『亡霊よ、この愛ある世界から去れ!!』
そして、白き闇を払い、私は炎の中から躍り出た。
「ぶは……」
纏わりついてくる炎を払い、地面に降りる。久方ぶりに吸う新鮮な空気は美味しかった。
いや嘘、生臭いしじめじめしてるし変な臭いがする。やっぱり不快。
振り返ると、今まさに私を放出したばかりのディスペアが、千々に乱れながら燃え上がっている。青白く輝いていたそれは見る見る間に黒く濁り、やがて青色から完全な黒……どす黒く燃える黒い炎になっていく。
それに伴い、力も弱まっていく。
それを見ながら、私は胸に手を当てた。幼女の平たい胸の中央に、赤い結晶体が埋め込まれている。ともに脱出した子供の本体……それは私と融合して、確かに小さく脈打っていた。
「葛葉ちゃん!?」
名前を呼ぶ声に顔を上げると、地面に横たわったままの葵ちゃんが、血の気が失せた顔で私を見つめていた。とっさに駆け寄り、助け起こす。
……腹部に裂傷。出血が止まっていない。
「葵ちゃん。こっちではどのぐらいの時間が経過した?」
「? え、いや、経過も何も、葛葉ちゃんがディスペアに呑まれたかと思ったら、すぐに出てきた感じだけど……」
ふむ。なるほど。
こちらとしてはそれなりに長い間あちらに滞在していたのだが、精神だけの空間とこちらでは時間の流れ方が違うのか。お約束だな。
それはともかく。
私は、目の前で燃え盛るディスペア本体に目を向ける。
コアをぶち抜かれてそのまま消滅するかと思ったが、残念ながらそう上手くはいかないようだ。ゆらゆらと燃える黒い炎が、辛うじて人型の形状を維持し続けている。
瓦礫に突っ伏していたマスターが、辛うじて、といった感じで顔を上げて私に状況を問いかけてきた。
『な、何が、どうなっている? ディスペアは、一体……?』
「ジャンル変更だよ、マスター。神殺しは中断、こっから先はゴーストバスターの時間だ」
真っ黒な炎は、死者達の怨霊の炎。だが、あの怨霊達は精神世界でならともかく、現実においては大した力を発揮しようがない。そもそもが、神獣兵の精神ネットワークに巣食う寄生虫のようなものにすぎないのだ。宿主に認識され、排斥され、分離した今となっては、やがて消える燃えカスに過ぎない。
だが、その燃えカスでもこの場にいる人間を鏖にするには充分。さらに、生者への怨念を募らせるこれは、暴れる事に何のためらいもない。
それに、世界中のディスペアの群れへの命令権は、未だコイツにあるようだ。奴を倒さない限り、争いは終わらない。
今、ここで、仕留める!
「……アステリオス!!」
『クルルゥァッ!』
私の叫びに、気絶していたはずの我が子が叫びと共に飛び起きた。
引き千切られた片腕を押さえつつも、その瞳にはいつになく活力がみなぎっている。一目私と視線を合わせ、我が子は小さく頷いた。
そうか、アステリオスも見たのか。兄弟たちの奮戦を。
だったら、頑張らない訳にはいかないよな。
「アステリオス! あれをやるぞ……!」
『クルルルゥ!』
息を合わせて互いに、ディスペアを挟み込むようなポジションを取る。
ディスペアの背後に回り込んだアステリオスが、嘶きと共に大きく腕を広げ、胸を張った。胸を守る胸殻を突き出すようにすると、その胸殻がまるでパズルを分解するようにバラバラとほどけ、その内部に隠していたものを露にする。
そこにあったのは、脈打つ心臓や蠢く内臓ではない。
青く輝きながらゆっくりと回転する、銀河のような渦巻きが、ぽっかりと空いた胸の中で輝いている。
これこそが、アステリオスの特殊能力……私は、“ラビリンス・オブ・ミノス”と呼んでいる。
その正体は、脳波動の収束によって作り出された、ある種のブラックホール、廃棄孔だ。あらゆる情報を不可逆的に破壊し、ただの情報デブリとして圧縮する、全ての事象の終わりの果て。
……こう聞くとなんだか凄いものに聞こえるが、実際の所、分解できる情報量には限界があり、かつ、現実に存在する物質の情報量というのは本当に大きい。質量があるものならば、石ころ一つでもう処理限界になってしまう。故に、本来の運用としては、相手が脳波動ないしそれに類する能力、念力だとかサイコキネシスとか使ってきた場合にそれを無力化し、接近戦に持ち込む事にある。
だが。
ここにおいて、この相手になら、この能力は特攻だ。
実体のない、筋の通らない憎悪など、どれだけ放り込んでもこの孔を満たす事は出来ない!
『ア゛ア゛ア゛……』
廃棄孔に吸い寄せられ、黒い炎が靡くように乱れる。だが、力を振り絞ってまだ抵抗している。その両手が高く掲げられ、頭上に真っ黒なエネルギーの球体を作り出す。
それを見て息を呑む葵ちゃん、マスター。
そして私は……。
「いっくぞー!」
右袖をまくり上げながら全力ダッシュ。燃え盛る黒い炎に、自分から突っ込んでいく。
そうそう、私も大好きな国民的食物系ヒーローのあれ。決め技といえば、そりゃもう、それに決まってる。
右腕に、脳波動を収束。赤いコアと融合した今の私の力は、かつてのそれと比べても飛躍的に上昇している。それにより、拳が真っ青に光り輝く。
あんな、燃え残りの不完全燃焼のぼや騒ぎなんぞ、真正面から殴り飛ばしてくれるわ。
ぐっ、と踏み込んで、吸い込みに抵抗してる奴の顔に向かって跳躍。腕をぶんぶん回して、いくぞ、必殺……!
