欄丸の回想
本能寺で明智軍を相手に抗戦する欄丸…その脳裏をかすめる
信長との思い出。
「貴様等も武士を名乗るなら婦人に構わずコチラに来い
ぃっ!」
その欄丸は今、庭園でフル装備の光秀軍を向こうに回
し、挑発しつつ縦横無尽に立ち回っていた。
「遅いっ!」「ヘタクソッ!」「臆したかっ!」
等の罵倒に光秀の兵達も反応してしまい、続々と欄丸
に踊り掛かって行くので御濃に向かっていたベクトルは
激減する。身のこなしは往来の素早さを加え両利きの為、
構えが右・左、自在に替えられる欄丸に鎧・甲冑を着
込んだ光秀軍の兵士達は捉える事が出来ない。矢継ぎ早
に飛んで来る剣や槍などを巧に距離をとり、回り込んで
交わしては斬り・突き返し、相手方を翻弄しては驚嘆さ
せ切り倒していくが、その様は五条橋で弁慶を翻弄する
義経の様である。
欄丸にも戦いながらも信長・御濃との思い出が脳裏を
掠める。欄丸が信長預かりとなったのは千五百七十年で
ある…と、いうのも、 この年といえば織田・徳川の連
合軍と浅井・朝倉の連合軍のぶつかり合った姉川の戦い
で知られるが、その前哨戦とも言えるのが野田城の戦い
である。欄丸の父・森可成は石山本願寺と交戦中に浅井
軍に背後を突かれ、交戦中に討ち死にした。
目撃した証言者によると(右腕が青白く光る男)…と剣
を交えながら山を上がって姿を消し、一騎打ちになった
であろうが、可成だけが、そのまま帰って来なかったと
いう…。
この戦いは直ぐに朝廷から停戦命令が出て終決したも
のの三年後の千五百七十三年、再び開戦…織田・徳川連
合軍が勝利を収めた。浅井滅亡後は御市と三姉妹は信長
が引き取る事になった。
ものの経緯が経緯なだけに顔は合わせ難く、信長は御
濃と欄丸、それと必要最小限の小姓や女中を連れて小牧
城(質素)に移り住み、御市には生まれ育った場所でも
ある清州城(絢爛豪華)を譲り与えた。
小牧城…
欄丸が引き取られ五年経た千五百七十五年の事である。
盆運びなどの庶務をつつがなくこなせるようになって
いた欄丸を信長が自ら呼び出しに来た。
「欄丸ぅっ!欄丸は居るかぁっ!・・・おう!居た居た
ぁっ!御濃!暫し借りるぞ!」
「こ、困ります!この子はこれより多くの配膳を庭園に
お運びせねばならぬ身…。」
「・・・。」
「わたくしはこの小牧城に不満は御座いませぬが何分、
今は人手不足…故に…。」
「・・・。」
「か、畏まりました…」
御濃は逆らえない。
信長は欄丸の襟首を掴んで城外へ連れ去っていった…。
行先は城・敷地内の庭園(城の建つ小高い丘を下りた平
原で結構広い)である。
そこでは織田家の家臣団によって相撲大会が催されて
いたのだが、前座として少年小姓達の取り組みが行われ
ていた。勝ち抜き戦のようである。
相撲大会なだけに織田家家臣達も屈強な家来や足軽を
連れて来ていて、それがガヤガヤと、談笑に耽り結構な
賑わいである。が、信長が現れるとシーン…と鎮まり返
り、ザッザァァァっと、床几までの道乗りを各人が頭を
垂れつつ開けていくと信長は欄丸の襟首を掴んだまま無
言で通り、立ち止る。
「ほぉ…ひぃ、ふぅ、みぃ…八人抜いたか…。」
と、信長は呟くと床几に腰を下ろした。
相撲と言っても下は袴で上半身だけ諸肌を脱いだ格好
であるが土俵の周囲では十一歳ほどの少年小姓達が八人
ほど這いつくばったり項垂れたりしていて、もれなく顔
を腫らして鼻や口から鮮血を垂れ流していた。
土俵内には一人の体格に恵まれ、眼光の鋭い少年が片
方の鼻の穴を指で押さえて
「ブッ!」
と、鼻血を飛ばし次なる対戦相手を待つ。
九人目の少年が出て来た。信長の四男、信次である。
彼は八人抜きの少年に歩み寄ると
