第 9 章
第 9 章
暖かい・・・・
暖かさを感じてアンはゆっくりと目覚めた。
そこは・・・・今までいた家とは大違いの大きな部屋だった。
と、同時にアンの寝ている隣に人肌を感じた。
「!!」
アンは慌てて起き上がった。
起き上がったアンはさらに驚いて慌ててまた布団に潜った。
「え?え?」
アンの頭の中が真っ白になっていた。
「私・・私・・え?・・・服が・・・」
アンは布団の中でパニックになっていた。
パニックになるのも仕方が無い、アンは裸で布団の中にいた。
一生懸命冷静さを取り戻そうとしていた時・・・
隣に感じていた人が動きだした。
「ん・・・・」
寝ぼけたようなうめき声を聞いたアンは耳を疑った。
「え?・・・・・」
アンは布団に包まりながら、そうっと、布団から顔を出した。
そのアンの目に飛び込んできたのは・・・・・サラサラとした金髪の前髪から覗かせた
ブルーの優しい瞳だった。
アンは声もでなくなり、完璧に放心状態だった。
そんなアンの表情を見た
ブルーの優しい瞳が、ほっとした瞳に変わった。
「良かった・・・・」
そう呟かれた声はアンの心に響いた。
その声と瞳は確かにカインだった。
カインだと認識すればするほど、アンは放心状態に陥った。
その様子を見てカインはクスっと笑った。
その笑いにアンは少し我を取り戻した。
「あっ・・・あ・・・」
しかし出てくる言葉はそれだけだった。
そんなアンをカインはそっと抱き寄せた。
「アンジェシカ・・・もう離さない・・・・」
甘く、優しく、低い甘美な声がアンの頭に木霊した。
カインはそう呟いたままアンを離そうとしなかった。
アンはカインの温もりを直接肌で感じながら
何かが頭に浮かんだ。
アンの頭に浮かんだものはまるで・・・・・
時間を逆行させるかの如く
失った記憶を呼び覚ましていった。
「カ・・・イ・・・ン・・・」
アンが呟いた。
カインはアンの言葉を聞いて
ブルーの瞳を大きくさせアンを見つめた。
「アンジェシカ・・・・まさか・・」
アンは大粒の涙を流しながら
真っ青なブルーの瞳を見つめた。
「カイン・・・カイン・・・」
ただ、ただ、ぼろぼろと涙を流しながら
カインの名を静かに呼び続けた。
「アンジェシカ・・・」
そう呟いてカインはアンに切ないほどの口づけをした。
アンはカインに口づけされながら、心の中が解き放たれる感じがした。
カインの口づけはまるで・・・・・カインの心がアンの中に流れ込むようだった。
アンの心はカインで一杯になった。
二人はお互いの存在を確かめ合うかのように
ゆっくりと、ゆっくりと、肌を重ねあった。
カインの細く長い指がアンの体をゆっくりとなぞっていく・・・
アンの正気を失くすかのように体中にキスをする・・・
カインの暖かな唇・・・・アンはそのすべてを全身で感じ続けた・・・・・
カインの肌と体重を感じた時・・・アンに未知の衝撃が走った。
「!」
アンは思わずカインの背中にしがみつくかの様に爪を立てた。
そんなアンに優しく甘い低い声でカインが呟いた。
「大丈夫かい?アンジェシカ・・・」
アンは頬を赤く染めながら・・・・静かにうなずいた。
ゆっくりとアンの上で動くカインの存在にアンは・・・・・・
この世のものとは思えない、快感と幸福を全身で感じた。
快感と幸福が絶頂に達した時、アンは意識を失っていった・・・・・
アンはあの村で、アンナとジェイドが崖から落ちてゆく姿を見て
ショックのあまり気絶した時に、少しずつ記憶が戻っていた。
アンが気を失って数時間後、カインはアンを迎えに村に来ていた。
村人からアンの住んでいる場所を聞き
急いでアンの元へ向ったカインに待ち受けていたものは・・・・
赤い鮮血が転々と続く道だった。
血の気を引くのを感じながら、カインは急いで血の続く道を辿って行った。
その先に到着したカインの目に飛び込んだのは・・・・
真っ白な雪の布団に包まれて、倒れているアンだった。
慌てて抱き上げたアンの体から出血がないことを確認したカインは
凍えきったアンを、急いでジェイドの家に運び暖めた。
体温は徐々に戻ったのだが、全然意識が戻らなかったアン。
そんなアンをカインは、馬車を用意して自分の屋敷に連れ帰った。
意識が戻らないアンは、時々ベットの中で震えだした。
このままでは・・・と、思ったカインは人肌でアンを暖め続けた。
そしてアンが目覚めた時・・・・・・
二人は長い、長い、試練を乗り越え真実の愛を手に入れた。
「アンジェシカ・・・アンジェシカ・・・」
アンは愛しい声で目覚めた。
「ん・・」
薄っすらと開けた瞳に、愛しいカインの姿が映った。
「おはよう、アンジェシカ」
優しい微笑みを浮かべたカインがアンの顔を覗いていた。
「あっ・・・おはようございます・・」
アンは一瞬でカインと愛し合った事を思い出し、顔を赤裸々にした。
そんなアンの表情を見て、クスっと笑ったカインは昔と何も変わっていなかった。
「いつまで眠っているんだい?眠り姫」
からかい気味にカインが言った。
「え!?ご・・ごめんなさい」
アンが少し布団に顔を潜らせて言った。
その姿を見てカインはクスクス笑った。
「右の扉に浴室があるから、お風呂に入っておいで。
それから、左の扉に服を用意してあるから着替えて下りておいで」
そう言ってカインはクスクス笑いながら部屋を出て行った。
「笑いすぎよ・・・」
ポツリとアンが呟いてベットから起きた。
ベットから起きて、目に飛び込んだ風景にアンは驚いた。
外は真っ白な白銀の世界になっていた。
その瞬間・・・・・
カインのことで頭が一杯になっていたアンを現実に引き戻した。
アンは、あの恐ろしい出来事とジェイドのことを思いだした・・・
アンは涙ぐみながら、お風呂のお湯に顔をつけた。
「ジェイドさん・・・私は・・・あなたに何もできず・・・」
アンは辛い記憶を、何もかも洗い流すかの様に、泣きながらお湯を浴びた。
少しずつ落ち着いてきたアンは、浴室から出て左の扉を開けた。
扉を開いたアンは、目を見開いたまま固まった。
「え?・・・・これは・・・」
そこにあったのは、たった一枚の純白のウイディングドレスだった。