「必殺! 肝っ玉かあちゃんパーンチ!!」
『ヴボァァアアアッ!?』
振りかざした小さな拳が、強かにディスペアの頭殻を打ち据えた。
めり込んだ拳から、頭殻に罅が広がっていく。それは炎の纏う外骨格全てにひろがり、甲高い音を立てて砕け散った。
同時に、黒いエネルギー球も四散する。
私の一撃で形を失った黒い炎が、アステリオスの胸に吸い込まれていく。
『ぉおおおおお……我らは、我らは、復、讐を……ぉおおおおおおお…………』
「あばよ。裁きも、報復も、生きている者の為のものだ。死者はおとなしく、暗黒に帰れ!」
『ぐああああ……! お、のれ……クィイイイイイン……ガアアアア!?』
最後に、手の形の炎が最後まで抗っていたが、それも廃棄孔へと吸い込まれる。
パシャン、と胸殻が閉鎖され、それきり、黒い炎は完全に消え去った。
それを見届け、私は胸に手を当て、目を閉じる。
「聞こえるか? 私の可愛い子供たちよ……」
◆◆
海兵隊とディスペアの群れの戦いは熾烈を極めていた。
有利な地形に待ち構え、トラップによってキルゾーンを形成し、効率的に火力を集中させる。足止めに分岐地点に残っていた部隊が後退してきたのと合流し、10名ほどの宇宙人とも協力して、押し寄せるディスペアに対処する。
彼らは、よく戦った。
津波のように押し寄せる飢えた牙と爪の群れを悉く打ち倒し、死体を積み上げて壁を作り、それすら乗り越えてくる群れを撃つ。
少しずつ後ろに追いやられながらも、彼らは猛攻をしのぎ続けていた。
だが、それもついに限界を迎える。
数十名の海兵隊と数名の近衛兵を失い、生き残った兵士達は今や、エレベーターシャフトの入口にまで押し込められていた。
「なんとしてもここで食い止めろ! ここを突破されたら、奥の中枢まで一直線だぞ!!」
「分かっていますよ!!」
『奥ではまだ戦闘が続いている、なんとしても……!』
気が付けば、人類と近衛兵は肩を合わせ、互いに励まし合いながら戦っていた。近衛兵たちも規則を忘れ、現地の言葉で喋り。兵士達も、見様見真似でハンドサインを返す。
もはや侵略者と原住民の区別もなく、血塗れ肉まみれで異種族同士が互いに助け合い、庇い合う。
それは尊い光景なのだろう。出自も信条も越えて、人は分かり合えるという美しい光景。
だが、それを怪物達は意にも介さない。
これまで何万年もの間そうしてきたように、どれだけ尊き姿であっても踏みつぶし引き裂かんと、感情を持たない群れが迫りくる。
「っ、しまった!」
放った弾丸が甲殻で逸れ、一匹の陸戦個体がバリケードに突っ込んでくる。すぐさま反応した近衛兵がエネルギーソードを抜き、兵士の前に割って入って切り捨てる。
真っ二つになった怪物の返り血を浴びながら、近衛兵が首だけで振り返る。
『無事か!?』
「あ、ああ、助かっ……危ない!!」
忠告も虚しく、首から上を失った近衛兵の体がずしん、と倒れる。戦友の死に嘆く暇もなく、群れの向こうから新手がその姿を現す。
……腕に生体兵器を備えた、ディスペア陸戦個体の群れ。力を取り戻しつつあるのか、かつての姿と同じように武装した個体の群れが兵士達に牙を剝いた。
一瞬にして戦線が瓦解する。半数近くの兵士達が撃ち殺され、弾幕をつっきって陸戦個体が肉薄する。
たまたま射撃から逃れた兵士が応戦するも、彼の引いた引き金はむなしくガチン、と音を立ててひっかかった。
弾切れ。
マガジンを交換する暇も、ハンドガンに持ち替える時間も、ましてやナイフを引き抜く隙もない。
目の前に迫った大口が、兵士の首を食い千切らんと開かれて……。
「ひっ! …………? あ、あれ」
そして、いつまでも襲ってこない。
みれば、目の前で怪物は大口を開いたまま、まるで時が止まったように停止していた。
その個体だけではない。見れば、全てのディスペアが凍り付いたように動きを止め、ぴくりとも動かない。同じように危機一髪で助かった兵士達が、きょとんと顔を見合わせる。
戦場に、静寂が戻ってくる。
「これは……まさか……」
同じことは、世界中で起きていた。
イギリスでは最後の防衛線を踏み越えたディスペアが避難民の目の前で停止し、オーストラリアではエアーズロックの上に逃れた兵士達を取り囲む赤い群れがぴたりと活動を中断。アメリカでは活動を停止した超大型飛行個体が搭載した小型種と共にニューヨークに墜落した。
極東地域では避難民の乗ったバスにかじりついていたディスペアがそのまま動きをとめ、ばらばらと振り落とされていく。
「なに、これ……」
「全員、動きが……?」
弾切れのライフルの銃床でディスペアを殴り倒していたメタヴァルキリーの一人が、倒れた怪物が起き上がってこない事に目を見開く。
となりでは数匹に組み付かれ、今まさに引き裂かれんとしていた少女が、恐る恐るその腕を振り払う。
怪物達はそれでも、虚空に掴みかかったまま、ぴくりともしない。
「少将、これは!」
「ああ、彼女だ……!」
自らも拳銃を手に戦っていた柏木少将が、青い空を見上げて呟く。
「葛葉君が、やってくれたんだ。世界は、救われた……!!」
西暦2036年12月24日。
グリニッジ標準時12:25。
全てのディスペア個体の、活動停止を確認。
世界は、歓喜の声に包まれた。
だけれども。
地球はまだ、救われていない。
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