絆は雲
「もはや一縷の活路すら見出せん。死にたくなければお前もとく寝返るがよい」
「畏れながら、冗談にしてはいささか毒を含みすぎかと」
かつて多くのものに主と慕われた男は口端をゆがめた。
「そなたほどの者が現実を拒むか。我らに残るのは蛮勇のみだというに」
「私が仕える主は、貴殿を除いて存在せぬが故」
主は目を見開き臣下を見る。深く頭を垂れた普段と変わらぬ態度。それを見て、逃避という心の脆弱さではなく、忠臣であったがために発せられた言葉だということに気づく。
途端、煮えたぎる鉄のような怒りが心を覆った。
「地に落ちた主に情けをかけるか、無礼者」
微動だにしない忠臣に尚更心は沸騰する。
「共に理想を掲げた者たちに裏切られ、共に最期を迎えようと誓った者たちに嘲られた。この上なく惨めで滑稽な主にこれ以上の辱めを与えんとするか!」
語気を荒げてもなお動かない臣下に、彼は虚しさを覚えた。
何を言ったところで、どちらにせよ志半ばで果てる運命なのだ。
「絆とは、なんだろうか」
突然の覇気のない声にぴくりと反応する臣下。そして少しの沈黙の末に答えた。
「如何様にも変化する、雲のようなものではないかと」
「雲?」
「はっきりと目に見える日もあれば、ほとんど目に見えない日もある。綿飴のように濃密な日もあれば、蜘蛛の糸のようにおぼろげな日もある。ただひと時でも同じ形になることはない。そんな、不確かなものであります」
主が目を閉じる。それは頭を垂れる臣下の目には映らなかった。しかし、臣下には主が今どんな仕草をしたのか、はっきりと分かっていた。
「我らは、どんな雲であったのだろうな」
「私の目には大きな、とても大きな雨雲に映りました。より強固な大地を創る使命を帯びた」
「もはや晴れ澄み切った空だ。跡形もない」
「それも、天の意思でございましょう」
主はせきを切ったように笑い始めた。
「よく言う。貴様、それで慰めているつもりか」
「生憎のところ、上手い文句を詠う修練は無かった故」
「かわいくない奴だ」
二人の間を、巨大な風が通り抜けた。
「一つ、頼みがある」
「なんなりと」
「我を殺せ」
臣下の腰につけた武器が大きな音を立てる。
「そう驚くでない。我は穏やかに逝きたいのだ。敵に囲まれ無様に死に姿を晒すなど耐えられん」
臣下の肩に手をそっと置く。その肩は微かに震えていた。
「申し訳ございません。その命令には、いかに主の命令といえども従うに難い」
主は露骨に顔を歪めた。
「我の最期の命令だ。拒否すること叶わぬ。我に忠義尽くさんとするならば、やり遂げよ」
そう言って臣下の武器を取り、固く結ばれた手をこじあけ握らせる。膝立ちになって刃を自らの首筋にそえた。その行動に、初めて臣下は顔を上げた。
「いけません。主が膝をつくなど」
「ならばお前が立て。我はこの刃を離さぬ」
主のその言葉に、曲げていた足を慎重に伸ばす。震えが足腰の疲労によるものでないことは明らかだった。
「震えているぞ? 百戦錬磨の英雄よ」
自らの握った凶器が、主の首筋で命を奪おうと涎を垂らしている。
臣下の目の前に広がるその光景は、もはや悪夢といって過言ではないものだった。
「さぁ、引け。我はお前の手で逝けることを誇らしく思う」
主は優しい目で笑っていた。だからこそ、手は石のように固まって動かない。
業を煮やした主は忠臣を嘲る。
「まるで赤子のようだな。我はお前を買いかぶっていたようだ。よもや自らの漏らした糞も始末できぬ腑抜けだったとは」
それでも、刃は動かない。
「ふん。使い物にならぬ貴様のことなどどうでもよい。そこらでのたれ死ぬがよかろう」
その言葉に臣下は敏感に反応する。主の手足になり、主のために生きるのが臣下のつとめではないのか? ならば使い物にならない臣下はもはや臣下などではない。
ゆっくりと刃が動き始める。
「そうだ。それでいい」
主は、穏やかに微笑した。
そして刃は引かれた。
「なぜだ」
刃は遠く離れた地上に突き刺さっている。
「性根まで臆病者と成り果てたか、腰抜けが!」
「いやはや、相も変わらず詠うのがお上手」
「何?」
「そんなにも私の忠義は偽に満ちて見えますか」
主は表情一つ崩さない。しかし心の中は驚愕という文字で埋め尽くされていた。
「何を訳の分からぬ事を」
「主なき世界で生き延びようなどという思惑は一片も抱いておりません。そうであるのに何故、自らの死をもって私を生かそうとなさる」
喉の奥に何かを詰まらせたような声で、臣下は訴える。
自らの主の優しさが憎らしく、悲しく、嬉しく、暖かかったからだ。
「このような時までお前は何故、かように鋭いのか」
観念したように主は笑った。まさか己の魂胆を見透かされるとは思いもしなかった。
「御返しだ。拙い詠みのな」
「私の主はただ一人。私は寝返りも、裏切りもしません。あなたが逝くならば私も共に」
再び先程のように深々と頭を垂れる。
「雲の話をしたな」
臣下は黙っていた。
「私の空はかつて巨大な雲に包まれていた」
一滴の雫が臣下の視界にある土の上に滴る。
「しかし今は憎らしいほどに空虚な晴天だ」
たった一滴だと思っていた雫は、あっという間に大地を濡らす。
「だがどうだ。よく目を凝らしてみると」
臣下の頭の上に主の暖かい手が置かれる。
「まだ綿のように柔らかい雲が残っていたようだ」
臣下が顔を上げる。そして震えた声で言った。
「貴殿のような主に仕えられて、私は」
そこでぷつんと言葉は途切れた。臣下はぐらりと体を揺らし、大地に伏す。
胸には深々と剣が刺されていた。
「絆は雲、か」
臣下の胸に刺さった剣を抜く。剣には生々しい鮮血が塗りたくられていた。
「悪くない文句だ」
その言葉を最後に、辺りには静寂が訪れた。響くのは虫の声と風が草を揺らす音だけであり、空では星が輝いていた。
昔の日本語って音がすごくきれいだと思う。
でも難しい。しかも分かりづらい。技量がないから余計に。
読み返すとあまりの読みにくさに驚愕。
自分でも読みにくかったから、きっと読んでくれた人はもっと読みにくいと感じたと思う。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
読みやすくて面白い話を書けるよう頑張る。




