第 1 章
第 1 章
「アン!アン!」
母の声が屋敷中に響き渡る。
今日はアンの18歳の誕生日。
夜は社交界デビューのために舞踏会が開かれた。
「お母様、アンはここです」
ドレスに着替えたアンが母の声のするほうに走り寄る。
「アン・・・良かったわ。仕度はできていたのね。」
アンの姿を見てホッとする母。
「はい!お母様。今夜は私が主役ですもの」
にっこりと満面の笑みで答えるアン。
その間に続々と客人は訪れてきた。
「公爵家ご子息様、エドワード フォーレン様ご到着!」
執事の声が聞こえた。
その声を聞き、母は急いで出迎えに行く。
アンの元を去りながら母は
「アン、いいこと!
エドワード様には絶対失礼のないようにね!
出来る事なら気に入られなさい!!」
そう言い残して母は去って行った。
アンは心の中で、母の思惑を知っている。
そう、名誉や権力や財産に囚われた政略結婚・・・・
アンは心底嫌な気分になった。
しかし、親を想うアンは、母の言葉に従わざる終えなかった。
いや、従わなければいけない時代でもあった。
続々と現れる客人の中に、アンが幼い頃から仲の良い人物が現れた。
「男爵家ご子息様、ギルフォード バルギス様ご到着!」
アンは嬉しそうに二階の窓から覗いた。
ギルはすぐアンに気がつき手を振った。
アンも微笑みながらギルに手を振り返した。
たくさんの人が集まる舞踏会・・・・・
その人々が想う 企み、思惑、駆け引き。
アンはそんな汚れた世界にこれから行くのだった。
そんなことなど知りもしない、まだ純真無垢なアンは広間へとゆっくりと歩き出した。
「さて、皆様。我が娘を紹介します」
父トレットが自慢げに言った。
広間の中央にある、一番大きな扉がゆっくりと開いた。
「我が娘!アンジェシカです」
アンが恥ずかしそうに頬を赤く染めてゆっくりとゆっくりと広間に入って来た。
アンは背が低い方で体も細身だったので、皆の者にはまだまだ幼く見えた。
アンは父の元へと歩み寄り、自己紹介をした。
ゆっくりと息を吸い込むアン。
背筋をピンと張り、その容姿からは想像できないくらい堂々とした態度で
「皆様、今宵は私アンジェシカ レトワールの為にお集まり頂き
誠に、有り難うございます」
その声は、容姿と似合うくらい可愛らしい声だった。
しかし、その容姿と声とは裏腹に態度は堂々たるもので集まった人々は感心した。
「まあ、何て可愛らしいのにしっかりした子なんでしょ」
父と母は、そんな人々の声を聞き安心した表情を浮かべた。
アンの登場でパーティーが始まった。
アンは堂々としていたものの、内心はとても緊張していた。
パーティーが始まったのを見てアンは一度テラスに出て緊張をほぐす事にした。
その姿をずっと見守っていた幼馴染のギルが後を追った。
「アン、大丈夫か?」
心配そうに寄ってくるギル。
アンはギルの姿を見たとたんに緊張の糸が切れた。
「ギル!」
とても嬉しそうに駆け寄るアン。
「良かった、ギルに会えて安心したわ」
涼しい夜風が二人の間を通り抜けた。
「やっぱりな、かなり緊張してたな?」
ギルがクスクスと笑った。
アンはギルのそんな姿を見てもっと安心した。
そんな安堵もつかの間に広間から母の呼ぶ声が聞こえた。
「アン、アン!どこですか?」
アンはまた緊張した面持ちで広間に戻ろうとした。
「ギル・・・ごめん。ちょっと行ってくるね」
「ああ・・アン、頑張れよ」
ギルの一言に先ほどよりは緊張せずに広間に戻れた。
「お母様、ごめんなさい。少し風に当たっていました」
母に駆け寄りながらアンが言った。
「アン、紹介する人がいるの。失礼のないようにね!」
耳元で母が呟いた。
「公爵様、こちらが娘のアンです。」
紹介されたのはアンより11も歳の離れた公爵家子息、エドワードだった。
アンはすぐ母の思惑を悟った。
「はじめまして、アンジェシカ」
アンが公爵を見上げる様に見た。
公爵は長身で、漆黒の黒髪にグリーンの瞳が印象的な
アンには吊り合わないほど大人ぽい感じの男性だった。
「はじめまして、公爵様」
アンはにっこりと微笑みながら言った。
アンを見た公爵は一目でアンを気に入った。
「一曲、踊って頂けますか?」
白手を着けた大きな手がアンに差し伸べられた。
母の視線と思惑を感じながらアンはその手を取った。
広間に軽やかな演奏が流れた。
公爵の肩ほどにも届かない小柄なアンはリードされるままに踊った。
「アンジェシカ、また明日会ってくれないか?」
踊りながら公爵が突然言った。
アンはびっくりした表情で公爵を見上げた。
「え?今・・・何て言われましたか?」
公爵が優しく微笑みながらもう一度言った。
「明日、また私と会ってくれないか?
