『探索対象X-0』
立花葵が独房から解放されたのは、三日後の事だった。
罪状は特殊任務の失敗。目的であった戦略物資の奪取には成功したものの、貴重な人材と装備を損壊せしめたというのがその罪状だった。
葵からすれば、生きて帰ってこれた上に友人の命が助かったというだけでも御の字。大人しく独房に入ると、開き直って久方ぶりの休息を楽しんだ。
それが、知らぬ間に一転。
突然独房からの解放を告げられた上に、三階級特進との事だ。
訳が分からぬまま案内の兵士に導かれて基地の司令部にやってくると、知らない顔が彼女を出迎えた。
立派な軍服に袖を通した、しかし階級に見合わぬ若い男。どう見てもまだ40代の黒髪の日本人男性は、彫りの深い顔に取り繕ったような笑顔を浮かべて、十代少女の葵へと親し気に語り掛けた。
「君が立花葵軍曹だな。こうして顔を合わせるのは初めてだな」
「あ、は、はい。……その、貴方は?」
「私は柏木慎之介少将。二日前にこの基地の司令に就任した」
目をぱちくりさせる葵。
「……ええと……」
「ははは。君は独房入りしていたのだから知らなくても仕方ない。急な話で吃驚したと思うが、これからは私が君達の上司だ。よろしく頼む」
「ええと、それはどうも……」
頭を下げつつ、あれ、これでいいのかな、と葵は困惑した。
速成組の彼女は、軍隊らしい礼儀については全く習っていない。少将という立場の人間相手への礼儀の通し方など、全く知らない。
そんな彼女に、柏木少将は先と違って取り繕った様子のない、心からの苦笑を浮かべて手を横に振った。
「いい、構わない。楽にしてくれたまえ」
「ええと、すいません。……その。前の司令は?」
「彼は除染された」
葵は再び目をぱちくりさせた。
「ええと……除染? 更迭、とかではなくて?」
「まあ簡単にいうと、彼は人類軍を裏切っていた。秘密裏に敵と内通し、優秀な人材を死地に追いやり無駄に消耗させていた。その事を軍の密偵が確認し、彼は排除された」
「……それ、私が聞いていい話です?」
明らかにきな臭い話に、葵は顔をしかめる。
が、柏木少将は気にした様子もなく、分厚い木のデスクから立ち上がると、葵にソファを進めた。
「勿論。だが、君を呼んだのは別件だ。少し話が長くなる、ソファに腰かけたまえ」
「え、ええと」
「畏まられると話がしづらい。頼むよ、命令だと思って構わない」
そういう事なら、とおずおずと葵はソファに腰かけ、その柔らかさにびっくりした。
「おぉ……」
「ジュースは飲むかい? といっても、着色した砂糖水だが」
「あ、はい。大好きです」
オレンジ色の液体が満たされたボトルを冷蔵庫から取り出す少将に頷き返す葵。
ジュースが満たされたコップを受け取り、彼女はなんとなく親戚のおじさんを思い返した。
「あの……それで。私はどうしてここに?」
「話を直接聞きたかったのだ。人類軍の最重要探索対象X-0に直接接触した君とね」
「……X-0?」
聞いた事のないコードネームだ。
ぴんと来ずに首を傾げる葵に、柏木少将は困ったように眉をひそめた。
「これも知らされてなかったのか? どちらにせよ、対象に接触した場合はシステム側からメッセージが送られるようになっているはずだが」
「あ、その。何の事でしょうか? 本当に心当たりがなくて……」
「ああ、すまん。そうだな。君は先の作戦で、怪物を連れた少女に遭遇したな?」
どこか探るような柏木少将の問いかけに、葵はジュースの入ったコップを両手でぎゅっと握りしめた。
それなら覚えがある。
というか、ちょっとやそっとでは忘れられない。
侵略者の強力な部隊を、一方的に駆逐した黒い怪物と、それをまるで子犬のように手懐ける不気味な少女。
あまりにもインパクトがありすぎて、忘れろという方が無理だ。
尤も、報告書に描いたら「出鱈目を言うな」と前の司令に頬を張られたのだが。
「あの……信じて、くれるんですか? 私の話……」
「信じるも何も」
柏木少将は困ったように笑った。
「君の遭遇した相手はな、近年人類軍が探し求めている重要人物なのだ。さっきも言っただろう、最重要探索対象X-0、と。彼女は、侵略者に対抗しうる、非常に重要な情報と能力を持った個人なのだ」
「え……」
「通称“ノワールクイーン”。侵略者との闘いの傍ら、人類軍は彼女の行方を捜索し続けていた。それがついに、君のおかげで尻尾がつかめたという訳だ」
思わぬ事実に、葵は三度目をぱちくりさせた。
あの子が?