アンはわけも分からず、それしか着る服がなかったので着替えた。
「一体・・・・どういうことなの・・・?」
頭に疑問を抱きながら、言われた通り下に降りた。
色鮮やかなステンドグラスの光が照らされた、真っ白の大きな階段は
まるで虹の階段に見えた。
アンはゆっくりとドレスの裾を持ち、虹色に輝く階段を下りた。
下りた階段の真正面に大きな、大きな、扉があった。
静かに扉を開いた瞬間・・・・
アンは今までの辛さを忘れるくらいの、素晴らしい光景が広がっていた。
一番最初にアンの目に飛び込んだのは、高い天井に届くほどの
大きなクリスマスツリーだった。
そのツリーに見とれているアンの側に、白のタキシードを着たカインが近づいてきた。
「アンジェシカ こっちへおいで」
優しい声でカインはアンを誘った。
カインはそっとアンの手を取り、大きなツリーの下までアンを連れて行った。
ツリーの前で立ち止まったカインは、細長い指をスっと指した。
アンは指の指す方向に目をやった。
そこには、小さなプレゼントがポツンと、一つだけツリーの下に置かれていた。
「アンジェシカ・・・メリークリスマス・・」
カインがそっと囁いた。
アンは静かに座り込みプレゼントを手に取った。
「あの・・・」
戸惑いながらアンが言った。
「開けてごらん」
カインが微笑んで言った。
手のひらに乗っかるほどの小さなプレゼント
それは真っ白の包み紙で、真っ赤なリボンをした可愛い贈り物だった。
アンは一呼吸してからプレゼントを開けた。
その箱の中には・・・キラキラと光輝く指輪が入っていた。
その指輪を見つめているアンの後ろからスッと、カインの手が伸びてきた。
アンを後ろから包み込むように抱き締め、アンが持っている指輪を手にすると
アンの左の薬指にそっとはめ、アンを優しく力強く抱き締めた。
「アンジェシカ・・・結婚しよう・・」
アンの耳元でカインが囁いた。
その言葉にアンの胸が大きく鼓動した。
アンは、抱き締められた小さな肩を震わせた。
アンはそっとカインから離れた・・・・
「カインさん・・・・私・・・・あなたと結婚するわけにはいきません」
カインはその言葉を聞いて驚いて立ち上がった。
「何故だ!アンジェシカ!」
アンの肩を取り言った。
アンは手にはめた指輪を見つめながら涙を流して言った。
「私・・・ジェイドさんに何も・・・何もしてあげれなかった
彼の気持ちにさへ・・・何も答えることさえ出来ず・・・
彼は・・彼は・・・・私だけ幸せになるなんてできません」
アンは顔を手で覆って泣き出した。
そんなアンを優しく抱き寄せた。
「アンジェシカ・・・・君の気持ちはよくわかった。君の気が済むまで私は待つよ」
アンを支えるようにカインが言った。
アンは暫くの間、カインの元で静養しカインの温かな愛情によって元気になっていった。
しかし、体は元気になっていっても
アンの心はジェイドに対しての罪悪感で蝕まれていった。
「カインさん、私・・・村に戻ってみたいのですが・・」
罪の意識で笑顔までもが消えそうになった頃
アンはこのままではいけないと思いカインに話した。
「そうか・・・わかった。
だが、私も同行するよ。それはかまわないね?」
もうアンを失いたくないカインは
自分が一緒に同行することで同意した。
「あ・・・はい・・・・」
アンはカインにまで迷惑をかけることも罪悪感として感じた。
カインはすぐに、執事に馬車の用意をさせ、その日のうちに屋敷を出発した。
真っ白の雪の世界を、アンとカインを乗せた馬車が走って行く。
馬車の中でアンは思いつめた顔をしながら沈黙していた。
カインもアンの様子を見て、あえて何も話さなかった。
ただそっと、アンを見守っていた。
夜には馬車は村へ到着した。
そのままジェイドの家に向った馬車の中から
アンは苦しそうな顔でジェイドの家を見つめていた。
ジェイドの家は明かりはついておらず誰もいないことは一目でわかった。
「アン、今日はもう遅いから明日改めて出直そう」
カインはアンの気持ちを察して町に馬車を行かせた。
アンは一言も話さないままだった。
宿をとったカインは、アンと一緒の部屋にしたい気持ちを抑えて
別々の部屋にしてあげた。
「アン、今日は旅の疲れを癒してゆっくり休みなさい」
カインはそっと自分の部屋に戻った。
アンは屋敷を出てからずっと黙り込んだまま、思いつめた顔をしていた。
アンはカインに何も告げず部屋から出てフラフラと宿の外に出た。
町は静けさに包まれていた。
何故かアンがフラフラと歩きついた場所が・・・・
アンの入院していた病院だった。
「あ・・・ここは・・」
アンは病院の建物を見上げた。
その時、病院の窓から見ていた看護婦がアンに気がついた。
慌てて看護婦が外に飛び出してきた。
「あなた!アンさんでしょ?」
「あっ・・・はい」
驚いたアンが返事をした。
すると、看護婦はアンの手を掴み病院の中に連れて行った。
「あなたのことをずっと探していたのよ!」
アンの手を引きながら看護婦が連れて行った場所には・・・
訳の分からないまま、病室に連れてこられたアンの目の前に
無残な姿に変わり果てたジェイドがベットに横たわっていた。
「!!!」
アンの胸が張り裂けそうになった。
「数週間前、村の浜辺に打ち上げられてるのを発見されて
ここの病院に運ばれてきたのよ」
看護婦が話し始めた。
「運ばれて来た時は・・もう・・だめかと思ったわ
何とか一命は取りとめたものの・・・もう彼は
右目は失明、右肩は神経まで切られていて
もう使うことはできない状態よ・・・・・それから・・・・」
看護婦は一旦ためらった言い方をした。
「なんですか?教えてください」
アンは泣き出しそうな気持ちを抑え言った。
「もう・・・自分で立つ事はできないわ」
その言葉を聞いた瞬間、アンは雷に打たれたかの如く愕然と座り込んだ。
「アンさん!気をしっかりもって!」
看護婦に支えられ椅子に座らされた。
「そ・・・そんな・・・」
アンは目を見開いたまま床を見つめ、大粒の涙をこぼし続けた。
「命を取り留めただけでも奇跡よ。神に感謝しましょう」
アンの手を握り締め看護婦が言った。
