから見えないか。来て見ればわかる」

 小さく息をついて、鷹揚に立ち上がる。さらに分け入っていく男の後について男が示す先を覗く。

「こうしないと、こいつに水をやれない」

 そこにあったのはやっぱり薔薇だった。赤い、他と同じように見事な薔薇だ。ただ一つ違うのは、それが温室の中にない、ということだ。室内から零れたか、全く外から飛んできたのか、温室の外側、鉄のフレームの際から伸び、上部のガラスの隙間から温室の中で花を咲かせた一輪。男は下の方に開いたガラスの割れ目にじょうろの先を突っ込み、水をやっていた。半ば呆れてため息をつく。

「その穴、ひょっとすると、お前が開けたのか」

 尋ねると男は、何を言うんだ、といった顔で振り返った。

「当たり前だろう。虫が入るから、大きい穴は開けられないけど」

 放物線を描いていた水がなくなると、男は屈めていた腰をのばし、荊の上を見あげた。満足気な笑みを見て、こちらのため息は再び。男が来ている服に、気付けば赤い点が一つ。棘に引っかけたのだろうか、滲んだそれが、まるでその薔薇の花のようで。

「虫を気にするなら、穴をあけずに、植え変えればよかっただろう。藪をくぐるほどか?」

「気が付いたらもう、つぼみをつけて中に入っていたんだ。お前は、切れば良かったって思うか」

 その通り、という言葉を飲み込み、奴がいとおしげに見あげる薔薇をこちらも見あげる。この家の主に寵愛を受けるそれは、水を貰って自信たっぷりに咲いている。

「この間咲いたんだ。やっぱり一番きれいに見える」

「俺には同じにしか見えん」

 そりゃそうさ、と奴は笑う。

「お前は今日、初めて会ったんだから」

 再び荊の中を戻り、奴は器用にまたシャツに赤い点を増やしていた。

「そんなに大事なものか?」

 問うてやると、奴は微笑んだ。朝のやわらかな日差しに照らされる優美な笑み。

「俺が気付いて、手をかけたんだ。本当なら、関わるはずのなかったものに関わった。時間をかけて接した。それだけで充分に、他の薔薇より価値があると思わないか。共にあった時間に」

 テーブルの上にじょうろを置いて、奴は見えなくなったその“特別”の方を向いた。

「それがどんなにありふれているかじゃない、何かの拍子で時間が重なった、そのことが一番綺麗だと思う」

 少年のような、無垢な顔で奴は言う。それがなんとなく面白くないのは、周りの薔薇がそう思っている気がしたからか。意地悪だと思いながら、尋ねてみる。

「もしあの薔薇が枯れたら、お前はどうする?」

 きょとんとした顔に、僅かばかりに悲しさを混ぜて奴は答えた。

「どうもしないさ、そうなるのが自然だろう。きっと寂しく思う、けど、時間が消えてなくなるわけじゃない」

 やっぱりあの薔薇は特別なのだ、実際は同じように時を過ごした十把一絡げの薔薇達と違って。奴が出会った、と言ったあの赤が美しいとしたら、そのものが男のする扱いを知るからだろう、と思った。

「お前たちは幸せだよ」

 俯いて小さく呟き、顔を上げた。

「次にここで水をやるときは、俺がやる」

 そこで男はようやく意を察したのか、やっぱり悲しそうな、それでいて皮肉めいた顔で笑んだ。

「お前は、優しいよ」

 向き合っている間の幸せと、向き合えなくなった悲しさも向き合えない辛さもできれば皆が等しければと思うのは、嫉妬が為せる業なのか。

「本当はそんなこと考えなくたって、できたんだけどな」

 奴の言葉に応えて、再び椅子に座りこむ。

「大人になって理屈が必要になったんだろう」

 僅かな沈黙に、ガラスの向こうで鳥が鳴いた。

「さて、水やりも終わったし、朝飯かな」

 奴がドアの方へと歩き出す。こちらもそれについて行く。

「それなら、先にそのシャツを脱いだ方がいい。シミになるぞ」

 男は赤い点に気付き、早く言ってくれ、と慌てだす。笑うと、恨めしげに睨み返してきたその顔が、やはり美しいと思う。

そうすると、悔しいが奴の言うことは一理あるのか。この時間には何にも代えがたい価値があるから。

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