『黒い森にあんまりいい思い出はないんだよね』
「……検体の調査はどうだ?」
「大佐」
アメリカ方面軍に与えられた兵舎。同じ人類軍ではあるが、管轄が違う以上違う軍隊のようなもの。極東方面軍の人間が立ち入りできない基地の奥地に、運び込まれた銀色のカプセルがあった。
最重要探索対象X-0。そう呼ばれた、小さな少女。
今は睡眠薬を投与されてすやすやと眠っているその幼い寝顔をガラス越しに眺め、ロバート・グラウスマンは小さく眉を潜めた。
そんな彼に、白衣の研究者たちは手元の資料をそっと差し出した。
「まだ、本格的な検査は始まっていませんが、軽く調査しただけでもこれだけのことが分かりました。見てください」
「……血液中に、無数の未知の細菌?」
「はい。地球上では確認されていない、全く未知の細菌です。地球上の細菌は大きく分けて30から40程の門に分類できますが、これらはそのどれにも合致しない、完全な新種です。いえ、これを細菌と呼んでいいのか……」
研究者たちの顔には困惑が強い。血液をちょっと調べただけでさっそく未知の対象に直面した事で、新しい発見に興奮するというより戸惑っているようだった。何せ、この少女、見た限りでは完全に地球人類そのものなのだ。
「ほかには?」
「軽く体内を音波で調べてみたのですが……これを」
「……内臓が人間の形をしていないな」
グラウスマンからすれば生物学は専門外だが、それでも軍人として主要な臓器の位置などは把握している。が、詳細とはいいがたいモノクロ映像に表示される少女の体内は、およそ人類とはいいがたい有様だった。
「軽く調べただけでも、未知の臓器が10以上。小型の心臓らしきもの、複雑な構造の未知の臓器、正体不明の分泌線が三つ、胃から分岐する未知の消化器官が二つ、用途不明の臓器が二つ。ほかにもさまざまな相違点が人間と比較して発見されています。もう無茶苦茶です、これが本当にもともと人間だったとは考え難い……」
「……宇宙人連中との相違点は?」
「そっちは一言ですみます。宇宙人と共通する点は何一つありません」
研究者は資料に目を通しながら断言した。
「おかしな話ですが、体内からは人間と共生している従来の細菌も発見されています。顔にはカオダニも生息していますし、大腸菌も発見されています。赤血球も白血球もありますし、簡易的な検査しか行えていませんが、遺伝子も二重螺旋です。ただ、そのすべてに、何らかの後天的な改造が加えられています。いうなれば、ほとんど原型をとどめていない、バイオテクノロジーを用いた改造人間というべきでしょう」
「そうか……すまん、少し考えを整理させてくれ」
研究者の報告を受けたグラウスマンは、右手で顔を覆うようにして深くため息をついて自分を落ち着かせようとする。
その努力もむなしく、彼の頭には混沌とした感情が入り乱れていた。
「私は、我々は何をしている……?」
昏々と眠る少女に目を落とす。
件の捕虜収容施設、そのすべてが解析されているわけではないが、そこで考えるのもおぞましい人体実験が行われていたのはほぼ確実だ。そして彼女はその生き残りであり……おそらく、人間の尊厳を踏みにじる常軌を逸した人体実験を受けたに違いない。
どれだけの苦痛に耐えて生き延びたのか。軽く報告を受けるだけでも想像に難くない、否、想像することすら烏滸がましい。彼女への不敬に他ならない。
そんな少女に、自分たち人類軍は何をした?
危険要素だからと銃を向け、護衛から引きはがし、こうしてガラスのケースに押し込めている。
それではやっていることは、宇宙人どもと同じではないのか?
