正体
門番の遺体に取り付くヘレスの霊体と信長によって命を落とした者達の残留思念が
その姿を露わにする。
「おのれ光秀!浪人にまで身を窶しておったところを拾
って遣わした信長様への恩義を忘れ謀反という形で仇と
して返すとは!この濃が天に代って成敗してくれる!」
御濃は一心不乱に薙刀を振るう。一方、光秀の兵達は
女子を斬るなと言う光秀の命を受けていた為、防戦に徹
し手を出せずにいた。
が、シュピッ!と、ある兵の頬を御濃の薙刀が掠めた。
喧騒の中、その兵は一度「ウッ!」と、自らの頬を押
さえ下を向き、動きを止める。が、程無くして離し、掌
に付いた血液を確認すると戦闘モードのスイッチが入っ
てしまい遂に御濃へ斬り掛かってしまう。
「ヌヌヌゥッ!よくも…よくも婿入り前の男の面体に傷
を付けてくれたなぁ…むおぉ容赦はせぇんっ!」
と、太刀を振りかぶり、そのまま全力で下した。が、
ガキィィンッ!
何者かがそこへ割って入り受け止めるや、
「キエェェェイッ!」
という掛け声と共にズドォンッ!とすぐさま峰打ちを
入れた。信長である。その兵はその場に蹲る。
ガツンッ!バキィッ!ドスゥッ!と、続け様に近くに
居る兵達に片手ながら大刀で打ち据え倒すが何れもどう
いう訳か峰打ちであった。
「貴様等ごとき烏合の衆がこの信長を討ち取れると思う
かぁっ!鎮まれぇいっ!」
信長が片手で大刀を向け周囲を一括、その気迫に押さ
れたのか兵達の動きが止まる。
「信長様!矢を受けた肩の御加減は大事御座りませぬか
!」
「大事ない!御濃!その方こそ怪我は無いか!ともかく
今は下がっておれ!」
信長は燃え盛る本堂前の庭園で御濃に声を掛けると五
十m程、先の正門の直ぐ外に居る光秀に視線を向ける。
ザッ…ザッ…ザザァァァザッ!すると誰に命令される
でもなく兵達も信長側の小姓達も信長と光秀が対話出来
るように道を開けていき、沿道が二人を結んだ。
正確には光秀の隣にはヘレスの憑り付いた門番の遺体
も居て、それに気付くものの話す価値は無いので眼中に
は置かず、信長と光秀がその場の空気を支配してしまう。
十秒ほど両者は無言のまま睨み合うが光秀が視線を動
かさないまま床几からスクッ…と腰を上げる。
「光秀ぇっ!家康を盾に天下を統一!大平が世をば想定
しているそうだのぉっ!」
「殿ぉっ!御察しの通りに御座りまするっ!その慧眼に
この光秀、敬服する次第っ!」
「乱世が終焉が迎えたとしようっ!その後は如何するっ!
民の弱体化は避けられまい!戦をば無くしたとて民は弱
体化するのみ!平穏は停滞を招くが真理であろう!それ
で他国の侵略を如何防ぐ!交易を断とうつもりかっ!
して、それに従う国も無い!また、交易無くして進歩
は無いが道理成り!兵法の遅れをば防ぐ算段は有るか!」
「他国との交易をば一切、断つ算段御座りませぬっ!長
崎付近の島に唯一の交易の場を設け、更には伊賀・甲賀
を問わず忍びの者を諸外国へ遣わし諜報活動に努め常に
諸外の国事を報告させ!学問・技術の遅れをば取らせぬ
所存に御座りまするっ!」
「フッ…流石は光秀…ぬかりは無いか…ワシの方は猶予
無しだがのう…。」
信長は一度、燃え盛る本堂に視線を移し零すが、その
表情は何処となく緩んでいた。
「光秀ぇっ!貴様とは議論をば交わしたいが猶予が無い
!が、あの世にて天下の事が貴様の算段通りに運ぶか、
しかと拝見させて貰おうぞぉっ!」
信長は踵を返し本堂へ歩を進める。
「信長様ぁっ!」
御濃が信長に駆け寄ろうとするも…。
「欄丸ぅっ!」
御濃を制止しろという意味が含まれる…。
「御方様!成りませぬ!」
欄丸は御濃を遮るように前に出る。
信長にしか見えなかった日隆は手を合わせながら炎の
中へスゥーっと消えていった。
一方、
「エッヘッヘッヘェエェ…時は来たれりだなぁぁ…。」
ヘレスの憑り付く門番が膝をガクガクと震わせながら
立ち上がり、ガクンッ!と仰け反ると顔中央、縦に大き
く刻まれた傷から黒い蒸気の様なモノがブシュゥゥゥゥ
ゥッ!と、突発的に噴き出した。同時に肩に止まってい
たカラスも飛び立つ。
「ノブナガァッ!ヤソキッダァヘッダァガッダァッ!ア
ッダァァッ!ザップアザガダァッ!ヤッソォラヘッラガ
