魔物
前回、悪夢にうなされていた信長…その最大因子に
あたる者が現る。
信長は毛利氏討伐に掛かる羽柴秀吉の加勢に向かう
途中で、その軍備を整える為に上洛していた。
京都・本能寺に宿泊し、光秀には先に向かうように
命じていたのだが、その光秀の率いる軍勢一万が信長
自身の寝首を描かんと本能寺を包囲しようとしている
のである。本能寺に泊る信長の手勢はおよそ百名。
この前に信長を巡る環境下で一つの変化が有ったと
いう。信長が居を構える安土桃山城・天守閣内部の茶
室には大きな屏風が有るのだが、その裏には信長をも
支配しているであろう何者かが居る事が有ると家臣達
はおろか親交の有る近隣の大名及び、その家臣達の間
でも噂になっていた。
その姿を目撃してしまった者は語る。
「トカゲの様な顔をした金色の目に縦に切れ目を入れ
たような瞳をした、男だ…。体躯はさほど大きくはな
いが口をパカッと開けておっての…見ると鋭く大きな
歯が口の奥の方まで生え揃っておった…。信長と言え
ば南蛮好きだが、アレも南蛮人なのか?」
「さあ…只、恐ろしく頭の切れる男らしい…常日頃、
信長の政策から兵法に至るまで意見しておるらしいが、
その算段には一部の狂いも無く、信長も頭が上がらん
との事だ。そ奴が居る時は如何なワケか薄気味悪くて
のう…鳥肌が立つので直ぐに分かる。」
「一連、傍若無人な振る舞い…常軌を逸した処刑の数
々もあながち無関係ではあるまいが信長はその男の事
をヘ・レ・ス…と、呼んでいた…ヘレス等と言う倭人
はおるまい。そのヘレス…妖術・幻術を操るが、並大
抵の力ではないそうぞ…。」
しかし、いつ頃からか、その姿は薄気味悪い雰囲気
と共に忽然と消えたという。
その異形の南蛮人ことヘレスが隠れる為の屏風も
汚物を破棄するが如く早々に片付けられた。
本能寺・正門前…
ズバッ!ドシュッ!ガチャガチャ…ズンズン!
ビシュウッ!ドサドサドサァ…
門の両サイドを警護する六人の門番が一刀の元に斬
り伏せられた。斬ったのは明智光秀の従える手練達で
ある。音も無く、速やかに踏み込んではの一瞬の出来
事であった。
何れの門番もピクリとも動かないが各々の口元に手
を翳し、首元に手を当てられ呼吸、脈拍の停止した事
が確認されると手練の兵が成功した事を告げる為か何
処へともなく手を振る。すると…鎧・甲冑で武装した
兵士達が四方八方の大通り・小路を問わず、隠れてい
た物陰から輩出るように集結し始めた。皆、出来るだ
け物音を殺している。
明智光秀軍であるが、その数は休む事無く増え続け、
然したる時間もかけずに一万に及ぶ兵士が本能寺を包
囲する格好となってしまった。
正門・門扉から百八十度、十五メール程、扇状に空
間が保たれ、その中央から斜め四十五度の位置に二本
の松明に点火され、九十度、真正面に床几が置かれる。
そこへ悠然と歩み寄り、腰掛ける男こそが明智光秀
である。光秀はそこから腕組をしながら門扉を睨み付
けていた。が、門扉の付近に野晒しとなっている複数
の門番の遺体、その内の一体が突如、ガタガタと痙攣
し始めた。付近に居て、それを見た者は皆一様にたじ
ろぐ。
ブシュッ!ブブグサグサグサ!
