第二回:逆巻く濁流に虯王は怨みを報じ、孤独な母子に員外は恩を施す
【詩】
逆巻く波濤が滔々と押し寄せ
罪なき民は不慮の災禍に沈む
怨み恨んで報い合う連鎖は いつ終わるのか
今日またひとつ 禍いの種が結ばれた
古来より、「冤家は解くべきものであり、結ぶべきではない」と申します。人から受けた不条理は、ただ堪え忍び、一歩を譲ることでこそ、無用な諍いを避けられるものなのです。
しかし、あの蛟精はどうであったでしょうか。かつて許真君の剣から逃れ、黄河のほとりで八百年以上もの長きにわたり修行を積み、ようやく「鉄背虯龍」の名を得るに至ったというのに、大鵬鳥に突如として左目を啄まれてしまいました。この怒り、どうして収まりましょう。後の世に引き起こされる数々の波乱は、天命とはいえ、あの大鵬鳥が結んでしまった深い業でもあったのです。
華山の陳摶老祖は、この惨劇をあらかじめ予見しておりました。大鵬の化身である赤ん坊が命を落とさぬよう、名を与え、密かに救いの手を差し伸べたのです。
老祖は岳和員外と共に中庭へ出ると、そこに並べられた一対の大花瓶、すなわち見事に光り輝く陶器の甕に目を留めました。それは員外が金魚を飼うために新調したばかりのもので、まだ水は張られておりません。
老祖はわざとらしく「これは見事な甕だ」と称賛すると、携えた杖で甕の内側に霊符を書き込み、密かに呪文を唱えました。
別れ際、門口にて老祖は員外にこう告げました。
「出家に嘘はございませぬ。もし三日のうちに、お子に何か驚くようなことがあれば、すぐさま奥方に命じてお子を抱かせ、左側の甕の中に座らせなさい。さすれば、命は保たれるでしょう。ゆめゆめお忘れなきよう」
員外が深く頷くのを見届けると、老祖は一陣の風のように去っていきました。
三日目、岳家では赤ん坊の誕生三日を祝う「三朝」の宴が開かれ、親族や友人たちが集いました。
皆が「五十を前にして授かった男子とは、実におめでたい。ぜひとも拝ませてくれ」と口々に申すので、員外は雨傘を差させて陽光を避け、赤ん坊を広間へと連れてこさせました。
赤ん坊の立派な相を誰もが褒めそやす中、一人の若者が不用意に歩み寄り、その手を軽く持ち上げて言いました。
「いやはや、なんと良い子だ!」
すると、それまで穏やかだった赤ん坊が、火がついたように泣き出したのです。若者は狼狽し、人々も「掌中の珠をなんと無作法に扱うのか」とその不作法を責め立てました。赤ん坊は乳も受け付けず、一向に泣き止もうとしません。気まずい空気が流れ、客たちは一人、また一人と席を立っていきました。
員外は途方に暮れましたが、ふと老祖の遺した言葉を思い出しました。
「三日のうちに驚くことがあれば、甕の中へ……」
藁をも掴む思いで、員外は妻の姚氏にその旨を伝えました。姚氏は急いで身なりを整えると、侍女に絨毯を敷かせた左の甕の中に、岳飛を抱いて座し、身を潜めました。
その瞬間です。天を揺るがす轟音が響き渡り、大地が裂け、滔々たる濁流が押し寄せてきました。岳家荘は瞬く間に大海と化し、村の家々も人々も、荒れ狂う水の中に消えていきました。
実はこの洪水、黄河の鉄背虯龍が、目を突かれた報復のために水族の兵を率いて引き起こしたものでした。しかし、無関係な村人たちを巻き添えにした罪により、龍は天罰として「剮龍台」にて斬首に処されることとなります。その龍の怨念が東土へと飛び、秦檜として転生し、後に十二道の金牌を以て岳飛を陥れることになるのですが……それはまだ、遠い先のお話です。
甕のおかげで、岳飛の命は辛うじて助かりました。員外は流される甕にしがみつき、中で泣きじゃくる姚氏に向かって叫びました。
「安人よ、これは天命だ! この子を頼む。岳家の血筋を絶やさないでくれ。私は魚の腹に葬られようとも、もはや悔いはない!」
言うが早いか、員外は力を使い果たして手を離し、甕は激流に乗って、どこか知れぬ場所へと漂い去っていきました。