ッダァッ!アァソォガラハッダァッマッラァァッ!」
すると、ヘレスの憑り付いた門番の遺体は有史以来、
人類の使用歴の無い言語で何かを叫ぶと、その場に仰向
けに倒れた。顔の正中線に沿った傷跡からは依然、黒い
煙とも蒸気とも付かない気体の様なモノが吹き続ける。
その黒い気体は空中で暫し揉んだ後、手の様な形を形
成していった。親指から小指までの距離が六メートル程
有る巨大な左手である。
全ての指を鍵上に曲げ、ワラワラと軽く閉じては開く
を繰り返し爪は長く鋭く分厚い。掌は上を向いていたが
ユラァ~っと信長の方へ角度を変えた。
本堂では…。
「良いか貴様らぁ!ここなら良く見えるだろうっ!ワシ
が最後!特と眺めよぉっ!」
信長が燃え盛る本殿の仏間に駆け上がり正座をして大
刀を腹に突き立てようとしていた。
四方の炎が信長の身体を舐める。足の皮は踏み込んだ
時点で捲れ上がっていた。 その時、その場に居た者が
我が目を疑う現象が起こる。
信長の周辺で燃え盛る炎から人の顔が浮き上がり始め
たのだ。数は数え切れず無数、一つ一つは別の顔、現れ
ては消え、すぐさま別の顔が浮き上がり消えを繰り返す。
信長による戦・処刑・手討ちで命を落とした犠牲者達
の残留思念である。
《ザマァ見ろぉっ!》《ヒャァッハッハハハァッ!》
《ウフフ…いい気味だ事…》《ヤキか回ったか…。》
《熱いだろぉ…苦しんで死ねぇぇっ!》
《いぃ…痛かったぞぉ…。》《て、天罰だぁっ!》
《黒焦げになれっ!》《地獄に堕ちろっ!》
《でかした光秀っ!》《うつけっ!》《人殺しっ!》…
表情は信長の現状を見て喜んでいる者、怒りが全面に
現れている者、或いは無表情…思い思いの言葉を信長に
浴びせる。成仏出来ずにいた怨みの念が顔をのぞかせ声
を上げた。俯き加減の信長も目だけで左右を見渡し、現
れた霊達の表情を確認する事が出来た。
これが日隆の言う(業)残留思念というモノであり魔
物のヘレスはこの残留思念をを吸収し、更なる力を得る
のである。そして、信長の真正面にシャレコウベの霊体
が一体、浮かび上がり、馴染み深い声が響いた。
《お久しゅう御座りまする…兄上…。》
「…っ!…信勝か…懐かしい事など有るものか…常に貴
様が傍に居合わせたる事など肌で感じておった…。」
《二十四年前に成りまするな…其れがしは筆舌し難い苦
痛を味わい、この世を去り申した…。確かに、この信勝
めは謀反をば企てました。が、よもや、あの様な化け物
に生きたまま食わされるハメにあいなろうとは…。》
「さぞ無念であったであろう…許せとは言わん…之より
ワシは地獄へ向かう。が、信勝よ今、一時で良い…この
愚兄の過ちを忘るる事をば出来ようか?」
《・・・・・。》
再び正門前…。
『と、いうワケだ…ご苦労だったなぁ…光秀ぇ…ヘッヘ
ッヘェ…。』
「何ぃぃ…それでは其れがしは悪魔なる、お主の方棒を
担いでしまったのか…。」
『そう、それにしても結構な数になるなぁ…必要以上に
苦痛を味わってる奴も多い分、こりゃぁ相当な魔力に変
換出来るって事だな…涎が止まらねぇ…グヘヘヘ…。』
「の、信長様ぁぁっ!成りませぬっ!今、果ててはなり
ませぬっ!」
光秀は走った。が、突如、視界がボヤけ手足が痺れ、
動機と息切れを伴い、その場に崩れる。光秀だけではな
く本能寺を包囲する光秀軍一万と寺内で戦っていた者も
一様にゴホッゴホッ!と、咳き込み、嘔吐、頭痛と息苦
しさに襲われ、次々とその場に昏倒した。
「ぬぉぉぉぉっ!こ、之、一体どうした事かぁっ!ガハ
ァッ!ガハァァッ!」
『ヘッヘッヘェ…俺の姿を見てみろぉ…うっすら黒い湯
気が吹いてるだろ?…俺達、魔族は常に心身からコレを
吐き出してる…そう、お前等の吐き出す呼気(二酸化炭
素)と一緒だな…コリャ魔界には充満してるモノなんだ
が障気とも言う…人がバタバタ死ぬ流行病とか有るだろ
?…その正体はというと俺達、魔族の放つ障気だったり
すのさ… しかし信長の奴も相当、人の怨念を溜め込ん
でたんだねねぇ…今の影響下は寺の周りくらいだが、こ
の分じゃ怨念の吸収後は京都全体が俺の吐き出す障気だ
けで壊滅しちまうだろうよ…お前も今、始末しても良い
んだが…そこで震えながら待ってろ…ケヘヘヘヘ…。』