問答(後篇)
抗戦の最中に傷を負った信長…手当の最中に現れた本能寺の建立者、日隆が
信長に接触した真意とは…。
「私めのことは天から下りし一本の糸とでも御思い下さ
れ…数々の蛮行も我欲を満たす為ではないと御見受け致
し申した…されど、殺生が過ぎております故、元来なら
ば貴方の様な御方は何の滞りも無く地獄へ落ちまする。
ところが、あなたの場合は死後、この世に与える悪影
響があまりに大きい…それに…つい三月程前ですかな…
貴方はそれまで盟約を結んでいた魔界の者との関係を
終わらせ、その者が申し出を断ってもおりまするな…。」
「ん?ヘレスの事を存じておるのか?そう、奴はこの世
の者ではない。人を争いに導く事が生業とする魔界の住
人…確かに申し出を承った…御市や三姉妹を生贄として
献上しろとな…さすれば人智を越えた魔力と寸分も読み
違えぬ助言の元、力添えを受けられる。
言われるままに坊主も大層、殺し焼き払ったぞ…時折
り寺とは奴等・魔物に対抗すべく法力の持ち主や式神使
い…或いは神仏そのものを宿した宝玉等を有しておった
りするからのぉ…それもここまで来れば安泰、用済みと
袂を分かった途端この様よ。ククク…。」
「何故にヘレスなる魔界の者との盟約を断ちました?天
下はそこまで…というところで…」
「グハハハ…唯一、愛しく思える妹の御市をあんなおぞ
ましい化け物に差し出せる道理も無かろう…二十四年前
にも生贄に御市を…などとせがんで来おったが代わりに
何度も謀反を企てる弟、信勝を差し出してやったのよ。
アレを近江の浅井に嫁がせたのも同盟を結び勢力拡大
の向きも有ったがヘレスの奴から遠ざけん為よ。
生贄とはどういった無体を受けるか存じておるか?そ
の呼び名通り生きたまま喰らい付かれる。加えて奴の唾
液は湯気を上げる劇薬の様なモノでな。
止血効果を伴い、食われる者も中々、死ねず、日にち
を掛けて受けるその苦痛たるや筆舌し難いモノが有る。」
「唯一?…あの大多数の兵を相手に薙刀を振るっている
夫人は?」
「あれは正室で御濃という…元服間もない頃に貰ってや
った…美濃のマムシ(斎藤道三)の娘での…光秀とは母方
の従兄にあたり奴を連れて来たのも御濃…は、さて置き
アレとの間にはとうとう子が出来なんだ。
無口だが影・日向にワシの世話を焼く…この期に及ん
で始めてワシの命に背きおった…逃げろと言うに聞かん
でのぅ…何か策でも有るかと思いきや・・・見ての通り
の有様よ…。」
他に襖の隙間から外を覗む光景は森欄丸を始め、小姓
達が明智軍に抵抗していた。
《あの今度の謀反をいの一番に伝えに来た小姓の方は?》
「ウム…女子の如き面持ちであろう…故にあらぬ疑いを
掛けられとる…先代から織田家に仕える森可成{よしな
り}の三男坊で欄丸と申す。若いが文武両道でのぉ。
諸事奉行を任せておるが腕も立つので用心棒として常
々、側に置いておる…。」
《あの大柄で色の黒い丸太ん棒で応戦してる方は?》
「元はバテレンの使用人…弥助と申す…ワシが買い取っ
て取り立てたのよ。地上の果てより首に縄を掛けられ連
れて来られたとのこと…膂力のみなら十人力はくだらん。
どうじゃ?あ奴を背後に従えとるとワシ自身の風格も
引き立てると思わんか?」
と、日隆と問答を重ねている内に信長の居る室内にも
モクモクと煙が立ち込め始めた。
ゴホッゴホッと咳き込む信長は襖からゆっくり離れる。
《只ならぬ妖気と共に火の手もそこまで迫っている様子
…急がねばなりますまい…ヘレスなる魔界の者も貴方の
魂を取り込むべく近くに待機しておりまする。》
「それは承知…が、一つ訊きたい。ワシは魂を売る意味
を解せずに盟約を結んでしまった…タダで済むはずは無
し、それは分かる。が、この場でワシがあい果て…魂を
取り込まわば、その後はいかなる事態を招くかは存じて
おるか?」
《貴方は多くの殺生を働いた結果、膨大な業なるモノを
積んでおります。人が死に追いやられる際に抱く怒り、
悲しみ、憎しみ、恐れ、絶望…それが残留思念となって
貴方の心身に根を張るが如く憑り付いておりまする。
故…貴方が死を迎える際に解放されまするが、これが
魔族・ヘレスの至高の好物に御座りまする。
ヘレスと契約を交わした後、多くの殺生を働いた貴方
が業を積みし魂は盟約を結んだ魔族であるヘレスが糧と
し吸収する事になり、その後は更なる強大な魔力と魔界
での地位を与えまする…恨みによる残留思念とは一人で
も強固な力を有しておりますが…私の見立てでは貴方に
根を張る犠牲者が…思念…その数、およそ六万余りに及
びましょうや…いやはや…途方も無い…。」
「奴は己が魂だけを飛ばして人の骸に乗り移り、生き物
を意のままに操る虫を放ち、如何なる武器弾薬をも撥ね
退ける影の壁を(黒いオーラ)自身、或いは契約者に纏
い纏わし、手も触れずに巨大岩を宙に浮かせ、弾き飛ば
すのだぞ?あれ以上の力を手に入れるというのか…。」
《戦場や処刑場の御遺体を引き取らせ、死肉を食らうは
本題に有らず…貴方の業を積みし魂、吸収後は、この場
で京・全土を壊滅に導く力を持ちまする…御濃様…欄丸・
弥助さんを初めとした小姓の方は勿論のこと、御市様と
御子息が三姉妹…そして貴方が罪を被りつつ守って来ら
れた領土内が民・百姓も無事では済みますまい…。
当然の如く無益かつ無意義な殺戮も数限りなく持ちか
けられ、命じられて来たで御座りましょう?》
「・・・・・・。」
問う日隆に信長は顎髭を摘まみ無言で二度ほど頷く。
《犠牲者…その数は多ければ多いほど良しという事です
な…罪そのものは貴方が一人が背負う事に相成りまする。
殺し損…とでも申しましょうか…。》
「クッ!・・・それは癪に触るのう…、日隆、ワシが地
獄に落ちるは構わん…ヘレスによる残留思念なる者を積
んだワシの魂…吸収が回避、手立ては有るか?」
《その御言葉を御待ちしておりました…私めも貴方が魂、
及び犠牲者が方々の残留思念をヘレスによる吸収を阻止
せんが為の使命を受け天より使わされた次第…。」
その時…、
庭園では御濃を初めとする女中や欄丸および小姓達が
必死に交戦していた…本堂及び庭園には相変わらず火矢
が降り注いでいる。