甕は濁流に揺られ、はるか河北の大名府内黄県にある「麒麟村」という地に流れ着きました。
この村の長者に、王明という五十歳の男がおりました。ある朝、王明は使用人の王安を呼び寄せ、「夢占いの師を呼んでまいれ。昨夜、三更の刻に火光が天を衝く夢を見たのだ」と命じました。
王安は「火の夢は貴人に出会う吉兆です」と答え、書物の『解夢全書』を取り出して見せました。王明が半信半疑でおりますと、村の水口で村人たちが騒いでいるのが聞こえます。
「水が出て、家財道具が流れてきたぞ!」
人々が競って家財を拾い集める中、王安は遠くから流れてくる奇妙なものを見つけました。
「旦那様、あそこをご覧ください。多くの鷲や鳥が羽を広げ、まるで日除けの棚のように空を覆って流れてくるものがございます」
それは一隻の大きな甕でした。近づいてみれば、中には一人の婦人が赤ん坊を抱きかかえています。村人たちが荷物を奪い合うことに夢中になっている間に、王安が鳥たちを追い払い、その甕を引き寄せました。
「旦那様、これこそが夢に見た貴人ではございませんか?」
王明が覗き込むと、そこには疲れ果て、憔悴しきった姚氏の姿がありました。産後わずか三日、そしてこの未曾有の大難。彼女は眩暈に襲われ、問いかけに答えることもままなりません。王安が熱い粥を飲ませると、ようやく姚氏は涙ながらに身の上を語り始めました。
「私は相州、岳家荘の者でございます。大洪水で夫とも離れ離れになり、命からがら、ここまで辿り着きました……」
王明はその境遇に深く同情し、母子を家に置くことに決めました。村人たちは「家財も拾わず、飯を食わせる厄介者を拾うとは、旦那様もお人好しが過ぎる」と笑いましたが、王明の妻である何氏も快く二人を迎え入れ、姚氏のために静かな離れの部屋を整えました。
姚氏は温和な気性で立ち居振る舞いも美しく、働き者であったため、村の人々からも慕われました。やがて数年が経ち、子供のいない王明夫妻を慮った姚氏は、「王家の血を絶やしてはなりませぬ」と、側室を持つよう王明に勧めました。翌年、王明には待望の男子が生まれ、王貴と名付けられました。王明は岳家母子に対し、いよいよ深く感謝するようになりました。
月日は矢のように過ぎ、岳飛は七歳、王貴は六歳となりました。王明は教育のために家庭教師を雇い、近所の友人たちの息子である湯懐と張顕も共に学ばせることにしました。
岳飛は熱心に机に向かいましたが、他の三人は腕白盛り。勉強などどこ吹く風で、学堂で棒を振り回し、挙句には先生の髭を引き抜くという暴挙に出る始末。先生たちは次々と匙を投げ、去っていきました。
これには王明も困り果て、姚氏に一つの提案をしました。
「お子も大きくなった。門の外にある空き家を整えるゆえ、そちらで親子静かに暮らしてはどうか。日々の薪や水は私が届けさせよう」
姚氏はこれまでの果てしない大恩に感謝し、吉日を選んでその離れへと移り住みました。彼女は近所の針仕事を請け負って小銭を稼ぎ、質素ながらも自立した生活を始めました。
ある日のこと、姚氏は七歳になった岳飛にこう言いました。
「お前ももう七歳。毎日遊んでばかりはいられません。ここに籠と柴かきを用意しました。明日からは山へ行き、柴を拾っておいでなさい。そうすれば王員外も、私たちが勤勉に生きていると分かってくださるでしょう」
「分かりました、お母様。明日から柴を拾ってまいります」
翌朝、岳飛は元気よく家を出ていきました。
息子の後ろ姿を見送り、姚氏は独り部屋に閉じこもって声を上げ、激しく泣きました。
「もし父親が生きていたならば、今頃は立派な師について書を読んでいたはず。それを柴拾いに行かせねばならぬとは……」
まさに、千の悲しみと万の苦しみに心は砕け、断腸の思いで英雄の子は山へと向かいます。
果たして、山で柴を拾う岳飛の身に、何が待ち受けているのでしょうか・・・




