3.騎士の術中
牧師様は、お前はある朝教会の扉の前に捨てられていたんだとレオノワに聞かせた
実際、それ以前の記憶と言えばごくわずかで、覚えているのは母の美しい瓜実の顔を撫で、父のたんと蓄えた口髭を引っ張った記憶だ
よって母の瓜実がどのように美しかったのか、父がどのような口髭だったのか、レオノワにはわからない
両親とは死別だったのか、生きているのか、ただ捨てられたのか。
捨てられたのならどうして捨てられたのか、貧しさが原因か、それ以外か
何歳ごろにここに来たのか、レオノワは聞きたくて仕方なかったが、我慢した
会いたいとは思わない、思ってしまえば堪らなくなる
ここでは事情を抱えた多くの修道女がいて、何も言わずも寄り添って生きる事で支えあっている。
だからレオノワは今のいままで、母の、父の聞かずに生きてこれた
それは一本張りつめた糸に似て、いつ切れてもおかしくない危うさを持っていた
レオノワは再びあの騎士の視界に己が囚われる事にいささかの不安を感じた
けれど、入り口を覗けば、牧師と騎士の話はすでに終わっているようで、レオノワのお使いを待っているのは明確であった
レオノワは観念して戸に手をかけた、不思議なもので教会に入るときにはあんなに軽く感じた扉も、今や十人がかりでないと開けられないほど重苦しく感じた
そんなレオノワを、すぐに騎士は視界の隅に捉えたようだ、つられて牧師も振り返った
「牧師様、言伝のものお持ちいたしました」
「ああ、ありがとう、けれどそれは君のものだ」
「え?」
「中身は君の荷物だよ、すべて詰まっているはずだ」
「…御冗談ですか?」
レオノワは訳が分からずへらへらと笑った、けれど荷物からはみ出るハンカチにレオノワは見覚えがある
これはこの村の教徒エルリックから頂いたユリをあしらったレースのハンカチ
去年の春出稼ぎから戻ったエルリックが、帝都から買い付けてくれたものだった。
レオノワははじかれた様に顔を上げるが、牧師はいつもの全てを慈しむ目をレオノワに向けるだけだった
けれどそれが、今のレオノワにはひどく寒々しく感じた。
「牧師殿、よろしいでしょうか」
「はい、そちらのすべて良いように」
「シスターレオノワ、よくよくお聞きください、」
「…え?」
「先日エカチェリーナ様の安否を確認しました、数か月後に我が屋敷にお招きいただく予定でございます」
「エカチェリーナ…さま?」
「貴女の母君でございます」
直のこと冗談が過ぎている、と。レオノワは二の句が出なかった、息が止まった
先ほど聞いた単語の羅列を、レオノワは理解できない
なんども唾を飲み込もうとしても、すでにのどは乾ききって思うようにならなかった。
「は、母が生きている、って、どういう事ですか」
「北の大地で軟禁の身であった母君の安否を確認した、数か月後には私の屋敷に呼びつける手筈であると申しました」
レオノワの動揺と相成って、スノウは至って事務的に話を進めたがっているように見て取れ、また、すべてに理解の速さを求めるような、そんな厳しい目をしていた
けれどそんな事しったこっちゃない、反応するなという方が無理な話だ
なんせ、死んだか生きているかなんて今まで考えずにきたその人たちの、のどから手が出るほど渇望した情報を、スノウはやすやすとレオノワの前にぶら下げたのだ
騎士は母は生きていると言う、幽閉の身であるとも言う
どうしてそのような目にあっているか、なぜこの騎士が保護するか、疑問が疑問を呼び、もはやそれが誠かどうかなど、正常な判断などとうに出来ない頭
けれど一方の冷静な部分で父はすでにいないことを悟った。
「従って貴女も我が屋敷に招きたく参上いたしました」
騎士はついに確信めいたものをレオノワに言い放つ
レオノワは足元がふらつき、地面に膝をついてしまった。この騎士の言っていることが信じられない
とたんに金づちで殴れたかのように辺りが暗くなり、どうしようもなく眩暈する
男たちが言っている事はこんなにも単純明快であるのに
「母君に会いたいですか?」
騎士は通じて、この一言を投げかける
見上げたスノウの顔は、濃い影が落ちて伺えない
でもレオノワにはわかる。
そんな風に言われたら、親を知らずに育ったレオノワがなんて言うか心得ている、そんな顔をしているのだろう
「会いたいわ、会わせて」
そしてレオノワはやすやすと、その策に溺れていく己を見たのだ。