「あなたを見つけられて良かったわ
時々、うわ言であなたの名前を呼んでいたから」
その言葉を聞いてアンはジェイドを見つめた。
「私はまだ仕事が残ってるから
アンさん、側についててあげてくださいね」
そう言って看護婦は部屋を出た。
部屋に残されたアンは
右目に包帯を巻かれたジェイドの顔を見続けた。
「私・・・・もうあの人の所にはいられない・・・」
心の中でアンは決意した。
自分の身を守って生死をさ迷ったジェイドを、このまま見放し
自分だけカインと幸せになることなど絶対にできなかった。
アンは一旦、宿の部屋に戻り、カインに手紙を残し部屋を去った。
次の日、目覚めたカインがアンの部屋をノックする。
全然返事が返ってこないのを不思議に思い部屋の扉を開けた。
そこにはアンの姿はどこにもなく、テーブルに手紙が残されていた。
カインは慌てて手紙を見た。
『 カインさん、ごめんなさい。
カインさんにはたくさんのご迷惑をおかけしたのに
こんな形で別れることになってしまったことをお許しください。
私は、貴方の温かい愛情に包まれてとても幸せでした。
貴方には感謝してもしきれないくらいです。
でもこれ以上、私は幸せになることはできません。
本当にごめんなさい
そして・・・・さようなら 』
カインは瞬きすることさえ忘れて手紙を見つめた。
「何故だ・・・・アンジェシカ・・・・何故、俺から離れて行くんだ・・・・」
カインの頬に一筋の涙が流れ落ちた。
「こんなにも愛しているのに・・・・・・
どうやったら君を幸せにしてあげれるんだ・・・・・・」
カインはもう、どうしていいかわからずに苦悩した。
今まで必死になっていたカインは、プツンと糸が切れたみたいに
何もすることができなかった。
カインは手紙を握り締めたまま屋敷に戻ることしかできなかった。
屋敷に戻ったカインはもう・・・・・廃人同然のように日々を送った。
あれからアンは、病院に戻りジェイドの看病についた。
カインへの気持ちを抑え、目の前にいるジェイドの為に
生きようと心に決めたのだった。
病院に運ばれてからジェイドは、うわ言は言っていたものの意識は戻っていなかった。
そんなジェイドをアンは、体を拭いてやったり、一時も側から離れず懸命に看病した。
新年を向えた頃、ジェイドに異変が現れた。
微かに目を開けたのだった。
「ジェイドさん!ジェイドさん!!」アンは必死に呼びかけた。
ジェイドはまるでアンの声に反応するかのように静かに目を開けた。
「ジェイドさん!わかりますか?アンです!!」
ゆっくり瞬きをしたジェイドを見て、アンは急いで医者を呼びに行った。
医者と看護婦が慌ててジェイドの元へ来た。
「ジェイド!意識が戻ったのか!」
医者が言いながらジェイドの瞳孔を調べた。
看護婦もジェイドの脈を計りながらジェイドを見つめた。
ジェイドは徐々に意識を取り戻した。
「アンさん、良かったですな」
医者がアンに言った。
「意識は取り戻した
今後は、ゆっくりとリハビリしながらやって行こう」
アンは泣きながらジェイドの手を握った。
「良かった・・・」
ジェイドは意識を取り戻したが、まだ言葉を発することができなかった。
アンの姿を確認したジェイドは静かに涙を流した。
少しづつ時間をかけ、ゆっくりとジェイドは回復していった。
数週間が過ぎたころ、食べ物もやっと固形物を食べれるようになり
そして、言葉を発することもできるようになっていた。
アンは一ヶ月あまり必死に看病していたので、疲れが溜まってジェイドのベットに
寄り添うように眠っていた。
そんなアンに気がついたジェイドが静かにアンの頭に触れた。
「ア・・・ン」
ジェイドの呟いた声でアンが目覚めた。
自分の頭にジェイドの手の温もりを感じたアンは
そっとジェイドの手を握り起き上がった。
「ジェイドさん、具合はどうですか?」
優しく微笑みながらアンが言った。
「大丈夫だよ・・・アンこそ疲れてるみたいだね」
愛しそうにアンを見つめるジェイドの瞳はアンの胸を締め付けた。
「私は元気ですよ!ちょっと居眠りしてしまったけど
ジェイドさんが気持ちよさそうに眠ってたからついつい」
アンは笑顔で明るく言った。
ジェイドのためへの精一杯の態度だった。
それからもアンはジェイドのために一生懸命看病し続けた。
しかし、いくらリハビリしてもジェイドの下半身は動くことはなかった。
もちろん右目と右手も同様で、視力が戻ることもなく、手も動くことはなかった。
アンは必死にジェイドを元気づけながら日々を送った。
「ジェイドさん、今日は左手で食べる練習をしましょう!」
ジェイドの左手にスプーンを持たせた。
ジェイドもアンのために一生懸命練習した。
「カチャーン」
慣れない左手にスプーンを落としてしまったジェイド。
「すまない・・・・・・」
そんなジェイドの姿を見てアンは持ち前の明るさで言った。
「謝らないでください!今に右手の時より上手に使えるようになりますよ」
にこやかな笑顔でスプーンを拾った。
「私、洗ってきますね」
ジェイドはアンの笑顔に支えられた。
スプーンを洗いに来たアンに突然、異変が訪れた。
「うっ・・」
アンは突然嘔吐した。
自分の身に一体何がおこったかもわからず、アンは戸惑いながら胸の気持ち悪さを抑えた。
スプーンを洗って少し落ち着いてからジェイドの元へ戻った。
「ジェイドさん、ちょっと私、用事あがあるので先生の所に行ってきますね」
ジェイドに心配をかけないように満面の笑顔で言って、アンは医者の所へと向った。
「あの、先生おられますか?」
「どうされましたか?」
先生が椅子に座ってアンに尋ねた。
「あの・・・さっき急に具合が悪くなって・・・それで先生に診ていただきたくて・・・」
「そうでしたか。じゃあ、ここに座ってください」
先生はアンを目の前の椅子に座らせ、診察を始めた。
胸の鼓動を聞き、喉を見て先生が言った。
「ふむ・・・風邪ではなさそうですな・・・他に症状は?」
先生はアンの目を診察しながら言った。
「いえ・・・特には・・ただ吐き気がひどくて」
「つかぬ事を聞きますが」
「アンさん、最後の生理はいつごろでした?」
