『その味に、思い出はありますか』
◆◆
年末某所。
ぎゅうぎゅう詰めの新幹線を乗り換えて、指定席取ってたのに他の乗客と揉めながら、私は実家に帰ってきた。雪が薄く積もった歩道を一人点々と足跡を残し、人気のない住宅街を行く。
実家の玄関では、私の来訪を待ち受けるように、照明が一つ輝いていた。
「ただいまー」
鍵のかかってないドアを開けると、むわっとした温かい蒸気が私を出迎える。遅れて、ドタバタと奥から歩いてくるスリッパの足音。
「お帰り、零士。丁度ご飯の準備が出来た所よ。お父さんも待っているわ」
「ありがとう、ただいま、母さん」
靴についた雪を叩いて落として玄関に上がる。
コートを折りたたんで玄関におき、手を洗って食堂に向かうと、そこでは年末を祝う細やかなご馳走が並んでいた。父はすでに席に座り、むっつりとした顔でTVを眺めている。
「ただいま、父さん」
「……ああ。一年お疲れ様」
「今年は随分とごちそうだね」
あらためて見ると、細やかというには豪華すぎるかもしれない。
ずらりと並んだ寿司の桶に、私は思わず目を見開いた。
「……お前が就職して3年。節目祝いだ」
「気を使わなくてもいいのに」
笑って席に着くと、母が台所から吸い物を持ってきてくれる。インスタントではなくて、ハマグリを煮て作った本格派のようだ。手が込んでいる。
「さ、疲れたでしょう。ご飯食べて、風呂に入って、早く寝て。楽しく正月を迎えましょう」
「多めに買った、気にせずに喰え」
いただきます、と食事が始まる。
と、そこで父親が、一つの皿を差し出してきた。小皿の上には、ウニ軍艦が乗っている。私は思わず顔をしかめた。
「ウニは好きじゃないんだ。生臭いし、べちょっとしてるし」
「いや、こいつはいける。粒ウニだ、不味くない。お前もいい大人だ、そろそろこういった物の味を分かってもいい頃合いだろう」
「そうかなぁ……?」
父にしては珍しく押しが強い。私はしぶしぶ皿を受け取って、ウニを醤油にちょいちょい、とつける。
そして、それをぱくり、と口に放り込んだ。
「……? !」
思っていたような生臭さは殆どなかった。代わりに、鮮烈な磯の香と、多少えぐみがあるクセのある旨味、ツブツブしながらも滑らかな舌触りがシャリと混じって口いっぱいに広がる。
思っていたのと違う。ウニってこんなんだったっけ。
「え、ナニコレ? ウニ?」
「だから奮発したといっただろう。粒ウニだ。美味いだろう?」
「んー……微妙」
なんだとぅ、と父が顔をしかめて、母が笑う。私は口直しにハマグリの吸い物を口にして、強烈な磯の香を洗い流した。
そんな、ある年末の小さな出来事。
もう二度と、決して帰ってこない、遥か遠い思い出の彼方。
それと、これは同じ味がした。
「………………あ」
気が付けば、私は箸を手にしたまま、涙を流して呆然としていた。
ぽたぽた、と涙の滴が机の上に染みを作っていく。
『ピルルルル……?』
「だ、大丈夫。大丈夫だから……」
会場が騒然とし、アースが心配そうに鳴きながら顔を寄せてくる。私はぐしぐしと顔を拭うが、一度緩んだ涙腺はなかなか戻りそうになかった。
皿の上に目を向けて、もう一貫、黄色いブロックの乗った寿司を口にする。
間違いない。
これは、この味は。
「…………ウニ?」
「はい、そうです」
確信と疑問がないまぜになった私の呟きに、トオル君が答えてくれる。
ウニ。
寿司ネタの一つ、好き嫌いが分かれるが、間違いなく寿司を代表するネタの一つだ。
だけど、確か、ウニって……。
「絶滅、した、はずじゃ……」
「そうですね。少なくとも極東で親しまれていたムラサキウニやバフンウニは、宇宙人の海洋・土壌汚染の影響で数を減らし、さらにディスペア災害の影響でほぼ絶滅しました。ですので、これは私が過去の文献や研究を元に、3Dプリンターで再現したものです」
そう。殆どの動植物は、ディスペア災害で絶滅した。地球のほぼ三分の二を覆い尽くしたディスペアの群れ、あれらは自らの増殖の為に徹底的に有機物を収奪した。直接口にするだけではなく、自らの流した体液……当時毒があると思われていたそれらは、有機物を捕食するバクテリオファージであり、細菌やウィルス、プランクトンや小幼生のようなものまで徹底的に貪りつくした。もともと、海洋と土壌汚染で数を減らしていた事もある。