ずきん、と頭に痛みを覚えて、グラウスマン大佐は首を振った。
今、それを考えるべきではない。彼は軍人だ。軍人は、上からの命令に従うべきである。それが多少理不尽であっても。
それに、彼女が宇宙人のテクノロジーの生き証人であることに変わりはない。彼女とその怪物の関係性を解き明かし、その制御法と繁殖方法を解明すれば、あの怪物達を人類の戦力として組み込むことも不可能ではない。そうすれば、単体であれだけの戦果を挙げる怪物達だ、宇宙人達をこの地上から駆逐することも不可能ではない。
《それにそうすれば、彼女を一人で戦わせることもなくなる。多少の不義理は、コラテラルダメージだ。そうだろう?》
そうだ。自分たちは何も間違ってはいない。
「わかった。引き続き調査を頼む。わかってはいると思うが……」
「もちろん、存じ上げております。これ以上の人道に背くようなことは、決して」
「それならばいい」
本人の意思を無視して拘束している時点で何をいまさら、そんな自嘲が脳裏をよぎったが、大佐はそれを飲み下した。今更の話である。今更、戸惑うならば最初からしなければいいのだ。
すべては、人類が生き延びるためである。
そう割り切っても後味の悪さはぬぐえず、彼は眠るX-0の寝顔に視線を落とした。
その穏やかな寝顔に、本国に残してきた我が子を重ねながら。
◆◆
夢を見ている。
昔の夢を。
背後から響く銃声と爆発。
それを振り切るように走る我が子。私はその背中にただ必死でしがみついている。
ケラト。私の四番目の子供。
形状はカブトムシのような甲殻と太い足を持った四足獣。子供は、その甲殻にいくつもの弾痕を穿ち、血を流しながらも力強い足取りで森を進む。
藪をけちらし、岩を飛び越え、ただひたすらに。
やがて不意に視界が開ける。
「あ……」
出た先は、森の切れ目だった。開発途中で放棄されたと思わしき道路に出た私たちは、そのまま少し歩いて崖から周囲を見下ろした。
空には煌々ときらめく満月。雲はなく、星が輝いている。
遠くには、かすかな光を放つ住宅街らしきものが見えた。かつてと比べれば悲しいほどにささやかだったが、それは確かに文明の光だった。
戻ってこれた。帰ってきた。
ここが、人間の世界だ。
「ああ……」
私は振り返る。
真っ暗な影絵のような森。その向こうに、私が逃げてきた捕虜収容所がある。だがここまでくれば、奴らもすぐには私たちを見つけることはかなうまい。
逃げ出すことができたのだ。
連れ出すことができたのだ。
我が子を。私の愛しい子を、あの閉じた実験室から、自由で開かれた空に。
しがみついていた甲殻から身を下す。すぐさま、我が子が心配そうに鼻づらを寄せてくるのを抱きしめる。その甲殻のひび割れから流れる血をぬぐってやりながら、私は冷たい殻に頬を寄せた。
「ありがとう、ケラト。貴方のおかげで逃げ出せた」
『ケルル』
小さく喉を鳴らしてこちらを見つめてくる無垢な瞳。私はさらに身をかがめて、私の愛しい子供と目を合わせた。
黄色い、縦に裂けた瞳孔。こちらをまじまじと見つめてくるその視線と視線を重ねる。
「ここまででいいわ。もう、貴方は自由よ」
私は向かう先に広がる風景に手をかざす。
あの小さなガラスケースとは違う、無限に広がるこの星の風景に。我が子に、その広い世界を指し示す。
「もう貴方を縛るものは何もない。貴方はどこにでも行ける、なんだって出来る。もう、私や宇宙人なんかにかまう必要はない、貴方は貴方の思うように、したい事をして、この世界で残された時間を精いっぱい、自由に生きなさい」
『ケルル? ケル、ケルル』
「私? ……ごめんなさい、ママには、まだすることがあるの」
脱出するとき奪った銃を握りしめて、私は我が子に精いっぱいの笑みを見せる。
そう。
私の子供たち。ルー、ウルスラ、ミニモ。宇宙人の実験台にされてその尊厳を踏みにじられた愛し子達。