アンは、何故こんなことを聞くのか理解できずに目を丸くして答えた。
「え?あ・・・あの・・」
先生に言われて考えてみると、アンはしばらく生理がきてないことに気がついた。
「そういえば・・・暫く来てません・・・ジェイドさんの看病に必死で・・・・
自分のことなど考えていなかったもので」
先生は看護婦を呼んだ。
「アンさん、すまないが尿の検査をするので、あちらで看護婦の指示にしたがってください」
アンは何か病気なのかと不安に思いながら看護婦についていった。
尿を取り終わったアンはしばらく待合室で待たされた。
「私・・・何か病気なのかしら・・・
どうしよう・・・ジェイドさんの看病しなくてはいけないのに」
そんな不安を抱きながらアンは呼ばれるのを待った。
しばらくしてアンは先生に呼ばれた。
先生の目の前の椅子に座ったアンに、ニッコリと笑顔で先生が言った。
「アンさん、おめでとう!」
アンは本当に先生が何を言ってるのかわからず困惑した。
「え?先生、何をおっしゃてるんですか?」
「アンさん、君のお腹には新しい命がいるんですよ」
アンは暫く、先生の言葉の意味を理解できなく呆然としていた。
「え?・・・・私のお腹に?」
先生はゆっくりとうなずいた。
「まさか・・・赤ちゃん?・・・」
戸惑いと動揺を見せるアンに看護婦がそっと言った。
「アンさん、大丈夫よ。初めては不安になるもの
でも、私たちがいるから安心して」
アンはやっと自分の状況を理解した。
そして、そっと自分のお腹に手を当ててお腹を見つめた。
「あの・・・このことは・・・
まだ・・ジェイドさんには秘密にしておいてもらえますか・・」
先生と看護婦はアンの態度に不思議に思ったが
「わかりました
しかし、もう貴方一人の体ではないのだから無理は禁物ですよ!」
先生に言われてコクリとうなずいて、アンは診察室を出た。
自分のお腹をそっと押さえたままアンはジェイドの元へ戻ることはできず
中庭に出て気持ちを整理しようとした。
「私のお腹の中にいる命は・・・・」
アンはそう思った瞬間
カインと初めて結ばれた日の事が頭に浮かんだ。
「なんて・・・・・こと・・・・・・」
アンは涙を堪えきれず泣き出してしまった。
カインに別れを告げてジェイドの元へ来たアン。
カインへの気持ちを押し殺して、ジェイドの為に生きようと決意したアンの
気持ちは計り知れないほど辛かった・・・・
今になって、カインの子が自分のお腹に宿ってることをアンは複雑な思いで
穂のかに春の兆しが見える中庭でたたずんでいた。
アンは一瞬・・・恐ろしいことを考えてる自分にぞっとした。
それは・・・下ろしてしまおうかと考えたことだった。
「私は何てこと考えてるの!
新しい命を奪うなんて私にはできない
ましてや・・この命は・・・」
アンはもう二度と、そんな事は考えないと心に決めた。
例え、アンとカインが一緒になれなくても
新しい命を奪う事などできるはずもない。
アンは涙を拭い、ジェイドの回復を見ていずれ話すことを決心した。
寒さが和らぎ、足場やに春の訪れを感じさせる風と
所々の雪解けの後に新しい命が芽吹き始めた頃
アンのお腹も少しづつ膨らみ始めていた。
ジェイドもある程度のことは自分で出来るようになっていた。
アンは少し膨らんできたお腹を見て
「そろそろジェイドさんに打ち明けなければ」
と考えた。
ジェイドも後、数週間で退院と決まった時、アンは決意した。
「ジェイドさん、少し外に出てみませんか?」
アンはさりげなくジェイドを誘った。
「お!いいね。外はすっかり春だろう」
そう言ってジェイドは、動かない右腕を杖の役のように使い
動く左腕で自分の体を動かし車椅子に乗った。
「ジェイドさん、すっかり自分で乗れるようになりましたね」
アンは嬉しそうに見つめて言った。
「ああ、いつまでもアンに頼ってられないさ」
ジェイドも笑顔で答えた。
アンはジェイドの車椅子を押して中庭に出た。
中庭はすっかり雪が溶けて、小さな緑の芽が顔を出していた。
「もう、春ですね」
アンがそっと言った。
「そうだな。だいぶ暖かくなってきたよな」
二人は新しい芽を見つめながら言った。
「ジェイドさん・・・お話があるんです」
アンは勇気を振り絞って話しを切り出した。
「ん?どうした改まって」
ジェイドは笑いながら言った。
アンは青く広がる空を見上げゆっくりと話した。
「ジェイドさん・・・実は私・・・お腹に・・・赤ちゃんがいるんです・・・」
ジェイドは驚いて車椅子の向きをアンの方に向けた。
「え?!今なんて・・」
空を見上げていたアンが、ゆっくりとジェイドの顔を見つめた。
「私、身篭っているんです」
ジェイドは驚いて何も言葉がでなかった。
「今まで隠しててごめんなさい
ジェイドさんの容態を見ていずれ話そうと思っていたいんです」
しっかりとした口調で話すアンの顔は、もう母親の顔に見えた。
「そう・・だったのか・・」
ジェイドはうつむいた。
でも、ジェイドは今までの献身的なアンの看病に心から感謝をしていたので、
身篭っていることを責めるつもりはなかった。
ただ自分の中では、アンは自分を選んでくれたのに、他の男の子を身篭っている事実に愕然とはしていた。
暫く沈黙した後、ジェイドが言った。
「父親は・・・誰なんだ?」
アンはその言葉に胸を貫かれた。
「ごめんなさい・・・・その事に関してはお話するつもりはありません」
「しかし・・・生まれくる子供のために・・」
そう言いかけたジェイドの言葉をさえぎるようにアンが言った。
「ジェイドさん、私は・・・
ジェイドさんに一生ついていくと決めています
父親になってくださいとは言いません。だけど、この子だけは・・・・
新しい命だけは奪うことはできません
どうか、産むことだけはお許ししてほしくてお話したんです」
ジェイドは困惑した。
アンが自分と一緒になってくれると決意してくれたのは嬉しいが・・・
だが、生まれてくる子供には自分ではなく・・・・
本当の父親の方がいいと思ったからだった。
暫く考え込んだジェイドがアンに優しく言った。
「アン、俺は何も反対しないよ
新しい命を奪う権利なんて誰にもない!
