『ファースト・コンタクト』
地球の周回軌道から、一隻の船がゆっくりと離脱していく。
最低限補修しただけのボロボロの宇宙船。みすぼらしくも、どこか誇らしく航行するそれは、近衛兵たちの宇宙船だ。
最終局面で撃墜されたものの、主動力に損傷がなかった事でなんとか復旧した船は、地球との停戦条約も結び、これから遠い母星に戻る所だった。
そのブリッジで、マスターはモニターに表示される、銀色に輝く青い星を見つめている。
『……美しいな』
『はい。宇宙に浮かぶ宝石のようとは、この事かと』
その隣で、サージェントが感無量、といった様子で頷く。
『羨ましいな。あの美しい星の一部になれた戦死者達が。本来、我らには許されぬ事だ』
『戦って、死ぬ。それだけが、我らの存在意義ですから……な』
人類とは異なる価値観。だが、それでも人と彼らは、共有する視点を持つ事が出来た。その事を嬉しく思いつつも、同時にマスターは一抹の悲しさを覚えた。
『……彼らは、やはり宇宙に出るだろうか?』
『間違いないでしょう。今の彼らは、互いに相争いあう愚かさを知っています。互いに団結し、高め合い、必ず宇宙に出る。……そしていつか、我らの元に辿り着き、争いになるでしょう』
『だろうな。……その時、引き金を引くのが別の私である事を、正直嬉しく思うよ。この手で、彼らの血を流す事は、正直もう二度と御免だ。あんな素晴らしい生き物を、これ以上殺したくはない。……この感傷も、すぐに失われるのだろう』
マスターはゆっくりと己の左手を見つめた。
ディスペア戦で深く傷ついた半身を、彼は敢えて治療しなかった。
何故ならば。
『母星に戻り次第、我らは任務失敗の責を問われ、処分されるだろう』
『そして、次の我々が生産される。ある意味、救いではありますな』
そう。
近衛兵たちは、神獣兵と同じく、“エルダー”から後継者に与えられた、戦闘ユニットに過ぎない。そもそもが、種族ですらなく。保存されたデータによって生産される、生体ロボットというべき存在だ。
否、戦闘ユニットというのも正しくはなく、本来は異文明との折衝を行い、後継者達を守護する“アシミレイター”こそが、彼らの本来の名前と役割である。
しかし、後継者……そして後継者が亡びた後に顕れた“神”は、彼らを本来の役目では運用しなかった。驕り高ぶった彼らは、自分達以外の全ての知的生命体を下賤と蔑み、交渉者ではなく殲滅者としてアシミレイターを用いた。
そこに不満はあっても、彼らは使用者に逆らうようには作られてはいない。どのような命令であっても、粛々と従うだけである。
『神獣兵が、羨ましく思いますな』
『そうだな。死ねば再生産されるだけの我らと違い、神獣兵には状況に応じて変質する適応能力が与えられていた。それによって本来の役目を完全に見失い狂獣となり果て、その挙句に起動エラーを起こした彼らの事を哀れに思った事もあったが……悪い方向への変化もあれば、良き方向への変化もあるという事だな』
そもそも神獣兵という名は、後継者がそう運用した為につけられた名だ。
彼らの本当の有り様は……“友”。フレンドシップ。知的生命体と寄り添い、互いに変化し、大切なパートナーとして有る様に生み出された存在。それは大きな変質を経て、しかし、元の姿に回帰した。
それは、きっと、とても大きな奇跡なのだろう。
『さて、名残惜しんでばかりもいられない。そろそろ帰還するぞ……この星の座標データは抹消したな?』
『はっ。損傷を受けた際にメインプログラムが破損したように細工しております。どうせ細かい事情聴取も行われないでしょうから、向こう数百年、我らがこの星に再びたどり着く事はないでしょう』
『ふ。賢者どもが名ばかりで助かったな。数字を念仏として唱える奴らの頭に、広大な宇宙の詳細な座標データなど残ってはいない』
マスターが腕を振って合図を出すと、宇宙船はワープの準備に入る。
そして光が船を包み込んだ直後、その姿は太陽系から消え去っていた。
『……類軍は、衛星軌道上からフォースエイリアンの母船が離脱した事を確認。これにより、宇宙人戦争が完全に終結した事を、正式に発表しました。条約締結から数か月、これによって、各地の復興作業はより進むと考えられており……』
ラジオから、ニュース番組が流れている。
それを聞きながら、立花葵は気分よく、晴天の街を歩いていた。
今の彼女は、戦闘用スーツでもそのインナーでもなく、どこにでもいるようなジャージ姿だ。街を歩いていても、何の違和感もない。
あの戦いから半年。
彼女は、軍を除隊した。
純粋に、肉体には限界が来ていたのが理由だ。長い間、人間の限界を越えた高機動戦闘に従事してきた事、柏木少将直轄になるまでの改造手術の杜撰な管理による後遺症で、医者からこれ以上戦えば命に係わると警告を受けたのだ。
部下達からは酷く惜しまれたし、少将からも教導官として残って欲しいと嘆願されたが、彼女はすっぱりと軍から距離を置いた。
だってもう、戦う理由がない。人類同士の争いはまだあるかもしれないが、彼女が相手するのは宇宙人だけで、その宇宙人はもう居ないのだから。
それに彼女には、もっと大事な人生の目標があった。
今、彼女が住んでいるのは、南アメリカ、マザーツリーの根元に作られた新しい街だ。まだ名前の無いその街に住むのは、ほとんどが日本人である。
その理由は南アメリカに住んでいた人間が一人残らず死んでしまったというのもあるが、それ以上にこのマザーツリーの由来によるものが大きい。