「良いか?…其れがしの父上が誰かは存じておるな?間
違うても本気は出すなよぉぅ…」
と、顎で信長を指して威嚇するも少年は露骨に眉を顰
め、信次を睨み返した。
「両者、見合ってぇぇぇ…発頸よぉぉぉいぃ…のこぉぉ
ったぁぁぁっ!」
と開始と同時にバッシィィンッ!と八人抜きの少年の
右の張り手が炸裂、それだけで卒倒して倒れそうになる
信次の髷を掴んでは顔面に掌低突きをガン!ガン!ガガ
ガン!と五発ほど叩き込み、更に右に旋回しながら引き
摺り回した。
ブチブチブチッという髪の抜ける音を信次に聞かせる。
そこからバシッ!と足を蹴り払ってブン投げ、更に勢
いで上半身が浮いたところをドスッ!と、背中を踏み付
け、更に蹴り込もうとしたところを行事を務めている前
田慶次郎(百九十二センチ百八キロ…屈強な男が集まる
相撲大会でも一際目立つ。相撲は殿堂入りを果たしてお
り、大人の部にも参加はしない。)が割って入った。
「コラァッ!すっ転んだら勝負有りだ!要らん事するな
ら、この九人抜きは取り消すぞ!」
その少年は下唇を噛み締め、射る様に信次を睨み付け
ると髷を振って開始線に戻った。
「こっ!コレェッ!きっ清正ぁぁっ!」
その少年を連れて来たの羽柴秀吉である。
信長の手前、その子息をシバキ倒おしてしまったから
当惑するのみである。この九人抜きの厳つい少年の名は
加藤清正、後の賤ヶ浜七本槍の一人である。
この少年、空気は読まない…。
その場に集まっていた家臣団も一瞬にして凍り付き、
直ぐにどよめきが起こった。
「フゥッ…。」
信長が溜息を吐きつつも右手を翳すと皆、胸を撫で下
ろす。意に介していない様である。この光景を小牧城の
城窓から覗き込んでいた御濃は落ち着かない様子である。
彼女は欄丸が信長に連れていかれ胸騒ぎが止まらない。
「相撲大会は存じておりますれど、こうも荒れ模様
とは…。」
ソワソワする御濃を尻目に欄丸が十人目に指名される。
直前、信長は欄丸の襟首を掴み引き寄せ耳打ちをした。
「欄丸よ…気付いておるか?御濃が右端の城窓から貴様
を…見るな!気付かんフリをしろ!…アレは正室ながら
子が居らんで肩身の狭い思いをしているのは貴様も存じ
ておる通り…そこでぇ…普段から目を掛ける貴様がここ
で勝てばアレも鼻が高いという事よ…ここは一つ…御濃
のヤツを喜ばせてやってくれんかのう…勝てんでも目一
杯、暴れて来い!」
と、はっぱを掛けられた欄丸が土俵内に入っていくが
信長の意図は掴みきれないところも有る(無理も無いが)
御濃は体格差と清正の気性を見て更に気を揉むばかりで
ある。欄丸も同年代の少年と比して体格は悪くはないが
清正の発育振りは比較にならない。
類い稀な体力と気性の激しさを秀吉に見込まれて召し
抱えられたのであるが…
「ハ~イ…た~んとお食べ…オッホッホッホ…。」
と、蒲鉾料理(高タンパク低カロリーで子供の成長に
は好都合)の得意な寧々の元、清正はスクスクと育って
いるのである。彼は最終的に百九十一センチまで成長す
る。
「オイ…お前も信長の倅か…?」
体格は一回り以上、勝る清正が欄丸に小声で囁いた。
欄丸は信長と御濃をチラッ…チラッ…と、横目に確認
すると清正を睨み返し言い返す。
「そうだ…。」
と、答える欄丸を見詰める清正の目が光った。
彼はベッ!と、血の混じった唾を吐いて開始線に下が
る。両・少年は徐に手を付いて睨み合った…。
「オシ!テメーらぁっ!複ぁ括ったな?…しからば互い
に見合えぇっ!…」
「・・・・・ッ!」
欄丸と清正の間に戦慄が走る。
「発頸ぃよぉぉぉいぃ…のこぉぉぉったあぁぁぁっ!」
ブオッ!清正の右の張り手が飛ぶ。それをシュゥン!