だから安心して産みなさい」
温かい眼差しでアンを見つめ言った。
「ジェイドさん・・・ありがとう・・・」
アンは涙ぐんでお礼を言った。
それから数週間が経ち、ジェイドは退院することになった。
村の人たちは温かく二人を出迎えてくれて色々と親切にしてくれた。
二人は懐かしい我が家に戻った。
すっかりほこりまみれになった家の中をアンは掃除し始めた。
「おい!アン無理するなよ
大事な体なんだからな」
ジェイドがアンを気にかけて言った。
「大丈夫ですよ!」
アンはいつもの笑顔で答えた。
隣のおばさんが少し膨らんでいるアンのお腹に気がつき、毎日手伝いに来てくれた。
「すみません。いつもご迷惑をかけて」
アンが深々と礼を言った。
「何言ってるんだい!お互い様じゃないか
一人の体じゃないんだから気にせず何でも言っておくれ!
私ら夫婦には子供ができなかったからジェイドはうちの息子みたいなものさ」
おばさんは笑いながらジェイドの頭をクシャクシャとなぜた。
アンのお腹はすっかり目立つくらい大きくなってきていた。
「ジェイドさん、今日は町へ買出しに行かないといけないわ
ちょっと留守をするけど、おばさんに頼んでおくわね」
窓辺で車椅子に座って本を読んでるジェイドに、アンが明るく言った。
「ああ、十分気をつけて行くんだよ」
アンはゆっくりと馬車に乗り込み、町へ出掛けて行った。
カインはアンと別れてから廃人同様の生活をしていたが
新年の挨拶に来たアリスとギルに助けられていた。
「カイン候!どうなさったの!!」
食事もろくに取らず、衣類も乱れた状態で酒を片手に
椅子にもたれてるカインを見たアリスが慌てて近寄って言った。
後から部屋に入ってきたギルも驚いた。
「カイン候!!」
アリスの声にやっと気づいたかのように、虚ろな酔った目でカインがアリスを見た。
カインは何も告げず、スッと人差し指をテーブルの方に指した。
アリスとギルは指し示された方向を見た。
そこには、あの時のアンからの手紙がクシャクシャになって無造作に置かれていた。
二人は手紙を手に取り読んだ。
「えっ!これは・・・一体どういうこと?!」
アリスは驚いてカインを見た。
カインは何も言わず酒を一口飲み、窓の外を見つめた。
「ギル・・・・」
アリスは不安げにギルを見つめた。
「アリス、一度屋敷に戻ろう。絶対何か理由があるはずだ」
そう言って二人は屋敷に戻ることにした。
カインの部屋を出たアリスは執事を呼んだ。
「私たちが戻るまでカイン候を頼むわ
カイン候が何と言おうと、ちゃんと面倒を見てあげて」
「かしこまりました」
執事は一礼をしてカインの側についた。
その様子を見てから二人は屋敷に戻った。
「お兄様!!お兄様!!!」
アリスが兄の元へ駆けて寄った。
「どうした?アリス」
書斎で仕事をしてた兄が立ち上がってアリスを見た。
「これを・・・これを見て下さい!」
アリスはカインの所から持ち帰った手紙を兄に見せた。
「!!」
エドワードも驚いて読んだ。
「これは・・・どういうことだ・・・・」
アリスはカインの様子も兄に話した。
「そうか・・・わかった。アリス、私がなんとかしよう」
エドワードはカインの元へ向った。
「カイン候!失礼するよ」
カインの部屋へエドワードが入ってきた。
「カイン候・・・何たる姿ですか!あれだけアンジェシカを想い
私に怒りをぶつけたきた貴方が・・・こんな無様な姿でいるとは・・・」
エドワードは少し怒り口調で言った。
カインは外を見つめたまま何も言わなかった。
「カイン候、アンジェシカとはどこで最後に別れたのですか?」
エドワードの問いにも答えようとしなかった。
そんなカインにエドワードは怒りを抑えながら言った。
「カイン候、貴方は私に言った言葉を覚えてますか?
あの日・・・アンジェシカが消息を経った時・・・貴方は私に言いましたね!
アンジェシカに対する気持ちはそんなものかと」
その言葉を聞いたカインが一瞬反応した。
「私は一生、貴方の言葉を忘れません!
もう二度と、同じ過ちを犯さないように心に刻み込みました」
エドワードはカインをジッと見つめ最後まで紳士的に話した。
「カイン候、もう一度聞きます
アンジェシカと最後に別れたのはどこですか?」
暫く沈黙したカインがぽつりと言った。
「それを聞いてどうするのですか・・・」
その言葉を聞いたエドワードが怒りを抑えきれなくなり
うなだれて座っているカインの胸元を掴んで立たせた。
「いい加減に目を覚ましなさい!!貴方がそういう態度なら・・・
私は黙っていませんよ!今度は私があらゆる手段を使って
アンジェシカを見つけ出し、そして私のものしますよ!!」
エドワードはあの日から、自分の犯した罪のために隠し続けていた気持ちを
カインにぶつけた。
エドワードもまた、アンのことをずっと想い続けていたのだった。
「わかりました!もういいです!」
カインの胸元を、パッと手を離しエドワードはさっそうと部屋を出て行った。
部屋を出たエドワードは執事を呼び、二人がどこに出かけたかを聞き出した。
「そうか・・・あの村に・・・」
執事から話しを聞いたエドワードはカインの屋敷を出て、一旦自分の屋敷に戻り
アリスとギルに話をした。
そして、今度は自分自らアンを探し行くことを決めた。
「アリス、私が留守の間、この屋敷とカインを頼む」
アリスは兄にすべてを託し頷いた。
エドワードはすぐに出発した。
エドワードがカインの部屋を去った後、カインはまた椅子に座り込み
すべてを忘れるかのように酒を飲み続けた。
エドワードは複雑な想いを胸に抱きながら、休むことなく馬を走らせた。
エドワードは村の手前にある町に到着しそこで一度、宿に泊まることにした。
宿に泊まりながらエドワードはこれからどうやってアンを探そうか考えた。
「まずは・・・誰もいないと思うが・・あそこに行くしかないな」
そう呟いてエドワードは旅の疲れを癒した。
次の日、エドワードは宿を後に村に向った。
村の人からジェイドの家を聞きだし行ってみるこにした。
ジェイドの家に着くと・・・・・誰もいないと思っていた家の煙突から
煙が出ているのが見えた。
「まさか・・・・」
エドワードは馬を降りて足早にドアに向かった。
半信半疑でドアをノックするエドワード。
「コンコン」
家の中から応答があった。
「ちょとお待ちください」