この街に住む日本人は、ほとんどがその人生において葛葉零士と関わった者達、その関係者である。
彼女に直接救われた者、間接的に救われた者。何かしらの形で恩を受けた者達が、この街には多くいる。勿論、葵もその一人だ。
彼女はジョギングを兼ねて、街の傍らに聳え立つマザーツリーの元にやってくると、その威容を見上げた。
「相変わらずでっかいわねえ。アンタ、チンチクリンなの気にしてたからってやりすぎじゃない?」
成層圏の上にまで伸びる白銀の樹は、とてもじゃないが顔を上げても全容を見渡せない。視界のはるか上にまで伸びている樹に肩をすくめて、彼女はその根元に向かった。
「おーい、アステリオスちゃん。居る?」
『クルルルゥ!』
声をかけるや否や、見慣れた巨体がひょっこりと根の間から顔を出す。そのままどすどす走ってくると、アステリオスは屈みこんでぺろぺろと葵の頬を舐めまわした。
「あははは、今日も元気だねえ」
『クルルー!』
にこやかに笑うアステリオス。その姿は元気そのもの、千切れた腕も生えそろい、まさに健康そのものだ。
……そう。
半年たった今現在も、アステリオスはこうして元気に生きている。月に一度の健康診断でも、彼が衰弱する様子は見られない。
それがどういう理由なのかは分からない。人類軍の科学者は首を傾げているが、葵はまあ、そういう事もあるよね、と再びマザーツリーに目を向けた。
あの小さなママが、神様みたいな存在になった今、子供を特別扱いしないはずがないのだ。過保護め、と葵は笑った。
そんなアステリオスは、ずっとここでマザーツリーの守護をしている。少しでも母親の傍にいたいというそのいじらしさを、葵は助けてやりたいと思った。だから軍を退役して、近くに出来た街に移り住み、こうしてアステリオスの面倒を見ている。
なんせ、精神的にはまだまだ子供……ほうっておくと何をやらかす事やら。最初、街の人々に甘やかされるままに食料を食べまくって、豚のように肥え太っていた姿はちょっと忘れられそうにない。
「んー、大分、お腹引っ込んできたね。やれやれだわ……ん、なに?」
『クルルル』
「ちょっと、どうしたのよ?」
葵のジャージの袖を咥えて、くいくいと引っ張るアステリオス。小さな犬がやると可愛いのだが、全高3mを越える巨獣がやっているとなんか妙な光景である。
「なあに、どうしたの。そっちに来て欲しいの?」
『クルル!』
アステリオスに誘われて、マザーツリーの根っこに近づく葵。
根っこの近く、地表沿いの幹。そこから、小さな枝のようなものが伸びている。葵の記憶の限りでは、ついこのあいだまでこんなものはなかったはずだ。そしてその枝からは細い蔦が伸びていて、その先が大きく膨らんで垂れ下がっている。
真っ白で、ツルツルとした、楕円形のそれは、まるで……。
「……卵?」
首を傾げながら、葵が何とは無しに卵を支えるように手を伸ばす。
と、目の前でぷつんと蔦が切れて、卵は葵の手の中に落下した。
「うわあ!?」
ドッジボールぐらいの大きさの卵を、慌てて受け止める。ずしりと重いそれをふんぬぬ、と落とさないように抱え上げ、胸に抱く。
ほんのり暖かいそれを抱きしめたまま、アステリオスに葵は声を上げた。
「ちょ、ちょっと、アステリオス、ナニコレ?!」
『クルクル~』
当然の疑問の声に、アステリオスは「わかんない」とでも言いたげに首を振る。それから彼は急にはっとしたように、籠手の先でちょんちょん、と卵を突いた。
『クル!』
「え、なに……ちょ、まさか」
突かれた卵から、返事をするような、こんこん、という刺激。葵が目を見張る前で、卵の殻の一点に、ぴしり、と罅が入る。
それは少しずつ広がっていき、中で何かが動いているのが見て取れた。
「え、ちょ、ま……生まれる……?!」
あわあわしながら卵を抱えたままの葵の腕の中、卵の殻が罅割れ、やがて大きな亀裂が入る。そして……。
『み、みゅう』
卵の中から、ピンク色で、柔らかそうな小さなチルドレンの赤子が、産声を上げた。それは頭の角で必死に卵の殻を割り広げながら、とぎれとぎれの産声を上げる。少し割っては休憩し、少し割っては休憩し、時間をかけて卵の殻に、体が通り抜けられるような大穴を開けていく。
『み、みぃ、みぃ、みゅぅ。みゅぅ~』
「あ、あか、あかちゃん……?」
穴を広げた所で、赤子はぐったりと大人しくなった。まるで、誰かを呼ぶように小さく鳴き続ける。
葵は赤子を驚かせないよう、ゆっくりと卵を地面において、手を差し伸べる。そしてみぃみぃ泣く小さな赤子を、そっと抱き上げた。
赤子は脚をじたばたさせるが、殻を割るのに疲れ果てていたのか、すぐに大人しくなる。その、しっとりと濡れた柔らかくて小さな体を葵が抱きしめると、赤子は彼女の頬に顔をよせ、ぺろぺろ、と舌で嘗め回した。赤子の小さな、双葉のような柔らかくて頼りない指が、きゅぅ、と彼女の指を握りしめる。
『みっ、みゅ。みゅみゅ』
「あ……」
『クルル……』
葵はアステリオスと顔を見合わせる。小さく頷く彼に背中を押されて、彼女は抱きかかえた赤子に、優しく声をかけた。
「……こんにちは。初めまして、赤ちゃん。……私が、貴方のママよ」
恐る恐る、呼びかける葵の声に。
小さな赤子は、何の不安もないように、愛らしく一声鳴き返したのだった。
『みぃっ!!』
それは、人類が初めて経験した、友好的な地球外生命体とのファーストコンタクトであった。
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