その報復を、復讐を、私はしなければならない。いや、したいのだ。心の底から、それを望んでいる。例え命を落とすのだとしても、奴ら全体にとっては些細な被害でも、報復せねば私は死ねない。死にきれない。
この貧弱な肉体でも、連中の施設のリアクターに飛び込むぐらいすれば炉心事故を引き起こせるはずだ。それで連中の施設を吹っ飛ばしてやる。そんでもって大爆発が起きれば、人類軍とやらだって施設の場所に気が付くかもしれない。それで連中の思惑もぱぁだ。そこまでうまくいくかはわからないが、どっちにしろ連中に痛手を負わせてやれるはず。
この命に代えても、報復は果たす。
だがそれは、私の復讐だ。
私の子供たちには、関係のない話だ。
親の復讐に、子供を巻き込んではいけない。
「私のことは気にしないで。貴方は自由に生きていいのよ、ううん、生きて。この広い世界で、思うように生きて。……まあ、できれば人間には迷惑をかけないでほしいけど……」
『ケルル……』
「ああ、優しい子。だけどいいのよ、これ以上、愚かな親のわがままに付き合わないで。お願い」
目を合わせて言い聞かせる。
しばしの沈黙の後に、ケラトはのそり、と身を動かした。
『チルルル……』
初めて聞く、我が子の甘えるような鳴き声。すりよせるように寄せてくる口先に、頬をくっつける。
わかってくれた。よかった。
そう安堵した次の瞬間、私の右太ももに激痛が走った。
「い……っ!?」
驚いて見下ろすと、何か節くれだった肉の管が、先端の鋭い針を私の太ももに突き刺していた。その肉管の出どころを目で追うと、それはケラトのお尻から伸びているようだった。
ケラトの産卵管。
何故。
まだ、発情期には早かったはず。
「ケラ、ト……?! なんで……」
『ケルル』
私の疑問に一声ないて、ケラトはその場で踵を返した。
広い世界の方ではなく。
自分の生まれた、狭いガラスケースの方に向かって。
「な……ま、まって! ケラト、そっちは違う、まって!!」
私は我が子を制止しようとするも、右足が痛むあまりにその場に倒れこんだ。痛みをいくらこらえても、ひどい異物感で足がまともに動かせない。
地に這ったまま、ケラトに声を上げる。
「どうして、ケラト?! なんで?!」
『……ガグルルル』
小さく振り返った我が子の瞳。
それは、怒りに真っ赤に染まっていた。
じゅう、と音を立ててケラトの甲殻が赤く染まっていく。超高熱に熱される鎧を見て、私はようやくケラトの特殊能力を理解した。
そしてそれを今まで使わなかった理由も。
私を。
私を外に連れ出し、守るために、ケラトはあえてその最大の力を使わなかった。
そして今。もうあの子を縛るものは何もない。
そう。あの子に復讐を思いとどまらせるものは、何も……。
「ケラト……」
呆然と見送る私を置いて、ケラトは来た時以上の勢いで森の奥に突撃していく。
聞いたことのないような雄たけびを上げて、基地へと引き返していく我が子。もはや何をはばかる事もなく、獣性をむき出しにした魔獣が森をかける。
闇の中にケラトの姿が消えてしばらくして、宇宙人どもの銃声が夜に響く。それはすぐに途絶え、遠く、山の向こうからいくつものそれが小さく、連続して響き始めた。
基地へ引き返したケラトが暴れているのだ。
そして数十分後。
山の向こうからでもはっきりとわかる、大爆発が地を揺るがした。
それきり、世界は静かになった。
もくもくと空に上がる煙、夜闇をより暗く燃え上がらせる炎を前に、私は言葉もなく地面に倒れていた。
ケラトが、戻ってくる様子はない。
きっと、恐らく。二度と、永遠にあの子が、私の前に姿を現すことはない。
気が付けば、頬を幾筋もの涙が濡らしていた。
「ケラト……ああ、ケラト……」
ぐすぐす泣きながら、私は地を這うようにしてその場を後にする。手近な岩にしがみついて身を起こし、よろよろと右足を庇いながら歩きだす。
向かう先は、わずかに光の残る廃墟。