微かにドアの中から聞こえた声にエドワードは動揺した。
ドアがゆっくり開くと、そこには車椅子に乗ったジェイドがいた。
一瞬黙り込んでしまったエドワードは我に返って言った。
「あっ・・・私はエドワード フォレーン公爵と申します」
礼儀正しく挨拶をするエドワードを見たジェイドはすぐに悟った・・・・
「これは公爵様、何か御用ですか?」
「貴方は・・・もしやジェイド殿ですか?」
背の高いエドワードは車椅子に乗ったジェイドを上から見下ろすように言った。
「はい。そうですが」
ジェイドの返答にエドワードは確信した。
「ここにアンジェシカが居りますね?」
エドワードは確信を持って言った。
「はい。アンのお知り合いの方なんですね・・・」
そう言ってジェイドは車椅子を後ろに下げ、エドワードを家に招きいれた。
「公爵様、汚い所ですがどうぞ中へ」
家の中に入り、椅子に座って
落ち着いた頃、エドワードが言った。
「アンジェシカは?」
片手でお茶の用意をしながらジェイドは言った。
「先ほど、買出しのために町にでかけました」
「そうですか・・・・・・」
二人はしばらく沈黙した。
互いに何かを考え込むように。
ジェイドは膝にティーセットを載せ、ゆっくりとエドワードの前に近寄った。
ティーカップを渡してから自分のカップを手に持ち
一口飲んでからジェイドが静かに言った。
「唐突なですが、公爵様はアンと、どういうご関係ですか?」
エドワードも一口飲んでから答えた。
「元婚約者と言ったほうが分かりやすいですかな」
エドワードは苦笑して言った。
「そうでしたか・・・・」
ジェイドは一瞬うつむいた。
そのうつむいてる間にジェイドは色々と考えていた。
自分が覚えている限りでは、アンの想っている人物はカインだったと。
しかし、この人がアンを訪ねて来たということは・・・・・
何かあるのだから来たのだと・・・・
ジェイドは顔を上げエドワードを真っ直ぐ見つめて言った。
「公爵様、お話があります」
公爵も静かにジェイドを見た。
「アンは・・・アンは今、身篭っています」
公爵は驚きと動揺を隠しきれなかった。
「え?!アンジェシカが・・・・?!」
エドワードは、慌てて持っていたカップをテーブルに置いた。
「それは・・・・君の子かね・・・・・?」
恐る恐るジェイドに問いかけた。
「いえ、違います」
はっきりとジェイドが言った。
「私は見ての通りこんな体です
もう・・・男としての勤めは残念ながらできません」
エドワードは心の中で思った。
じゃあ・・・一体誰の子を・・・・・混乱しているエドワードにジェイドが言った。
「公爵様、お願いがあるんです」
エドワードはハッと我に返りジェイドを見た。
「アンを・・・アンを連れて帰ってくれませんか」
ジェイドの言葉にエドワードは驚いた。
ジェイドは静かに自分の胸の内をエドワードに聞かせた。
「アンにはもう・・・・十分すぎるくらいやってもらいました
確かにアンには・・・ずっと一緒に居てもらいたいが・・・・
だけど、産まれてくる子供の為にもアンの為にも
本当の父親と一緒に暮らし方が幸せだと思うんです。
こんな体の私は、アンにも産まれてくる子供にも・・・
何もしてあげることができない・・・・」
ジェイドはもの凄い切ない顔した。
「今の私がアンにしてやれることは、たった一つ・・・
アンをもう・・・解放してやりたい・・・」
ジェイドの悲痛な心はエドワードに痛いほど伝わった。
「ジェイド殿、お話はよくわかりました。
私はアンジェシカを迎えに来たのです。
貴方にそう言われて気が楽になりました。ありがとう・・・」
エドワードは深々とお辞儀をした。
「そ・・そんな!公爵様、頭を上げてください」
ジェイドはアンの周りの貴族は皆、
なんて階級を気にしない人ばかりなのかとつくづく思った。
「しかし・・・一体アンジェシカは誰の子を・・」
エドワードが考え込んでいると、外から馬車の音が聞こえてきた。
「あっ、公爵様、アンが帰ってきたみたいです」
ジェイドの言葉を聞いてエドワードが立ち上がった。
「ちょっと失礼する」
そう言ってエドワードが外に出た。
外に出たエドワードの瞳に映ったのは・・・・
馬車を止め、少し重たそうにお腹を押さえて
馬車からゆっくり降りるアンの姿があった。
エドワードは複雑な想いでゆっくりとアンに近づいた。
「アンジェシカ・・・・」
荷物を馬車から降ろそうとしていたアンは
後ろから聞き覚えのある声に驚いて振り向いた。
「あっ!・・・・公爵様・・・」
アンは目を見開いたまま言った。
そんなアンに優しく、昔と何一つ変わらない微笑でエドワードが言った。
「元気そうだね・・・・」
アンは何故ここに公爵がいるのかさえ理解できずに
何も変わらない優しい公爵の微笑みを見つめていた。
「ジェイド殿から聞きましたよ。子供ができたんだってね」
優しい眼差しをアンのお腹に向けた。
アンはやっと我に返り答えた。
「あっ・・はい・・」
エドワードはずっと産まれてくる子供の父親は誰かと、考えたいた。
「アンジェシカ、率直に言うよ」
真っ直ぐアンを見つめるグリーンの瞳がアンの瞳を捕まえた。
「産まれてくる子供の父親は、カイン候かな?」
アンの胸に、ドキンっと高鳴る音がした。
一瞬、動揺しそうになったアンだったが気丈に振舞って言った。
「いえ、違います。この子の父親はジェイドさんです」
アンの言葉を聞いてエドワードは確信した。
「ここでは何だから家に入って話そう」
そう言ってエドワードは馬車から荷物を降ろして運んだ。
「あっ!公爵様そんなことなさらないでください」
アンが慌ててエドワードの後を追った。
エドワードは無言で家の中に入り荷物を置いて
アンに座るように言った。
アンはジェイドに対し、重たい気持ちでエドワードに言われるまま座った。
エドワードは座ってからゆっくりと言った。
「ジェイド殿、アンジェシカが言うには
産まれてくる子供の父親は君だそうだ」
ジェイドはアンの方をとっさに見た。
アンはジェイドの目を見れず、目を逸らした。
「アン・・・・」
ジェイドは愛するアンの為に決意した。
「アン、もういいんだ。君の気持ちは嬉しいが
もう帰ってくれないか?」
アンは驚いてジェイドを見た。
ジェイドは自分の気持ちを偽ってアンに言った。
「私はもう、一人で生きていける
君がいつまでも俺への罪の意識で
一緒にいられるのが辛いんだ!
