『そして、また夕暮れはやってくる』
翼を得た我が子は、3週間ほどの間、黒い悪夢のように宇宙人を脅かした。
まあちょっと真相を知っている側からすると苦笑いだが、事情を知らぬ宇宙人はあの子の齎す飢えた津波に心底慄いた事だろう。勿論同情はしないが。
殺して。殺して。ただ只管に殺しつくして。
……そして、やがて終わりはやってくる。
羽ばたく翼は地に堕ちて。
太陽は、やがて沈む。
ずん、ずずん、と地面を伝わって届く振動。
人類軍の砲撃音。我が子が宇宙人どもを委縮させた隙を逃さず、好機とばかりに攻め立てているのだろう。中枢を排除してから、人類軍の動きは巧みかつ精強になった。本来の能力を取り戻したともいえる。
おかげで必要以上におせっかいを焼く事なく、こちらの事情に専念できる。
地下室に籠りきり、遠くから響いてくる振動をメトロノームの音のように聞き流しながら、私は膝の上に横たわる我が子の頭をゆっくりと撫でた。
「大丈夫? やかましくない?」
『きゅる……るる……』
「そう。それなら、いいのだけれど」
地下室の中に、身体を丸めて横たわる我が子。
かつて大空を羽ばたいていた翼は千々に千切れて半分ほどになり、ビロードのような光沢を帯びていた翼は黒ずんでいる。身体もやせ衰え、肋骨は半端に開いたまま動く事はなく、大きな口はだらんと弛緩してしまっていた。
その、大空を羽ばたいていた時とのあまりの差異、衰えぶりに、胸が痛む。かつての躍動感、精力に満ちた姿が嘘のようだ。
飛行に特化していたプテラは、衰えた時の弱り方も酷かった。陸上活動を想定していない躰の造りで筋力が衰えてしまったら、もう何も出来ない、どこにも行けない。
これまでの子は衰弱しても死ぬ直前までは身動きが取れていた。だがプテラは、衰弱が始まった途端にすぐ翼が破れ、地に堕ちてそれきりだ。
動けなくなったこの子を地下室に匿い、それから私はずっと飲まず食わずでこの子の面倒を見ている。抱えている卵の事を考えればちゃんと水分も栄養も取るべきだが、もし私が目を離した隙にこの子が死んでしまったら……そう思ったら、とても離れられなかった。
「大丈夫……大丈夫。ママが近くにいるからね……お腹、すかない? 最後に食べたの、何時間も前よね」
『きゅる……』
「はい、わかったわ。ちょっとまってね、用意するから」
枕元においてあるタッパーを手繰り寄せ、中身を確認する。宇宙人のすり身とスプーン。赤子の時のように、ひとさじ掬って口元に運ぶ。
この子はもう、自分で肉を咀嚼する事すらできないのだ。
「はい、あーんして。うん、よくできました。ゆっくり飲み込むのよ」
『きゅ、きゅうる……』
だるんだるんに伸びてしまった口元の皮を引っ張って、スプーンを喉の奥に運んでいく。舌がぎこちなく動いてスプーンの中身をかきこんで、もごもご、と喉が嚥下するように動くのが見えた。
それを、数回繰り返す。赤子のころと殆ど変わらない量を、その数倍の時間をかけて飲み込んで、プテラは小さく首を横に振った。
「お腹、いっぱいになっちゃった? じゃあ、少し寝ようか」
『……きゅるる』
「あら、何か聞きたいの? そうねぇ……寝物語と、歌、どっちがいい?」
問いかけると、少し悩むような間を置いて、ぺちん、ぺちん、と尾が二度、床を叩いた。
「そう。寝物語がいいのね、じゃあそうね……。この間の続きにしましょうか」
語るのは、大人になれないまま、空を自由に飛ぶ少年の話。ある時、「お前と似てるわよね」と読み聞かせたら、プテラはこの話を随分と気に入ったようだった。一体どこがこの子の琴線に触れたのかは分からない。うちの子達は、物語にはあまり興味を示さない事が多かったから。
ざらざらした頭部の甲殻を撫でながら、優しく物語を言い聞かせる。とはいえ、私も大分うろ覚え。あまり詳しい事は語れず、すぐに物語は終わってしまう。それでも、可能な限り、幸せな終わりを事紡ぐ。
「そうして、三人の子供は両親の元に帰ったのでした、と……。どう、プテラ? 今日も上手に語れたかな?」
『きゅ……ぐぐ……』
返事はない。
