第三回:岳院君(がくいんくん)、門を閉ざして子を諭し、周先生、帳を設けて徒を授く
【詩】
大いなる水に漂いて 辛苦に遭い
嘆くべし 幼子は荒れたる野辺に窮す
夜通しの紡績にて 日々の糧を供し
亡き夫を想い 密かに涙を拭いて子を導く
さて、母との約束を胸に家を出た岳飛でしたが、いざ薪を拾おうと思っても、どこへ行けば手に入るのか見当もつきません。思案に暮れながらも、まずは近くの土山を目指して歩き出しました。山頂に立って辺りを見渡しましたが、薪になりそうな枯れ木は見当たりません。さらにもう一つ先の山の裏手まで足を延ばすと、七、八人の子供たちが野原に集まり、賑やかに遊んでいるのが目に留まりました。
その中には、恩人である王員外の隣家に住む張小乙と李小二の姿もありました。岳飛に気づいた彼らが声をかけます。
「岳家の兄弟じゃないか、こんなところで何をしているんだい?」
「母上の言いつけで、薪を拾いに来たのさ」
すると、子供たちは口を揃えて囃し立てました。
「それはちょうどいい。薪拾いなんて後回しにして、一緒に『羅漢積み(らかんづみ)』をして遊ぼうぜ」
「いや、せっかく誘ってくれたけれど、母上との約束があるんだ。遊んでいる暇はないよ」
岳飛が丁寧に断ると、子供たちは途端に顔色を変えました。
「ふん、何が『母上の命』だ。格好つけやがって! 言うことを聞かないなら、その生意気な頭を懲らしめてやるぞ!」
「からかうのはよしてくれ。僕は決して、喧嘩を望んでいるわけではないんだ」
「誰がからかっているものか!」「僕らがお前を恐れるとでも思っているのか!」
王三や趙四といった少年たちが一斉に色めき立ち、多勢に無勢で岳飛に襲いかかろうとしました。ところが、岳飛が両腕を力強く振るって押し返すと、三、四人の少年たちが木の葉のようにあっけなくひっくり返りました。その隙に岳飛がその場を立ち去ろうとすると、少年たちは「逃げるのか、卑怯者め!」と強がりを叫びましたが、岳飛の底知れぬ力に恐れをなし、追いかけてくる者は一人もいませんでした。
負かされた子供たちの数人は、そのまま岳飛の家まで泣きながら駆け込み、「岳飛にいじめられた」と不当な訴えをしました。岳飛の母、岳安人は、慈愛に満ちた言葉で彼らを優しくなだめ、家へと帰しました。
やがて、岳飛が枯れ枝を籠いっぱいに背負って帰ってきました。母はその様子を見て、静かに諭しました。
「薪を拾いに行かせたはずが、よそのお子さん方と争い、騒ぎを起こすとは何事ですか。それに、この枯れ枝は、あるいはどなたかの庭木であったかもしれません。もし持ち主に見つかってお叱りを受けたら、どうするつもりですか。もしも木に登って怪我でもされたら、私は誰を頼りに生きていけばよいのでしょう」
岳飛は即座にその場に膝をつき、「母上、申し訳ございません。明日はもう、枯れ枝を拾いには参りません」と深く反省しました。
母は息子を優しく立たせ、こう告げました。
「もう薪拾いには行かなくてよいのです。王員外のお宅からお借りした書物があります。明日からは、私があなたに学問を教えましょう」
「はい、母上の仰せのままにいたします」
翌日から、母による慈しみ深い教育が始まりました。岳飛は生まれながらに聡明で、一度教えれば即座に理解し、一度読めば暗記してしまうほどでした。数日が過ぎ、母が言いました。
「飛よ、私が少しずつ蓄えた小銭があります。これで紙と筆を買ってきなさい。字を学ぶことも、また大切な務めですから」
岳飛は少し考え、顔を上げて答えました。
「母上、わざわざ買う必要はありません。私には、私なりの紙と筆がございます」
岳飛は外へ出ると、川岸から畚いっぱいの河原の砂を運び込み、柳の枝を削って筆の代わりとしました。
「これならば一銭もかかりませんし、一生使い切ることもありません」
母は微笑んで、「それは実に見事な考えですね」と褒め称え、机の上に砂を広げ、柳の枝を握らせて手本を示しました。岳飛はまたたく間に、砂の上に美しく力強い字を認めるようになりました。
一方その頃、王員外の息子、王貴は、数えで六歳ながらも大人びた体格を持ち、その気性は荒く、手のつけられない乱暴者でありました。ある日のこと、使用人の王安を連れて庭園の百花亭で遊んでいた折、机の上に「将軍」や「馬」の駒が並ぶ象棋を見つけました。
「これは何だ?」
「これは象棋といって、二人の打ち手が知略を競う遊びでございます。紅の駒が黒の『将軍』を仕留めれば勝ち、その逆もまた然りでございます」
王安の説明が終わるか終わらないかのうちに、王貴は自分の「将軍」の駒をいきなり動かし、王安の「将軍」を叩き潰しました。
「よし、俺の勝ちだ!」
「若旦那、そのような決まりはございません。将軍というものは、自陣の城から出られないものなのです。私が正しい遊び方をお教えしましょう」
「黙れ! 将軍(大将)になったからには、どこへ行こうと己の自由ではないか! できないなどと嘘をついて、俺を騙すつもりか!」