生き残っているのは、ディスペアの手が届かなかった大陸中央部や太平洋中央部といった局地の動植物に限られる。
主に寿司ネタとなる、沿岸部の生物や回遊魚は、もれなくディスペアが食い尽くしてソールドアウトだった。
しかし、人の食に対する尽きる事の無い欲求は、絶滅したからと諦められなかったらしい。
「戦後、ある程度技術や生活環境が回復し、銀シャリ麦依存からも脱却する中で、元寿司職人と技術者が協力し、喪われた寿司ネタのプリンター再現を試みました。記録によれば、元々3Dプリンターを用いた寿司ネタのプリントは、戦前から試みられていたようですね。その時は、現実には存在しない特殊な寿司ネタの製造が目的だったようですが、今度はかつて存在したものの再現になった訳です」
「じゃ、じゃあ、これ、全部……」
「はい。その資料から復元した、地球のかつての寿司ネタ達です。ティターニアから海産物が出回るようになった事もあって忘れられかけていたものを、俺の方で復活させてみました。尤も、俺はかつての寿司を知らないので、どこまで再現できているかわかりませんが……」
最後は自嘲するようなトオル君の言葉に、私は首を横に振って否定した。
「ううん。凄いよ。再現度、高いと思う。知ってる、私、この味を知ってる……」
震える箸で、他の寿司にも手を付ける。
赤いブロックの乗った寿司。口に運ぶと、みっちり詰まった赤身の味。柔らかく口の中でほどけていくこれは、マグロの赤身。
白いブロック。隠し包丁でいれた切れ込みが、醤油をつけると黒い線になって浮かび上がる。口に運ぶと、ねっとりとしつつコリコリっと密度のある食感と、染み出してくる甘味に似た旨味。これはイカだ。
ピンクのブロック。箸で手にすると、振動でぷるぷると揺れる、ゼラチン質の柔らかいそれ。醤油をつけて口にすると、柔らかく解れていく食感と、その中から染み出してくる深い甘味。あっさりとしながらもコクの深いこれは、きっとホタテの貝柱だ。
「あ……ああ……」
懐かしい味。それに想起されて、古い記憶が想起される。
かつて家族と過ごした時間。そうだ、私は小さな頃はイカに目がなかった。イカソウメンとか大好きで、母はいつも寿司や海産物を買う時はそれを用意してくれた。あまり食べなくなったのはいつからだっけ。ホタテは昔は好きじゃなかった。でもある時、たかーい干し貝柱を食べてからなんか好きになった。マグロ。一時期、中トロやトロにこだわっていたけど、最終的にはシンプルあっさり美味しいこれに戻ってきたっけ。父は最後まで大トロ派だったけど。
もぐもぐもぐ。
ああ。懐かしい。確かに、そんな出来事があったはずだ。今のいままで忘れてしまっていた記憶が、色鮮やかに蘇ってくる。
今となっては、私しか知らない、たくさんの事。
「うぅ……うう……美味しい……美味しいよぅ……」
溢れ出す涙を止められず、ぽろぽろと落涙する。会場はすっかり静まり返っていて、ただその中でアースが、困ったように私に身を寄せ、頬を伝う涙をぺろぺろ舐めて拭ってくれていた。
『ぴぃ? ぴぴぴぃ……?』
「大丈夫、大丈夫だよアース。どこも痛くないし、悲しくもない。嬉しくてもね、涙って出るんだよ」
幼い我が子の頭をなでなでしながら、私はじっとこちらを見つめている源三郎さんに頭を下げた。
「ごめんなさい、源三郎さん。貴方の宇宙寿司、とてもとても美味しかったです。でも、私は。私は、トオル君の寿司を、今回は評価させて頂きたいと思います」
「いえ……。私も料理人の端くれ。今回は……完全に、私の負けです……」
首を横に振り、源三郎さんはトオル君を見た。その目には最初のような若造を侮る色はなく、深い敬意が含まれていた。
「料理人とは、食事する人を持て成すもの。私は自らの技術と、ティターニアの海産物の品質に胡坐をかき、その基本中の基本を忘れていた。私の負けだ。見事だ、荒山トオルさん……」
「いえ……真っ向勝負では、俺は到底貴方には勝てません。これは、葛葉さんの近くにいた、私だからできた事です。きっと、同じように近くにいれば、貴方も同じ答えに辿り着いたでしょう」
「だとしても。このようなデータの用意、一朝一夕で出来る事ではない。かなり早い段階……それこそ、初めて葛葉さんと共演した時から、この草案はあったのではないですか? 完敗です。貴方こそ、葛葉様の専属料理人に相応しい……」