と、欄丸は掻い潜って交わし清正の背後に回り込むと
パシィン!と、右で張って直ぐに飛び込んでドン!と、
諸手で突いた。ザザッ!と清正も押し出されそうになり
つつも俵で踏ん張り拳を握ったままビュン!と、前腕で
背後に居る欄丸を打ち払おうとした。
が、欄丸は仰け反りながら交わしてしまう。
清正は振り返り様に左足で俵を蹴って前進しつつ左右
で二度突いて三発目に左の張り手を繰り出した。
バシィ!コレが欄丸の右側頭部を捉える。
が、欄丸はしゃがみ込んで交わそうとした為、決定打
にはならない。ゴスッ!そこから立ち上がり気味に飛び
込んだ欄丸の生え際辺りが頭突きの格好で清正の顔面を
直撃する。コレは効いて目が泳いだ。
が、清正は堪えて上から欄丸の袴の帯を両手掴み欄丸
も下から掴み返し、両者は組み合う形となる。
「ウォラァァッ!」
清正は体格にモノを言わせてそこからザザァァァッ!
と、欄丸を寄り切ろうとした。が、欄丸もガッ!と右足
で俵を抑え、そこで踏み止まる。
「ムギギギッ!」
と力む清正の鼻からポタポタと欄丸の背中に垂れ落ち
た。それも気にせず更に寄る。ザッ!ザザッ!と、土俵
を踏み締める欄丸の右足が幾度も曲がる。
二人はそこでギュゥゥッ…。暫し押し合った。
御濃は両の手を組んで欄丸が勝つ事よりも無事でいる
事を天に祈り、信長も握った拳に汗を握り込んで平静を
装いつつも取り組みに釘付けであった。
「オオォ…。」
と、二人は十一歳の少年ながら家臣団を唸らせる。
パシッ…パシッ!欄丸は俵に掛かっていない方の前足
で清正の蹴り払おうとした。が、
「キショウッ!ウオラァッ!」
業を煮やした清正が咄嗟に体を捻りながら左後方に欄
丸を反り投げる。この勢いで手を離してしまい、飛ばさ
れてしまったものの手を付くことなく着地した欄丸はザ
ァッ!と後退しつつも腰を落として間合いを測る。
が、清正は振り返りながら更に踏み込み左の突き手を
放った。ゴスッ!これが欄丸の顔面を捉える。
バシッ!パシパシィッ!と、続け様に三発の張り手も
入る。 一瞬、軽めの脳賑とうを起こした欄丸は視界を
失い倒れそうになるも偶然、清正の袴に手が引っ掛かる
事によって持ち堪える事が出来た。
再度、踏み止まって土俵中央で押し合う両者。ダラダ
ラと鮮血が欄丸の鼻からも滴り落ちる。
が、欄丸は急激な圧力低下を感じた。清正はこれで十
戦目…疲労困憊状態だったのだ。
ドン!欄丸は清正の腹を踏み付けるようにして足で突
き飛ばす(反則ではない)と、ヨタヨタッ!と清正は後
退させられ、二人の間に再び間合いが出来る。
「ウオォォッ!」
清正は踏み込みながら左右の張り手を連射させた。が、
欄丸は頭を微妙に動かしながら交わしては清正の右に回
り込み、距離をとる。清正は左右の張り手を放ちながら
追いかけるが次は左に回り込む。更に追えば再度、右に
回避である。欄丸は誰に教わるでもなく見切りと運足を
身に付けた少年であった。
ブン!ブン!ブブン!清正も矢継ぎ早に張り手を繰り
出すが次々と空を切って行く。通常、人は利き手の逆へ
逆へと動いて回り込もうとするが両利きの欄丸は不規則
に左右へ動く為、捉え難い。
「こ、この足の動きはぁっ!」
徳川家康の連れて来た一人の少年(顔は所々、腫れ上
がっている。)が欄丸の動きに何かを見い出したようで
ある。後の幕府剣術指南役で小野派一刀流開祖、小野忠
