第 4 章
第 4 章
翌日の朝、馬車の音が聞こえてきた。
「ま・・まさか・・」
という思いで玄関に慌てて駆け寄るアン。
玄関に着いて扉を開けると・・・・・
そこにはエドワードが立っていた。
アンは何も言葉が出なかった。
「おはよう、アンジェシカ」
優しい眼差しで見つめるエドワード。
「あっ、おはようございます」
突然の来訪にアンは戸惑うだけだった。
「申し訳ないね。突然お邪魔して」
エドワードの顔は少し曇ってる様に見えた。
「公爵様・・・どうかなさったんですか?」
アンが気がついて問いかけた。
「ん・・・実は父の容態が良くないのだよ
そこで君には大変申し訳ないが・・・一緒に来てくれないだろうか?」
「え?!一緒にって・・・」
アンがうつむいた。
「君からの返事を待ちたいところなんだが・・・時間がなさそうなんだ
だから・・・仮でもいいんだ一緒に来てくれないか?」
エドワードのこんなに不安げに困った顔を見て
アンは断ることなどできず一緒行くことにした。
馬車に乗ったアンは、
窓の外を見るばかりで一言も話さなかった。
それもそうだろう・・・・・
アンの心はもう、カインのことで一杯だったのだから・・・・
屋敷に到着した馬車からアンが降りた。
目の前に飛び込んだ風景にアンは驚いた。
遥かに自分の屋敷より数倍大きい屋敷だった。
その敷地は広大で、永遠と広がるかの様な緑豊かな庭園
庭園の中央には池や噴水などが設けられてあった。
アンはそれを見た瞬間、現実を叩きつけられたかのように思えた。
重苦しい気持ちでアンは屋敷に入って行った。
長い、長い、廊下を歩いて行くと突き当たりに扉が見えてきた。
白く大きい扉には金の装飾が施されていた。
その扉が開かれた時、アンは息を呑んだ。
広い部屋のほぼ中央にある大きなベットには老人が横たわっていた。
そこに横たわっている老人こそが、エドワードの父アンドリューだった。
父はエドワードと正反対に白髪でやつれた顔していた。
アンはアンドリューの姿を見て胸が苦しくなった。
「父上、前にお話したアンジェシカを連れて参りました」
エドワードが父に近寄って行った。
アンもエドワードの後に続いて、ゆっくりと近づいた。
「おぉ、アンジェシカもっとこっちに来て顔を見せてくれ」
少しうわずった声でアンドリューが言った。
アンドリューに言われて、アンがゆっくりと近づいた。
「はじめまして。アンジェシカ レトワールでございます」
アンが物静かに一礼をして挨拶した。
アンドリューはニッコリと微笑んでアンに言った。
「どうか、息子をよろしくお願いします・・・」
そう言ったアンドリューの瞳には紛れもなく死期が近いことを語っていた。
アンはもっと胸が苦しくなった。
この明日をも知れぬ老人を目の前に自分の想いを貫けただろうか。
アンは何も言えず、ただニッコリと微笑んだ。
それからアンドリューの部屋を後にしたアンとエドワードは
屋敷の外の庭園を散歩した。
「本当に申し訳なかったね。
君の返事を聞く前にこんなことをさせてしまって」
「いえ・・・少しでもお役に立てたのなら・・・」
アンはそれ以上、言葉を言えなかった。
自分をとても気遣ってくれる
優しいエドワードとあの父に対する想い。
そして、心の中にあるカインへの想い。
その葛藤は想像を絶するものだった。
「アンジェシカ・・・」
エドワードが立ち止まって言った。
「返事を急がせるつもりはないんだが・・・状況が刻一刻と・・・・・」
そう言ってアンを見つめた。
アンはエドワードの瞳など見ることができなかった。
「公爵様、本当に申し訳ありません・・・こんなにお時間をお掛けしてしまって」
アンの言葉にエドワードが慌てた様子で言った。
「いや、君は何も謝ることなどないんだ!
