第二話 楽園の巫女と忘れ傘
霊夢がご飯を食べるだけの話。
「ふぅ……いい汗かいたわ」
その日、レミリアたちが帰った後のこと。霊夢はさっぱりした顔で火を熾していた。
弾幕ごっこはいつも通り霊夢の勝ちだったようである。異変時の霊夢が異様なほどの強さを誇るのは割と知られているが、普段から霊夢は強い。勝てる相手がほとんどいないくらいに。
そんなわけで場合によっては妖怪から化け物扱いされるこの楽園の巫女だが、現在霊夢は楽しそうに竈へ薪をくべていた。こうしているとまるで普通の人間のように見えるから不思議だ。やろうとすれば『思う通りにずっと燃えるお札』なども作れるのだろうが、霊夢は自身の超常的な力を普段の生活に活用する気はない。
「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子が泣いても蓋取るな……ってね」
竈の上には羽釜と鍋が一つずつ。羽釜の中には水に浸しておいたお米が入っている。言わずもがな夕ご飯である。
霊夢の食生活は、江戸時代で文化がほとんど停止している幻想郷としては裕福だ。
霊夢の普段の夕食の内訳は、米と味噌汁、煮物と焼き魚に小鉢一つ、ついでに香の物。典型的な一汁三菜である。
里では一汁一菜が多いため、大抵の人間よりは健康的な食事だ。
これには「幻想郷の抑止力として倒れられては困る」という割とのっぴきならない事情もあるが、妖怪退治や異変解決でお金にはそう困らないからという理由が大きい。
ただし、その分お賽銭は集まらない。異変解決で生計を立てている分お賽銭までもらえないのか、お賽銭がもらえないから異変解決で生計を立てざるを得ないのかは微妙なところだ。
閑話休題。
まあともかく、そんなわけで霊夢は今日もせっせとご飯を作っている。
今日のメニューは白いご飯に高野豆腐の味噌汁、鮎の干物にかぼちゃの煮つけ、ほうれん草のおひたし、そしてたくあんだ。
羽釜の様子を見ながらかぼちゃを煮る。旬というにはまだ少しばかり早いが、三日ほど前に人里で買ったそれは身がしっかりしていて、煮ても溶けてしまったりはしなさそうだった。
しばらく弱火を保った後、頃合を見て米を炊く火を強める。同時に煮物の鍋を下ろし、煮崩れを防ぎつつ味を染みさせた。煮物は温度が下がるときに味が染みる、と霊夢は経験から知っている。
中火を保ってしばらく。そろそろ羽釜が吹き零れるか、という辺りで今度は火を維持する手を止めた。鍋を竈の上に戻し、たくあんを出してくると、ざっと洗ってから切り始める。一月ほど前に霊夢が自分で漬けたものである。
たくあんは晩酌のお供用に少し多めに切っておく。そしてちょいと一口、つまみ食い。いい漬かり具合だ、というように一つ頷くと、今度は七輪を出して、竈の火を移した。
「んー……そろそろかな」
七輪の火が安定すると鮎を乗せ、弱火で続いていたかまどの火を消して蒸らしに入る。それと同時に高野豆腐の味噌汁――ちなみに朝ご飯の残りだ――をかぼちゃの煮つけの入った鍋と入れ替え、竈の余熱で温め始めた。
魚が焼けた頃にはいい塩梅になっているだろうという目算だ。手馴れたものである。
竈に使っていた火吹き竹を片付け、ぱたぱたと扇いで七輪に空気を送る。「鳥皮魚身、とりかわうおみ♪」と節をつけながら呟く霊夢は魚の焼ける匂いにご満悦の様子だ。
鮎は今朝方に人里でもらった一夜干し。長くは持たないから今日のうちに食べてしまった方がいい。
頃合を見て魚を反し、やがて皮目にまでしっかり焼き色がつけると皿に移す。七輪と竈の薪を火消し壷に入れて、いよいよ羽釜の蓋をあけた。
わぁ、と白い湯気が飛び出して視界を白く染め、炊けたご飯の芳醇な香りが広がっていく。高く上がった香りは魚の焼けた匂いに混ざって何とも言えず霊夢の食欲をそそった。白い視界の奥、微かに見えるお米はぴんと立っていて、今日も改心の炊き上がりである。
「よし、完璧ね」
