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第一回:天、赤鬚龍(せきしゅりゅう)を下界に遣わし、仏、金翅鳥(こんじちょう)を凡界に下す

挿絵(By みてみん)

『天命降臨・大鵬転生之図』

金翅天降破暗雲,金翅の大鵬、天より降りて暗雲を破り、

華山老仙指命運。華山の老仙、運命を指し示す。

相州傘下生忠魂,相州の傘の下に忠魂が生まれ、

一滴墨落定乾坤。一滴の墨が落ちて、天下の定まる。


【しおの】


西江月せいこうげつ

三百余年にわたる宋の歴史を紐解けば、その間、南北において兵火が絶えることはありませんでした。

ふたりの皇帝(徽宗・欽宗)の辿った末路を静かに論ずれば、その忠義の心は悲しくも尊く、深く敬うべきものでございます。

忠義の心は、夏の炎天下に結ぶ霜露のように清らか。それに引きかえ、奸邪かんじゃな者たちは、秋の月の周りにたかる愚かな蝿のごとき存在にすぎません。

栄華も屈辱も、瞬く間に過ぎ去っていく虚しき名声。

ああ、人はいつになったら、この「黄粱こうりょうの夢」から覚めるのでしょうか。

【詩】

五代の戦火はいまだ止まず、

黄袍こうほうをその身に纏いて、ようやく憂いは去りぬ。

いずくんぞ知らん、南へと逃れ、安寧に甘んじた主が、

忠良な臣を用いず、万の民を嘆かせようとは。

古来、天の運命は巡り、国の興亡は世の常であります。さて、この一首の詩から物語の幕が開きますのは、南宋の精忠武穆王せいちゅうぶぼくおう岳飛がくひが、その身を捧げて国に忠義を尽くした、波乱万丈の物語の端緒でございます。

時は唐が滅んだ後の五代十国。朝にはりょう、暮れにはしんと、目まぐるしく王朝が入れ替わり、民草は塗炭の苦しみにあえいでおりました。

その頃、西岳華山せいがくかざんに、陳摶ちんたんという隠者が住んでおりました。名を希夷きい先生と呼び、タオを究めた仙人でございます。

ある日のこと、先生が驢馬に揺られて天漢橋を通りかかると、空に五色の祥雲がたなびくのが見えました。すると先生は突然、声を上げて笑い出し、あろうことか驢馬から転げ落ちたではありませんか。

人々が驚いてその理由を尋ねると、先生はこう答えました。

「めでたい、実におめでたいことだ! この世に真の主がいないなどと嘆くでない。今、一度の胎から、二匹の龍が生まれたぞ」

皆様、この言葉には深き訳がございます。

当時、趙宏殷ちょうこういんという司徒の職にある官吏がおりました。その夫人の杜氏が、夾馬営きょうばえいという地で一人の男子を産み落としたのですが、これこそ天界の霹靂大仙へきれきたいせんの生まれ変わり。その際、赤き光が放たれ、異香が辺りに漂い、瑞祥の雲が家を包み込んだといいます。

その子は成長して無双の英雄となり、一本の棒と二つの拳のみで四百余の軍州を打ち従え、三百年の礎を築きました。国号を大宋、都を汴梁べんりょうに定め、陳橋ちんきょうの変にて黄袍を纏い、皇帝(太祖)となったのです。後に弟の太宗へ帝位を伝えたため、先ほどの「一胎二龍いったいにりょう」という言葉が生まれたのでございます。

さて、太祖の開国から数えて八代目、徽宗きそう皇帝の御代。

このお方は上界の長眉大仙ちょうびたいせんの化身であり、風流と道教をこよなく愛する「道君皇帝どうくんこうてい」と自称されました。天下は久しく太平を謳歌し、武器は蔵に収められ、民は安楽な日々を過ごしておりました。

【詩に曰く】

ぎょうの天、しゅんの日、

三多さんたの福を慶び、

腹をつづみ打ち、食を楽しみて、

あまねく地に歌声が響く。

雨はしたがい、風は調ととのい、

民はその業を楽しみ、

牛を放ち、馬を放って、

戦の道具を棄て去らん。

閑話休題。

ところは西方極楽世界、大雷音寺だいらいおんじ

我らが如来仏が蓮台に座し、菩薩、金剛、羅漢、比丘びくら聖衆を前に妙法を説いておられました。天からは花が舞い、宝の雨が降るという荘厳な最中、あろうことか、蓮台の下で説法を聞いていた星官の「女土蝠じょどふく」が、我慢できずに一つ、無作法な放屁おならをしてしまったのです。

慈悲深い如来は特にお気になさいませんでしたが、仏の頭上に控えていた護法神「大鵬金翅明王だいほうこんじみょうおう」がこれに激怒いたしました。その眼は金色の光を放ち、女土蝠の不潔な振る舞いを許さず、双翼を広げて急降下するや、その鋭いくちばしで女土蝠の頭をひと突きにして殺してしまったのです。

女土蝠の霊魂は雷音寺を飛び出し、東土(中国)にて王家の娘として転生します。これが後に秦檜しんかいの妻となり、忠臣を害して今日の恨みを晴らすことになりますが、それはまた後のお話。

如来は慧眼けいがんをもってこれを見通し、「善哉ぜんざい、善哉。これもまた因縁よな」と呟かれました。そして大鵬鳥を呼び寄せ、こう叱責されたのです。

「この畜生め! 仏門に身を置きながら五戒を守らず、殺生を犯すとは何事か。ここにお前の居場所はない。紅塵(俗世)に下り、冤罪の報いを受けるがよい。その功を成し遂げた暁に、再び正果を得ることを許そう」