明である。清正の初戦に当たり、正面から打撃戦を展開、
彼に鼻血を出させたのはこの少年である…。
ガシィッ!再び組み合う欄丸と清正…グググッ!ギュ
ゥゥッ…と、押し合う。
「ハァッハァッ…負けないっ!お前みたいに何、不自由
なく育った奴には負けないっ!」
「フゥッフゥッ…お前に何が分かるっ!どれだけ厳しい
人に躾けられてると思うっ!」
ギュウウゥゥッ…ズルッ!ドタッ!二人は足を滑らせ
て手を付いてしまう。勝敗は…。パシッと慶次郎が清正
の背中を叩いて一言…。
「いい相撲だったぜ…だが惜しかったな…ほんの一瞬だ
が…お主の膝が早く落ちた…。」
「ウォォォ…ッ!」
と、歓声が上がる中、軍配は欄丸に上げられた。
「オシ!貴公も良い動きしてたな…だが、こりゃ勝ち抜
き戦だ…次、行けるか?」
「フゥッ…フゥッ…い、行けまする…。」
「だが!どいつもこいつも満身創痍…続行には無理が有
ろうってトコか…まだ見たいが致し方なし!…これにて
ぇ本日の年少の部!打っち止めぇぇぇっ!」
「ウォォォォォォォッ!」パチパチパチ…
という大人達の歓声が上がる中、少年の部は幕を閉じ
た。距離を置きながらも欄丸と信長は目を合わせ喜びを
分かち合う。周りの大人達も相撲に参加した少年達を讃
え、担ぎ上げたりしていた。欄丸は慶次郎に肩車をされ
つつ
「ホレ…濃様が気ぃ揉みながら見てたのは貴公であろう
?…手ぐらい振ってやれ…。」
と、慶次郎に促され…諸手を一杯に伸ばし、何度も交
差させて御濃にアピールしてみる。
そんな欄丸を見て感涙を催した御濃は目頭を押さえて
城窓から離れ、相撲大会後の宴の準備に入って行った。
相撲大会終了後の宴の席で・・・
「信長様ぁ!コレはコレは…サルめに御座りまする!こ
の度はウチの小姓が飛んだ粗相を…。ホ、ホレッ…清正
ぁっ!オミャァも謝れ!…こ、このっ…謝れ!」
と、秀吉が信次の件で謝罪に来た。グググッと、清正
の頭を抑えて下げさせようとするものの…清正は堪えて
頭を下げようとしない。
「おう!サルか!威勢が良いのを召し抱えたな…そ奴は
ワシに譲ってくれんかのう?」
「ウヒヒ…ワシは構わんのですが、こやつは寧々の肝煎
りでして…デッヘッヘッヘ…。」
「おう!その後は?寧々の奴は達者にしておるのか?」
「ヘェ…アレも達者なだけが取り得でして、一体、何時
まで生き長らえるやら…ウッヘッヘッヘ…。」
「清正といったな…寧々はこ奴には過ぎた女房だが…こ
奴(秀吉)に万が一の事、有らば寧々の事は貴様に頼ん
でおくぞ…。」
「・・・っ!しょ、承知つかまつり候!」
ここで清正も深々と頭を下げる…何故、清正が信長に
一物、含んでいたかというと何の事は無く日頃、秀吉に
散々、陰口を聞かされ洗脳されたような状態にあっただ
けであった。が、この信長との短いやりとりで解けてし
まった様である。
その夜…
欄丸の小姓部屋(個室)の襖を信長と御濃がそっと開
けて…。
「今日は驚きました…この子が頼もしく思える日をこん
なにも早く迎えられるとは…。」
「ワシも驚いた…家督を信忠以外に譲ってはやれん事が
悔やまれてならん…が、奴には戦いで疲弊した相手を討
つ狡猾さも時には必要と肝に銘じさせておく事も出来た
かのう?ま、ワシが天下を治める前にこ奴を一国の守護
大名くらいには叩き上げたるわ…ククク…。」
欄丸は清正との一戦で疲弊し切り爆睡中…二人の会話
を聞けるハズもなかった。