膝の上で、プテラの躰が小刻みに震えている。体温が急激に低下していくのがよくわかった。……何度も、それこそ何度も見てきた予兆。
ああ。
とうとう、その時が来た。
「プテラ……」
ぎゅ、と少しでもぬくもりを分け与えようと、我が子の頭を抱きかかえる。それに、まるで抱き返すように腕でしがみついてくるプテラ。破れた翼が、我武者羅に必死に、私の体に縋り付いてくる。
ああ。わかるよ。
「怖い。怖いよね。わかるよ、プテラ」
震える体を何度も何度も撫でさする。私に出来るのはほんの気休めばかり。何もできない自分が嫌になる。
『きゅる……きゅるる……』
「大丈夫。恐ろしいのは今だけよ。ゆっくり、ゆっくり、眠りに落ちるの。そして次の瞬間には、怖い事はすべて無くなっているわ」
私はそれでも、我が子に語り掛ける。
そうであればいいと、心の底から願う、滑稽で虚しい願望を、事実のように。それが我が子の慰めになるのであれば、私は喜んで罪を犯そう。
「暗闇をくぐれば、そこには暖かで穏やかな平原が広がっているの。ピンク色の丘がなだらかに広がって、丘陵の間には綿あめの雲が広がっている。それらは食べると甘かったり酸っぱかったり色んな味で、皆が満足できるだけの量が広がっているわ。丘を越えると、湖があって……その畔に、お前のお兄さん達が住んでいるの。皆、争う事もなく心穏やかに、やりたい事をして自由に生きているわ。そしてきっと、貴方を迎えてこう言うの。『よく来たなプテラ。これまでよく頑張ったな』って」
そう。
きっと、私の子供たちは天国にいく。この子達は短い一生を精いっぱいに生きたのだ、その魂は虹の端を渡って、暖かで満たされた場所に辿り着く事だろう。
そこには、悲しい事も辛い事も何もない。そうでなければならない。
「おやすみ、プテラ。これまで苦しかったでしょう。楽に、なっていいのよ」
『きゅ……うう……』
少しずつ、しがみつく力が弱まっていく。
最後の力も失われていくのか。それとも、私の言葉が少しでも慰めになったのだろうか。
最後に、プテラは小さく鳴いた。
『……みぃ』
くたり、とプテラの体から熱が消える。
魂の抜けた我が子が、砂になっていく。さらさらと、干からびて砕けていく軽い躰。
やがて、その肉体は僅かな灰へと変わり。ころん、と頭部の甲殻だったものの一部が、床に転がった。
「おやすみ、プテラ」
その甲殻を拾い上げ、優しく払う。
黒ずんだプテラの甲殻。それを見る視界が、俄かに滲んだ。
「……っ、……ぐ。……プテラ、ぷてら、ぁあ……ぷてらぁぁ……」
我が子の前では抑えていた涙。それが、誰に憚る必要もなくなった事で、抑えきれずに溢れ出す。嗚咽と共に、私は甲殻に縋り付くようにして床に倒れ込んだ。
「ぷてら、ぷてら、ぷてら……ぁああ! ごめんね! こんな世界に産み落として、ごめんね! ごめんねぇ……っ!!」
それが寄生生物であるかなどは関係ない。私は彼らを我が子として扱い、我が子として産み落とした。生まれや種族は関係ない、彼らは私の愛する子供たちにほかならない。
そんな子供たちに、私は何をしてやれた?
たった一月ほどの寿命。宇宙人と戦い続けるだけの一生。
結局私もまた、宇宙人とやっている事は変わらない。
親を慕うあの子達の優しさにつけこんで、兵器として使い潰しただけだ。
「ごめんね、ごめんね、ごめんねぇ……馬鹿なママを、許してぇ……!」
それでも。それでも、死んでいった我が子の復讐を果たさねばならない。
その為に、生まれてくる子供たちを犠牲にする矛盾。
ああ、一体、どのつら下げて。あの子達の為に涙を流す権利が、私にあるというのか。
度し難い。全く、度し難い。きっと私は、死ねば地獄よりも悍ましい所に落ちるだろう。
それでもどうか。
今だけは、あの子の為に悲しむ事を、どうか、天よ。今一時だけは、許してほしい。
「ぁああ……あああ……あああああーーーーーっ!!」
きっと、私は狂っているのだろう。
それでも。始めた復讐は最後まで果たす。
そうでなければ、この子達は何の為に生まれてきたのか。何のために死んだのか。
プテラの墓に手を合わせながら、私は再び、宇宙人達への憎しみを噛みしめた。