君のお腹が大きくなるにつれて・・・
俺は・・・・辛くて、辛くて、一緒にいられない
産まれてくる子供にだって・・・・
俺はどうやって接してやっていいか判らない
父親は・・・・俺じゃないんだから・・・」
ジェイドはアンを突き放すように言った。
アンはジェイドの顔を見つめたまま、大きな瞳に涙を浮かべた・・・・
「ジェイドさん・・・・ごめんなさい」
アンはジェイドの本心を見抜いていたのだった。
「最後の最後まで・・・・・・」
そう呟いてアンは手で顔を覆って泣き出した。
アンは心に何かを感じた・・・・
それは、アンの心の奥底で幾つもの鎖がアンを縛り付けていた。
ジェイドの言葉によって、その鎖が一つ外れたのを感じた。
ジェイドはそっとエドワードを見て静かにうなずいた。
エドワードはジェイドの気持ちを察して立ち上がり
泣いているアンの肩にそっと手をやって言った。
「アンジェシカ・・・私と一緒に帰ろう・・・」
アンは涙を流しながらエドワードを見つめ
今までずっと押し殺していた気持ちが溢れるのを止められず
優しい眼差しをくれるエドワードに抱きついて泣いた。
エドワードは優しくアンを抱き締め、静かにアンを抱き上げた。
「ジェイド殿、心から感謝します。
貴方から大切な人を奪ってしまうことをお許しください」
ジェイドは車椅子に座ったまま、深々とエドワードにお辞儀した。
エドワードも一礼をして、アンを抱きかかえたまま外に出た。
壊れ物を扱うかの様に優しくアンを馬に乗せ
エドワードはお腹に負担がかからないように
静かに馬を歩きださせた。
アンはエドワードの胸に顔を埋めたまま、ずっと泣いていた。
エドワードはアンの温もりを感じながら自分の気持ちを抑えアンのために平静を装った。
町に着いたエドワードは馬車を用意し、静かにアンを乗せて自分の屋敷を目指した。
カインの屋敷ではアリスとギルが二人で必死にカインを元気つけていた。
「カイン候、お兄様が先日アンを探しに行きました
大丈夫!お兄様なら絶対アンを連れて帰ってまいりますわ!」
カインの脱力感を感じる手を強く握り締めて言った。
「カイン候、アンが帰って来た時、貴方のその姿を見たら
アンはきっと悲しみます」
ギルも一生懸命カインに言った。
「お兄様を信じて待ちましょう!
でも、その前にカイン候・・・少しは綺麗にしなくては・・・」
アリスは執事を呼んで風呂の用意をさせた。
もう自分で立つこともできないくらカインは酔っていた。
そんなカインを二人は優しく支え続けた。
「さ!カイン候、歩いてくださいよ」
ギルがカインの肩を担ぎ、お風呂場まで歩かせて連れて行った。
「後は頼みますよ」
執事に後のことを頼みギルはお風呂場を去った。
「ギル・・・私はもう辛すぎて、今にも泣き出したい気持ちです・・・・」
アリスがギルに抱きついて言った。
その気持ちはギルも同じであった。
あれだけ、残酷で辛い苦しい道のりを歩んできた
アンとカインを一番良く知っているのは、他の誰でもない二人だったからだ。
ギルは強くアリスを抱き締め言った。
「その気持ちは俺も同じだよ。でも、今は泣いてる場合じゃない!
エドワード公が戻るまでにカイン候を元に戻さなければ・・・」
二人はその気持ちを心に決意し共に頑張った。
お風呂から上がったカインをベットに横にならせ、ゆっくりと寝かせた。
アンが去ってからカインは、ろくに睡眠も取っていなかった。
心身ともに疲れ切っていたカインは静かに目を閉じ、深い深い眠りについた。
カインが目覚めたのは次の日の昼過ぎだった。
二人はずっとカインの部屋で、交代でカインを見守っていた。
カインは頭痛と共に目覚め起き上がった。
「痛っ・・・・・」
頭を抱えベットの上に起き上がってるカインの元に、ギルが静かに近寄った。
「カイン候、おはようございます」
カインは何故ここにギルが居るのか不思議に思った。
「ギル殿・・・何故ここに?」
カインは酒を浴びるほど飲んでいたので、昨日のことなどまったく覚えていなかった。
「はは、お酒の方はかなり抜けたみたいですね」
ギルは苦笑しながら言った。
「ああ、カイン候 アリスがそこで寝ているので
寝かせといてやってください」
ギルが後ろのソファーを振り返り言った。
「アリス嬢まで・・・一体私は・・・・・」
ギルはカインの肩を担ぐように持ち、そっとベットから立たせて寝室を出た。
カインを小春日和の外に連れ出した。
「眩しいな・・・・・」
カインは手を額に載せ空を見上げた。
「カイン候、外の空気を吸えば次第に頭痛も消えるでしょう」
ギルはカインを庭のベンチに座らせた。
それから執事に熱い紅茶を持ってこさせカインに飲ませた。
「ささ、冷めないうちに飲んでください」
カインはまだ状況を理解できずに、ギルに言われるままに行動した。
ゆっくりと紅茶を口に含み、ゆっくりと飲み込むと
紅茶の熱さが胃に落ちる瞬間まで感じた。
「胃に沁みるな・・・・・・」
ぼそっと言ったカインの言葉にギルは笑った。
「あははは、それはそうですよ!ずっと酒しか飲んでいなかったんですから」
その言葉を聞いたカインは薄っすらと思いだした。
「まさか・・・本当にエドワード公は・・・・」
カインの言葉にギルが言った。
「その通りですよ。エドワード公は先日発たれました
カイン候、貴方は何をなさってるのです」
ギルは少し怒り気味に言った。
「私の幼馴染を大事にしてくれないんでしたら私は・・カイン候を許しませんよ!!」
ギルの言葉にカインは反省した。
「そうだな・・・俺は何を血迷っていたんだ・・
何故あの時、アンジェシカを手放してしまったんだ・・・
別れを告げられても追いかけるべきだった・・・」
カインはやっと自分を取り戻していった。
その姿を見てギルがほっとした表情で言った。
「カイン候、人は誰しも間違いを犯すものですが、
そこで自分の犯した間違いや罪に気がつき、学べばいいのです
エドワード公みたいに・・・・・」
ギルの言葉にカインはショックを受けた。
「そうだ・・・私は自分から彼に言っときながら・・・何をやっていたんだ・・・・・」
そう言ったカインが急に立ち上がった。
「ギル殿、今回は大変ご迷惑をかけた上
親身なって色々やってくれてありがとう」
ギルに向かって深々と礼をして言った。
そしてカインは屋敷にもどり、本来の自分を取り戻すかの様に
まずは、身奇麗にして食事もちゃんと採り、次第に本来のカインに戻って行った。
そんな姿を見たギルとアリスは安心して屋敷に戻って行った。
「アンジェシカ、体は大丈夫かい?」
馬車の中で優しくエドワードが言った。
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
アリスがそっと言った。
日にちをかけてアンの体に負担がかからないように
途中途中の町に宿泊しながらエドワードは屋敷に向かっった。
馬車の窓から外を見ると辺り一面、春一色だった。
アンは生まれ故郷が近づいてくるにつれて何かを考え込んでいた。
エドワードはずっとアンを見守った。
二人の間にはあの日のことなど、遠い遠い過去になっていた。
エドワードは、今のアンを必死に支えた。
馬車がアンの生まれ故郷に入った時、アンが決意したようにエドワードに言った。
「公爵様、こんなことを言える立場じゃないのですが
どうか、愚かな私の頼みを聞いてください」
突然言われたエドワードは驚きながらも優しく聞いた。
「どうか、どうか、私を公爵家に置いてもらえないでしょか」
アンの唐突な願いにエドワードは目を丸くした。
「アンジェシカ、急にどうしたんだ!