逆上した王貴は、重い盤を持ち上げると、あろうことか王安の頭に叩きつけました。王安の頭からは血が溢れ出し、彼は悲鳴を上げて逃げ出しました。騒ぎを聞きつけた父の王員外は激怒し、王貴の頭を拳で幾度も殴りつけました。
王貴は泣き叫びながら、母である院君の部屋へ逃げ込みました。息子を溺愛する母は、夫が息子を叱るのをどうしても許しません。
「この子は、岳安人の勧めがあってようやく授かった、かけがえのない一人息子なのですよ! この子の柔らかい頭をそんなに殴って、もしものことがあったらどうするのです! 私も一緒に死んでやるわ!」
そう言って、王員外に体当たりをせんばかりの勢いです。家臣たちが慌てて引き離しましたが、王員外は呆れ果て、「これほどまでに甘やかしては、この子の末路が思いやられる……」と、深いため息をつくばかりでした。
そこへ、友人の張員外が顔を腫らして訪ねてきました。
「聞いてくれ、兄貴。うちの張顕の野郎だ。私が足代わりに買った馬を勝手に乗り回し、よその家を壊し、人に怪我をさせ、私は賠償ばかりさせられている。注意したら、これだ。家内が息子をかばって、私の顔を引っ掻いたのさ」
さらに、友人の湯文仲も血相を変えて飛び込んできました。
「兄貴たち、私の話も聞いてくれ! うちの湯懐の野郎だ。近所の団子屋に嫌がらせをし、門の前に大きな石を積み上げやがった。主人が怪我をして、私が平謝りして金を払ったというのに、家内は麺棒を持って私を追い回す始末だ!」
三人の親たちは、我が子の放蕩と家庭内の不和に頭を抱え、ただ嘆き合うばかりでした。
その時、門番が知らせをもたらしました。「陝西より、周侗老相公がお見えになりました」
三人は歓喜して迎えました。周侗といえば、かつて都の禁軍で教官を務め、あの林沖や盧俊義をも育て上げたという、伝説の武芸家です。
「老兄、お久しぶりでございます! 都におられるとお聞きしておりましたが」
「ああ、私も齢を重ねた。かつてこの地に持っていた田地の年貢を清算しに来たついでに、旧友である諸君の顔が見たくなって立ち寄ったのだよ」
周侗は、妻を亡くし、息子も戦功虚しく戦死し、弟子たちも奸臣に陥れられて世を去った、孤独な身の上を静かに語りました。三人の親たちは、藁にも縋る思いで、我が子たちの不行跡を打ち明けました。
「これまで何人も家庭教師を呼びましたが、全員が彼らに叩き出されました。あの荒れくれ者どもを教えられる御仁は、もはやおられません」
周侗は泰然と微笑んで言いました。
「それは先達方の教えが、彼らに届かなかったのでしょう。私が教えれば、彼らが私に手を上げることはありませんよ」
「おお、それならばぜひ! 彼らの師となって、鍛え直していただけませんか!」
こうして、周侗を師に迎えた「私塾」が、王家の中に開かれることとなりました。
これを聞いた王貴、張顕、湯懐の三人は、新しい先生に手荒い「洗礼」を浴びせてやろうと、鉄の物差しや棍棒を懐に隠し持って待ち構えました。
翌日、周侗が王貴を呼び寄せると、王貴は不遜な態度でいきなり鉄の物差しを振り上げ、先生の頭を狙いました。しかし周侗は、電光石火の早業でそれをかわすと、片手で王貴の首筋を掴んで椅子に組み伏せ、戒尺(しつけ用の板)で鋭く諭しました。
名家の若旦那として、かつて一度も痛みを知らずに育った王貴は、この一撃に震え上がり、すっかり神妙になりました。それを見た張顕と湯懐も、恐れをなしてこっそりと武器を捨て、周侗の教えに服従するようになったのです。
さて、壁一つ隔てた隣家の岳飛は、毎日椅子の上に立ち、壁に耳を当てて周侗の講義を熱心に盗み聞きしておりました。
ある日、周侗が小作人の王老実に誘われ、豊作の田を検分するために外出しました。先生は三人の弟子に「自習の課題」を与えて出かけます。
岳飛はこれ幸いと、主のいない書斎に忍び込みました。王貴たちは、自分たちの代わりに課題を片付けてくれと岳飛に泣きつきました。
「岳兄さん、君は賢い。僕らの代わりにこの作文を書いてくれよ! お礼に引き出しにある菓子を全部差し上げるから!」
彼らは岳飛を中に閉じ込めるようにして、遊びに行ってしまいました。岳飛は三人のそれぞれの学力に合わせ、異なる文体で課題を鮮やかに書き終えると、ふと先生の席に座り、周侗の認めた文章を読みました。その気高い筆致に深く感銘を受けた岳飛は、抑えきれぬ情熱のままに筆を執り、書斎の白壁に一首の詩を書きつけました。
【詩に曰く】
筆を投げ打たんとして 虎頭(班超)の志を羨み
須く 談笑のうちに功を成し封侯を求むべし
胸中の浩然たる気は 天の霄漢を凌ぎ
腰下に帯びたる名剣は 北斗の星を射る
英雄は自ずから 天下の調和(羹鼎)を司り
雲龍風虎 自ずから志を同じうする
功名いまだ 男児の志を遂げ得ぬのは
ただ世人が この身の貧しき衣を笑うにあるのみ
書き終えた後、端の方に「七歳の幼童、岳飛、偶かに題す」と潔く署名しました。
その刹那、ガチャンと鍵が開く音が響きました。王貴たちが慌てふためいて飛び込んできます。
「大変だ! 逃げろ、早く逃げるんだ!」
岳飛は驚き、何事が起きたのかと鋭く身構えるのでした。