こんなに歳の離れた私とでは、嫌かな?」
アンの頭に母の言葉がよぎった。
ここは公爵様に失礼のないようにしなくては・・・
「いえ、光栄なお言葉、ありがとうございます」
にっこりと微笑み返しながらアンは言った。
そんな様子をずっと見守っている人物がいた。
それはギルだった。
公爵との約束をし、踊り終わったアンにギルが近づいて来た。
「アン、今度は俺と踊ってくれるか?」
アンはギルの姿を見て嬉しそうにニッコリと笑って答えた。
「うん!もちろんよ」
二人は軽やかな演奏に合わせて踊った。
「さっき・・・公爵と何を話していたんだ?」
不安げにアンを見つめるギル。
「あのね、明日もう一度会ってほしいって言われたの」
少し下を見ながらアンが呟いた。
「そうか・・・」
そう呟いたギルはアンの手をぎゅっと少し力強く握った。
アンは驚いてギルを見た。
ギルを見たアンは、ギルの初めて見る不安な表情にまた驚いた。
「ギル・・・どうしたの?何か変よ?」
アンの問いかけにギルが答えた。
「アン・・・不安にさせてごめん。少し酔ったかな?」
ギルがアンの問いかけを交わすように答えた。
「なぁ、公爵の事、どう思う?」
ギルがさり気なく問いかけた。
「え?どうって・・・」
「母のためのお付き合いよ。私自身は興味ないわ」
アンがきっぱりと告げた。
それを聞いたギルの表情が和らいだ。
「そっか、そうだよな。歳、離れすぎだよな」
ギルがクスクスと笑いだした。
アンはギルの態度に不思議そうに見つめていたが
いつものギルに戻ったのが嬉しくて一緒にクスクスと笑いだした。
しかし、ギルの心の片隅には嫌な予感を感じていた。
時間はあっという間に過ぎて、パーティーが終わりを告げる。
アンの両親は、公爵のアンへの気持ちに気が付き、嬉しそうに公爵をお送りした。
そんな両親の気持ちとは正反対にアンは、明日の事を考え気落ちしていた。
「アン、明日は公爵様とのお約束があるのだから、早くお休みなさい!」
母がニコニコと満面の笑みで言った。
「はい。お母様・・・お休みなさい」
アンは自分の部屋へと戻って行った。
月夜に照らされるベットにアンは倒れこんだ。
「はぁ〜気が重いなぁ・・・両親のためとは言え・・・」
アンが浅い眠りのまま夜が明けた。
屋敷の中は朝から騒々しく、公爵様の到着に向けて動いていた。
気が重いままアンは目覚め、朝食もろくに採れなかった。
そんな中、公爵がアンを迎えに来た。
「お早うございます!アンジェシカ」
清々しい顔で公爵が言った。
「あ、お早うございます。公爵様」
昨晩と同じ緊張した表情でアンが言った。
「じゃあ、レトワール伯爵、アンジェシカをお借りします」
そう言うと公爵は、自分の乗って来た馬にアンを乗せた。
「お気をつけて公爵様、ごゆっくりどうぞ」
満面の笑みで母が言った。
アンは時と同じく流されるまま、公爵の胸に抱かれながら馬に揺られた。
雲ひとつない青空の下、公爵は静かに流れる川辺にアンを連れて行った。
川辺には小さなたくさんの花が咲いていた。
「わぁ〜!とても綺麗な所ですね!」
アンは少し緊張がほぐれた様子で嬉しそうに言った。
「気に入ってもらえて良かった」
公爵は馬を止めアンを下ろしながら言った。
キラキラと太陽の光が注ぐ川にアンは見とれていた。
すっと、横に影を感じたアンがその影の方に振り返った。
「アンジェシカ・・・今日、君を誘ったのには理由があるんだ」
横に並んだ公爵が真剣にアンを見つめて言った。
そんな真剣な公爵を見上げるようにアンは見つめた。
公爵はアンの両肩を持ち自分に向けた。
アンは何が何だかわからず、ただ、ただ、公爵を呆然と見つめてた。
「アンジェシカ・・・私は昨日、君と初めて出会って・・・