大鵬鳥は法旨を奉じ、雷音寺を飛び去って東土へと向かいました。

一方、華山の陳摶老祖ちんたんろうそは、眠りの中で道を得る仙人で、「一眠り千年」とも言われておりました。ある日、老祖が雲の床で深い眠りについていた時のこと。

弟子である二人の仙童、清風と明月が「師父が起きぬ間に山を散策しよう」と外へ出かけました。

道すがら、二人は盤陀石ばんだせきの上に置かれた、古びた碁盤を見つけました。

「これは昔、宋の太祖・趙匡胤ちょうきょういんがここを通った際、師父が神風を吹かせて山に招き寄せ、打った碁の続きだよ。師父が勝ち、太祖に華山を売り渡す証文を書かせた、あの時のものだ」

二人がそんな話をしながら、暇つぶしに一局打とうとしたその時、突如として空に轟音が響き渡りました。西北の空から黒い気が天を覆い、凄まじい勢いで東南へと迫ってくるではありませんか。

「大変だ、天変地異だ!」

驚いた二人は奥へ駆け込み、老祖を叩き起こしました。目を覚ました老祖が外へ出て空を仰ぐと、

「ああ、あの畜生か。あんなに凶暴では、この劫難ごうなんも避けられまい」と溜息をつきました。

不思議がる弟子たちに、老祖は静かに語り聞かせました。

「お前たちには分からぬだろう。今の徽宗皇帝が元旦に天を祀った際、あろうことか表章(願文)に『玉皇大帝ぎょくこうたいてい』と書くべきところ、うっかり『玉』の点を『大』の字に打ってしまい、『王皇犬帝(犬の皇帝)』と書いてしまったのだ。玉帝は激怒し、『犬帝とは許し難し』と、赤鬚龍を下界へ遣わして北の女真国(金)に転生させた。後に中原を侵させ、宋の山河を乱し、民を兵火に晒すためにな。如来様は、その赤鬚龍を鎮めるため、大鵬鳥を遣わして宋の国を繋ぎ止めようとされているのだ。さあ、あの畜生がどこに生まれるか、見守ることにしよう」

老祖が雲に乗って追いかけると、大鵬鳥は九曲長江を越えて飛んでいきます。その途中、長江の底で修行していた「鉄背虯王てつはいきゅうおう」という龍の化身が、眷属を連れて戯れているのに出くわしました。大鵬鳥はその鋭い眼で妖怪であると見抜き、急降下して龍の左目を突き抜きました。龍は悲鳴を上げて水底へ逃げ込みます。

その時、血気盛んな一匹の団魚スッポンの精が立ち向かってきましたが、これも大鵬鳥に嘴で一突きにされ、ひっくり返って息絶えてしまいました。このスッポンの霊魂こそ、後に万俟卨ばんきせつとして転生し、岳飛を風波亭ふうはていで冤罪に陥れることになるのですが、これもまた避けれぬ因縁。

ごうに落ちてもなお殺生を重ねるとは、怨恨の連鎖はいつ終わるのか……」

老祖は溜息をつきながら、さらに大鵬鳥の行方を追いました。大鵬鳥は河南相州のある屋敷の屋根に降り立つと、そのまま姿を消したのです。

老祖は地上に降り、老道士の姿に身を変えて、その屋敷の門を叩きました。

そこは岳和がくわという徳の高い主人の家でした。妻のよう氏は四十歳にしてようやく第一子を授かったばかりで、家の中は喜びと忙しさに溢れておりました。

老祖(道士)が門口で喜捨を求めると、門番はこう言いました。

「あいにく今日は若旦那が生まれたばかりでして。主人は信心深い方ですが、今は取り込んでおりますし、産室の不浄もございます。どうか他を当たってくだされ」

しかし道士が「これも縁あってのこと、どうかお伝えを」と食い下がるので、門番は致し方なく主人に伝えに行きました。岳和は「修行者に産室の不浄を当てるのは申し訳ない」と躊躇しましたが、道士が「福はお主が受け、罪(不浄)は私が引き受けよう」と言うのを聞き、ついには招き入れることにいたしました。

現れた道士の、鶴のような白い髪に童子のような顔、その清らかな佇まいに岳和は心を打たれました。

「積善の家には余慶あり。岳殿、よろしければお子を拝見し、災い除けの祈祷をいたしましょう」

岳和は驚き、「産まれたばかりの子を外に出しては、神仏に不敬ではありませんか」と案じましたが、道士は「雨傘を差して外に出せば、天を汚すこともなく、邪鬼も退散いたします」と教えました。

そこで岳和は、赤ん坊を大切に抱き、従者に傘を差させて中庭へ出ました。

赤ん坊を一目見るなり、道士は称賛の声を上げました。

「なんと立派な相だ。この子は将来、万里を翔け、高きへ至るでしょう。名を『』、あざなを『鵬挙ほうきょ』となされよ」

岳和は大層喜び、この誇らしい名をすぐに妻にも伝えました。

さて、道士を供応しようとすると、老祖は言いました。

「実は連れの道友がおりまして、村の先で待っております。呼び寄せて共に相伴に預かりたいのですが」

岳和が快諾すると、道士は中庭へ向かいました。そこにある「二つのもの」を目にした老祖は、立て続けに「良い、良いぞ!」と声を弾ませました。

この老祖が見た「二つのもの」こそが、後に相州の街を洪水が飲み込み、内黄県ないこうけんに英雄たちが集結する運命の引き金となるのですが……。

万事は天数によって定まり、一生はめいによって定まるもの。

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