むしろ、謝らなくてはいけないの私の方だ・・・」
エドワードの言葉はアンの胸を突き刺した。
こんなにも優しい方をどうやって見捨てられただろう。
アンの性格では見捨てることなどできなかった・・・
アンは心の奥底に
カインへの気持ちを封印することを決心しつつあった・・・
自分の屋敷に帰ったアンに執事が駆け寄った。
「アンジェシカ様」
「先ほど、侯爵カイン ライカス様がお尋ねに参りました」
アンは目を丸くしてとても驚いた。
それもそのはず、カインとは、名前だけ知ってるだけで階級など知らなかったからだ。
「ええ!?侯爵様?」
アンはもう一度聞きなおした。
「はい、侯爵家カイン ライカス様です・・
どうかされましたか?アンジェシカ様」
執事は不思議そうにアンを見つめ答えた。
それを聞いたアンは魂が抜けるように、スーと自室へ戻っていった。
「アンジェシカ様!」
執事の声などもう聞こえてはいなかった。
自室に戻ったアンは窓辺に座り込んだ。
「あの人・・・侯爵様だったのね・・・」
「でも・・・もう・・・」
アンにはどうすることもできなかった。
侯爵と言えどもエドワードの公爵という階級には勝てなかった。
「何故・・こんな階級世界に生まれてしまったの・・・」
またアンの大きな目から涙がこぼれた。
アンの選択肢は殆どなかった。
カインへの気持ちを貫けば立場上どうなることか・・・・
母にだって絶対に許してもらえないことも判っていた。
「私には選ぶことなどできないのね・・・
自由など・・・どこにも・・・」
そこには、目に見えぬ権力という束縛と
親からの束縛がアンの心の中で鎖みたいに縛り付けていた。
アンは時間も忘れて窓辺に座って沈み込んでいた。
外はすっかり夜が更けていた。
そんな時、ふと窓の外に目をやったアンは心臓が止まりそうになった。
アンの目に飛び込んできたのは、月の光に照らされたカインの姿だった。
アンは知らないうちに外へ飛び出していた。
「カイン様・・・」
アンがカインに駆け寄った。
「アンジェシカ!まだ起きていたのか」
カインは驚いた顔で言った。
「カイン様こそ、こんな時間にどうされたのですか?」
「あぁ、昨日約束したのに・・・君がいなかったから・・・」
カインはそう言うとアンを馬に乗せた。
「えっ?!」
アンはカインの態度に驚きを隠せなかった。
「ちょっと付き合ってもらえるかな?」
そう言ってカインは馬を走りださせた。
「こんな時間にどこへ行くのですか?」
アンの心臓は今にも爆発しそうになった。
「いいから。黙って一緒に来てくれ」
カインのいつもと違う態度にアンは何も言えなくなった。
暫く暗闇の中を走った先に見えてきた光景に
アンは目をパチパチさせた。
「カイン様!これは・・・」
そこには、キラキラと光を放つものが飛び回っていた。
馬を止め、アンを馬から降ろしたカインが言った。
「君に是非これを見せてあげたくてね」
そこはまるで星空の中にいるかの様な光景だった。
「すごく綺麗・・・・」
アンは息を呑んだ。
「喜んでもらえたみたいだな」
カインがアンを見つめながら優しく言った。
「とても素敵です!こんなの見たの初めて・・・」
「これはね、蛍って言うんだ」
カインは光の一つを掴みアンに見せた。
「まぁ!光の正体はこの虫だったのですね」
アンがニッコリ笑って言った。
二人は暫くの間、その光景を眺めていた。
時を忘れ、眺めていたアンにカインの一言が耳に入ってきた。
「アンジェシカ、今日は公爵家に行っていたんだって?」
アンは突然の問いに驚いた。
「えっ・・・えぇ・・・」
アンは思わずうつむいて答えた。
「そうか・・・・・・それから、何故急に私をカイン様と呼ぶのだ?」