君をずっと心配している人達もたくさんいるんだよ
トレット伯だって君のことを一番に心配されているのだよ」
アンはエドワードの声に耳を傾けながらも自分の意思を貫いた。
「分かっております!重々に分かっている上で頼んでるのです」
エドワードは少し迷ったがアンの願いを聞き入れた。
今はそれがアンにとって一番、精神的にも体力的にも
負担がかからないのであればと思い決断したのだった。
アンとエドワードを乗せた馬車が屋敷に到着した。
アンが馬車からエドワードに支えられて降りた瞬間
屋敷の中から叫び声にも似た声が聞こえてきた。
「アン!!!!」
その声の主は、もの凄い勢いでアンに駆け寄るアリスだった。
「アン!よく戻ってきてくれたわ」
涙ながらにアンに抱きついた。
アリスがアンに抱きついた時、違和感を感じた。
驚いたアリスはとっさにアンから離れた。
「アン・・・貴方・・・・・・」
アリスはアンの少し膨らんでいるお腹に目を向けた。
「アリス・・・・・・」
そんな二人の様子を見ていたエドワードが言った。
「アリス、今はアンを休ませてあげよう」
アンの体を気遣いながら屋敷に招き入れ、エドワードは部屋にアンを案内し休ませた。
アンは旅の疲れをゆっくり癒した。
アンを休ませてからアリスとエドワードは書斎に行った。
「お兄様・・・・・・」
アリスは不安げな顔で兄を見た。
エドワードは一息入れるかのように椅子に座った。
「アリス、何も心配するな
それより、カイン候の様子はどうだ?」
アリスは兄が語るまでアンのお腹の子供のことを聞くのを控えた。
「あっ・・はい。すっかり元気になり
いつもどうりのカイン候に戻られましたよ」
アリスが微笑んで言った。
アリスの様子と話を聞いてほっと胸を撫でおろした。
ほっとしたエドワードは、椅子にもたれるように座り、天上を見上げた。
「ふー・・・・」
ほっとした溜め息をついた。
暫く天上を見つめたままエドワードがゆっくりと話だした。
「アリス・・・実はな・・・お前も察したとおり
アンは身篭っている」
アリスは驚いたが、やはり・・・と思った。
「お兄様、まさか・・・父親は・・」
アリスはすぐに察した。
「お前が察してる通りだよ。カイン候が父親だ」
その言葉にアリスは喜んだ。
「そう!そうだったの!」
安堵と喜びの表情を浮かべるアリス。
その姿を見ながらエドワードが難しい顔をして言った。
「アリス・・・悪いが暫くの間
このことはカイン候には内密にして欲しい」
アリスは驚いた。
「ええ?!何故ですの!お兄様」
「これはアンの意思なんだ
彼女なりに何か考えているんだろう
今は、母体に負担をかけたくない
だからアンには自然に振舞い
カイン候の話題も避けてやってほしい」
アリスはさっきの喜びとは正反対に悲しい表情を浮かべた。
「そうですか・・・アンが・・・わかりました、お兄様」
アリスは静かに部屋を出た。
エドワードはまた天上を見上げ考えこんだ。
部屋を出たアリスはギルの元へ向かった。
ギルは自分の屋敷に戻り仕事を片付けていた。
アリスはギルの書斎に入るなり、書類を棚に整理しているギルの背中に抱きついた。
「うわっ!」
ギルは驚いた。
「アリス!どうしたんだ?いきなり・・・・」
アリスは無言でギルを強く抱き締めた。
アリスの様子がおかしいことに気がついたギルは
書類整理をやめて、しがみつくアリスを一旦離してから
今度は自分からアリスを抱き締めた。
そして、そっとアリスの髪を撫ぜ下ろしながら言った。
「どうした?アリス・・・」
優しくギルが言った。
「ギル・・・何故?何故なの?・・・」
アリスがギルの胸に顔を埋めたまま囁いた。
「ん?」
ギルは耳を澄ますように聞いた。
「何故・・・神はいつまで・・あの二人に試練を与え続けるの?」
抱き締めたアリスの肩が小刻みに震えだした。
「アリス・・・・・」
そんなアリスの肩を強く抱き締めた。
「どうしたんだ・・・・・一体・・・・」
ギルはアリスを落ち着かせて、アリスから今までの事を話させた。
「・・・・・」
ギルも事情を聞いて無言になった。
「アリス・・・今は俺たちは何もしてやれない
だからせめて、少しでもアンやカイン候の為に
彼らを支えてあげよう」
ギルの言葉に少しアリスが元気を取り戻した。
「そうね・・ギル・・・」
二人は静かに時を過ごした。