4.馬車内にて
レオノワは外出用の若草色の麻布のドレスを着、村に商売に来る若者を真似して編んだ笠の大きな帽子をかぶり
今までひっ詰めていた髪を解いて、三つ編みに編みなおした。胸あたりで垂れる二本の髪の房は赤いリボンで可愛く結んむ、そうしてレオノワはせいいっぱいの〝よそいき〟を施した
急いで磨いたブーツを弾ませ馬車に寄り添う従者に、鞄を渡す
そして他人の手の中の鞄を見て初めて、自分が今まで共に生きていた証は、こんな小汚い鞄一つに収まる事にひどく驚いた。
程なくして馬車は出発するだろう、その前にレオノワは身を乗り出し馬車から教会の姿を覗いた
入り口に立つ牧師、小窓からこちらを除くシスター。旅立つ興奮のままに手を振る
「すぐに帰ってくるわ!お土産買ってくるから!」
シスターらしからぬ大声に、クロニカは拳を振り上げて怒るだろうか、けれどクロニカは壁に身を委ねたまま、微塵も動かずこちらを見ていた
いつもとは違う気持ち悪さを覚えながらも、皆、この村を出たことが無い人達、きっとこれから冒険の旅に向かうレオノワが羨ましいのだろうと、勝手に解釈した
「挨拶はもうよいでしょうか」
「ええ、はい」
母に会ったら母と共にここに帰ってくる予定でいる、それは何か月後の事かもしれないけれど、永久の別れではない
そんな事より、レオノワの心を満たしてならないのは、これから馬車に揺られまだ見ぬ異郷の世界に誘われる事であった。
「では出発いたします」
「あ、いいえ、待って」
若草のドレスに滑り込めせて、ロザリオを取り出し、レオノワはそっと口づけた
「この旅の、神より与えられし者たちの行く手行く道に神のご加護があらんことを、アーメン。」
きっと牧師様も、クロニカもほかのシスターも、加護を祈って下さるわ。
スノウは弁えた様にそれを見守り、やがて剣の鞘で二度ほど馬車の天井を打つと、緩やかに馬車は走り出した。
遠ざかる教会、草のあぜ道を行き、街並みを超え、潮風に押されて門を潜ると、今まで待機していた数十頭の騎馬隊が続いた
レオノワは教会の仲間達、村の住人達が小粒ほどになるまで手を振り、村の外の緑林に差し掛かるあたりで、ようやく腰を落ち着かせ、はあ、と一息
そして落ち着かせて気が付く、砂利道の上を走っているのか、馬車は存外ガタガタと、お世辞にも乗り心地の良いものではなく
レオノワは大きな石ころを乗り上げた車輪の震動と共に、思わず跳ね上がってしまった。
「どうかされましたか」
「ああいえ、こんなに揺れるものなのかと」
「ええまあ、目的のかの地まで二日ですから、それまでご辛抱願います」
「はい…二日?」
「ご辛抱願います」
そう言えばと気が付く、この騎士は何気なく一緒に馬車に乗り込んだけれど、このまま二日この狭い室内を共にするのだろうか
母が生きていた嬉しさに気持ちが浮上して、更には新しい世界を除ける冒険心が合わさって、地に足がつかなくなっていたようだ
はっと正気になって、レオノワは若草のドレスを直した。
馬車の中は重厚な外観とは相成って随分質素な作りになっていた、濃いキャラメル色の内装に真紅の椅子がセンスの良さを伺える
レオノアの隣に鞄、鞄の目の前にスノウが座り、本来は四人掛けまで対応しているようだけれども、不思議と狭く感じている
スノウは剣を片手に馬車には随分慣れた様子で、何か考えを巡らせているように両目を固く閉じているようだった
ふと思い出して、レオノアはかしこまった。
この瞳が再び開かれれば、レオノワの体の芯は瞬く間に射抜れる
そうなればまたあの時のように言いようのない恐怖に苛まれ、逃げ出したくなってしまうのだろうか
母の恩人かもしれないこの人に対すると、なぜこんなに血が騒ぐのだろうか。
レオノアは途端にスノウの息遣いが恐ろしく、持参した麦をこした茶を含み、窓の外に目をやった
窓の外はちょうど草原に差し掛かったあたりだった
いつも村の門からでしか眺めたことのないレオノアには、めったな世界だ
草原の遠くには揺れて知らない町が見えた、地図でしか見た事のない町だ。
あの町の真ん中にそびえる塔は、あれはきっとヨークの町だ、レオノアの住む村から大分離れているのに、もうこんなに来てしまったのか
馬車は居心地の悪いものだけれど、なるほど便利な乗り物である。
ああ、あれはきっとソヤの町!あの丘の建物は英雄の慰霊碑に違いない
けれど視界がぶれてよく見えない、馬車はよく揺れる、もっと凝らさないと、凝らさないと…
「シスターレオノア、貴女をお招きした理由をお話しいたします。」
馬車で出発して半時程、それまでの固い沈黙を破ったにはスノウだった
「…」
「…貴女の身の上についてでございます」
「…」
「これから話すことは他言無用に願います」
「…お待ちください、」
「…、お気持ちはわかりますが、お早めにお耳に入れた方が身の為で…」
「気持ち悪い」
「す。…は?」
「馬車止めて…気持ち悪い!」
キャラメル色の内装か、センスのいい椅子か、はたまたスノウの質素ながら上物の衣か
どこに出しても地獄。
零れそうに両頬を膨らませ、右肩にはスノウの温度を感じ
ややあって間髪なくドンドンと打つ音が遠くで聞こえれば
それはスノウが天井を打ったのだと朦朧としながらも
ああ、もう間に合わない、とレオノワは思った。