人に会う事はできないが、あそこまでいけば食料か何かがあるかもしれない。
「ぐすん……ケラト……どうして……」
わかっている。
あの子は、復讐を果たしたのだ。母親の代わりに、ではなく。自分の愛する母を苦しめた憎き宇宙人どもに、彼自身の復讐を果たした。
それが、彼の望む自由だった。残された1週間ほどの命を太陽の下で過ごすよりも、戦闘力が生きている間に報復を果たす。
ほかならぬ復讐のために死ぬつもりだった私が、それを否定する事は出来ない。
だけど。
「生きて、欲しかった……ケラト。私よりも、長く……生きて、ほしかったよぉ……」
そしてそれは、ケラトも同じ事で。
右足に、ずきずきと存在を主張する卵。それを優しく撫でて、私は涙を流しながら人里に向かう。
はっきりとわかった。
宇宙人ども。
やつらを地球からたたき出さねば、私も、私の子供たちにも平穏は訪れない。
あの三人。
私を改造するときに顔を見せた、宇宙人のトップらしき三人組。奴らを殺さねば、私の復讐は終わらない。
だけど私の脳裏にちらつくのはあの三人ではなく、可愛い我が子の姿だった。
ケラト。ちょっとそっけない所のある、だけど心の優しい子。素直になれないだけで、私の事を慕ってくれていたのは痛いほど伝わっていた。私が後を追ってこれないように、無理して卵を産み付けたのだという事もわかっている。ああ、なんて、優しい子。
決して。
決してあんな、宇宙人どもの基地に自爆特攻まがいの事をして死ぬような、そんな死に方をしていい子ではなかった!
「殺してやる……」
ガリ、と奥歯を強く噛みしめる。
「殺してやるぞ、宇宙人ども……絶対に……!」
そして、私の復讐の旅は始まりを告げたのだった。
「……ん……」
そして私は眠りから覚醒した。
うっすらと目を開くと、なんだか染み染みしてくる液体の中にいるようだ。目が痛くて再び閉じる。口は……なんかマスクをつけられているようだ、呼吸はできる。
手足は……まあ動かないか。
記憶の最後は、左肩に何か痛撃を覚えた所で途絶えている。感覚的には麻酔弾か何かを打ち込まれたか?
私が一瞬で昏倒するとか何を打ち込まれたんだか。象用の麻酔薬でも投与されたのかね。
「…………」
ちらりと再度薄目をあけて確認した所、ここは人類軍の研究施設で間違いないようだ。
私を捕獲して、今は体の調査中といった所か。
とりあえず、おおむね予定通りに話は運んでいるようだ。シルルが命をかけたのだ、そうでなければ困る。
「シルル……」
今回の作戦を言い出したのはシルルからだ。自分の持つ能力をいかしてやりたい事がある、と。
卵を産んだ後、我が子達はすぐに死んでしまう。だがシルルは、透明化能力に付随するステルス能力の一端として一時的に代謝を停止させる事で仮死状態になり、死までの時間を引き延ばすことができる。当初、私はあくまでその能力で、シルルに弟を見せるつもりでいた。目覚めた後でも数日で死んでしまうとはいえ、生まれた弟の姿を見せる事はできるはず。
だがシルルはそんな個としての幸福よりも、もっと大きな事にその命を使いたいと、私に自分から申し出てきた。
人類軍の奥深くに打ち込まれた、宇宙人の策略。それを取り除き、母である私の懸念を取り除きたいと。
……断れるはずもない。これまで我が子には散々我慢をさせてきたのだ。その我が子からの提案とあれば、私に断るすべはなかった。そして都合のいい事に、新たに生まれた子は、その作戦におあつらえ向きの能力を持っていた。
あとはシルルの弟……ラウラの段取り次第だが、まあ、私に今更できる事はない。できることといったら、今はおとなしく寝ておくぐらいだ。
その時に備えて、私は体力を回復させるべく、目を閉じて眠りについた。
次はもう、過去の夢は見なかった。
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