互いに尊敬の視線を交えて、握手を交わす二人の料理人。
なんだか、どうなる事かと思ったこの料理対決、無事に丸い所に納まったようだ。よくわからないが、私はなんだかとても懐かしい味を口にできて満足である。
勿論、宇宙寿司も美味しかった。ただ味を比較するだけなら、断然こちらに決まっている。
しかし、私にとって失われた味、というのが、あまりにも大きかったのだ。
「ああ、そっか。今からでも、取り戻せるものって、あるんだなあ……」
『ぴぴるぴぃ?』
そっとアースを抱きしめる。そのアースは、私の皿からリクリエイト寿司を口にして、「絶対あっちの方が美味しいよ?」と首を傾げている。
ふふふ、お前にもそのうち私の涙の意味、分かる日が来るといいね。
『ええと……なんだかよくわかりませんが、今回の勝負は、荒山トオル氏の勝利、という事でよろしいのでしょうか!? えー、しかし、地球の絶滅した生物の再現とは、また凄い物が出てきましたねえ。今は知る者の居ない味、しかしビッグママの様子を見るにそれは確かな様子! ちょっと、興味が湧いてきましたねー!』
「ははは、あくまで再現なので本物には及ばないし、ティターニアの海産物には勝てませんよ。それでも興味がおありでしたら、後日プリセットデータを公開しますので、皆さん、ぜひご自宅で再現をどうぞ!」
『おおっと、これはトオル氏、太っ腹だー!』
わあああ、と観客達が歓声を上げて腕を振る。なんかしんみりした空気を再びいい感じに戻したあたり、司会の人のお点前もなかなかである。
私は口をふいて席を立つと、ぺこり、と集まった人々に頭を下げた。
「今回は美味しい料理と楽しい場を設けて下さり、ありがとうございます、ミストルティンの皆さん。私は、今日の事を、きっと生涯わすれない事でしょう」
『いえいえ! こちらこそ。ビッグママが楽しんでいただけたならば、それで!』
こうして、突然の料理対決は、円満に決着をみたのであった。
はっぴーえんど!
《ママの PTSD が 少しだけ 回復しました》
◆◆
【蛇足】
その情報は、侵略宇宙人の間でも把握されていた。
あの。
恐るべき怪物、宇宙を滅ぼす光の化身、復讐の女神。
ノワールクイーン。それが復活し、海洋惑星ティターニアを訪れるという。宇宙連合の間に広く喧伝された情報は、当然、侵略宇宙人も把握していた。
そして彼らは、それを好機と考えた。
宇宙連合の団結の中心には、ノワールクイーンの存在が欠かせない。彼女が齎したフレンド、そしてマザーツリーという絶対的な恩恵があるからこそ、価値観も生命観も倫理観も全てバラバラの異種族が結託できているのだ。もし、ノワールクイーンを失えば、宇宙連合の結束はバラバラになる事は必至。
それにもし、かの怪物の能力を解析し、再現する事が出来れば、かつての神獣兵すら超越する生体兵器を生み出す事も可能だ。
これまでは、座標不明の地球に籠っていたために捕縛は叶わなかったが(ご丁寧に、宇宙連合の者達は何かしらの事情で撤収する時は絶対に最低でも地球の座標だけは抹消していった為)、それが外に出てきているとなれば話が違う。
ティターニアの座標は、侵略宇宙人も把握している。
勿論、普通に攻める事は不可能だ。テイターニア周辺にはワープ防止の為の特殊機雷が多数敷設されている、迂闊に突っ込めば忽ち宇宙の藻屑だ。かといって、安全な遠距離にワープアウトすれば、即座に防衛ステーションからの迎撃を受けて近づく事もままならない。悔しいが、宇宙連合の軍事力はかなり高い。無計画に仕掛けられる相手ではない。
だから、きちんと計画を立てればそれでいいのだ。
『作戦開始』
ティターニア近隣の宙域に、侵略兵器をワープアウトさせる。忽ちそれに反応した特殊機雷が起動し、光子魚雷が殺到する。ワープアウト直後の無防備な艦船にそれを防ぐ方法はない。構造体の表面が無数の爆発によって削り取られ……しかし、それは全体の数パーセントにすぎなかった。
出現したのは、果てしなく巨大な小惑星の塊。それにいくつかエンジンをつけただけのもの。
あらゆる迎撃に耐えうる、ただそれだけの大質量。なおも殺到する光子魚雷、さらに防衛システムからの砲撃を受けつつも、それは悠々とティターニアに落着するコースを取った。
周辺の機雷を全て撃ち込まれても、小惑星はびくともしない。そしてその背後に、安全を確認した侵略者達の船が、数隻ワープアウトしてくる。彼らは小惑星を惑星に墜落するまでの終末誘導を行う為の艦隊だ。