私は、君に心を奪われてしまったようだ」
公爵の言葉にアンは驚く余裕もなく、真っ白になってただ呆然としていた。
「アンジェシカ、私と結婚してほしい」
公爵のグリーンの瞳がアンを映す。
公爵の言葉を理解できないアンが目を丸くして見つめ続けていた。
どれだけの時間が経ったのかさえ分からないくらいアンは真っ白になっていた。
そんなアンを見て公爵はすっと距離を置いた。
「急な話ですまない・・・
本来ならばもっと時間をかけて話を進めるべきなのだが・・・」
公爵はとても紳士的な態度でアンに接した。
やっと正気を取り戻したアンが言った。
「公爵様・・・大変嬉しいお話なのですが・・・私はまだ結婚とか考えられません」
アンの返事に公爵の反応は以外に冷静だった。
「それも重々承知の上で申し上げている。しかし、私には時間がないのだ・・・」
光る川辺を見つめながら公爵が言った。
アンはそんな公爵を見つめながら問いかけた。
「時間がない・・?どういうことですか?」
公爵は少し険しい顔で答えた。
「父上が病気なのです・・もう・・先が長くないと医師に宣告されたのです」
アンは公爵の言葉に息を呑んだ。
「だから・・父の望みでもあるのですが
早く伴侶を見つけて後を継いでほしいと・・・」
アンは公爵の悲しそうな顔に心を打たれた。
「そうだったのですか・・・なんと申し上げたら・・」
アンは切ない表情で川辺を見つめた。
「アンジェシカ、私には時間が無いけれど君はまだ若い
君に無理強いするつもりも無いんだ、確かに父の事はあるが・・・・
私は本当に君を好きになったから言ったんだ」
真っ直ぐアンを見つめるグリーンの瞳は、
嘘、偽りなど微塵も感じさせる事はなかった。
「お話はわかりました。公爵様・・・どうか数日お時間を下さい」
アンが今、言える言葉はそれだけだった。
「良いお返事をお待ちしおります」
公爵は優しくアンを見つめ微笑んだ。
屋敷に戻ったアンはすぐさま母に捕まった。
「アン!こちらに来なさい」
アンは少し嫌な面持ちで母の元へ行った。
そんなアンとは逆に、ニコニコと笑ってる母。
「ささ、どうでしたの?ちゃんと母に教えてちょうだい」
少し身を乗り出してアンに問いただす母。
アンは本当の事は話したくはなかったのだが、
いずれ母の耳にも入る話だったので仕方なく話した。
「えと・・・・・」
アンは重たい口調で話した。
「えと、・・・・け・・・・結婚・・を・・・」
と言いかけたとたん母はアンの手をぎゅっと握り締めた。
「偉いわ!アン!!」
「あなたならやってくれると思ったわ!」
今にも踊りだしそうな勢いで母が喜んだ。
「お母様・・・まだ・・お話は終わってないわ・・」
アンはとても困った顔で言った。
「何?何なの?」
母はアンの手をがっちり握ったまま言った。
「まだ・・お返事を返してないんです。待ってくださいと・・・」
アンがうつむいて言うと母が急に険しい顔になった。
「なんですって!何が不満なの!
あんなに素晴らしいお方は他におられないわ!!
アン!すぐお返事をなさい!!」
アンの気持ちなどまったく無視して母は怒り口調で言った。
アンはそんな母に耐えられなくなり、母の手を振り払って自分の部屋に駆け出した。
「アン!お待ちなさい!!」
母がアンを追いかけた。
アンは自分の部屋に駆け込み鍵をかけた。
「アン!アン!ここを開けなさい!!」
母がドアをドンドンと激しく叩きながら言った。
アンはそんな声と激しく叩かれるドアの音に両手で耳を塞いでベットに倒れこんだ。
返答のなさにとりあえず諦めた母はアンの部屋の前を去った。
静かになったアンの部屋の中には重い空気が漂っていた。
「どうしたらいいの・・・」
アンが心の中で呟いた。