「え!だって・・・・・
侯爵様だったなんて知らずに・・・申し訳ありません」
そんなアンの返答にカインは少し眉をしかめた。
「アンジェシカ・・・私は階級など気にしたことなどないよ
今までどうりに接してくれないか?」
カインのブルーの瞳がアンを見つめた。
その瞳は少し寂しそうに見えた。
「あ・・はい・・・申し訳ありません・・・」
アンの言葉にカインは少し怒った。
「アンジェシカ!何を謝ってばかりいるんだ君らしくもない・・・
いつもの素直で自然な君でいてくれないか!」
アンは驚いてカインを見つめた。
自分より上の階級でありながら、
こんな事を言われたからだった。
そんなカインに、アンは一段と惹かれていった。
「わかりました」
アンはニッコリと微笑んだ。
「それよりも噂を耳にしたのだが・・・
ちょと聞いてもいいかな?」
カインが真剣な顔で問いかけた。
「噂?なんでしょうか?」
アンは不思議そうに答えた。
少し言いずらそうにカインが言った。
「・・・公爵家の父君の容態が思わしくないのは私も聞いている。
そこで、父君の願いの為にエドワード公が伴侶を探していると・・・
その伴侶に君が選ばれたと聞いたのだが・・本当かい?」
カインは真っ直ぐな瞳でアンを見つめて言った。
アンの胸に激痛が走った。
アンはカインの瞳を見れなくなって目をそらした。
「そんな噂を耳にされたのですか・・・」
アンがポツリと言った。
「アンジェシカ、本当なのか?」
カインがアンに近寄って聞きなおした。
「えぇ・・・本当のお話です・・・」
アンはうつむいたまま呟いた。
アンの言葉を聞いたカインは思わずアンを力強く抱き寄せた。
「!!」
アンは驚いて声もでなかった。
「アンジェシカ・・・・君はどうするんだい?」
カインがそっと低い声で呟いた。
アンの心は引き裂かれそうになった。
「私・・・・・・・お優しい公爵様やお母様や・・・
アンドリュー公爵様のために・・・」
アンがそう呟いて言葉を詰まらせた。
その言葉を聞いてカインは、アンの肩を掴みアンの顔を見た。
「アンジェシカ、君の気持ちはどうなんだい?」
アンは暗闇の中、蛍の光が映るブルーの瞳を見つめた。
「私・・・・・・・」
アンはカインの瞳を見つめながら涙ぐんだ。
その時、いきなりカインがアンの唇を奪った。
「!!」
アンは突然のことに驚き目を見開いたまま固まった。
そのキスは・・・・強引だけど、
とても優しく一瞬にして何も考えられなくする様なキスだった。
頭が真っ白になって固まっているアンを優しく抱きしめ、甘く優しく囁いた。
「アンジェシカ・・・君を愛している・・・・」
真っ白なアンの頭の中にカインの言葉が鳴り響いた。
「え?・・・・・・」
アンジェシカの心に何かが生まれた。
「君に初めて出会った時から、君を好きになっていた。
それから君に会うたびに君に惹かれていった」
カインはアンを見つめ優しく囁き続けた。
「そんな時、公爵の話を聞いて・・・
何も手につかなかったよ・・・・
君のことばかりが頭をよぎって・・・」
アンの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「あっ、すまない!」
アンの涙を見てカインが慌てて謝った。
「いいえ・・・カインさん。謝らないでください」
アンがやっと話だした。
「私・・嬉しいんです・・・私も・・・あなたを・・・・」
その言葉を聞いてカインはまたアンを抱きしめた。
二人は時を忘れ蛍の光が飛び交う中、抱き合っていた・・・・
そして、夜が明ける頃アンは屋敷に戻った。
屋敷に戻ったアンに待ち受けてたいたものは・・・・
過酷な現実だった。