確かにとんでもない化け物を従えていたが、見た所12歳前後の幼子にしか見えなかった。
そんな子供を、人類軍が探し回っている?
俄かには信じられなかった。
その疑問に答えるように、柏木少将が言葉をつづけた。
「彼女とその怪物は、すでにいくつもの侵略者の重要拠点を単独で壊滅させている」
「え……」
「この極東地区は、今やアメリカ戦線やヨーロッパ戦線以上の侵略者の戦力が送り込まれている。にも関わらず、我々の損害は他の戦線と比較してそう高い訳ではない。それは何故か? ……送り込まれた戦力の大半が、彼女達によって殲滅されているからだ」
少将が一枚の写真を手渡してくる。解像度の低いそれは、最初、何か矢鱈と真っ黒なごちゃごちゃにしか見えなかった。
葵は目を細めたり見開いたりしながら、写真を遠ざけたり近づけたりして確認する。
と、不意に。要領を得なかった写真の像が不意に結ばれた。
そこに写っていたのは……。
どこまでも続く侵略者の屍山血河。積み上げられた無数の屍。燃え上がる拠点を背後に、屍の山の上からこちらを見下ろす真っ黒な巨躯と、その傍らに佇む小さな人影。怪物は葵の知るものと違う姿をしているようだが、間違えようがない。
あの少女だ。
その様は、まさに。
「……“黒い女王”……」
「それは一年前、侵略者の最大拠点を攻撃した部隊が撮影したものだ。表向きは歴史的な大戦果、人類軍の勝利だと伝えられているがその真実は、彼女がすでに蹂躙しきった跡地を確保したに過ぎない。これ以降、人類軍は彼女の所在をずっと見失っていた」
ぐ、と柏木少将が身を乗り出すようにして葵の顔を覗き込んでくる。その瞳は、怖いぐらいに真摯な輝きを湛えていた。
「君には申し訳ないが、もう一度聞き取り調査を受けて欲しい。あんな形だけのものではなく、可能な限り、なんでもいい、X-0について覚えている事、受けた印象、それら全てを我々に教えて欲しい」
「……どうして、そこまで? その、失礼ながら、私はそこまで重要な情報をもっている訳では……」
「おっと。これは失礼」
少し引き気味の葵の返答に、柏木少将は文字通り顔を押さえて引き下がった。
「いかんな。彼女の事になると、つい熱くなってしまう」
「ええと……?」
「いや何。彼女は個人的な恩人でもあるのだ。ごく個人的な」
顔を逸らし、熱くなった事を恥じるように柏木少将は呟いた。
「……独房を出たばかりのところで失礼した。この後の話は、秘書が追って伝えるだろう。君はとりあえず、原隊に復帰したまえ。下がってよろしい」
「は、はっ! 了解いたしました。失礼します!」
困惑しつつも葵は染み付いた敬礼を反復し、ぎこちない動きで部屋を出ていった。
パタン、と扉が閉じる音を聞き届けて、柏木少将はデスクへと戻る。
机の上には、数多の書類の他に一つだけ、写真立てが飾られている。
そこには今より随分と若い柏木少将と、よく似た顔の兵士が仲良さそうに肩を組んで笑っていた。
弟だ。
名を、浩平という。
4年前。人類軍の兵士として作戦に従事している際にMIAとなった。その彼の末路が発覚したのは、3年前の事だ。
何者かによって破壊されつくした敵の捕虜収容所。その調査を行った結果、いくつもの記録映像が発見された。それには目を覆いたくなるような残虐な実験記録が残されていたが、その中に、弟の最期が記録されていたのだ。
無残な最期ではあった。
だが、他の被験者よりは、遥かにましな最期ではあった。
彼女のおかげで。
「礼を。言わねばな……」
柏木少将は、写真の向こうに小さな女の子の背中を見出しながら、ぽつりと決意を呟いた。