と、反応の良い者達が数人で、その遺体をメッタ突
きにしていくが驚きは隠せない。皆、声こそ殺してい
るものの、呼吸は乱れ、必死の形相である。
ドスッ!ザクッ!ドドン!ズン!ガリガリッ!スーッ
と地面に血溜まりが広がっていく。
「捨て置け!この地には居ないが何処かにおわす魔界の
使者…ヘレスが霊体だけを飛ばしてその遺体に憑り付い
ておるのだ。其れがしの客人である…。」
兵達を光秀が制止しすると、ガシャガシャ…ガシャガシ
ャガシャァ…背中に二本の刀が突き立ったままだが遺体
が這いずり始めた。痙攣しながらも立ち上がり、光秀に
向けて愚鈍な足取りで歩を進める。
「床几を持て…其れがしの左脇で構わん…。」
と、光秀が床几(武将が腰掛ける台)を置かせると門
番の遺体はカチャカチャ…カチャカチャカチャ…と、刀
と甲冑の犇めく音を立てながら痙攣しつつ立ち上がった。
あんぐりと開いた口からは血が滴り、目は白目を向い
ている。すると斬られていないはずの額から顎に掛けて
の正中線に沿ってバカァ!と独りでに割れ目が入った。
何処かに居る実体にも刻まれている傷である。が、そ
の傷跡からプチ…プチプチプチィィ…と、ウジ虫のよう
なモノが湧き出で、直ぐに脱皮して羽を生やしたと思う
や一斉に蠅のように飛び立ち、 プププンッ!と、先ほ
ど刀や槍を突き立てていた兵士達の顔に飛び付くとシュ
ルン!と、鼻の穴から体内に侵入してしまう。その対処
の間も無く兵達がうろたえる事、束の間…ドスゥッ!
「ガハァッ!」その内の一人が突如、自身の腹部に大刀
を突き立てた。続けて
グサッ!ブスゥッ!ザクゥッ!ドシュゥッ!
と、ウジ虫を体内に入れてしまった兵士達(門番の遺
体に斬り掛かっていた者達)全員が自刃、または向かい
合う格好で胸倉を掴むと互いの腹部や喉元に刀を突き刺
し始めたのである。
「ヒッヒィィィッ!」「たっ助けてくれぇぇぇっ!」
「どうなってるんだぁぁっ!」「かっ介錯をっ!」
「死にたくないぃっ!」「かかっ!体が勝手にぃっ!」
「グハァッ!」
皆、意思とは無関係に体が勝手に動いている様である。
ゆっくりと刀を自身や向かい合う相手の体にブスリブ
スリと突き入れ続ける。ヘレスの正中線に沿って割れた
顔面より飛び出したウジ虫達が鼻の穴から脳に到達して
兵士達の体を操っているのだ。 プシューッ!ビュッ…
ビュッ!と、鮮血が飛び散らせながらも捻り、抉り込ま
せていく。
「グゥゥゥ…。」「グギギギ…」「グハ…グハ…」
と、呻き声にも力は失われていくが動きが止まる気配
は無く、力の入れよう自体は衰えないままである。
その有様を見兼ねて数人の兵士が介錯をしようと踏み
出した。が、ヘレスの憑り付いた門番の遺体が右手を掲
げると、ビシィッ!と、介錯を試みた者、全員が金縛り
に合った様に動けなくなった。
間も無く次々と自刃した者達は体を震わせつつ倒れ込
み絶命していくのだが自刃・殺傷行為自体は一、二分続
いた。やがて、それも止まり横たわる兵士達から血だま
りがスーッと広がっていく。動かなくなった兵士達の鼻
の穴からウジ虫達が這い出てきた。血だまりの中をパチ
ャパチャパチャッ!と、泳いで横切る。
役目を終え、ゴキブリ程度の速さで巣たるヘレスの憑
り付く門番の遺体の足元から這い上がり、顔面の正中線
に沿った傷に尻を振りながらコジ入る様に帰って行った。
そして再び光秀に歩を進める。カシャカシャッと、十
数名の者が警護せんと光秀の前に立ち塞がるものの、
「捨て置け!貴様達が束になろうが敵う相手ではない!」
と、光秀がいさめる。ザザァァッ!と、皆、後退るが
光秀だけはヘレスから目を逸らさずにいた。
カチャ…カチャ…カチャカチャ…と、光秀にヨロめき
ながらも歩み寄り用意された床几にガシャッ!と、腰掛
ける。 そこからユラ~…と白目を剥いたまま顔を光秀
の方に向け、何も喋らない。光秀に慌てる様子は無い。
が、視線を正門・門扉に移し意図的に目を逸らした。
「・・・・・・・。」
ヘレスはそんな光秀に向けて不敵な笑みを浮かべる。