ご飯は熱いうちにかき混ぜてざっと水分を飛ばし、おひつへと。女一人暮らしではあるが、よく運動(弾幕ごっこ)をする霊夢は割と健啖家であり、一食でご飯の二、三杯分程度は必ず食べる。
……もちろん、西行寺幽々子などと比較すると食べていないに等しいのだが。アレは規格外なので気にしてはいけない。
一旦おひつだけを持って居間へ。卓袱台を片しておひつを置くと、土間に戻って今度はおかずその他諸々盛り付け、箱膳を運ぶ。
さあ食べるかと勢い込んで居間へと上がろうとし――霊夢は視界の隅、土間の端辺りにふと違和感を覚えた。具体的に言うと、居間の入り口付近に普段見ない色がちらついている気がする。
一度気づいてしまえば気になって仕方ないと、霊夢はとりあえず箱膳を居間の入り口に置いて土間へと戻ることにした。
果たしてそこにあったのは、
「……傘?」
何の変哲もない、一本の傘であった。薄い桃色を基調とした西洋傘で、派手派手しくならない程度にフリルがついている。作った者と選んだ者のセンスが伺える一品であった。
何の文句のつけようもないただの傘である――ただ一点を除いては。
「って、これレミリアの日傘じゃない」
そう、どう見ても紅い悪魔の所持品だったのだ。どうにも夕方帰ったときに忘れていったらしい。
いつも見慣れた形状だし、何より微かにレミリアの妖気が纏わりついている。一般人が持てば謎の体調不良に陥るだろう。
日光に弱い吸血鬼が日傘を忘れて変えるとは何事か――霊夢は呆れのため息を吐いた。いくら夕暮れとは言え無茶をする。あのバカ気化してないでしょうね、とひとりごちた。
さて、しかしどうしたものだろう。届けるべきだろうか、と博麗霊夢は考える。明日か一週間後か一ヵ月後かは分からないが、とりあえずこのまま置いておけばレミリアはそのうち取りに来るに違いない。
だがそのときにはきっと夜に来る。当たり前だ、日傘はここにあるのだから。そして夜遅いから泊まっていくわという流れになり、十中八九その他を巻き込んで夜通し宴会になる。最近お酒のストックが少ないからそれは避けたい。
ついでにいえば、これからもよろしくと今日言われてお茶をもらったわけで、直後に日傘を届ければ何かまたもらえるかもしれない。もとい、よろしくしあった間柄で忘れ物一つ届けないというのはどうにも体裁が悪いだろう。
「……でも」
ごはん。
音として出さずに呟いたその言葉は、代わりに吐息となり、白いご飯から出る湯気を揺らして自己主張した。
常備菜のお浸しやたくあんはそのまま晩酌に使いまわせる。が、鮎の一夜干しの具合は今この時こそが極上だろう。炊き立ての白いご飯も至高の味わいを約束している。かぼちゃの煮付けは冷めても美味そうではあるものの、今はあのほこほこした食感を楽しみたい。
それに何より、先ほど温めなおした味噌汁は食べてしまわないと悪くなるだろう。余熱で温めたのは煮立たせないためなのだから。
しかしこの熱々の夕ご飯を食べ終われば、今よりもっと汗をかく。遊びで行う弾幕ごっこの「少し汗かいて気持ちいい」などというレベルでなく、普通に汗くさくなるレベルで。ただでさえ弾幕ごっこの後に火を使って、少し汗ばんでいるというのに。
そうなれば風呂に入らなければなるまい。ご飯を食べて風呂に入れば、もう深夜だ。今日は昼に博麗神社に来たのだから、咲夜もレミリアも寝ているだろう。二人が寝ているならお礼は期待できない――もとい、寝ていることが分かりきっている時間に訪ねるなんて非常識だ。
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題ね」
まるで父の幽霊に叔父の殺害を教唆された王子のような顔で霊夢は考える。
本人にとっては非常に重大で哲学的なこの問いは、結局30秒ほどで「明日の昼ごろ行けば咲夜が起きてるでしょ」という結論を見た。
一話当たりの適正な量がよく分かりません……
本当なら傘届けに紅魔館に行って――というところまでで二話にする予定だったのですが、長くなりそうだったので書いたところまでを。
どう考えてもご飯にこだわりすぎました。