小惑星の内部には、致命的な汚染物質がこれでもかと満載されている。そもそもこの質量が墜落すれば、ティターニアという星は砕け散る。仮に撃墜しても、飛散した破片が惑星に降り注げば、ここ50年で改善した環境はかつて以上の汚染に苛まれる。
そしてこの距離から小惑星のコースを変更させる事は不可能だ。超空間ゲートで別の場所に転移させようにも、これだけの質量をすぐに対応するのは不可能。件の銀竜がいかに規格外でも、限度というものがある。
最悪の未来を防ぐ方法はたった一つ。
ノワールクイーン。奴の使う、概念をも燃やす炎。あれであれば、この小惑星爆弾を根こそぎ焼き尽くす事も可能だろう。
だがいかに能力が200年の間に肥大していようと、それだけの力を振るえば、当然リソースは底をつく。そうなれば、対象はただの子供だ。容易く捕縛できる、かつてのように。
十全に十全を重ねた、渾身の策。
途方もない悪意が、ティターニアに今まさに降り注がんとし……。
反応。
小惑星上方に、超次元ゲートの反応を感知。
侵略者達は嘲笑った。そんなちっぽけなゲートで、この大質量をどうにかできるはずがない、と。ダメ元の破れかぶれか、と。
しかしその笑みは、超次元ゲートから突如放たれた青い閃光を前に凍り付いた。
放たれた青い光線は、頑強な小惑星の岩盤を容易く貫くと、その中心核を撃ちぬいた。その中心で発生する、奇怪な現象。あらゆる数値が反転し、空間座標がゼロを示す。まるで宇宙が内側に収縮していくように、爆心地を中心にあらゆる全てが縮んで消えていく。縮退でもない、爆縮でもない、いうなれば宇宙に空いた穴から、現実が吸い出されていくようなそれは奇怪な現象だった。
そして数瞬の内に、巨大な小惑星は魔法のように姿を消し、後には何もない宇宙だけが残された。
それを、唖然として観測する、宇宙人達の船。
辛うじて彼らに理解できたのは、今の閃光が超空間ゲートの応用である事、物質はどこかに吸い出されたとか分解されたのではなく存在する座標ごと消滅したという事だ。現実がキャンバスに描かれた絵なら、空間はそのキャンバスである。キャンバスそのものを消されてしまえば、どれだけ硬度があろうと質量があろうと関係なく、この世界から消えざるを得ない。
だが、そんな事が許されるのか?
それは上位次元の存在にのみ許される御業だ。そんな力の持ち主が、この物質宇宙に留まれるはずがない。
直後、再びの青い閃光が彼らの船を薙ぎ払い……青い光で満たされた世界を最後に、彼らの意識は消失した。
この宇宙から、あらゆる次元から、永遠に。
作戦の失敗を以て、侵略宇宙人達は、ようやく理解した。
帰ってきたのだ。
宇宙連合は、対等な同盟などではない。唯一つの、絶対的な守護者に跪く配下の群れ。彼らは空白の席……玉座に仕える、忠実なる臣下に過ぎない。
その空白の席に、ついに主が帰還したのだ。
玉座に腰かけるは、黒き怪物。
銀色の竜を従える、憤怒の女王。
ノワールクイーン。
恐るべき怪物の女王が、然るべき場所へと戻ったのだと。
《侵略宇宙人の 恐怖度 が 大きく 上昇しました!》
◆◆
「ふああー……ん、何? アース、今なんかしてた? 超空間ゲートに首突っ込んでたように見えたけど……え、食べ過ぎたからエンガチョしてた? ちょちょちょちょ、そういう事は早く言いなさい! 船医さーん、ちょっとお願いしますー! うちのアースがですね、食べ過ぎでお腹痛いって……え? 撫でてくれれば治る? ……んもー、そういう事かあ。全く、びっくりさせないでよねー(なでなでさすさす」
一方。
ステーションのブリッジ。
あまりの急な出来事に、緊急警報を押し込もうとする姿勢で固まったままのミストルティン達がひたすら困惑したまま置物になっている。
なお、フレンド達は最後に放出された青い光を目撃した瞬間、ひっくりかえって腹を見せたまま気絶していた。あまりの恐怖に、全面降伏の構えのまま失神したらしい。
『…………(今見た物が信じられなくて顔? を見合わせる)』
『…………(半信半疑で記録をカチカチ操作してまぎれもなく現実だと確認中)』
『……う、宇宙には、不思議な事もあるもんだなあ!(そういう事にした)』
そういう、事に、なった。
◆◆
~空白の席の主 END~




